太陽太陰暦である旧暦の1日はいつも新月
太陽暦であるグレゴリオ暦の元旦が新月であることは珍しい
日と月の律動が調和した年となるのでしょうか
日と月の律動の調和を示す日月神示では
ひふみ神示 第06巻 日月の巻 / (ひつ九のまキ)
第一帖 (一七四)
富士は晴れたり日本晴れ。此の世に自分の物と云ふ物は何一つないのであるぞ。早う自分からお返しした者から楽になるのざぞ。神はいよいよの仕組にかかったと申してあろがな。毀(こわ)すのでないぞ、練り直すのざぞ。世界を摺鉢(すりばち)に入れて捏(こ)ね廻し、練り直すのざぞ。日本の中に騒動起るぞ。神の臣民 気つけて呉れよ。日本も神と獣に分れているのざから、いやでも応でも騒動となるのざぞ。小さくしたいなれど。旧九月一日、ひつくのか三。
天津神の伝統を伝える伊勢神宮
国津神の伝統を伝える出雲大社
天津神と国津神の八百万の神が伝える伝統は
生かされていることに感謝を捧げる日本の心
心とは神に捧げるもの
第二帖(一七五)
三千年三千世界乱れたる、罪やけがれを身において、此の世の裏に隠(か)れしまま、此の世構ひし大神の、みこと畏み此の度の、岩戸開きの御用する、身魂は何れも生きかはり、死にかはりして練りに練り、鍛へに鍛へし神国の、まことの身魂 天駈けり、国駈けります元の種、昔の元のおん種ぞ、今 落ちぶれてゐるとても、軈(やが)ては神の御民とし、天地(あめつち)駈けり神国の、救ひの神と現はれる、時近づきぬ御民等よ。今一苦労二苦労、とことん 苦しき事あれど、堪へ忍びてぞ次の世の、まこと神代の礎と、磨きて呉れよ神身魂、いやさかつきに栄えなむ。みたまさちはへましまさむ。旧九月二日、ひつ九 のか三。
三千年続いた自ら生きているという考えから
生かされているという考えに変わる季節
ウィキペディアに
ソクラテスの思想は、イオニア学派の自然哲学者たちに見られるような、唯物論的な革新なものではなく、「神のみぞ知る」という彼の決まり文句からもわかるように、むしろ神々への崇敬と人間の知性の限界(不可知論)を前提とする、極めて伝統的・保守的な部類のものだと言える。「はかない人間ごときが世界の根源・究極性を知ることなどなく、神々のみがそれを知る、人間はその身の丈に合わせて節度を持って生きるべき」という当時の伝統的な考え方の延長線上に彼の思想はある。
それにも拘らず、彼が特筆される理由は、むしろその保守性を過激に推し進めた結果としての、「無知の知」を背景とした、「知っていることと知らないこと」「知り得ることと知り得ないこと」の境界を巡る、当時としては異常なまでの探究心・執着心 、節制した態度 にある。「人間には限界があるが、限界があるなりに知の境界を徹底的に見極め、人間として分をわきまえつつ最大限善く生きようと努める」、そういった彼の姿勢が、その数多くの内容的な欠陥・不備・素朴さにもかかわらず、半端な独断論に陥っている人々よりは思慮深く、卓越した人物であると看做される要因となり、哲学者の祖の一人としての地位に彼を押し上げることとなった。
ソクラテスの有名な言葉に「徳は知識(知恵)である」
考えることが唯物的思考だけでは心がなくなることを知る季節
徳を積むことが生きる智慧
八百万の神に生かされ
日の神、月の神の律動から
徳を積むことの大切さを思う年のはじまり