図形曼荼羅好きな方 (^O^)/

ラピスラズリの蒼とトルコブルーの重なりに魅かれます。色と形は何かを現わすような気がします。

 弥 栄 へ

2011-07-31 11:10:47 | 日記

 一二三神示 第18巻 光の巻 / (一火○キ)  第一帖 (三九七)

 光の巻しるすぞ、地(くに)の日月の神とは臣民の事であるぞ、臣民と申しても今の様な臣民ではないぞ、神人共に弥栄の臣民の事ぞ、今の臣民も掃除すれば九二(くに)の一二(ひつぎ)の神様となるのざぞ、自分いやしめるでないぞ、皆々神々様ざぞ。もの頂く時は拍手打ちて頂けよ、神への感謝ばかりでないぞ、拍手は弥栄ざぞ、祓ざぞ、清めぞと申してあらうが、清め清めて祓ひてから頂くのざぞ。


弥栄の臣民とは、頂いているお陰に拍手で感謝ができる人なのでしょう。
生かされていることが、あたりまえではなく、様々なお陰を頂いていることに気付くことが内なる神が光を生む道の入り口と言っている様です。
胎蔵界曼荼羅では魂の仏への道を曼荼羅に描いてあります。
○の中に・を入れることをカムナガラの道とする日月神示のイメージを画像にしてみました。
言葉を選び、想いを祓い清めていくのが、言霊のさきはふ国のカムナガラの道と伝えているのでしょう。
ただ、そう想っていてもつい批判したくなるような魂を磨いてくれる方は多いですよね。
でも何か内なる神の光を感じることができるといいですね。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

バランス から

2011-07-14 17:26:19 | 日記


一二三神示 第03巻  富士の巻 (二二のまき)    第一帖(八一)では、

 道はいくらもあるなれど、どの道通っても、よいと申すのは、悪のやり方ぞ、元の道は一つぞ、初めから元の世の道、変らぬ道があれば、よいと申してゐるが、どんなことしても我さへたてばよいように申してゐるが、それが悪の深き腹の一厘ぞ。元の道は初めの道、神のなれる道、神のなかの ・なる初め、 ・神は光の真中 ○に・の入った神は四の道、此の事、気のつく臣民ないなれど。「一が二」わかる奥の道、身魂掃除すれば此のことわかるのざ、身魂磨き第一ぞ。八月十日、 の一二 。

「どんなことしても我さへたてばよいように申してゐる」 とは、今の日本の首相の姿そのものと思うのは私一人でしょうか?
被災の方々からあれだけの反感を買い、被災地に心をむけるのではなく我のできることのみ目をむけているように感じます。
このような状況では、もうj少しも良心に基づいて生きれないだろうか?
そんなことを感じさせてくれる悪の御用と思うのは、勘違いでしょうか。
元の道は一つぞとは、「みたまを不断に磨いて一筋の誠を通して呉れよ」と一二三神示の冒頭にあるように普段の身の回りの生活にみたまを磨いてくれる種があり、暮らしの中でみたまを磨いてゆけということなのでしょう。
いつのまにか、国の利益、企業の利益を出すために人にできるだけ投資しない方法が流行となっているのが普通の身の回りの状況です。
組織の利益と一部ではなく全体の個人の利益が相反する状況のなかでいかに良心とのバランスをどうとるか。
それが回りの人や物に心を通わすみたま磨きなのでしょう。
古への時代、山や川、身の回りの存在に心を通わせ神を信仰していた時代に回帰するように想います。
かくいう私は、医療関係に身を置いていますので、はびこる成果主義と良心との答えをさがしている最中です。

そんな中でも、お天道様はいつも無償で与えてくれているのですね。
最近はよく太陽活動が活発なので日輪を見ることができます。
あまりに大きくて初めは彩雲と思ったのですが、しばらくしたら普通の日輪になっていました。



地震は地龍さまが、もっと身の回りのものに心を通わせて欲しいと伝えているのかもしれません。身の回りの人やものに心を通わせることで地震が止まると一二三神示は伝えているように思います。

お陰というのはたくさん受けて気付かぬこともあるものです。

ありがとう、ごめんなさい、許してください。
愛しています、大切にします。
そう思っていると内なる神が囁いてくれるかもしれません。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

 太極のひびき

2011-07-03 13:02:28 | 日記

 日月神示は、漢字、漢数字、ひらがな、記号などで書かれています
第17巻 地震の巻 / (二曰んの○キ)だけは、これらの文字ではなく律動する線に現されています。
 言葉の概念ではなく命の親の律動を感じることを望んでいるようです。
地震が巻物のように続く日は、二極を○に結ぶ日と。
太陽が輝く時節と太陰が輝く時節は交互にある。
天と地から天津神と国津神が生まれ天津神の時節と国津神の時節が交互にある。
分け御魂として生まれた人は陽に照らされて目に見える物の時節と、陰に照らされて目に見えぬ心の時節が交互にある。
遠い昔、全ての物に心を通わせ神を感じていた自然崇拝は世界中にありました。
でも、今ではシャーマニズムとして過去のものとされています。

 日月神示 地震の巻 / (二曰んの○キ)では全ての物に心を通わせ神を感じるまで、地震が続くと伝えているように思えます。
それは、身の回りに起こることは全てが命の親から生まれた魂の繋がりとして生まれてきたことを受け取ること。
地震や不況も身の回りのことへ心を通わすきっかけなのでしょう。
身の回りのことに心を通わすことが今を変えてことなのかな。

アップした画像は地震の巻第1帖で作った以前の画像に日と月と人の輝きを加え一二三と重ねてみました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする