日本的な十三夜(17日)を愛でた後
天と地が微笑んだ
内暈(うちがさ)
両サイドの光源「幻日(げんじつ)
逆さまの虹「環天頂(かんてんちょう)アーク」
18日に画像をみてから何かを示しているのか?
気になっています
出雲は国津神を祀るところ
隠された国津神の力が現ぶるところ
荒ぶる神ではなく、現ぶる神
幽冥主宰大神
大国主大神
スサノオの大神
伝承では
天津神に服従した神
荒ぶることにより天津国を追われた神
それは、権力に付いた人間が天津神(氏神)と称し
都合の良いように改めた
出雲では
農業 漁業 医術 縁結びと日本の国づくりされた神
八重垣に八重垣を重ね国の礎を築いた神
と大地の上で誠をつくした神です。
その国津神の想いとは
大地の上で誠をつくして欲しい。
大地の神である国常立神が岡本天明氏に降ろされたとされる日月神示では
ひふみ神示 第24巻 黄金の巻
第一帖
友つくれよ、友つくることは己つくることぞ。
広めることぞ。
己を友の心の中に入れることぞ。
御光が愛ぞ。
真ぞ。
愛はマぞ。
真は言ぞ。
これを誠と云うぞ。
誠は生きてゐるぞ。
この巻から人民の道しるべであるぞ。
そなたの為であるぞ。そなたの為は人の為、世の為、三千世界の為であるぞ。
この巻 黄金の巻。心の眼ひらけよ。十一月十七日。ひつ九のか三
第二帖
日本が日本がと、まだ小さい島国日本に捉はれてゐるぞ。
為すには先づ求めよ。神を求めよ。己に求めよ。
神のいのち其処に弥栄えるぞ。
喜び神ぞ。十 一月十七日。ひつ九のか三
第三帖
神は神の中に、宇宙を生み給うたのであるぞ。
善の祈りには善、悪の祈りには悪、祈りの通りに何も彼も出て来ること、まだ判らんか。
十一月十七日。ひつ九のか三
第四帖
これだけに、世界にアラ事をさして見せて、神示通りに出て来ても、まだ目醒めんのか。
まだまだ改心中々ぢゃなあ。悔い改めよ。顧みよ。
恥ぢ畏れよ。慎めよ。その日その時からよくなるぞ。
人は神のいれもの、【神は人のいのち】。十 一月十七日。ひつ九のか三
第五帖
種から生えたものは渋柿ぢゃ。接木(つぎき)せねば甘柿とはならんぞ。
己のためすることは人のためにすることぞ。
思いは力、実在ぞ。十一月十七日。ひつ九のか三
第六帖
天地まぜまぜになったら、何が何だか判らんことになると申してあらうが。
早う神示肚に入れておけよ。十一月十七日。ひつ九のか三
第七帖
今はまだなるやうにして居りて下されよ。
悪いこと通して善くなる仕組、よく心得よ。
神体や神殿が神ではないぞ。
高く光るぞ。遠くから拝むやうになるぞ。
一切の未来も一切の過去も、【総てが現在ぞ】。中今ぞ。
このこと判るが善ぢゃ。現在は永遠ぞ。
何処からともなく感じて来るもの尊べよ。十一月十七日。
第八帖
外にあるもの内にあるぞ。十一月十七日。
第九帖
この神示に縁あるものは、ボタン押せよ。
燈台もとへ来て、光となれよ。十一月十七日。
第十帖
嘘見分ける鏡 与へてあるぞ。早う改心なされ。
世の中も、大千世界も亦同様ぞ、つくられつつあるのぞ。
愛と云ひ真と云ふも皆方便ぞ。
何れも誠の現われであるぞ。かのととりの日。一二十(ヒツキノカミ)
岡本天明氏と同じ時代に誠を捧げる会を作られた出居清太郎氏は
命の親から産まれる太極のひびきとして
おやこはらからやからもろびとたちいたるまで
おのれをむなしくしてあらそうことなくしたしみかわし
とくをひとつにこころをむすび
と、親子 同胞 諸人に和する道をかいています。
それは ひふみ神示 黄金の巻にかかれている
そなたの為であるぞ。そなたの為は人の為、世の為、三千世界の為であるぞ。
心の眼ひらけよ。
と同じことのように感じます。
ひふみ神示 富士(二二)の巻第九帖 (八九)では、
神界は七つに分かれてゐるぞ、天つ国三つ、地(つち)の国三つ、その間
に一つ、天国が上中下の三段、地国も上中下の三段、中界(ちうかい)の七
つぞ、その一つ一つがまた七つに分かれてゐるのぞ、その一つがまた七つず
つに分れてゐるぞ。
今の世は地獄の二段目ぞ、まだ一段下あるぞ、一度はそこまで下がるのぞ、
地獄の三段目に入ることの表(おもて)は一番の天国に通ずることぞ、神の
まことの姿と悪の見られんさまと、ハッキリ出て来るのぞ、神と獣と分ける
と申してあるのはこのことぞ。何事も洗濯第一。八月の十八日、 の一二 。
「地獄の三段目に入ることの表(おもて)は一番の天国に通ずることぞ」
とはさまざまな現在の世相と重なるようです。
困難と思える環境の中で、心を洗濯し、まことをとおすことから
次の世が産まれる。
自らの環境に次の世につながる道がある
先島諸島、沖縄の御嶽は守っている方が限られたときに
先祖を祀り 神のおとずれるところ
それは 今は忘れられた
物事を決めるには
外からのものではなく
先祖を敬い 皇心に基づき、決める
次の世を感じるには
憶千万劫の先祖を通した命の結びを感じることなのでは
などと思ったりしています
思いは力、実在ぞ
とは
心からすべてが うみいだされる