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箸尾氏は大和武士五強/城跡と菩提寺に活躍を偲ぶ(毎日新聞「ディスカバー!奈良」第44回)

2017年12月04日 | ディスカバー!奈良(毎日新聞)
NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」は毎週木曜日、毎日新聞奈良版に「ディスカバー!奈良」を連載している。11/23付で掲載されたのは「勇壮な箸尾氏しのぶ 広陵町の箸尾城跡、常念寺」、執筆者は同会理事で広陵町出身・在住の大山恵功(よしのり)さん。
※トップ写真は「箸尾城址」石碑(広陵町的場)

箸尾城跡は、訪ねたことがある。教行寺(広陵町大字萱野)の東北、大字萱野(かやの)・的場(まとば)・弁財天にわたるほぼ2町四方の環濠集落が城跡というから、その規模の大きさに驚く。では、記事全文を紹介する。

箸尾城は、広陵町萱野(かやの)周辺に箸尾氏により築かれ、約220㍍四方の環濠(かんごう)を巡らせた平城です。箸尾氏は、筒井氏(大和郡山市周辺)、越智(おち)氏(高取町周辺)、十市(とおいち)氏(橿原市周辺)、古市氏(奈良市周辺)と並ぶ大和武士(やまとさむらい)五強の一つでした。

箸尾氏は越智氏や、時に筒井氏と共に戦いを繰り返し、三好長慶の家臣松永久秀が大和に侵攻した際は久秀に味方しましたが、最後は久秀に反旗をひるがえしています。箸尾城は信長により取り壊され、現在、道路脇に城址(じょうし)碑と、水堀の名残の水路が残されているのみです。



常念寺(広陵町広瀬)の箸尾氏歴代の墓碑(五輪塔)

大和武士は、春日大社の若宮おん祭での流鏑馬(やぶさめ)の奉納を誇りとしており、箸尾氏は祭礼に奉仕する長川党の盟主という立場で活躍していました。広陵町広瀬には箸尾氏の菩提(ぼだい)寺だった常念寺があります。箸尾氏の墓碑(五輪塔)が36基並び、勇壮だった箸尾氏の活躍がしのばれます。

メモ 箸尾城跡へは近鉄田原本線箸尾駅から南へ徒歩約10分。常念寺へは同駅から南東へ徒歩約20分です。(奈良まほろばソムリエの会理事 大山恵功)


奈良県の歴史というと、とかく古代史に目が行きがちだが、中世の大和も奥深い。前回は十市氏を紹介していただいた。大山さん、興味深い記事をどうもありがとう!

コメント (4)
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