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file010 Paul O'NEILL 【ポール・オニール】

2005-07-16 | MNO
【Jethro】
Paul O'NEILL

1978年から95年の長きに渡ってヤンキースは
プレーオフにも出場できない氷河期を迎えた。
しかし、監督にジョー・トーレを迎えた
1996年からヤンキースは復活をとげる、
その名将トーレにとって一番頼もしかった選手こそ、
ジェスロことポール・オニールかもしれない。

オニールは1985年レッズでデビュー、
レッズ時代は打率.250~.270代を打つ平凡な中距離ヒッターであった。
ところが93年にヤンキースへ移籍すると突如アベレージヒッターへ変貌する。
移籍一年目の93年、打率.311、20本塁打をマークすると
94年には、.359のハイアベレージに21本塁打、83打点の好成績、
この年、首位打者を獲得し、MVP投票でも5位にランクされる。
95年22本塁打、96打点をマークすると、
97年に打率.324、24本塁打、116打点でキャリア最高の成績をあげる。
以降、2000年まで4年連続で100打点以上をマークし
チーム随一の勝負強さを見せつけた。
結局、ヤンキースはオニールが在籍していた9年間で
7度の地区優勝、5度のリーグ優勝、
3連覇を含む4度の世界一に輝いた。

バーニー・ウィリアムスとの右中間も鉄壁の守備を誇り、
攻・守にわたり、チームを牽引した、
タフで熱い男、ポール・オニールは
この時期の強いヤンキースのまさにリーダーであった。

2001年オニールは引退を決意するが、
それはダイアモンド・バックスとのワールドシリーズ第5戦で起こった。
9回の表、スタンドから突然のオニール・コールが巻き起こったのだ。
スタジアムを覆い尽くす『オニール!!』の絶叫。
その日は2001年のヤンキースタジアムの最終戦でもあった。

ホルヘ・ポサダは言った....
「ティノ・マルティネスとポール・オニールは私たちに
 大切なことを教えてくれた。彼らはまるで炎のようだった。
 勝つためなら何でもやった。言葉はいらなかった。
 プレーを通じて、王者とは何かをチーム全員に教えてくれたんだ」