図形曼荼羅好きな方 (^O^)/

ラピスラズリの蒼とトルコブルーの重なりに魅かれます。色と形は何かを現わすような気がします。

鏡にうつす

2013-03-26 21:16:25 | 日記


神社では真ん中に鏡が祀られています。
祓いたまへ 清めたまへ
と幸いなることを願うことがあたりまえと思っています 

天地を結ぶために天津神が授けられたのは三種の神器

八咫鏡(やたのかがみ)
草薙剣(くさなぎのつるぎ)
八坂瓊勾玉(やさかにの まがたま)

心を祓い清めるため、玉を磨くように
艱難辛苦に魂を磨き
縁ある人を火中から救うために剣を使う
そんな心を鏡にうつすと

神に目を向ければ神がうつり
神に耳向ければ神がきこえ
神に心向ければ心にうつる

この道(おしへ)は宗教(をしへ)ではないぞ
と日月神示にあるように
道とは、華道 茶道 剣道 柔道と
日本の心を戒律や経典もなく伝えています
神道とは古へのカムナガラの道を伝えているのでしょう

目に見えぬ太陽神を祀ったマヤの暦が現代の暦より正確に数を修正することなく時間を現し
古へのストーンヘッジやストーンサークル、ピラミッドは
夏至や冬至に何かを長い時間伝えています
古への遺跡は、不易は神であり流行は崩れ行くものと伝えているようです
孔子が温故知新と2500年前の時代に古へへ想いをよせたのは
命の親へ繋がる祖霊を大切に祀ることで、北極星をまわるごとく天地が運行する姿
西洋思考を真とする流行はその論理的思考の原点とされる
ギリシャ哲学
でもギリシャの文化は神話の文化であることを忘れているかのようです
神道はそんな目に見えぬ伝統を伝えています

そんな三千年前の古への神の世に帰すと日月神示は示しています
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春分の日が上弦の月

2013-03-19 19:03:11 | 日記


日の光の調和した日が、月の光が調和した日となることは
ありふれたことではない。

ひふみ神示 第22巻 青葉の巻 / (ア火八の キ) 第十七帖

今度の建替へは人間智恵の建替へとは大分違ふ大層ざぞ、
日の神ばかりでは世は持ちては行かれんなり、
月の神ばかりでもならず、
そこで月の神、日の神が御一体となりなされて「ミロク」様となりなされるなり、
日月の神と現はれなさるなり。

日と月が調和する春分の日によきことを祀りたいです。
日本では、お彼岸ですから先祖を祀る日ですね。
いづも暦では一粒万倍の日ですからよき種をまくとよく育つ。
そんなことを想いながら日月神示から産まれるイメージを
3月19日から4月7日までの期間
函館国際ホテル新館1Fギャラリーで展示しています。
以前お世話になった函館美術同好会の方となごやかに始めることができました。



タイトルは天の星、地の星
天地の目に見えぬおかげのうえで全ては産まれる。



タイトルは神結び、幸はひたまへ寄しはひたまえ、真経津鏡(まふつのかがみ)

目に見える世界は目に見えぬ神の結びで結ばれている

日本を建国した緑に調和した想い

真経津鏡(まふつのかがみ)日本書紀にある八咫鏡の別名
それは水色にとかしたアクアの想い
中心に八尺瓊勾玉の魂を宿し
草薙剣でなぎ倒したイメージ



タイトルは弥栄、産み出だす命、青蘊


同じ青のパターンが赤から緑の反対の色相に変化する弥栄

目に見えぬ日の曲線の想いと月の直線の想いから産み出だされる命

水の想いアクアの想いが産まれる色々なパターンの青蘊


目に見える世界は目に見えぬ世界の積み重ねから産まれる

日の光と月の光が調和した春分の日そんなことを思い巡らすこともよきかな
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真経津鏡(まふつの かがみ)

2013-03-10 13:29:14 | 日記

『日本書紀』には八咫鏡(やたのかがみ)の別の名に真経津鏡(まふつの かがみ)ともいうと記されています。
真の経の寄せる鏡とはいい名です
仏法的に言うならば、明鏡止水の心境でしょうか
神社にはご神体として鏡が祀られています。
カムナガラにいたるには、心のかがみの中からがを取ってかみになる。

神道の大事な思想のひとつに「中今」(なかいま)
というものがあります。
今を懸命に生きることが神の道、
というあたりまえのことなのですが、
ここでいう今とは、過去と未来を内包して、
永遠に続く中心点ととらえます。
過去は過ぎ去った今、未来はこれからの今、
人は常に瞬間の、今しか生きることができません。

「中今」(なかいま) のわかりやすい解説と思います。
ただ、目に見える世界を優先する時代の答えのように感じます。
日月神示のなかに生前生後死後は一連の存在とあります。
目に見えぬ世界から目に見える世界が生まれるとするなら
先祖の想いがあり、今の自分の想いがあり、子孫の想いが産まれる。
この一連の存在を弥栄えるには今の自分が弥栄えること。
さらに先祖の想いの奥底には命の親の想いがある。
今を懸命に生きることのために
天地自然に想いを巡らしているでしょうか
先祖の想いに想いを巡らしているでしょうか

目に見える世界は目に見えぬ世界からうまれていることに気づかぬから
震災がおこり、風が暴れ、雨が暴れ、雪が暴れ、太陽が暴れ、天に星が輝き、大地が動く
目に見える世界だけの価値感で大地に感謝をささげても
形を変えてヒズミが現れるように感じます。

岡本天明氏は、天之日津久神社を参拝し厚く御礼を申し上げ、
社務所で一息ついている時に予期しない自動書記現象が起こりました。
天の日の寄せる神社という名もいいですね。

八咫鏡(やたのかがみ)をブログに書こうとしたころから
同じ場所で駐車すると同じ烏(?)が車に寄ってきます。
あまりに続くので八咫烏を調べてみました。
八咫烏と金鵄は、しばしば同一視ないし混同される。
黒の烏と金のトビ正反対の色が同一視されるとは不思議。
そのころ久しぶりに山の上神宮へ参拝する長い幸い坂を登っていると烏の鳴き声
バタバタと音がするので烏に狙われたかなと思ったら
鳩が7・8羽寄ってきました。
気にせず上っていくと飛んで追いかけてきます。
立ち止まると足元に7・8羽寄ってきます。
不思議に思って眺めていると
鳩の首の羽毛は風や位置の角度の変化で色相の反対に近いピンクと緑に変わることに気づきました。
なんとなく同じものが反対の意味を持つという気持ちになりました。
「山も友ぞ、川も友ぞ」であれば森羅万象が友。
よくひふみ神示のなかにかかれている立体的に考えること、
初めは辛いなれど、神のやり方は先に行くほどだんだんよくなる
などと連想しました。

日本に息づく神道、古神道は経典もなく戒律もなくとも深い深い内容が伝えられているように感じます。
聖書は克明に記録されていますが、キリスト自らはなにも記録していません。
お釈迦様は経典は作るなと伝えたのに
何百年後に如是我聞として仏典が作られます。

古への神殿では神を祀ることが一番大切であったこと。
ピラミッドは太陽神を祀る場であったこと。
目に見えぬ日と月の運行を大切にしていたことが
ストーンヘッジ、ストーンサークル、マヤ暦として残されています。

目に見えぬ世界を大切にした古への世界への回帰を日月神示は伝えています。

目に見える世界だけの価値から

目に見えぬ世界と目に見える世界を結んだ価値感へ


本当に大切なのは自らの中にある内なる神の声を聞くこと。

真経津鏡(まふつの かがみ)はそう語りかけているようです。


神のこころにかようこそ

人のこころのまことなりけれ

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