世界中にある洪水神話(ウイキペディアより)
シュメールの神話では、エンキ神がシュルッパクの王ジウスドラ(「命を見る者」という意味で、彼が神から不滅を約束されたことから)に、洪水による人類抹殺を予告する。しかし、神がなぜこれを決定したかという部分については、粘土板から失われている。エンキ神は、大きな船を作るように指示する。命令についての文章も、同じく神話から失われている。7日の氾濫の後、ジウスドラは供物と祈りをアン(空の神)とエンリル(最高神)にささげ、ディルムン(シュメールにおけるエデンの園)で神から永遠の命を授けられる。
神官ベロッソスの記述によれば、クロノス神がクシストロスに洪水の襲来を警告し、歴史を記録し、船を造るよう命じた。船はクシストロスの親類、友人、すべての動物を一つがいずつ乗せるために5スタディア×2スタディアの大きさに作られた。洪水が起こって水位が上昇し、船に乗り込んだ生き物を残して全てが殺戮された。
旧約聖書『創世記』の大洪水
『創世記』のノアの方舟の物語によれば、エデンを離れてから何代かを経て、ネフィリムが生まれ堕落し、お互いに争うようになった。 ヤハウェ・エロヒムは人間を作ったことを後悔し始め、全てを払拭するために大洪水を起こすことを決めた。 ヤハウェは地上にただ一人、救う価値のある男性ノアを見出した。 そこでヤハウェはノアに特別な大きさと設計の方舟を作るように告げた。
ギリシア神話には二つの洪水と二つの人類滅亡伝説がある (Ancient Greek flood myths) 。
「オギュゴス王の洪水」は「銀の時代」を、「デウカリオーンの洪水」は「最初の青銅の時代」を終焉させた。
オギュゲス王の洪水は、テーバイの創設者であり王であるオギュゴスの在任中に起きたことから名づけられる。世界中を襲った洪水は非常に破壊的だったので、ケクロプスの支配までは国は王のないまま取り残された。
アポロドーロスの「ビブリオテーケー」でデウカリオーンの洪水として語られる物語には、いくつかノアの洪水伝説に共通する点がある。プロメーテウスは息子のデウカリオーンに櫃を作るよう助言する。他の人間は、高い山に逃げた少数を除いてすべて滅ぼされる。テッサリアの山は砕け、コリントス地峡とペロポネソスより向こうの世界はすべて沈む。デウカリオーンと妻のピュラーは、9つの昼と夜を櫃で漂い、パルナッソス山にたどり着く。
古代スカンジナビアの神話では、ベルゲルミルはスルードゲルミルの息子である。彼と妻は、ベルゲルミルの祖父ユミルの血の洪水(オーディンと彼の兄弟のヴィリとヴェーによる虐殺)を生き残った、最後の霜の巨人である。彼らは中が空洞になった木の幹に潜り込み生き残って、新たな霜の巨人を生み出した。
インカ神話では、ビラコチャは大洪水で巨人を倒し、2つの民族が地球に殖民された。ユニークな点は、彼らが密閉された洞窟で生き延びたことである
マヤ神話では、キチェ語で書かれた『ポポル・ヴフ』の第1部第3章によると、風と嵐の神フラカン(「一本足」の意)が樹脂の大洪水を起こしたのは、木から生まれた最初の人類(キチェ族)が、神々を崇拝しなくなって怒らせたからであった。彼はおそらく洪水の水より上の霧の風に住み、地面が再び海から現れるまで「地球」を示した。のちには、第3部第3~4章によれば、4人の男女が洪水後のキチェ世界に再び住み始めたが、その頃は混乱はあったものの全員が同じ言語をしゃべり、同じ土地に互いに集まってすんでいた。何度か証言されるように彼らの言語が変えられそののち、彼らは世界に散らばったという。
ホピ族の神話によれば、人々は創造主のソツクナングから繰り返し排除されたという。世界を破壊するのに、神は最初は火を、次には氷を使ったが、二度とも世界を作り直している間、まだ創造の掟に従っている人々を地下に隠して救った。しかし人々は三度目にも堕落して好戦的になった。そのため、ソツクナングは人々を蜘蛛女のところに導き、彼女が巨大な葦を切り落として人々を茎の空洞に避難させた。ソツクナングはそれから大洪水を起こし、人々は葦で水の上を漂った。 葦は小さな陸地にたどり着き、人々は葦から出て出発できるだけの食べ物を得た。 人々はカヌーで旅したが、それは内なる英知に導かれてのことだった。内なる英知は、頭頂にあるドアを通じてソツナングから伝えられるのである。
沖縄諸島周辺に各伝説があり、例として、奄美には昔、大島を沈める大波がきて、アデツ(用安の地名)の兄妹がそれを知らずに山へ登っていたため、助かり、兄妹で用安を作ったといった語りや八重山でも、昔、鳩間島に大津波が襲い、多くの人が亡くなったが、兄妹だけが島の一番高い所に逃げて助かったという話がある。石垣島にも同様の話が見られるが、人の傲慢による世の乱れのくだり(原因)と神罰の内容がやや西洋の神話に類似する
伏羲と女媧が巨大な瓢箪に乗って洪水の難を逃れたという神話も伝えられている
「太古、南方にあったラガサンという大陸が天変地異で海中に沈んだ。そのとき臼に載って辛くも逃れだした男女が海流に乗って北上し、台湾にたどり着いた。二人はその地に落ち着いて結婚し、子孫も増えた。そして『我々は北にやってきた』ことを記念し、北を意味する「アミ」を民族名とした。」別の伝説では「ラガサン」は二人がもともと住んでいた土地の名ではなく、台湾に漂着したとき最初にたどり着いた山の名であるともいう。
またアミ族の神話では、洪水を逃れたこの男女とは兄妹であったともされる。結婚して最初に生まれた子供は蛇やカエルなどの姿であり、これを見た太陽や月の神がしかるべき交わり方を教えると、ようやく人間の男の子や女の子が生まれたという筋になっている]。同じような大洪水神話は中国の西南地方に住む苗族、彝族、ヤオ族などをはじめ、中国南部から東南アジア、太平洋にまで見られる。これらの神話では、兄妹だけが大洪水から生き残り、樹木や山など高い物の周りを回ったあとに近親婚をして子供をもうけるものの、最初の子供は肉塊や動物であり、天や神から正しい交わり方を教えられて初めて人間の子供ができる、という共通する筋があり、日本神話のイザナギ・イザナミ神話との関連性もみられる。
ヒンドゥー教の聖典(プラーナ、特にマツヤ・プラーナと、シャタパタ・ブラーフマナ I, 8, 1-6)によれば、ヴィシュヌ神のアヴァターラとして魚の姿のマツヤがマヌに、大洪水が来てすべての生物を流し去ってしまうだろうと警告した。 マヌは魚の世話をして、結局魚を海に放した。 そこで魚はマヌに船を作るように警告する。彼が船を作ると、洪水が起こり、魚は自分の骨につけたケーブルで船を安全に牽引した。マヌは北方の山(ヒマラヤと推測される)まで牽引された。世界にはマヌだけが残り、マヌが新たな人類の祖先となった。
共通しているのは
洪水によって人の暮らしが消滅
神秘の体験によって生き延びた少数の人
あたりまえのように流れる洪水の映像を見ていると
ノアが神とともに歩む神秘を話しても聞く耳を持つ人がいなかった
という点が気になります。
3.11の震災に起った助け合う心の波紋
世界中が注目した整然と並ぶ姿は神秘ではないか
天災が起きなければ目に見える価値観に埋もれる暮らし
目に見えぬ神秘に心を向けられるだろうか
日月神示 雨の巻
第一帖 (三三五)
惟神(かんながら)とは神人共に融け合った姿ざぞ。
今の臣民 神無くして居るではないか、それで惟神も神道もないぞ、心大きく、深く、広く持ちて下されよ
金や学や智では大峠越せんぞ。
秘められたものに心をむけると
産まれてくる感性
古への神話は普遍的に秘められた感性があった
そんなことを示していないだろうか