図形曼荼羅好きな方 (^O^)/

ラピスラズリの蒼とトルコブルーの重なりに魅かれます。色と形は何かを現わすような気がします。

秋分の日  彼岸

2020-09-22 12:57:41 | 日記




舘野遺跡より見た彼岸入りの朝日




舘野の遺跡は、旧石器時代よりはじまり、縄文時代の配石遺構と住居遺構がある


中央配石広場は黒色土、暗褐色の漸移層、黄褐色ローム層の山の部分を削平

黄褐色の土砂で厚さ5cm程に平坦に整地し幅18m-長軸30mの広場を作り

その外周に5~6mの暗褐色の貼り土

広場と貼り土の境界に30~80cmの砂岩の礫を配石し列状の遺構を造る

北西から南東方向に2列に平行する配石


遺跡発掘資料 イラスト






配石画像






住居跡イラスト






住居、配石の向くセントラルラインの方角の先には冬至に昇る太陽の方角


ちょうど函館山の上に太陽が昇る


冬至の日の出に合わせ計画的に造成された遺跡




道南の地が見渡せる気の流れの良い場所












秋分の日は恵山の方角から太陽が昇る






秋分の日の出、日の入り方角






恵山は縄文、続縄文、擦紋、アイヌの歴史の中


続縄文、擦紋時代に恵山式土器として北海道で広く使われ


擦紋、アイヌの間に鉄器が使用され土器が使用されなくなる


恵山文化では魚形石器をバケとして使い1m近いヒラメが釣られていた






秋分の日の沈む方角には上の国 夷王山の麓にある安東水軍の時代栄えた花澤館


鎌倉、室町時代に栄えた安東水軍北を管轄した渡島12の倭人の館のひとつ






花澤館の発掘では不思議なことに縄文時代の磨製石斧や石鏃が出土している


後に洲崎館、勝山館を築城し、松前藩の祖となる武田信広が客将(副将)として仕えていた


15世紀末から16世紀末、夷王山中腹に築かれた勝山館が北方交易の拠点となった


400年経過しても風美な景観が残っています





















中世よりアイヌと和人の争いは起っていましたが


江戸時代はじめ共栄したアイヌがいたことを示している



龍が昇るとされる夷王山 山頂に祀られる社









形式が異なるが、同じ土器や石器を使用した縄文と擦紋の違いは


実用的な土器や石器が増え


祭儀につかわれた土器や石器が少なくなる






出身地 函館を聖地と崇めるグレイ


2年前の台風2つ引き連れ行われた函館山麓のコンサート


雲がグレイで燃える夕陽は舘野遺跡の方角です








道庁との行き違いでクレームがつきましたが


コロナにより無観客コンサートを行ったのが、活火山 「 恵山 」



昔は日の噴く山を神が住まう山と崇めた国



不思議な偶然があります






舘野遺跡近くで撮影される月も幻想的

















祇園祭、大文字焼の祭りの起源が浮き上がった年



いにしへの祭を辿ることも楽しそうです






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岩陰遺跡の示すもの

2020-09-17 18:07:31 | 日記



張り出した岩盤を屋根代わりに利用し生活の痕跡としての遺跡のこと


旧石器時代から縄文時代前期頃にかけて、とくに縄文早期を中心に岩陰遺跡がみられる。これらは気候変動にともなって台地部に居住空間が進出していった前期段階になるにつれその利用が減少するが、後期前半になると再び利用されるようになる。


白蛇山岩陰遺跡(伊万里市)

 国見山麓の標高約100mの場所にあります。中世には修験道の修行場だったので、現在でも特異な景観をしています。砂岩の岩壁に河川の侵食によってできた、南東方向に開口する2つの洞穴があり、上洞は開口部約40m、奥行き約6m、下洞は開口部約8m、奥行き約7mです。

岩陰の土の堆積は地表より約3.5mあり、13層に分けられます。第13層と第11層が旧石器時代、第9層が縄文時代早期、第8層が早期~前期、第7層が前期、第6層と第4層が前期~中期、第3層が中期~晩期の地層でした。

 

泉福寺洞窟遺跡(佐世保市)

標高89メートルの砂岩の岩壁に4つの洞窟が開口しており、断続的に利用された住居跡で、泉福寺洞穴とも呼ばれる。洞窟の開口部が南向きでそばに湧き水があり、住居として適していた。

12層の土層があり、後期旧石器時代のナイフ形石器から平安時代の瓦器までの遺物が出土した。



大境洞窟住居跡 (氷見市)

大正7年(1918)、洞窟内にある白山社改築の際、多数の人骨、獣骨、土器類などが出土したことから、本格的な調査が行われました。
この発掘によって縄文文化と弥生文化の時間差が分かったほか、縄文期の大型石棒・石庖丁や、弥生人骨の抜歯の風習や顔面装飾(頭骨に赤い塗料のついたもの)が注目を集め、日本の考古学史上に残る遺跡として評価されている。
上下6層からの出土物
第1層:中世・近世の土師器・陶磁器・鉄刀
第2層:奈良・平安時代の須恵器・土師器
第3層:古墳時代中期から後期の土器・動物遺体
第4層:弥生時代中期末から古墳時代初期の土器・人骨・動物遺体
第5層:縄文時代晩期後葉から弥生時代後期の土器・石器・骨角器・人骨・動物遺体
第6層:縄文時代中期中葉から後期前葉の土器・石器・動物遺体



岩井堂洞窟(湯沢市)
山形県との県境近くの雄物川右岸に位置し、山尾根の裾部に露出する凝灰岩壁にできた4つの洞窟からなっている。

遺跡は、縄文時代、弥生時代、平安時代の3時期の複合遺跡である。最も保存状態の良い第4洞窟は、一番上の1層から平安時代、弥生時代、縄文時代晩期の土器、3層からは縄文時代後期の土器、5層からは縄文時代前期の土器、7層以下からは尖底(せんてい)土器など縄文時代早期の土器が出土している。石器も石鏃(せきぞく)、磨製石斧(ませいせきふ)、石箆(いしべら)、石匙(いしさじ)など多数出土している。





身近な遺跡を訪ねていると旧石器時代から近世までの暮らしていた遺跡が続き


岩陰遺跡で検索すると神社、お寺、お堂としていにしへから修験道の場


山伏の歴史をみると



日本各地に山やそこにある巨石を崇拝対象とした祭祀遺跡があり



山岳信仰は原始時代から続く



山岳が持つ自然の霊力を身に付ける事






今とりもどしたい感性があるような







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白露の夕陽

2020-09-07 19:35:39 | 日記



草花に朝露が宿る

夜の間に大気が冷え込み、草の葉に白い露が結ぶ

野には薄の穂が顔を出し、太陽が離れていくため空が高く

本格的な秋の到来

日中はまだ暑さが残りますが、朝夕の涼しさの中に肌寒さも感じ始めまる



旧暦では閏月が4月に入った今年


暑さが遅くまでづれましたが、北海道では秋の気配が到来しそうです


昼間に産まれた気が結び、大きな渦の台風10号になったのでしょうか?



何かのくぎりを示すのでしょうか?



精霊を自然に観た いにしへの人ならなにを想うだろう?















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実現するまでの時間

2020-09-02 19:28:23 | 日記



谷地山からの天の川の撮影は、5月に道を探し


天の川の角度と天候がそろうまでに三か月ほどかかったのですが


今回撮影した場所は一度の挑戦で撮影できました


林道を3キロほど進んだ所なのですが


最後に泥の中を渡ったら前輪のサスの間に泥砂利がつまり


帰ってから一苦労しました。


でももう一つ神秘的な画像を撮影することができました。


ただ言葉で説明すると不思議さが消えてしまいそうなので



今日は、旧暦のお盆


遺跡からの夕陽や月の出を撮影しようとしたのですが


雲の中に隠れてしまい、またおいでと言われたような



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