図形曼荼羅好きな方 (^O^)/

ラピスラズリの蒼とトルコブルーの重なりに魅かれます。色と形は何かを現わすような気がします。

孔雀の紋様

2013-11-17 20:24:23 | 日記



解説 One of the peacocks that roam freely at the Oregon Zoo in Portland, Oregon.
日付 2006年5月31日, 09:50
原典 Beautiful Plumage

作者 Stuart Seeger from College Station, Texas, USA




ウルトラマリンからディーブルーは独特な魅力があります

孔雀の孔の字はつらぬく穴を表しています

先祖崇拝を体系化した孔子にとって
孔の字は
この世の現世をつらぬいて先祖の御霊をむすぶこと
先祖の御霊にむすばれた政り事をすると
北極星を回る天体のごとく自然の流れが産まれる

孔子は2500年前に古きを訪ねた人
殷に伝わる古代の智慧を伝えているのでしょう


仁という字は二つに分かれたものをむすぶ人


先祖崇拝から自然崇拝そして天体を崇拝する


逆につなげると
太陽に起こることは地球に起こる
太陽の北半球の黒点が低下し、南半球で黒点の活動が活発に起こる

地球では東洋では高温と洪水、台風、竜巻の増加
西洋では低温とサイクロン、竜巻の減少

古代の智慧からすると
自然に起こることは人に起こる
それは先祖の御霊にむすばれる人と、それを拒む人


太陽の活動が静かだった北半球が急に黒点活動が強くなりました

さてどのような変化が訪れるのでしょう



日月神示の冒頭は

二二八八れ十二ほん八れ

火水の相反する八通りを風となり無から有へ晴れ渡れ

一二三とは天地人、過去現在未来、火水風


相反することが起こりそうですね




コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

神在祭

2013-11-12 19:31:56 | 日記



明日から出雲大社で神在祭が始まります

出雲になぜ神が集まるとされているのか?
農業・漁業・医療の神また縁結びの神として、「魂」をつかさどり
御守護くださる幽冥主宰の大神
幸せの縁(えにし)に応えるため

覇権による支配ではなく御神徳に感謝するため集う

お賽銭とは、心からの感謝を捧げるすばらしいシステム
一粒万倍の価値を生む
決められた金額で行われたものは
なかなか金額以上にはならぬもの
金額以下にはすぐなります

インド出身の瞑想より経済を予想したラビバトラ氏は
日本からプラウトという新しい価値が産まれる
と書かれています
イラン革命、ソ連崩壊、東京市場のバブル崩壊
誰もが予想した時点では起こらないと思っていたこと
ただアメリカの資本主義の崩壊の時期はズレテいます
自らの住む所は影響を受けるのでしょう


昨日まで一般市民から応募した函館アートフェスティバルが行われ
テーマが「心」ということで
一点、展示に参加しました





その展示の中に水引の解説と展示があり
水引とは人を結ぶ、心を結ぶという解説の中で
縄を結ぶとは縁を結ぶこと








縁結びの出雲大社の注連縄があんなに大きいのには訳があるのですね
それを水を引くという
無形のこだわりの無い水心が大切






縄を結ぶというとインカで文字の変わりに紐を結んでいたことを思い出します
縄文文化とは縄の文字と書きますね
縄から産まれる感性が、古代には現代とは違う形で偏在していたのでしょうか


宮古島の漲水御嶽だけ地元以外の人にも拓かれています
水を漲(みなぎる)心が道を拓くのは
無形のこだわりの無い水心が道を拓く


ひふみ神示 第10巻 水の巻 では

  第一帖 (二七五)
 見渡す限り雲もなく富士は晴れたり、日の本晴れ、海は晴れたり、日の本晴れ、港々に日の丸の旗翻(ひるがえ)る
神の国。
地(くに)の神 大切せよと聞かしてあろが、
神様にお燈明(あかし)ばかり備へてはまだ足らぬのぞ。お燈明と共に水捧げなならんのざぞ。火と水ぞと申してあろ、神示よく裏の裏まで読みて下されよ、守護神殿 祭りて呉れよ。まつはらねば力現はれぬぞ、守護神殿は拍手四つ打ちておろがめよ、元の生神様には水がどうしてもいるのざぞ、火(日)ばかりでは力出ぬのざぞ、わかりたか、曇りなく空は晴れたり。旧三月十日、三のひつ九 。


日と水の心で祀ることから道が拓かれるかも





コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

 現ぶる出雲の神

2013-11-02 14:47:39 | 日記


日本的な十三夜(17日)を愛でた後
天と地が微笑んだ
内暈(うちがさ)
両サイドの光源「幻日(げんじつ)
逆さまの虹「環天頂(かんてんちょう)アーク」

18日に画像をみてから何かを示しているのか?
気になっています

出雲は国津神を祀るところ
隠された国津神の力が現ぶるところ
荒ぶる神ではなく、現ぶる神

幽冥主宰大神
大国主大神
スサノオの大神


伝承では
天津神に服従した神
荒ぶることにより天津国を追われた神

 それは、権力に付いた人間が天津神(氏神)と称し
都合の良いように改めた

出雲では
農業 漁業 医術 縁結びと日本の国づくりされた神
八重垣に八重垣を重ね国の礎を築いた神

と大地の上で誠をつくした神です。

その国津神の想いとは

大地の上で誠をつくして欲しい。


大地の神である国常立神が岡本天明氏に降ろされたとされる日月神示では

ひふみ神示 第24巻 黄金の巻

第一帖
友つくれよ、友つくることは己つくることぞ。
広めることぞ。
己を友の心の中に入れることぞ。
御光が愛ぞ。
真ぞ。
愛はマぞ。
真は言ぞ。
これを誠と云うぞ。
誠は生きてゐるぞ。
この巻から人民の道しるべであるぞ。
そなたの為であるぞ。そなたの為は人の為、世の為、三千世界の為であるぞ。
この巻 黄金の巻。心の眼ひらけよ。十一月十七日。ひつ九のか三


第二帖

 日本が日本がと、まだ小さい島国日本に捉はれてゐるぞ。
為すには先づ求めよ。神を求めよ。己に求めよ。
神のいのち其処に弥栄えるぞ。
喜び神ぞ。十 一月十七日。ひつ九のか三


第三帖

 神は神の中に、宇宙を生み給うたのであるぞ。
善の祈りには善、悪の祈りには悪、祈りの通りに何も彼も出て来ること、まだ判らんか。
十一月十七日。ひつ九のか三


第四帖

 これだけに、世界にアラ事をさして見せて、神示通りに出て来ても、まだ目醒めんのか。
まだまだ改心中々ぢゃなあ。悔い改めよ。顧みよ。
恥ぢ畏れよ。慎めよ。その日その時からよくなるぞ。
人は神のいれもの、【神は人のいのち】。十 一月十七日。ひつ九のか三


第五帖

種から生えたものは渋柿ぢゃ。接木(つぎき)せねば甘柿とはならんぞ。
己のためすることは人のためにすることぞ。
思いは力、実在ぞ。十一月十七日。ひつ九のか三


第六帖

 天地まぜまぜになったら、何が何だか判らんことになると申してあらうが。
早う神示肚に入れておけよ。十一月十七日。ひつ九のか三


第七帖

 今はまだなるやうにして居りて下されよ。
悪いこと通して善くなる仕組、よく心得よ。
神体や神殿が神ではないぞ。
高く光るぞ。遠くから拝むやうになるぞ。
一切の未来も一切の過去も、【総てが現在ぞ】。中今ぞ。
このこと判るが善ぢゃ。現在は永遠ぞ。
何処からともなく感じて来るもの尊べよ。十一月十七日。


第八帖

 外にあるもの内にあるぞ。十一月十七日。


第九帖

 この神示に縁あるものは、ボタン押せよ。
燈台もとへ来て、光となれよ。十一月十七日。


第十帖

嘘見分ける鏡 与へてあるぞ。早う改心なされ。
世の中も、大千世界も亦同様ぞ、つくられつつあるのぞ。
愛と云ひ真と云ふも皆方便ぞ。
何れも誠の現われであるぞ。かのととりの日。一二十(ヒツキノカミ)



岡本天明氏と同じ時代に誠を捧げる会を作られた出居清太郎氏は
命の親から産まれる太極のひびきとして

おやこはらからやからもろびとたちいたるまで
おのれをむなしくしてあらそうことなくしたしみかわし
とくをひとつにこころをむすび

と、親子 同胞 諸人に和する道をかいています。

それは ひふみ神示  黄金の巻にかかれている

そなたの為であるぞ。そなたの為は人の為、世の為、三千世界の為であるぞ。

心の眼ひらけよ。

と同じことのように感じます。


ひふみ神示 富士(二二)の巻第九帖 (八九)では、

 神界は七つに分かれてゐるぞ、天つ国三つ、地(つち)の国三つ、その間
に一つ、天国が上中下の三段、地国も上中下の三段、中界(ちうかい)の七
つぞ、その一つ一つがまた七つに分かれてゐるのぞ、その一つがまた七つず
つに分れてゐるぞ。
今の世は地獄の二段目ぞ、まだ一段下あるぞ、一度はそこまで下がるのぞ、
地獄の三段目に入ることの表(おもて)は一番の天国に通ずることぞ、神の
まことの姿と悪の見られんさまと、ハッキリ出て来るのぞ、神と獣と分ける
と申してあるのはこのことぞ。何事も洗濯第一。八月の十八日、 の一二 。



「地獄の三段目に入ることの表(おもて)は一番の天国に通ずることぞ」

とはさまざまな現在の世相と重なるようです。

困難と思える環境の中で、心を洗濯し、まことをとおすことから

次の世が産まれる。

自らの環境に次の世につながる道がある



先島諸島、沖縄の御嶽は守っている方が限られたときに

先祖を祀り 神のおとずれるところ

それは 今は忘れられた

物事を決めるには

外からのものではなく

先祖を敬い 皇心に基づき、決める


次の世を感じるには


憶千万劫の先祖を通した命の結びを感じることなのでは

などと思ったりしています



思いは力、実在ぞ

とは

心からすべてが うみいだされる






コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする