図形曼荼羅好きな方 (^O^)/

ラピスラズリの蒼とトルコブルーの重なりに魅かれます。色と形は何かを現わすような気がします。

ひがん 彼岸 日願

2012-03-20 12:03:05 | 日記

彼岸は仏教の行事?
彼岸会法要は日本独自のものであり、その始まりは、崇道天皇(早良親王)のために諸国の国分寺の僧に命じて「七日金剛般若経を読まわしむ」と『日本後紀』に記述されています。
春分秋分に神道で祀られていた祖霊祭を仏教にとりいれたもの。

言霊のさきはふ国と詠う とよあしはらのみずほの国では、漢字さえも外来語。
公園 公演 講演 口演 後援 高遠
誰のものでもなく心を和ますのが公園であり、
誰をも心を和ます言葉が、公演であり、講演であり、口演。
後援を受けると心が和みます。
高遠なる存在とは心に和みをもたらす存在。

こうえんとは心に和みをもたらすことやもの
その抑揚を変えることで表現していた。


彼岸とは、煩悩を脱した悟りの境地のこと
成仏した先祖を供養することは
神道でいうなら祖霊祭
命の親に還った先祖のみ魂を祀ること
太陽崇拝からすると
先祖の還ったお天道様に祈ること
それは 日願
日のバランスがある春分秋分に日に願う

日本の神さまは
仏教と争うのではなく先祖を祀ることで良しとされている


一二三神示 第27巻  春の巻

第1帖
新しき御代の始めのタツの年。
スメ大神の生れ出で給ひぬ。
皆始めヒからぢゃ。
赤児の心になりて、ハラで見、ハラできき、ハラで話せよ。
ハラには間違ひないのぢゃ。
神から光いただけるように理(ミチ)つけねばならん。
喜びに叶ふ心、喜びの行あるところ喜び来るのぢゃ。
喜びにも正しきと曲れるとあるぞ。
無限段階あるのぢゃ。
心して迷はんように致しくれよ。
此処は光の理(ミチ)伝へ、行ふ所、教でないと申してあろう。
教は教に過ぎん。理でなくては、今度はならんのぢゃ。
天の理、地の理、もろもろの理、カタ早う急ぐぞ。
教は局部的、時、所で違ふのぢゃ。迷信となるぞ。
ハラが神であるぞ。

ハラは心の中心
気の中心

今日は春分の日 日の理をハラに問うてみるのも良きかな
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 富士(不二)の命

2012-03-07 20:46:47 | 日記

日本の象徴 富士
霊峰 富士
一二三神示 第17巻 地震の巻 / (二曰んの キ) 15帖
霊界には、山もあり、川もあり、海もあり、また、もろもろの社会があり、霊界の生活がある。
故に、其処には霊人の住宅があり、霊人はまた衣類をもつ。
霊界に従って、地上にうつし出されたのが、地上人の世界である。
地上人は、物質を中心として感覚し、且つ考えるから、真相が中々につかめない。
これら総ての建物は、神の歓喜を生命として建てられたものであって、霊人の心の内奥にふさわしい状態に変形され得る。
また天人の衣類も、その各々がもつ内分に正比例している。
高い内分にいる霊人は高い衣を、低いものは低い衣を自らにして着することとなる。
彼等の衣類は、彼らの理智に対応しているのである。
理智に対応すると云うことは、真理に対応すると云うことになる。
但し、最も中心に近く、太神の歓喜に直面する霊人たちは衣類を着していないのである。
この境地に到れば、総てが歓喜であり、他は自己であり、自己は他であるが故である。
しかし、他よりこれを見る時は、見る霊人の心の高低によって、千変万化の衣類を着せる如く見ゆるのである。
また、衣類は総て霊人の状態の変化によって変化して行くものである。



一二三神示では命の存在とは、生前生後死後結ばれた存在とされています。
地上人の世界が、霊界に従って、地上にうつし出される。
ノストラダムスの天から恐怖の大王が降りる。
ヨハネ黙示録の7つの鐘が鳴りアンゴルモアの大王が降臨する。
とは、目に見えぬ幽冥の世界に起こるビジョンでは?
目に見える結果に偏った乱れは神界から始まったならば、
一二三神示の伝える三千世界の建て替えは目に見えぬ幽冥の世界から始まる。
バブルを作り上げたご先祖様の建て替えのビジョン。

スサノオ命 大国主命
命(みこと)とは地に生きた神に称されていた。
命とは肉体と魂が地にむすばれた状態。
現代の思考が、命とは肉体と魂の不二の結びの上に思考されているだろうか?
それは、ム(無)とウ(有)の理法
それは、ムーの理法
日本の神話はムウの理法が残されているのかも?
神社の注連縄は二重構造の遺伝子の象徴
稲妻のような白い紙(神)は電磁波が遺伝子に作用する。
命の親 お天道様 ご先祖様を通し遺伝子と魂の不二の結びから命が生成される。

ムウの理法で鳥のようにはばたき居るから鳥居

三千年前の世界を伝えるマハーバーラタやラーマーヤナの世界では、
空を飛んだり様々なエネルギーが使われています。

カースト制度はバラモンの家に生まれなければ神を祀ることはできない。
魂が生成発展するには永い輪廻をくりかえされる必要がある。
そのために生み出されたカースト制度。
それは、神は祀られるが多くの人は祀ることができなかったのでは。

現代は多くの人がどこにいても全てのことに接することが可能。
でもまことの神に接することが難しい。
それが三千年前の建て替えと今度の建て替えのヒントになるのでは?

日本ではインド仏教にはない先祖供養が受け継がれました。
祖霊祭りは日本の神意なのでしょう。

目に見えぬ神の心にかようふこそ
人の心のまことなりけれ

春分の日に向けてそんなことを思い巡らすのも面白いのでは。
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