NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」は、毎週木曜日、毎日新聞奈良版に「ディスカバー!奈良」を連載しています。11月30日付で掲載されたのは、「宮中行事の霊水 奈良市の秋篠寺香水閣」、執筆されたのは奈良市在住の久門たつおさん。
※トップ写真は、秘仏の大元帥明王(たいげんみょうおう)立像をまつる大元堂
『日本大百科全書』の「秋篠寺」には《入唐(にっとう)僧常暁(じょうぎょう)大徳が大元帥明王(たいげんみょうおう)を示現したという故事にちなむ霊井の香水閣があり、庶民の絶えざる信仰を得ている》とある。
平城遷都1300年祭の年、秘仏・大元帥明王立像が特別開帳されたが、普段は非公開で6月6日しか拝観できないそうなので、ご注意を。6月6日に拝観された中村秀樹さんが、ご自身の「奈良に住んでみました」に詳しく紹介されているのでご参考に。では、久門さんの記事全文を紹介する。
向かって左奥が香水閣
平城京の北西部に奈良時代末に創建された秋篠寺。伎芸天立像(重文)、本堂(国宝)が有名です。東門近くにあるのが香水閣で、中に香水井と呼ばれる井戸があります。
平安初期の851(仁寿元)年以降、宮中からの使者が持ち運んだ香水井の「霊水」が、京都御所で正月に国の安泰を願う真言宗の大元帥(たいげん)法による祈とうに使われたと言います。
1871(明治4)年まで1000年余り続いたとされます。 常暁(じょうぎょう)律師という僧が平安初期、香水井に大元帥明王の姿を感じ、その後、唐に渡って修得し、日本に伝えたのが大元帥法だそうです。
秘仏大元帥明王立像(重文)をまつる大元堂、香水閣とも普段は非公開。一般拝観は毎年6月6日のみです。
【メモ】近鉄大和西大寺駅北口から奈良交通「押熊」行きバスで約7分「秋篠寺」下車すぐ(奈良まほろばソムリエの会 久門たつお)。
平安初期から明治の初頭まで、1000年以上も宮中のご祈祷にお供えしていたとは、すごい。皆さん、ぜひ来年の6月6日にはお参りを!
※トップ写真は、秘仏の大元帥明王(たいげんみょうおう)立像をまつる大元堂
『日本大百科全書』の「秋篠寺」には《入唐(にっとう)僧常暁(じょうぎょう)大徳が大元帥明王(たいげんみょうおう)を示現したという故事にちなむ霊井の香水閣があり、庶民の絶えざる信仰を得ている》とある。
平城遷都1300年祭の年、秘仏・大元帥明王立像が特別開帳されたが、普段は非公開で6月6日しか拝観できないそうなので、ご注意を。6月6日に拝観された中村秀樹さんが、ご自身の「奈良に住んでみました」に詳しく紹介されているのでご参考に。では、久門さんの記事全文を紹介する。
向かって左奥が香水閣
平城京の北西部に奈良時代末に創建された秋篠寺。伎芸天立像(重文)、本堂(国宝)が有名です。東門近くにあるのが香水閣で、中に香水井と呼ばれる井戸があります。
平安初期の851(仁寿元)年以降、宮中からの使者が持ち運んだ香水井の「霊水」が、京都御所で正月に国の安泰を願う真言宗の大元帥(たいげん)法による祈とうに使われたと言います。
1871(明治4)年まで1000年余り続いたとされます。 常暁(じょうぎょう)律師という僧が平安初期、香水井に大元帥明王の姿を感じ、その後、唐に渡って修得し、日本に伝えたのが大元帥法だそうです。
秘仏大元帥明王立像(重文)をまつる大元堂、香水閣とも普段は非公開。一般拝観は毎年6月6日のみです。
【メモ】近鉄大和西大寺駅北口から奈良交通「押熊」行きバスで約7分「秋篠寺」下車すぐ(奈良まほろばソムリエの会 久門たつお)。
平安初期から明治の初頭まで、1000年以上も宮中のご祈祷にお供えしていたとは、すごい。皆さん、ぜひ来年の6月6日にはお参りを!