goo blog サービス終了のお知らせ 

tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

万博も開幕し、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

しみじみと心に染み入る『吉野の詩人』宮川美枝子著(京阪奈情報教育出版刊)

2024年12月27日 | ブック・レビュー
吉野町にお住まいの宮川美枝子さん初のエッセイ集『吉野の詩人』(京阪奈情報教育出版刊)が、奈良新聞(2024.12.23付)で紹介された。「推薦のことば」を書かせていただいた私としても、とても嬉しい。

私は、「吉野の風土・風物が匂い立つ好エッセイ」と紹介した。同紙の「明風清音」欄にも、読後感を書いたことがある。本書は県内主要書店で販売されているほか、版元のサイトから送料無料でお取り寄せできるし、ネット書店でも購入できる。ぜひ、手に取ってお読みください!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

快著!塩崎省吾著『ソース焼きそばの謎』(ハヤカワ新書)

2023年09月13日 | ブック・レビュー
本書を読んでから、毎日のように「ソース焼きそば」を食べている。これまで、「お好み焼き」は家でも外でもよく食べたが、こんなに焼きそばを食べ続けたのは、初めての経験である。そこで発見したことの第一は、「市販の焼きそばは、安い!」。

近所のスーパーでは、最もよく知られている「マルちゃん 焼きそば(3食)」が198円(税別、以下同じ)、イオンのPB商品(大徳食品製)「もっちり麺のソース焼きそば(3食)」だとわずか138円だ。最も高価な日清食品の「鶴橋風月 ソース焼きそば(2食)」でも358円。そこに具のキャベツ、もやし、豚肉を加えても、たかが知れている。

閑話休題。これまで私は「ソース焼きそばは戦後、大阪で生まれた」「大陸からの帰還者が考案した」という俗説を漠然と信じていたが、そのような先入観を見事にひっくり返してくれたのが本書である。著者の本業はRettyのソフトウェア・エンジニアだ。Rettyが作成したPRTIMESには、こんな「著者コメント」が出ている。

【著者コメント】
焼きそば好きと歴史好きが高じて、焼きそばの発祥と普及の過程を徹底的に調べ、数年前に電子書籍『焼きそばの歴史 上下巻』を個人で出版しました。このたび、その上巻を加筆修正して、早川書房さんより出版される運びとなりました。300ページ超・カラーページ多数の読み応え満点な一冊として、同社の新レーベル、ハヤカワ新書のラインナップに加わります。ソース焼きそばという食べ物が秘めた数々の謎と、それらを解き明かす爽快感を堪能してください。


綿密に史料にあたり、「謎」を1つ1つ解いていくさまは、まるでハヤカワ・ミステリだ。世の中の食物史や食文化史に関する本には、きちんと検証することなく由緒などを書き流しているものが多い。そこは古代史学や考古学とは、全く違う。だから本書のように丁寧に検証してくれると大いに助かるし、信頼できる。

当ブログの「ブック・レビュー」では、たいていは私が「ここがポイント」というところをかいつまんで紹介しているが、本書は買っていただいて、ご自身で「目からウロコ」を体験していただきたい。なので以下、「まえがき」の一部と目次、および本書に記載の「この節の要約」を紹介しておく。皆さん、ぜひ本書をお読みください!

【本書まえがき(一部抜粋)】
ソース焼きそばはいつ頃、どこで、どのように生まれたのか? 中華料理の炒麺(チャーメン)とは、どのような関係にあるのか? 土地土地の味を食して聞き取りを行い、明治時代や大正時代の史料にあたることを繰り返した。通説は覆り、答えがさらなる謎を呼んだ。我ながら、探偵のような作業だと思う。

なぜその時と場所に誕生しえたのか? どのように日本各地へ広まったのか? そこには明治以降の日本の近代化、国際関係が大きく関係し……と、ネタバレはこの辺にしておこう。鉄板で焦げるソースにも似た、むせ返るほど濃密で刺激的な歴史探究の成果を、存分にご堪能いただきたい。読み終わる頃にはきっと、ソース焼きそばへの興味と食欲が倍増していることと思う。

第1章 ソース焼きそばの源流へ
第1節 謎の多いソース焼きそばの起源
・2011年頃まで、ソース焼きそばは戦後に発祥したという説が主流だった
・2012年に、昭和10年代発祥説が出てきた
第2節 近代食文化研究会『お好み焼きの物語』
・2018年に電子書籍『お好み焼きの戦前史』が刊行され、翌年に書籍化された
・同書によれば、ソース焼きそばはお好み焼きの一種で、支那料理の「炒麺」「ヤキソバ」のパロディとして生まれた
・最古のソース焼きそば証言は、大正6年・浅草千束町生まれの女性の子供時代で、大正末期から昭和初期頃
第3節 戦前から続く浅草の老舗焼きそば、3軒
・戦前からソース焼きそばを提供している店が、浅草周辺に3店現存している
・西浅草の浅草染太郎、清川の大釜本店、千束のデンキヤホールがその3店
・デンキヤホールでは、大正時代の初期から「オム巻」を提供し始めたと語り継がれている

第2章 ソース焼きそばの発祥に迫る
第1節 大正7年のソース焼きそば思考実験
・大正初期でも、子供向け屋台の価格帯でソース焼きそばを提供することは可能
・決定的な証拠はないが、大正7年の時点でソース焼きそばが存在した可能性は高い
・「デンキヤホール」のオム巻が大正初期から提供されていた可能性も否定できない
第2節 明治40年の小麦粉事情
・ソース焼きそばが生まれるには「お好み焼きの成立」と「支那料理の大衆化」が条件
・明治40年頃に国内産の良質な小麦粉が安価で安定的に出回るようになった
・その結果、明治40年代の浅草でお好み焼きと支那そばという2つの必須条件が揃った
第3節 昭和10年前後のソース焼きそば
・ソース焼きそば単独の屋台や店舗も出現し、オムそばやジャガイモ入りなど当時から多彩だった
・しかし戦時下体制が進むにつれて、ソース焼きそばの屋台は姿を消してしまった

第3章 戦後ヤミ市のソース焼きそば
第1節 ヤミ市のたいへんな人気者
・戦後に復活したソース焼きそばは「ヤミ市のたいへんな人気者」だった
・戦後のソース焼きそばで最も古い記録は、昭和23年の浅草ひょうたん池にあった露店
・戦前は下町に限られていたが、戦後は新宿や池袋など山の手のヤミ市にも姿を現すようになった
第2節 昭和20年代の小麦粉事情
・昭和24年頃までアメリカからの食糧輸入はごく限定的で、ヤミ市の食糧は供出を免れた国内生産物が中心だった
・冷戦や朝鮮戦争の影響で、昭和25年頃から輸入が再開され、アメリカの小麦が出回りはじめた
・昭和30年からアメリカの余剰小麦の大量輸入が始まり、日本政府の後押しで小麦粉食が農村や家庭にまで浸透した
第3節 戦前からの微妙な変化
・焼きそばに必要な麺・キャベツ・ソースは、戦後食糧難の時代でも比較的入手しやすかった
・戦後のソースには人工甘味料が添加され、加熱すると苦みが出るためソースの後がけスタイルが定着した
・その後、濃厚ソースの発売やチクロの認可で、炒めながら味付けするスタイルが復活したと思われる

第4章 全国に拡散するソースの香り
第1節 戦前の関西のソース焼きそば事情
・少なくとも知識としては、戦前の関西にソース焼きそばが伝わっていたのではないか
・蒸した中華麺の代わりに、うどん玉や茹で中華麺を使った事例が複数ある
・店舗業態のお好み焼き屋の伝播はソース焼きそばの伝播とほとんど同じとみなすことができる
第2節 全国の老舗焼きそば店・お好み焼き店(前篇)
・関東、東北、東海、甲信越・北陸、近畿の老舗を列挙した
・富士宮やきそばや横手やきそばなど、ご当地焼きそばの多くは昭和20年代から30年代に生まれた
・近畿では、発祥地の東京を凌駕する勢いで、お好み焼きや焼きそばなどのコナモンが普及した
第3節 鉄板台の上のホルモンとうどんの偶然の出会い
・神戸市長田区では、戦前から「にくてん」と呼ばれるお好み焼き店が地域に根付いていた
・それと同時に、内臓食も定着しており、ホルモンを炒めて食べる事例もあった
・長田で「ホルモン」と「うどん玉」が結びつき、中国地方に「ホルモン焼うどん」だ伝播したのではないか
第4節 全国の老舗焼きそば店・お好み焼き店(後篇)
・シャオヘイ著『熱狂のお好み焼き』によると、広島でお好み焼きに麺を入れた最古の事例は昭和23年
・小倉・だるま堂の焼きうどんは、焼きそばに使う中華麺をうどんで代用した事例のひとつ
・北海道ではソースやコナモンの需要がなかったため、ソース焼きそばやお好み焼きの普及が遅れた
第5節 ソース焼きそばはいかにして広まったか
・戦後日本の食糧事情の変化に伴い、ソース焼きそばが日本全国へ段階的に伝播した
・「大陸からの帰還者が作った」「戦後の大阪で生まれた」という俗説には、それなりの背景があった
・ソース焼きそばが浅草で生まれたことを示す事例もいくつか残っている
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『続・大学的 奈良ガイド』(昭和堂)は、こんなスグレモノ!

2022年05月01日 | ブック・レビュー
奈良女子大学文学部なら学プロジェクト編『続・大学的 奈良ガイド ― 新しい見どころ60編』(2022年4月25日 昭和堂刊)税別2,000円を入手した。言わずと知れた同プロジェクト編『大学的 奈良ガイド ― こだわりの歩き方』(2009年4月20日 昭和堂刊)税別2,300円の続編である。続編の帯には「奈良の謎と魅力が盛りだくさん」とある。

正編が出たのは、私が「奈良まほろばソムリエ検定」1級に合格し、最上級の「奈良まほろばソムリエ」をめざして「これから頑張るぞ~!」というときだった。だから随所に黄色の蛍光ペンでマークし、付箋もたくさんついている。かといって、どれだけマスターしたかは心許ないのであるが…。

続編は1編を4頁で統一しているので、60ものテーマがずらりと並んでいる。これらはすべて、『月刊大和路ならら』(一般社団法人「 なら文化交流機構」刊)に連載されたものだという。目次から拾ってみると

第1章 モノは語る
 木簡と史書は語る ――平城宮大極殿建設の真実  舘野和己
 葡萄の道――「ボ・ダウ」「ぶだう」「ブドウ」  矢島洋一 など
第2章 まなざしと表現
 高松塚古墳のメディア学――発見当時の新聞記事を読む  小川伸彦
 大いなる『正倉院模造宝物』――吉田包春の美の世界  六車美保 など
第3章 横顔に映る奈良
 宇多上皇、吉野宮滝へ――道真の「御幸記」を繙く  西村さとみ
 澤田四郎作を知っていますか――大和が生んだ知のネットワーカー 寺岡伸悟 など
第4章 時空間を超えて
 「国のまほろば」という言葉――その理由と時  小路田泰直
 景観に見る奈良の風――見えないものから奈良を見る  浅田晴久 など
第5章 暮らしの今昔
 女性の暮らしやすさから見た奈良――家事・育児負担とサポート・ネットワーク 水垣源太郎
 あとの祭りにしないために――祭礼継承のためにいま何をなすべきか  武藤康弘 など


版元の「内容説明」には、

前著『大学的奈良ガイド』は、一般のガイド本では満足できない「学び好き」の奈良ファンの厚い層の存在を発見した画期的一書であった。大学の教授陣による確かで清新な知を求める世の欲求や向学心はいまも健在であり、続編が渇望されてきた。

今回の本は、全体を5章にテーマ分けをして、より分かりやすい視点を新たに採用しつつも、一歩も二歩も踏み込んだ内容となっている。


正編が出たあと、奈良まほろばソムリエ友の会(当時)の故 小北博孝会長と、「当会も、ゆくゆくはこんな立派な本を出したいですね」と言い合っていた。それはいまだ実現していないが、これまで読みやすい初心者向けの本(すべて新書版)を4冊刊行したので、目標は半ば達成したとも言える(『奈良「地理・地名・地図」の謎』『奈良の隠れ名所』『奈良百寺巡礼』『奈良万葉の旅百首』の4冊)。

続編はこれから読むところであるが、1ページ目から読むのは大変そうなので、興味のあるところから拾い読みするつもりである。この大型連休中にはとても片付きそうにないので、カバンに入れて少しずつ読んでいくつもりである。これから「奈良まほろばソムリエ」をめざす人には、格好の手引き書となるだろう。皆さんも書店で本書を手に取り、よろしければぜひお買い求めください!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

情報満載の楽しい本!『奈良のトリセツ』(昭文社刊)

2020年12月14日 | ブック・レビュー
昨日(2020.12.13)の夕方、啓林堂書店学園前店を訪ねると、新刊本のコーナーで2人ほどが同じ本を手に取って立ち読みしていた。何だろうと思って平積みされていたその本を見ると昭文社刊『奈良のトリセツ~地図で読み解く初耳秘話~』(税込 1,760 円)だった。パラパラとめくってみると、奈良県に関する情報が満載で、しかもフルカラー。

昭文社企画編集室とアーク・コミュニケーションズの編集で、執筆者は4人のライターさん。嬉しかったのは「主要参考文献」に、奈良まほろばソムリエの会監修の『奈良「地理・地名・地図」の謎』(実業之日本社)が出ていたこと。よく似たタイプの本なので、参考にしていただけたのだと思う。即座に買ってしまったことは、申すまでもない。大日本印刷のサイト「honto」に、 詳しい商品説明が出ていたので最後に紹介しておく。

都の繁栄を支えた大和川、日本一の私鉄・近畿日本鉄道、大坂城にも使われた吉野杉…。奈良県の地形・地質、歴史、産業・文化など多彩な特徴と魅力を地図で紹介。知られているようで知られていない奈良県の意外な素顔に迫る。

①地図、地形で読み解く奈良の台地
人類の文明発展につながった!? 二上山の成り立ちとサヌカイトの技術力/実は人工的に作られた山だった?古代史の舞台・大和三山/海外から来た使者へのアピールだった!? 都の繁栄を伝えた大和川/人々の営みに密接してきた 生駒山がもたらした恩恵とは?/世界最大級の対策工事が行われた亀の瀬地すべり地区の安全性は?/大和平原を潤す大動脈 吉野川分水は300年越しに完成/同じ県とは思えないほど!南北で大きく変わる奈良県の気候

②奈良を駆ける交通網
最古の市が開かれた 海石榴市は男女の出会いの場だった/生駒市と東大阪市にまたがる 暗峠の急こう配は法令値オーバー/営業期間わずか9年間! 大仏鉄道を阻んだ急勾配/かつては通っていた!? 奈良県に乗り入れてないJR奈良線/紀伊半島縦断の夢かなわず幻と消えた 五條市と新宮市を結ぶ五新鉄道計画/合併を繰り返して成長! 日本一の私鉄になった近畿日本鉄道/3度の変更の末、駅開業が転がり込んだ!? なぜ、王寺町が鉄道の町になった?/日本一長い路線バスでおなじみ八木新宮特急バスは昔もっと長かった

③奈良で動いた歴史の瞬間
古墳の密集地帯・奈良盆地 なぜ古墳が造られなくなった?/歴史上の悪役とされる一族の意外な姿 仏教が日本にあるのは蘇我氏のおかげ!?/美酒を一夜にして醸造!? 桜井市大神神社になぜ酒造りの神様?/日本最古と名高い飛鳥寺の大仏 飛鳥大仏が国宝になれないワケ/現存する最古の木造建築 現在の法隆寺は2代目だった!?/大化の改新だけではない!中大兄皇子が変えた時間の概念/大海人皇子勝利のカギとなった!? 壬申の乱における大和街道/日本初の条坊制の都 藤原京廃都の裏に参考資料のミス!?/陰陽道、兵法、囲碁、カタカナの生みの親!? 奈良時代のスーパー外交官、吉備真備/1300年で2人のみ達成!? 大峰山に伝わる千日回峰行とは?/藤原氏の権力の現れ!? 興福寺が高台にあるワケ ほか
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『神仙境吉野の謎に迫る 壬申の乱と修験道の誕生』は、吉野の入門書&学術書!

2020年11月16日 | ブック・レビュー
先月末(2020.10.31)、『神仙境吉野の謎に迫る~壬申の乱と修験道の誕生~』(京阪奈新書)が発刊された。執筆されたのは「古代吉野を見直す会」(代表:富田良一さん)だ。第1章、第2章では吉野の古代史を深く掘り下げ、また第3章では同会のメンバーが6年にわたり現地を訪ね、詳しくレポートしている。同会のニュースリリースには、

『神仙境吉野の謎に迫る 壬申の乱と修験道の誕生』の発刊について
吉野の古代史については、宮滝遺跡、壬申の乱、修験道、万葉集等々個々には優れた研究がなされていますが、これらを総合的にとらえたものがありません。新しい仮説を提示することによって、吉野古代史の全体像を一体的に捉え直そうと試みました。

このため、徹底的に現地と周辺エリアを踏査し、複眼的に吉野古代史を見直しました。また、訪ねた寺社、古墳、遺跡、自然も分担執筆しました。なお、「古代吉野を見直す会」は、吉野が好きで吉野に興味を持つ会員10名で構成されており、全員「奈良まほろばソムリエの会(会員数420人)」に所属しています。

◆趣旨 
古代史最大の内乱である壬申の乱が吉野で発生したことは誰もが知っている事実ですが、なぜ吉野なのかは分かっていません。本書では古人(ふるひとの)大兄(おおえ)の吉野との関係や、蘇我氏の血を引く鵜野讃(うののさ)良(らら)(持統天皇)がこの大乱に大きく関わっているのではないかと考えました。

宮滝遺跡は、吉野離宮として有名ですが、斉明天皇が祈りの場として創始した事が意外と忘れられています。持統天皇が在位中に31回の行幸をした事、聖武天皇が疫病退散の祈りを捧げるために吉野行幸をした事、辺境の吉野にある大名持(おおなもち)神社(じんじゃ)が春日社に次いで正一位の神階を得た事の理由を、祈りの場としての吉野の宮との繋がりから探りました。

また、一般に丹生は水銀朱とされていますが、丹生を炭酸塩泉と捉え、なぜ、水銀鉱床のない吉野川流域に丹生川上神社が創建されたのかについて新しい視点を提供しました。神が降臨し祖霊が還る聖なる山(青根ヶ峯・山上ヶ岳)の水・岩への地元民の原始的な神信仰(自然・祖霊)と比蘇寺(ひそでら)(吉野寺)を拠点として山居修行する修行僧の信奉する密教が習合して奥吉野で修験道が誕生した経緯を探りました。

◆概要
執筆対象  寺院7、神社8、古墳2、遺跡3、自然4、大峯奥駈道
取材期間  2014年2月~2020年3月
取材エリア 吉野郡(大淀町・吉野町・川上村・東吉野村・下市町・黒滝村・天川村)
      明日香村・桜井市・天理市・和歌山県かつらぎ町
編  者  古代吉野を見直す会(代表:富田良一)
監  修  松田 度(わたる)(大淀町教育委員会)
発  行  京阪奈情報教育出版株式会社(京阪奈新書)
体 裁 等   新書版200ページ・税別900円


本書については、土曜日(11/14)の朝日新聞奈良版に詳しく紹介されているので、末尾に記事の画像を貼っておく。私も早速本書を拝読し、丹(朱=硫化水銀)の鉱床がないのになぜ「丹生(にう)」なのか、金が採掘されないのになぜ「金」のつく社寺や地名が吉野に多いのか、修験道はなぜ吉野で発生したのか、などについての謎が解き明かされ、目からウロコだった。また第3章は会員による平易な現地報告で、順序としては第3章から読み始めるのが良いだろう。

吉野の古代史に関心のある皆さん、ぜひ本書をお読みください!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする