tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

信貴山縁起絵巻を子ども向けに/画家・なかじまゆたかさん

2022年04月13日 | かるたで知るなら(毎日新聞)
NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」は、先週の木曜日(2022.4.7)、1年間・46回にわたる連載「かるたで知るなら」を終了した。毎回の紙面を飾ったのは、画家・なかじまゆたかさんの楽しい絵札(コンピュータグラフィックスによる)だった。

最終回が掲載された当日、毎日新聞奈良版は、なかじまさんの紹介記事を掲載してくださった。見出しは〈想像交えて奈良描けた 画家・なかじまゆたかさん 橿原市在住 「かるたで知るなら」連載終了〉だった。以下、記事全文を紹介する。

橿原市在住の画家、なかじまゆたかさん(72)が2021年4月から絵を担当し、NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」が執筆した毎日新聞奈良面「かるたで知るなら」(毎週木曜)が7日、最終回を迎えた 。なかじまさんは「観光客とは違う視点で、想像を交えて奈良を描けるのが魅力だった」と振り返る。【村瀬達男】

なかじまさんは先天性股関節脱臼のため足が不自由で、つえが手放せない。小学3年から奈良市の「東大寺整肢園」(現東大寺福祉療育病院)に入所。絵を描くことで、家族と離れて暮らす寂しさを紛らわせた。

大学卒業後は橿原市役所に就職。同園で読んだグリム童話を書いたグリム兄弟の古里・ドイツを訪れたいと思い続け、1990年に同国の「ロマンチック街道」や「黒い森」を旅行した。そこで感じたインスピレーションを基に自身も童話を執筆。2007年の童話集「おやすみなさいのそのまえに」(アスカ文化出版)など4冊を出版し、日本児童文学者協会に所属している。

童話の執筆と共に、「色のグラデーションが出しやすい」というCG(コンピューターグラフィックス)の絵も描いており、05年に大和郡山市で児童画の展覧会を開いてからは絵が中心に。「いろんな人の世話になったので恩返しを」と東日本大震災の被災地で絵画展を開いたり、被爆地の広島、長崎の小学校で絵の授業をしたりした。

18年にソムリエの会が奈良の歴史文化を題材にした「奈良まほろばかるた」を作った活動にも賛同し、絵札の原画44枚を提供した。毎日新聞の連載では、これに加え、新たに「郡山城跡」などの絵札4枚を描いた。計48枚の中には1日で2枚描けた絵札もあれば、五重塔と赤い月を組み合わせた「法隆寺」のように約1カ月かかったものもある。なかじまさんは「取材先で、いろんな人と出会うのが楽しかった」と懐かしむ。

今夏には、生涯で描いた約540点の絵から厳選した130点を載せた作品集を出版する予定。さらに現在は、朝護孫子寺(ちょうごそんしじ)(平群町)の関係者から「国宝の信貴山縁起(しぎさんえんぎ)絵巻(3巻)を、子どもにも分かりやすい絵にしてほしい」と依頼され、再構成した作品を制作中だ。「どの部分に焦点を当て、どう漫画チックに描くかを考えたい」と意欲を語った。



(参考)「かるたで知るなら」最終回(2022.4.7付)

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年号は大化ではじまる日本国/毎日新聞「かるたで知るなら」第46回(最終回)

2022年04月12日 | かるたで知るなら(毎日新聞)
NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」は、同会が制作した「奈良まほろばかるた」の各札を題材に毎週木曜日、毎日新聞奈良版に「かるたで知るなら」を連載してきた。その最終回(2022.4.7)を飾ったのは〈「広大無辺の徳化」祈り/飛鳥宮跡(明日香村)〉、執筆されたのは奈良市在住の同会理事・久門たつおさんだ。

この札、実は別の日に掲載予定だったが、その日が休載となり、最終回に回ることになったものだ。スケールの大きい札が最終回となり、これは結果オーライだった。なお今週の木曜日(4/14)からは、新連載「やまとの神さま」が始まる。引き続きご愛読いただきたい。

〈年号は大化ではじまる日本国〉
645年、飛鳥板蓋宮(いたぶきのみや)で中大兄皇子、中臣鎌足らが蘇我入鹿を倒し、蘇我氏本宗家を滅ぼした「乙巳(いっし)の変」。その後、わが国初の元号(年号)として、広大無辺の徳化という意味を込めて、「大化」が定められたと伝わります。

翌年に改新の詔が発せられ、公地公民制などを柱とする「大化の改新」が進められます。その後、「白雉(はくち)」「朱鳥(しゅちょう)」が元号とされますが、長くは用いられず、庚午(こうご)の670年に作成された日本初の全国的な戸籍を庚午年籍(ねんじゃく)と呼ぶなど、干支(かんし)が使われました。

701年に対馬から朝廷に金が献上され、「大宝」が定められました。現在まで1300年以上続く元号が、本格的に始まることとなった記念すべき元号です。明治天皇、昭和天皇のように元号の名が天皇の名となる「一世一元(いっせいいちげん)の制」は、明治時代に定められました。

世界最初の元号は紀元前140年、中国の前漢時代、武帝(ぶてい)の「建元(けんげん)」です。中国や近隣諸国で使用されましたが、20世紀半ばで終焉(しゅうえん)。それ以降は日本でのみ使われ続け、1979(昭和54)年には元号法が制定されました。

「令和」は、「大化」から数えて248番目の元号です。西暦と元号を使う和暦の共存は、面倒なところもありますが、どちらも使用する妙味は、日本ならではと言えそうです。(奈良まほろばソムリエの会理事 久門たつお)
◇   ◇
「かるたで知るなら」は今回で終わりです。次回からは奈良まほろばソムリエの会による新企画「やまとの神さま」が始まります。

【飛鳥宮跡(伝飛鳥板蓋宮跡)】
(住 所)明日香村岡
(交 通)近鉄橿原神宮前駅東口または近鉄飛鳥駅からバス「岡天理教前」下車、徒歩約5分
(見 学)自由
(駐車場)周辺に無料、民営有
(電 話)飛鳥観光協会(0744・54・3240)


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日本初の官寺につながる大安寺/毎日新聞「かるたで知るなら」第46回

2022年04月04日 | かるたで知るなら(毎日新聞)
NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」は同会が制作した「奈良まほろばかるた」の各札を題材に毎週木曜日、毎日新聞奈良版に「かるたで知るなら」を連載している。

3月10日以降の連載では、新聞連載のために新たに描き下ろした札を紹介している(1年間の連載とすると、札が足りなくなるため)。今回も描き下ろしの札で、見出しは〈筆頭寺院 威容CGで/大安寺(奈良市)〉、執筆されたのは大和郡山市在住の森田康義さん、会社の先輩だった人である。

お寺は2021.10.4~11.30まで、クラウドファンディング「大安寺天平伽藍CG復元プロジェクト」で資金を募っておられ、私も少し協力させていただいた。目標1,000万円に対し、1,631万円が集まり見事、目標を達成された。完成したCGは3/26(土)から、同寺で公開されている。では記事全文を紹介する。

〈日本初の官寺につながる大安寺〉
大安寺といえば、がん封じの寺として信仰を集めていますが、奈良時代の平城京で壮大な伽藍(がらん)を誇る国家の筆頭寺院であったということをご存知でしょうか。

『大安寺伽藍縁起幷流記(ならびにるき)資材帳』によれば、聖徳太子が創建した寺院・熊凝精舎(くまごりしょうじゃ)に始まります。のちに舒明(じょめい)天皇の百済大寺(くだらのおおてら)に継承され、我が国最初の官寺(国立寺院)となります。

その後、高市大寺(たけちのおおてら)、大官大寺(だいかんだいじ)を経て、平城遷都にともない現在の地に移され、大安寺と名称を変えました。『扶桑略記』には「大官大寺を改め大安寺とする」と記されています。

大安寺は、東大寺、西大寺と並んで「南大寺」と呼ばれ、約26万平方㍍の広大な敷地です。南大門、中門、金堂、講堂が一直線に並び、南大門の南に相対して東西の七重塔が建つ伽藍配置で、塔は推定70㍍もの高さがあったといいます。

また、長大な僧坊が建ち並び、その中に887人の僧侶が居住し、勉学修行に励んでいたとされます。しかし、時代の変遷とともに次第に衰退し、当時の伽藍は全て消滅してしまいました。

そこで大安寺は「大安寺天平伽藍CG復元プロジェクト」の資金をインターネットで募るクラウドファンディングで集めました。完成したCG(コンピューターグラフィックス)が3月26日から大安寺嘶堂(いななきどう)で公開され、伽藍を見ながら、ゲームコントローラーを操作して境内を歩いたり、上空に浮かんで堂塔を見下ろしたりできます。みなさんも往時の姿を体験してみてはいかがでしょうか。(奈良まほろばソムリエの会会員 森田康義)

【大安寺】
(住 所)奈良市大安寺2の18の1
(交 通)近鉄・JR奈良駅からバス「大安寺」下車、徒歩約10分
(拝 観)9~17時(受付は16時まで)、一般400円(特別拝観時500円)
(駐車場)無料
(電 話)0742・61・6312


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命蓮(みょうれん)の霊験(れいげん)描いた信貴山縁起/毎日新聞「かるたで知るなら」第45回

2022年03月29日 | かるたで知るなら(毎日新聞)
NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」は、同会が制作した「奈良まほろばかるた」の各札を題材に毎週木曜日、毎日新聞奈良版に「かるたで知るなら」を連載している。

3月10日以降の連載では、新聞連載のために新たに描き下ろした札を紹介している(1年間の連載とすると、札が足りなくなるため)。今回も描き下ろしの札で、見出しは〈漫画の祖 国宝絵巻/朝護孫子寺(平群町)〉、執筆されたのは京都府木津川市にお住まいの島田宗人さんである。では、記事全文を紹介する。

〈命蓮の霊験描いた信貴山縁起〉
漫画のルーツとされる「信貴山縁起(しぎさんえんぎ)絵巻」は3巻からなる国宝の絵巻。信貴山朝護孫子寺(ちょうごそんしじ)の中興の祖・命蓮(みょうれん)上人の霊験譚(れいげんたん)が語り継がれ、平安末期に描かれました。

一巻の「山崎長者巻」は命蓮の法力によって、托鉢(たくはつ)の鉢に乗せた長者の米倉が信貴山へ飛んで行くという不思議なお話です。絵巻の冒頭で米倉の扉が開き、転げ出た鉢が倉を乗せて浮き上がる、てんやわんやの場面は見る者を引き込みます。空を飛ぶ倉を慌てて追いかける人々の前のめりの姿と、おどけた顔、手足の動きも表現豊かです。

二巻の「延喜加持(えんぎかじ)巻」では、醍醐(だいご) 天皇の病気平癒の祈とうを請われた命蓮が加持を行い、「剣の護法 (ごぼう) 」を宮中に遣わすと、帝 (みかど) の病気が全快します。韋駄天(いだてん) 走りで空を駆け抜ける毘沙門天(びしゃもんてん)の使いの護法童子(どうじ) 。その速さを長く引かれた飛雲で表します。時間の経過や動きの多様さに驚きます。

三巻の「尼公(あまぎみ)巻」は、命蓮の姉の尼公が弟の消息を訪ね、信濃から大和に向かいます。東大寺大仏殿に参籠(さんろう)した尼君は、毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ) から弟の住む方角を暗示され、20年ぶりに再会を果たすことができました。ここに描かれた大仏殿は、1180(治承4)年の南都焼討(なんとやきうち)で焼失する前の、創建当初の姿を描いた、現存する唯一のものです。

絵巻は奈良国立博物館に寄託しており、毎秋、一部が同寺の霊宝館で里帰り公開されます。2022年は寅(とら)年で特別に3回公開の予定(一巻4月2~17日、二巻8月6~21日、三巻10月8~23日)。複製品は霊宝館で常時展示されています。(奈良まほろばソムリエの会会員 島田宗人)

【信貴山朝護孫子寺】
(住 所)平群町信貴山2280の1
(交 通)JR・近鉄王寺駅からバス「信貴大橋」下車、徒歩約5分
(霊宝館)入館は9時~16時半、一般300円(里帰り公開は一般400円)
(駐車場)普通車500円など
(電話)0745・72・2277


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スリルを味わう谷瀬(たにぜ)の吊り橋/毎日新聞「かるたで知るなら」第44回

2022年03月20日 | かるたで知るなら(毎日新聞)
NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」は同会が制作した「奈良まほろばかるた」の各札を題材に毎週木曜日、毎日新聞奈良版に「かるたで知るなら」を連載している。先週(2022.3.17)掲載されたのは〈暮らし支え土木遺産/谷瀬の吊り橋(十津川村)〉、執筆されたのは、奈良市在住で、奈良まほろばソムリエの会では広報グループに所属の磯兼史洋(いそかね・ふみひろ)さんだった。

今回の札も当初の札ではなく、この連載のため、なかじまゆたかさんに描き下ろしていただいたものだ。面白い描き方で、川原でキャンプしている子どもたちの絵も入れていただいた。では、記事全文を紹介する。

〈スリルを味わう谷瀬の吊り橋〉
県の最南端に位置する十津川村。豊かな自然あふれる村に「谷瀬(たにぜ)の吊り橋」はあります。長さ297㍍、高さ54㍍。生活用の吊り橋としては日本一の長さを誇ります。同村観光協会によると、造られたのは60年以上前の1954(昭和29)年。

それまでは川に丸木橋を架けていましたが、洪水のたびに流されるため、地元の人が1戸当たり20万~30万円を出し合い完成させました。まさに生活のための橋です。

当初、村人だけが利用していましたが、次第に世間の注目を集め、今では十津川村を代表する観光地になりました。それは、渡ること自体を楽しめる、スリル満点の橋だからです。入り口には「一度に20人以上はわたれません」という注意書き。一歩踏み出すと、橋は途端に揺れ始め、床板がギシギシと音を立てます。歩く人が多いと、揺れ方が不規則になり、思うようにバランスを保てません。

足元から、はるか下の十津川が丸見えで、思わず足がすくみます。普段の生活では味わうことのできない体験です。2021年には土木学会選奨土木遺産に認定されました。対岸の谷瀬地区には「ゆっくり散歩道」が整備され、展望台まで進めば、吊り橋を一望することができます。

南朝の史跡「黒木御所跡」も見逃せません。後醍醐天皇の皇子・大塔宮護良(おおとうのみやもりよし)親王がこの地に逃れた際、かくまわれたとされる仮宮殿(かりきゅうでん)跡です。ぜひ橋に足を運んで、ドキドキ感と絶景を満喫してください。きっと非日常の素敵(すてき)な思い出を残してくれると思います。(奈良まほろばソムリエの会会員 礒兼史洋)

【谷瀬の吊り橋】
(住 所)十津川村上野地65の2
(交 通)近鉄大和八木駅、JR五条駅からバス「上野地」下車すぐ▽黒木御所跡は上野地から橋を渡った対岸の谷瀬地区
(渡橋料金)無料
(駐車場)有料
(電 話)0746・63・0200


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