図形曼荼羅好きな方 (^O^)/

ラピスラズリの蒼とトルコブルーの重なりに魅かれます。色と形は何かを現わすような気がします。

扶桑の道

2014-06-26 17:32:14 | 日記



ひふみ神示 第21巻 空の巻 / (三の○キ)

第一帖

 なる世、極まりて扶桑みやこぞ、みち足り足りて、万世のはじめ、息吹き、動き和し、弥栄へ、展き、睦び、結ぶ、扶桑の道 鳴りはじむ道、代々の道ひらき、次に睦び、マコトの道にひかり極む、新しき世、出で、みちつづぎ、道つづき、極みに極まりなる大道、極まる神の大道、ひらく世、弥栄神、かく、千木高く栄ゆ世に、世かわるぞ、太神、大神、神出でまして、道弥栄極む、大道に神みち、極み、栄え、更に極む、元津日の大神、元津月の大神、元津地(くに)の大神弥栄。
一月一日、ひつくのかみ。


「人が神様になったと・・・」

天岩戸神社の神主さんは話されるそうです。

緑の鳥居は地の神の象徴のように観じます。

それは火と水を結ぶ道

火山が産まれ

水が流れ

日が昇り

緑が産まれる


扶桑の道


先日コメントをいただいた気龍さんとお会いできました。

色々な興味あるお話を聞く中で

神道は神になる道


天岩戸神社の神主さんのお話から

三の渦の○キ 空の巻を連想しました。


第二帖では

 ひふみ一回二回三回となへまつれよ、蘇(よみがえへ)るぞ。

次に人は道真中にしてワとなり、皆の者 集まりてお互に拝み、

中心にまつりまつり結構ぞ、

節分からでよいぞ。

このお道の導きの親 尊べよ

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日の丸 即 日月

2014-06-21 15:42:35 | 日記





日月神示の書記が始まったのは、第二次世界大戦が終結する約1年2ヶ月前の昭和19年6月10日からです。

「上つ巻」第四帖(書記日、昭和19年6月13日)では「ドイツもイタリアもあてにならぬ、
世界中一つになりて神の国に寄せて来るぞ。それなのに今のやり方でよいと思うてゐるのか。」
さらには日本がその後、国家としての存続が危ぶまれるほどの大打撃を受け、東京もあたり一帯が焦土と化し焼け野原になってしまうらしいことが、
「日本の国は一度つぶれた様になるのざぞ。一度は神も仏もないものと皆が思う世が来るのぞ。」(同巻第九帖、書記日、昭和19年6月17日)、
「東京も元の土に一ときはかえるから、その積りでゐて呉れよ。神の申したこと違はんぞ。」(同巻第十一帖、書記日、昭和19年6月19日)、



戦争の行く末を示してから



昭和新山が第一次大爆発を起こす


昭和19年6月23日8時15分



その後に書記された日月神示は

上つ巻
    第十五帖 (一五)
今度は末代動かぬ世にするのざから、今までの様な宗教や教への集団(つどひ)にしてはならんぞ、人を集めるばかりが能ではないぞ、人も集めねばならず、六ヶ敷い道(おしへ)ぞ。縁ある人は早く集めて呉れよ、縁なき人いくら集めても何もならんぞ、縁ある人を見分けて呉れよ。九月になったら用意して呉れよ。
六月の二十四日、ひつくのか三。

   第十六帖 (一六)
ひふみの火水とは結ぞ、中心の神、表面に世に満つことぞ、ひらき睦び、中心に火集ひ、ひらく水。神の名二つ、カミと神世に出づ。早く鳴り成り、世、新しき世と、国々の新しき世と栄へ結び、成り展く秋来る。弥栄に神、世にみちみち、中心にまつろひ展き結ぶぞ。月出でて月なり、月ひらき弥栄え成り、神世ことごと栄ゆ。早く道ひらき、月と水のひらく大道、月の仕組、月神と日神二つ展き、地上弥栄みちみち、世の初め悉くの神も世と共に勇みに勇むぞ。世はことごとに統一し、神世の礎極まる時代来る、神世の秘密と云ふ。
六月二十四日、一二 文(ふみ)。

   第十七帖 (一七)
この世はみな神のものざから臣民のものと云ふもの一つもないぞ、お土からとれた物、みな先づ神に供へよ、それを頂いて身魂を養ふ様になってゐるのに、神には献げずに、臣民ばかり喰べるから、いくら喰べても身魂ふとらぬのぞ、何でも神に供へてから喰べると身魂ふとるぞ。今の半分で足りるぞ、それが臣民の頂き方ぞ。
六月の二十五日、ひつくのか三。

   第十八帖 (一八)
岩戸開く役と岩戸しめる役とあるぞ。一旦世界は言ふに言はれんことが出来るぞ、シッカリ身魂みがいて置いて呉れよ、身魂みがき第一ぞ。この神示よく読めと申すのぞ。この道はスメラが道ざ、すめるみ民の道ぞ。みそぎせよ、はらひせよ、臣民 早くせねば間に合はんぞ。岩戸開くまでに、まだ一苦労あるぞ、この世はまだまだ悪くなるから、神も仏もこの世には居らぬのざといふところまで、とことんまで落ちて行くぞ。九月に気をつけよ、九月が大切の時ぞ。臣民の心の鏡凹(くぼ)んでゐるから、よきことわるく映り、わるきことよく映るぞ。今の上に立つ人、一つも真の善い事致しては居らん、今の世に落ちてゐる臣民、高い所へ土持ちばかり、それで苦しんでゐるのざ。早う身魂洗濯せよ、何事もハッキリと映るぞ。
六月二十六日、ひつくのかみ。

   第十九帖 (一九)
神の国 の山に 祭りて呉れよ、祭るとは神にまつらふことぞ、土にまつらふことぞ、人にまつらふことぞ、祭り祭りて嬉し嬉しの世となるのぞ、祭るには先づ掃除せねばならんぞ、掃除すれば誰にでも神かかるやうに、日本の臣民なりて居るぞ、神州清潔の民とは掃除してキレイになった臣民のことぞ。
六月二十七日、一二 。

   第二十帖 (二〇)
神がこの世にあるならば、こんな乱れた世にはせぬ筈ぞと申す者 沢山あるが、神には人のいふ善も悪もないものぞ。足許から鳥が立つぞ、十理(トリ)たちてあわてても何んにもならんぞ、用意なされよ、上下にグレンと引繰り返るぞ。上の者下に、落ちぶれた民 上になるぞ、岩戸開けるぞ、夜明け近づいたから、早う身魂のせんだくして呉れよ、
加実の申すこと千に一つもちがはんぞ。
六月二十七日、ひつくのか三。



昭和新山誕生を経験した三松正夫氏


天地創造の神秘を地球誕生の一断面と感じ


「 地球は生きている 」


そう感じた三松氏が日月神示に接していたら

どのように感じたでしょうか。


「松の巻」第七帖(書記日、昭和20年6月23日)では「偉い人皆俘虜(とりこ)となるぞ。夜明け近くなったぞ。夜明けたらなにもかもはっきりするぞ。夜明前は闇より暗いぞ慌てるでないぞ。」とあり、間もなく戦争が終わるらしいことと指導者達(政治家高官や軍事関係者上層部)が戦犯として逮捕、収監されるらしいことがこの時点ではっきりと述べられています。

 戦争に全ての目が向けられているなかで

新山の誕生に命を感じた人は

何を感じるでしょう


今の時代を象徴する

「黄金の巻」第五十九帖(書記日、昭和24年12月7日)では「金で世を治めて、金で潰して、地固めしてみろくの世(ミロクの世) と致すのぢゃ。」

金に全ての目が向けられているなかで

金の俘虜になって潰されぬよう心を用いることが大切





昭和新山に命の親を感じた人が


昭和44年6月24日


海底開発の和石を建てることの啓示を受けます。



争いを浄化するには、真心で心の底を開発せん


昭和新山は、日の丸であり、即 日月である


昭和新山は、将来も絶対戦争してはいかん


昭和の時代こそ開闢以来の出来事


太平洋戦争は地獄の底に追い込まれて苦しんだ経験


争いを浄化するのは


心の底の開発


命の親からの啓示を受け取っている人がいます。


この方は、明治32年12月3日生まれの出居清太郎氏


岡本天明氏は、明治30年12月4日生まれ。


不思議と一二三の数字の日に誕生しています




海底開発の和石は建設場所がなかなか決まらず


昭和56年6月7日に函館山の麓に建設されます。


不思議と日月神示ではミロクとされる567の日です。



今回は、6月に起こったことをつれづれと結んでみました。

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アシタヌプリ(生きている山)

2014-06-12 07:08:42 | 日記



有珠山は、昔からアイヌの人たちからアシタヌプリ(生きている山、動く山という意味)と呼ばれ、今までに数々の不思議な火山活動をしています。

実際にここ百年の間に動いています。

昭和新山は、有珠山のマグマが火口に進めず弱い部分に噴出した熔岩塔火山。


昭和新山の火山活動は、国民の眼のすべてが戦争に向けさせられている昭和年18年12月28日に起こりました。

ちょうどミッドウェイ海戦に日本海軍が破れ、大東亜圏が崩れて行く時。

すべてにおいて軍事優先に進む中

大地に魅かれ、自然の神秘 昭和新山を慈しみ分析を続けた郵便局長がいました。


MIMATSU  DAIAGRAM と呼ばれる無名のアマチュアの観測資料


昭和23年ノルウェーのオスロで開催された「万国火山会議」において、貴重な資料として認められました。

戦時中の測量機器のない中、テグスを建物の間に張り、アゴを固定する場所を作り、一定の物を一定の角度で定点観測する。

すばやいスケッチによる観測です。

地震の回数と強さを豆の種類を変えて容器に入れ測定する。

地割れ、隆起、噴煙立つ熔岩塔を実際に歩き克明に記録しています。

戦況の悪化している中、火山の誕生を敗戦の不吉な前触れとして考える軍人により

昭和新山の報道は一切禁止され、立ち入りも禁じられています。

それでも健脚を生かし、ゲリラ戦のように調査を続け要注意人物になっています。

さらに行詰まると、東北大学の火山学者から資源調査のお墨付きをもらい自由に調査しています。

その記録によりますと昭和19年の6月から10月まで火山爆発が集中しており

この時期は中国、サイパン、ガム、マリアナ、ビルマ、フィリピンで戦況が悪化

多くの命が失われています。

熔岩塔の一番成長した時期は昭和20年3月から4月

この時期は東京大空襲が始まり一夜にして10万人もの市民の命が失われ、

低高度による夜間無差別爆撃で焼夷弾攻撃が行われるようになった。

昭和新山は噴煙による化学反応で錦色となり成長したと記録されています。

昭和新山の隆起は9月まで続きますが、火山活動は終戦とともに沈静化しています。

人の行いとともに、大地の想いを現わしている。

郵便局長の三松正夫氏は、電信電線の修理、国債の販売他、多様な業務を

局員、奥さんの協力の元で10の能力のところ

仕事7火山7を実行したと述懐しています。

自然の神秘にふれて、三松正夫氏は



今見ている山や川、そして海などの自然は、自分たちの知らない大昔からあり、変わらないもの、動かないものと思いがちではないでしょうか。
自然のながいながい生命にくらべると、人間の一生などは、ほんの一瞬にすぎません。
ですから多くの人の場合、自然も刻々と変化しているということを、ほとんど気付かずにいるのです。


二度の火山を身近に接してきた方の言葉は


 「地球は生きている」



自分が生活しているこの大地、この自然の神秘、不思議さに心をひかれ

皆さんのまわりにある未知のなにかに疑問と研究心がやどり、

自然を愛するということの意義に気付いてください。

そう書かかれています。



昭和新山を別な視点より感じた方がいます。

昭和新山を教科書として絶対将来も戦争してはいかん

捧誠会を作った出居清太郎氏

私には同じようなことを感じられるかなと思い、

捧誠会の方と話ましたが今一つ話がかみ合いませんでした。

出居清太郎氏は昭和58年に亡くなられていますのでお話は聞くことができません。





2日の夜 朝の昭和新山を拝したいと腰痛を押して出かけ大和温泉に泊まり


早朝の昭和新山の火を拝し、洞爺湖の水を感じて気ました。






なんとなく洞爺湖にはオブジェが似合うと想いました。








三松正夫祈念館が開くには時間があるので樽前山方面に向かい

どうして樽前山の熔岩ドームは平らなのかな?と思いつつ再び昭和新山

記念館では三松正夫氏の著書を書かれている息子の三朗さんと

お会いすることができました。

色々なエピソードを聞くことができました。

変人、火山きちがいという周りの声を気にすることなく

火山を愛していたのだと

生活は苦しくても大学教授、学生をもてなし

昭和新山を硫黄の採掘から守るため

親からの土地を売り昭和新山の土地を購入する。

戦争にながされず、温泉の商売にながされず

火山の恵みを愛して生きた。

天地自然の恵み大切にする生き方を感じさせていただきました。

その想いを捧誠会の方に伝えようと思いましたらうまく伝わらず

腰痛症が極度に悪化、駐車場から職場まで歩くのがやっとの状況に陥りました


今は薬と足つぼを押して回復しつつあります。

これは火と水をもう一度練り直せということか?


ひふみ神示 第10巻 水の巻

  第一帖 (二七五)
 三 (みず)の巻 書き知らすぞ。見渡す限り雲もなく富士は晴れたり、日本晴れ、海は晴れたり、日本晴れ、港々に日の丸の旗 翻(ひるがえ)る神の国。それ迄に云ふに云はれんことあるなれど、頑張りて下されよ。道も無くなるぞ。てん詞様おろがみてくれよ。てん詞様は神と申して知らしてあろがな、まだ分らんか、地(くに)の神 大切せよと聞かしてあろが、神様にお燈明(あかし)ばかり備へてはまだ足らぬのぞ。お燈明と共に水捧げなならんのざぞ。火と水ぞと申してあろ、神示よく裏の裏まで読みて下されよ、守護神殿 祭りて呉れよ。まつはらねば力現はれぬぞ、守護神殿は拍手四つ打ちておろがめよ、元の生神様には水がどうしてもいるのざぞ、火ばかりでは力出ぬのざぞ、わかりたか、曇りなく空は晴れたり。旧三月十日、三のひつ九 。
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