なんとなく気象は気が象ると描いた頃から
言霊のことを書く流れがあったような気がします
言霊の側面をうまく現わしている言葉がありましたので紹介します。
浜松医大名誉教授、高田明和氏の心に響く言葉より…
「すべてはよくなる」。
この言葉は「困ったことは起こらない」より積極的な響きをもっています。
では、「因果の法則」と言霊はどのように関係しているのでしょうか。
こんな疑問が浮かびます。
もし、悪いことをしていたなら、いくらよい言葉を使ってもどうしようもないのではないでしょうか?
言葉などは意味がないのではないでしょうか。
私も長い間この疑問に答えられませんでした。
しかし、現実に「困ったことは起こらない」とか「すべてはよくなる」などと口ぐせのようにつぶやくと、ほんとうに問題が解決してしまうのです。
最近、この謎が解けたのです。
つまり、悪行をもっている人にこのような言葉を教えても、そもそも信じないのです。
「バカらしい」と実行しないのです。
このような言葉を信じ、実行する人はもともと善業をもっている人たち、あるいはその資格がある人たちなのです。
心に受け皿のある人なのです。
ですから、言霊は善業をもっている人にこそ、もっとも有効に働き、幸せをもたらすのです。
だいたい自分の人生を真摯に受け止め、「困ったことは起こらない」を信じて口ぐせのようにつぶやいている人が悪いことをするでしょうか。
もちろん、人間ですから間違ったことをいろいろしてしまうのは仕方がないのです。
しかし、そもそも人を殺したり、詐欺をしたり、いじめたりして他人の心を平気で傷つける人は、言霊を信じていないものです。
信じない人に言霊の効用をいくら説いても、信じないのです。
そのような人の行いを見ると、皮肉屋で人の心を傷つけて平気な人、悪いことをしてもそれに気づこうともしない人がほとんど、いや全部です。
言霊を信じ、よい言葉を使い、それを自分に言い聞かせている人なら、その人が徳を積んでいることがわかるのです。
そのような人が「すべてはよくなる」と自分に言い聞かせていれば、すべてがよくなるのは当然ではないでしょうか。
あなたは言霊を信じるでしょうか。
日本は、「言霊の幸(さきわ)ふ国」と、万葉集にある。
言葉の力によって、幸福がもたらされる国。
言葉の力を信じなければ、残念ながら、幸福はもたらされない。
汚い言葉、人をおとしめる言葉、不平不満、愚痴、泣き言、悪口…
いずれも、幸せや運が逃げていく言葉だ。
言霊のある側面をうまく表現している言葉だと思います
文字に現わすと言葉は固定されますが
言霊とは文字として考えるのではなく体験するもの
同じ音であれば同じ物、事をあらわしていた
神主の上げる祝詞も人により響きが違います
魅力的な祝詞の奏上は魂に響くように感じます。
有史という言葉は文字を前程とした思考のように思いますが
インカでは文字がなくとも高度の文化が産まれることを示しています
万葉集が当て字といわれる漢字で書かれていますが
その漢字を使用する前にゆたかな感性があったことを万葉集は示しているように思います
インカと同じように北海道と沖縄では明治の時代でも文字の代用となる結縄(キープ)の文化が生きていたことが残されています
万葉集が現わすものは文字ではなくいにしへより続く
音の産出す世界
音による感性の鍛錬のような気がしています
それはいにしへにおいて幾何学が象徴として用いられていたように
言霊の音の描くイメージを心に描く鍛錬
一万年以上の生きる感性を描くショーベ洞窟壁画、心にイメージを描く鍛錬の形のように見えます
日本は言霊の文化を知っているはずなのに
感情で負けてしまい
日々の言葉が自らを貶めている事に気づけずに
苦労が多い人も見受けられます。
文明変化の章に入っていますから
感情に流されずに日々を生きたいものです。
日本の文化は無意識に行われていることが多いですね。縄文遺跡で朝日、夕陽をみていると日本の感性はいにしへに産まれたという思いにかられます。
誠を問う心。幕末に誠を問うた新撰組、令和も誠を問う時のような気がします。
心がうごいて体が動くように、言霊のさきはふ相手を想う心のうごきを描くことができるか?