【Great Little Joe】
Joe MORGAN
1970年代前半、驚異的な強さで球界を席巻した
ビッグ・レッド・マシーンことシンシナティ・レッズ。
特に75年と76年、2年連続世界一に輝き、
その最強ぶりを発揮するのだが、
いずれの年もシーズンMVPは、身長168cmの、
リトル・ジョーことジョー・モーガンであった。
通算打率.271に対し、出塁率は.392。
決して巧打者ではないが、モーガンのモーガンたる所以はその抜群の選球眼、
通算四球数は1865、これは歴代5位の記録であり、
アーロンやメイズ、ミュージアルといった
大物スラッガーよりも上に位置している。
また、ひとたび塁に出れば、俊足を武器に塁上をかき回し、
689個の盗塁を稼いだ。
いわゆる、野球頭脳の優れたフォー・ザ・チームのプレーヤーであった。
加えて、76年の27本が示すように、意外な長打力も持ち合わせている。
ジョージ・フォスター、トニー・ペレス、
ジョニー・ベンチと強打者を揃えた当時のレッズだったが、
監督のスパーキー・アンダーソンは打線の核として、彼等を差し置き、
ジョー・モーガンに3番打者を任せたのである。
守備面においても、91試合連続無失策記録に
5度のゴールド・グラブ..........
歴代最高の二塁手と言えるだろう。
ヒューストン時代から、その俊足ぶりや守備は高い評価を得ていたが
モーガンの才能が爆発したのは72年にレッズに移籍してからである。
移籍一年目の72年、打率.292、16本塁打、73打点、58盗塁と
4部門、全てにおいて過去最高の成績を残し、才能を開花させると、
翌73年には26本塁打、82打点と、パワーと勝負強さも見せつけ、
さらに前年を大きく上回る67盗塁をマークする。
75年には.327の高打率に加え、94打点、67盗塁と、マルチな活躍でシーズンMVP、
76年も打率.320、27本塁打、111打点、60盗塁の大活躍で2年連続のシーズンMVPに輝いた、
また、この2年間のレッズは、連続してワールドシリーズを制覇し、その
強剛ぶりをおおいに発揮するのだが、モーガンは、
いずれのシリーズでも印象強い活躍を見せた。
特に75年、球史に残るレッド・ソックスとのワールド・シリーズ、
第6戦のカールトン・フィスクの劇的なサヨナラホームランがあまりにも有名だが、
モーガンは第3戦でサヨナラ安打....
第7戦でも最終回に世界一を決める決勝のタイムリー安打を放っている。
34歳になった78年以降、モーガンの打撃は翳りを見せ始める。
引退した84年まで、打率は.250付近を上下する程度、
盗塁も30を超える事は無かった。
が、堅実な守備と、チームプレーで勝利に貢献、
80年、アストロズに移籍すると、球団初の優勝に貢献し、
83年はフィリーズの優勝に大きな役割を果たした。
結局40歳になるまで現役を続け、90年に堂々の野球殿堂入りを果たした。
63年、メジャーデビューを果たしたコルト45sでは、先発メンバー全員ルーキーという珍事が起こったが、
メンバーの中に、ラスティ・スタウブやジミー・ウィンと並んで、モーガンもその名を連ねていた。
http://mlb.mlb.com/NASApp/mlb/stats/historical/individual_stats_player.jsp?c_id=mlb&playerID=119371
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Joe MORGAN
1970年代前半、驚異的な強さで球界を席巻した
ビッグ・レッド・マシーンことシンシナティ・レッズ。
特に75年と76年、2年連続世界一に輝き、
その最強ぶりを発揮するのだが、
いずれの年もシーズンMVPは、身長168cmの、
リトル・ジョーことジョー・モーガンであった。
通算打率.271に対し、出塁率は.392。
決して巧打者ではないが、モーガンのモーガンたる所以はその抜群の選球眼、
通算四球数は1865、これは歴代5位の記録であり、
アーロンやメイズ、ミュージアルといった
大物スラッガーよりも上に位置している。
また、ひとたび塁に出れば、俊足を武器に塁上をかき回し、
689個の盗塁を稼いだ。
いわゆる、野球頭脳の優れたフォー・ザ・チームのプレーヤーであった。
加えて、76年の27本が示すように、意外な長打力も持ち合わせている。
ジョージ・フォスター、トニー・ペレス、
ジョニー・ベンチと強打者を揃えた当時のレッズだったが、
監督のスパーキー・アンダーソンは打線の核として、彼等を差し置き、
ジョー・モーガンに3番打者を任せたのである。
守備面においても、91試合連続無失策記録に
5度のゴールド・グラブ..........
歴代最高の二塁手と言えるだろう。
ヒューストン時代から、その俊足ぶりや守備は高い評価を得ていたが
モーガンの才能が爆発したのは72年にレッズに移籍してからである。
移籍一年目の72年、打率.292、16本塁打、73打点、58盗塁と
4部門、全てにおいて過去最高の成績を残し、才能を開花させると、
翌73年には26本塁打、82打点と、パワーと勝負強さも見せつけ、
さらに前年を大きく上回る67盗塁をマークする。
75年には.327の高打率に加え、94打点、67盗塁と、マルチな活躍でシーズンMVP、
76年も打率.320、27本塁打、111打点、60盗塁の大活躍で2年連続のシーズンMVPに輝いた、
また、この2年間のレッズは、連続してワールドシリーズを制覇し、その
強剛ぶりをおおいに発揮するのだが、モーガンは、
いずれのシリーズでも印象強い活躍を見せた。
特に75年、球史に残るレッド・ソックスとのワールド・シリーズ、
第6戦のカールトン・フィスクの劇的なサヨナラホームランがあまりにも有名だが、
モーガンは第3戦でサヨナラ安打....
第7戦でも最終回に世界一を決める決勝のタイムリー安打を放っている。
34歳になった78年以降、モーガンの打撃は翳りを見せ始める。
引退した84年まで、打率は.250付近を上下する程度、
盗塁も30を超える事は無かった。
が、堅実な守備と、チームプレーで勝利に貢献、
80年、アストロズに移籍すると、球団初の優勝に貢献し、
83年はフィリーズの優勝に大きな役割を果たした。
結局40歳になるまで現役を続け、90年に堂々の野球殿堂入りを果たした。
63年、メジャーデビューを果たしたコルト45sでは、先発メンバー全員ルーキーという珍事が起こったが、
メンバーの中に、ラスティ・スタウブやジミー・ウィンと並んで、モーガンもその名を連ねていた。
http://mlb.mlb.com/NASApp/mlb/stats/historical/individual_stats_player.jsp?c_id=mlb&playerID=119371
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