図形曼荼羅好きな方 (^O^)/

ラピスラズリの蒼とトルコブルーの重なりに魅かれます。色と形は何かを現わすような気がします。

出すものが返ってくる  自然

2019-08-30 18:21:52 | 日記





人工の光の無い自然のなかでは


満天の星が輝いています


命は闇と光のなかに産まれている


街灯りに覆われると見ることのできない自然


闇と無数の光のなかの命



インド ウパニシャッド哲学によると宇宙の根源であるブラフマン(梵)と人間の本質であるアートマン(我)とを考え、
この両者が究極的に同一であることを認識すること(梵我一如)が真理の把握





陰陽思想 古代中国神話に登場する帝王「伏羲」が作り出したものであり、
全ての事象は、それだけが単独で存在するのではなく、「陰」と「陽」という相反する形(例えば明暗、天地、男女、善悪、吉凶など)で存在し、
それぞれが消長をくりかえすという思想。
陰陽五行思想の特徴は、「相生」と「相剋」という、それぞれの要素同士がお互いに影響を与え合う



いにしへには自然と向き合う思考


我(アートマン)の思考が宇宙の根源(ブラフマン)を作る


それは考えたものと同質のものが産まれる


今 表層に出てくる人は自分と同質の思考を産むという意味がわかっていないような気がします


国 政治 経済 組織 情報 犯罪


限られた場の一方向な幻想


バランスという視点を欠いた思考



自然がバランスをとるため思考をしているように思えます




「 徳は知である 」という言葉


「悪い」ということを知りながら悪いことをする人はおらず、
悪いことをするのは本当の意味でそれを「悪いこと」だと知らないからだということになります。








「人間の徳(アレテー)」とは魂をみちびくもの









闇の中に光を見出す感性のような気がします










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天変そして地移

2019-08-15 14:08:17 | 日記





2012年5月 太陽の4極化が観測されています


S極であった北極がN極に赤道面がS極に変化


極移動の原因は不明


太陽の中で何かの作用





地球の北極地場は20世紀後半から加速


それまで年に10キロほどだったペースが、2000年ごろには約50キロになった。


北磁極はもともとカナダ北部に位置していたが、2018年にはついに日付変更線を越えてロシア側の東半球に入り込んだ。


極の移動の原因は不明


噴火の急増が内部のマントルの状態を示すようです







太陽も地球も北の極が変化


内部の流れの変化




お天道様と崇める心の消失



火をふく山を神の住まう所と崇める心の消失



北辰信仰 北極星を崇める信仰の消失








道教では北極星を

最高神

天帝

皇帝の星

皇帝自ら北極星を祀る祭儀を行う




道教の始祖とされている「黄帝」の時代には北極星を天帝とみなし、北斗七星の動き、太陽・月の運行を観察することによって既に暦が制定されていた。
今日、暦の中で使われている二十八宿は月の運行を毎日観測した


黄帝は、神話伝説上では、三皇の治世を継ぎ、中国を統治した五帝の最初の帝であるとされる


黄帝以降の4人の五帝と、夏、殷、周、秦の始祖を初め数多くの諸侯が黄帝の子孫であるとされる。




儒教では


祖霊を祀ることにより


北極星を回る星のごとく政り事が動く


皇帝が祖霊を祀る八佾の舞


 八佾の舞は8人が8列で並び64人で舞う


八卦に通ずる気がします




黄河文明に於いて、古代母系氏族社会から自然発生した原始宗教がある。
後の人々はそれを「道教」と呼ぶ。その起源は伝説上の大王「伏義」「神農」に始まり、「黄帝」を経て「老子」によって集大成された。

現在も多くの漢民族は黄帝を先祖に仰いでいる

初期の道教に対する黄帝の信念には、先祖崇拝の要素が含まれていた

中国神話上の軒遠黄帝が蚩尤と戦争をした際に全く歯が立たない黄帝の枕元に九天玄女が現れ道術(符咒術、神佛召喚祈願、堪輿(風水)、内丹術兵法、奇門(奇門遁甲)など)を授けて黄帝は蚩尤を遂に破ったのが始まりだとされる。そして蚩尤を破った黄帝は死後、神となり初代玉皇大帝となった。 黄帝が残した有名な書に『黄帝内經』がある。 他にも【道家】、【神僊】、【天文】、【五行】、【雑占】、【医經】、【經方】、【房中】などの様々な 分野に書を残している。 道教の修行を経た者を法師、あるいは道士と呼び道士は陰陽宅風水を看て風水造作や供養をし先祖供養を行うことで子孫が繁栄するといわれている。
時には道教符咒術(御神符)を書き、山川などに祈祷して神靈、死靈などと交渉をしたりすることもある。



「黄帝内経」は、病気だけを問題にするのではなく、その人の習慣や感情の傾向、食事、またはその人の住んでいる土地、季節などとの関わりから、総合的に診ていた。人が健康で寿命をまっとうするためにはどのようにあるべきか、体観の視点から病気を考えていた。



ちなみに ユンケル黄帝液は漢方の起源である黄帝のようです





天体、自然と結ぶ付いた人の道において


北極は霊性の中心


 
生活習慣の中では道教、儒教、仏教を融合してきた中国の歴史



神道の祖霊崇拝と仏教が融合してきた日本のお盆の満月



太陽、地球の北極に霊的側面を想い巡らすことも良きことかな





お天道様は2極から4極へ多極化




地の北極は西洋から東洋へ




北極星 霊性を中心に回る




そこに天変地異に暮らす心構えがありそうです





街灯りを包む淡い雲 眼に見えぬ冥府が街を覆うようです








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共同幻想と自己幻想の逆立  立秋

2019-08-08 19:12:20 | 日記




共同幻想という言葉を久しぶりに思い起こしました


国による共同幻想という最たる状況



吉本隆明は、共同幻想は自己幻想に必ず逆立すると主張する。個人を守るための共同体が、個人を束縛し、弾劾するのである。
個人に対する社会的ルールの強制などがそれである。逆立性が極限まで高まると、国家が戦争などで個人に死を強制し、それを殉教である、英霊であると賛美するなどという状況も起こる。
「逆立」とは吉本の造語であるが、吉本はこれに対して明確な定義を行っていない。文脈によって、対立や抑圧という意味合いであったり、単純に質的な差異があるという意味であったり、よそよそしいとか冷淡、欠如、虚偽というような意味合いもあり、多義的である。逆立が成立する過程で、共同幻想と自己幻想の関係性には段階的な変化もあるらしい。
吉本は、常に共同幻想は自己幻想に勝利すると主張している。
個人がいくら努力しても変えられない巨大なマクロ的な力(時代の流れや歴史の流れ)が存在するという、ある種の諦観と解釈できるかもしれない。太平洋戦争に敗北し、革命にも挫折した吉本の個人的体験が大きく影響しているかもしれない。どんな野心的な独裁者であれ、どんな優秀な革命家であれ、世界を意のままに操ることは不可能なのである。
吉本にとっては、自己幻想が共同幻想を完全にコントロールするという発想そのものが、そもそもカテゴリー錯誤なのである。これらはそれぞれ別々の運動法則で動いているのだから。
逆にどれだけ共同幻想が強制させても、自己幻想を完全にコントロールすることはできないのである。 個人の心の中には、自然法則も超越する絶対的自由がある。他人に話せば、妄想と笑うかもしれないが、詩や芸術がそうである。



吉本は、自分の幻想論は、ドイツの思想家であるカール・マルクスの初期の自然哲学の疎外論に多大な影響を受けたと主張している。
(ただし、吉本のマルクス解釈は興味深いが、かなりオリジナル性の高いものである。吉本はマルクスを幻想論者と見て、唯物論者というレッテルから救済しようとしている。吉本はレーニン的なロシア・マルクス主義者を嫌い、彼らの唯物論をタダモノ論と批判しているが、マルクス個人には世界一の思想家だと賛美を惜しんでいない)
吉本は有機体を原生的疎外と呼び、生命そのものが自然物からの疎外であり、微小ながら幻想性を有していると考えている。
自然からの疎外そのものが、幻想性なのである。



吉本隆明氏の世界観は


相反するものからの疎外


疎外とは害するものというイメージを産みます


口伝を記録にした古事記では存在が産まれる過程を


天地の初発の時、高天原に成りませる神の名は、アメヌミナカヌシノカミ、次にタカミムスビノカミ、次にカミムスビノカミ。
此の三柱の神は、皆独神に成り坐して身を隠したまひき


天地に産まれるものは、中心になるものと
タカミムスビ
カミムスビ
二つのムスビ(結び)より産まれる



疎外は幻想を産み



天地のムスビ(結び)は命を産む



そう語りかけているような気がします。



今の国の状況を見て


いにしへの感性の価値を気付く(築く)時



生命そのものが自然物からの疎外と考えるより



天の川に離反した命を結ぶと考えるほうが幸あるように思えます





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言霊の力

2019-08-01 18:59:28 | 日記





なんとなく気象は気が象ると描いた頃から


言霊のことを書く流れがあったような気がします




言霊の側面をうまく現わしている言葉がありましたので紹介します。



浜松医大名誉教授、高田明和氏の心に響く言葉より…


「すべてはよくなる」。

この言葉は「困ったことは起こらない」より積極的な響きをもっています。


では、「因果の法則」と言霊はどのように関係しているのでしょうか。

こんな疑問が浮かびます。

もし、悪いことをしていたなら、いくらよい言葉を使ってもどうしようもないのではないでしょうか?

言葉などは意味がないのではないでしょうか。


私も長い間この疑問に答えられませんでした。

しかし、現実に「困ったことは起こらない」とか「すべてはよくなる」などと口ぐせのようにつぶやくと、ほんとうに問題が解決してしまうのです。

最近、この謎が解けたのです。

つまり、悪行をもっている人にこのような言葉を教えても、そもそも信じないのです。

「バカらしい」と実行しないのです。


このような言葉を信じ、実行する人はもともと善業をもっている人たち、あるいはその資格がある人たちなのです。

心に受け皿のある人なのです。

ですから、言霊は善業をもっている人にこそ、もっとも有効に働き、幸せをもたらすのです。

だいたい自分の人生を真摯に受け止め、「困ったことは起こらない」を信じて口ぐせのようにつぶやいている人が悪いことをするでしょうか。

もちろん、人間ですから間違ったことをいろいろしてしまうのは仕方がないのです。


しかし、そもそも人を殺したり、詐欺をしたり、いじめたりして他人の心を平気で傷つける人は、言霊を信じていないものです。

信じない人に言霊の効用をいくら説いても、信じないのです。

そのような人の行いを見ると、皮肉屋で人の心を傷つけて平気な人、悪いことをしてもそれに気づこうともしない人がほとんど、いや全部です。


言霊を信じ、よい言葉を使い、それを自分に言い聞かせている人なら、その人が徳を積んでいることがわかるのです。

そのような人が「すべてはよくなる」と自分に言い聞かせていれば、すべてがよくなるのは当然ではないでしょうか。

あなたは言霊を信じるでしょうか。





日本は、「言霊の幸(さきわ)ふ国」と、万葉集にある。

言葉の力によって、幸福がもたらされる国。

言葉の力を信じなければ、残念ながら、幸福はもたらされない。




汚い言葉、人をおとしめる言葉、不平不満、愚痴、泣き言、悪口…

いずれも、幸せや運が逃げていく言葉だ。




言霊のある側面をうまく表現している言葉だと思います




文字に現わすと言葉は固定されますが



言霊とは文字として考えるのではなく体験するもの



同じ音であれば同じ物、事をあらわしていた


神主の上げる祝詞も人により響きが違います


魅力的な祝詞の奏上は魂に響くように感じます。





有史という言葉は文字を前程とした思考のように思いますが



インカでは文字がなくとも高度の文化が産まれることを示しています


万葉集が当て字といわれる漢字で書かれていますが


その漢字を使用する前にゆたかな感性があったことを万葉集は示しているように思います


インカと同じように北海道と沖縄では明治の時代でも文字の代用となる結縄(キープ)の文化が生きていたことが残されています




万葉集が現わすものは文字ではなくいにしへより続く




音の産出す世界




音による感性の鍛錬のような気がしています





それはいにしへにおいて幾何学が象徴として用いられていたように








言霊の音の描くイメージを心に描く鍛錬









一万年以上の生きる感性を描くショーベ洞窟壁画、心にイメージを描く鍛錬の形のように見えます
























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