図形曼荼羅好きな方 (^O^)/

ラピスラズリの蒼とトルコブルーの重なりに魅かれます。色と形は何かを現わすような気がします。

スメラ神国とユツタ(ユダヤ)神国と一つになり

2014-01-31 15:49:48 | 日記



ひふみ神示 第18巻 光の巻 / (一火 キ)
第六帖 (四〇二)

 今に世界の臣民人民 誰にも判らん様になりて上げもおろしもならんことになりて来て、これは人民の頭や力でやってゐるのでないのざといふことハッキリして来るのざぞ。何処の国、どんな人民も成程ナアと得心のゆくまでゆすぶるのであるぞ。今度は根本の天の御先祖様の御霊統と根元のお地(つち)の御先祖様の御霊統とが一つになりなされて、スメラ神国とユツタ(ユダヤ)神国と一つになりなされて末代動かん光の世と、影ない光の世と致すのぢゃ、今の臣民には見当とれん光の世とするのぢゃ、光りて輝く御代ぞ楽しけれく。悪い者殺してしまふて よい者ばかりにすれば、よき世が来るとでも思ふてゐるのか、肉体いくら殺しても魂迄は、人民の力では何うにもならんであろがな。元の霊(たま)まで改心させねば、今度の岩戸開けんのぢゃぞ、元の霊(たま)に改心させず肉体ばかりで、目に見える世界ばかり、理屈でよくしようとて出来はせんぞ、それ位 判って居らうが、判りて居り乍ら他に道ないと、仕方ないと手つけずにゐるが、悪に魅入られてゐるのぢゃぞ、悪は改心早いぞ、悪神も助けなならんぞ、霊(たま)から改心させなならんぞ、善も悪も一つぢゃ、霊も身も一つぢゃ、天地(アメツチ)ぢゃとくどう知らしてあろが。何んなよいこと喜ばして知らしても、聞 かせても、今の臣民人民 中々云ふこときかんものぢゃぞ。この道にゆかりある者だけで型出せよ、カタでよいのぢゃぞ。六月三十日、ひつぐの神。」



旧約聖書『創世記』 ノアの洪水と同様の『シュメルの洪水神話』(粘土板)における記述
壁のかたわらで、わたしはおまえにひとこと話そう。わたしのいうことを聞きなさい。わたしの教えに耳をかたむけなさい。われわれの・・・・・によ り、大洪水が聖地を洗い流すだろう。人類の種をたやすために・・・・。これが神々の集会の決定であり、宣言である。・・・・あらゆる嵐、しかもはなはだ強 大なのが、ひとたばになって襲ってきた。同時に、大洪水が聖域を洗い流した。七日と七夜、大洪水が国中を洗い流し、大舟は嵐のために大波の上でもてあそば れた。そののち、太陽神ウトゥ(英語版)があらわれ、天と地を照らした。ジウスドラは大舟の窓をひらいた。英雄ウトゥは光を大舟のなかにさしこませた。王ジウスドラはウトゥの前にひれ伏した。


旧約聖書『創世記』ソドムとゴモラと同様の記述も
ニネベの遺跡で見つかったシュメール人の古代の天文学者が粘土板に残した円形の星座板には、ふたご座・木星などの惑星と、アピンと名づけられた正体不明の矢印が書きこまれており、この天体配置があった日の明け方の5時30分ころに、4分半かけてアピンは地上に落下したという記述が残されている。

シュメール人は貿易による交易で
金銀宝石の財宝と都市国家
美術、医術、天文学
現代と変わらぬ豊かな生活基盤

異なることは

人間性のすべては神々のなすがままにあるということである。



ユダヤ教は国家を失うことにより


ソロモンの智慧を大切に伝えた



スメラ神国とユツタ神国と一つになりなされてとは

生きる上での豊かな物と生きる上での豊かな智慧

それを神よりの賜り物として

受け取ること


一つに結ばれる


根本の天の御先祖様の御霊統と根元のお地(つち)の御先祖様の御霊統とが一つになり

スメラ神国とユツタ神国と一つになりなされる

それは

天津神の御霊統と国津神の御霊統が一つになる



ひふみ神示 第23巻 海の巻 / ( 三の キ)

第十帖

 この方 悪神、祟神(たたりがみ)と人民に云はれてトコトン落されてゐた神であるぞ、云はれるには云はれるだけの事もあるのぢゃ、此の方さへ改心いたしたのである ぞ、改心のおかげで此の度の御用の立役者となったのぢゃぞ、誰によらん改心致されよ。改心とは まつろふ事ぞ、中行くことぞ、判りたか。今度は十人並のおかげ位では誠の信心とは申されんぞ、千人万人のおかげを取りて下されよ、千人力与へると申してあ ろが、大事な御先祖様の血統を皆世に落して了ふて無きものにして了ふて、途中からの代へ身魂を、渡りて来た身魂を、まぜこぜの世と致して、今の有様は何事ぞ、まだ判らんのかなあ、人民もぐれんぞ。八月二十三日、一二 。



豊葦原の瑞穂の国

チグリス・ユーフラテスは葦の豊かな国

シュメールの古代遺跡には菊の紋章と同じ図形が冠されている

出雲大社と伊勢神宮は

国津神と天津神の格式と伝統を伝える

途中からの代へ身魂を、渡りて来た身魂を、まぜこぜの世と致してとは

血統ではなく霊統




なぜ渡りて来たか



古事記の二三行に書かれている

独り神 結び神が

宇宙に産まれる

波動から原子が産まれる

素粒子論を包含している

宇宙と一体の自然観が日ノ本の国にあった


戒律も教義もない神の道



ひふみ神示 第09巻 キの巻 / (キノ キ)
 第十帖 (二六七)
 山の谷まで曇りてゐるぞ、曇りた所へ火の雨降るぞ、曇りた所には神は住めんぞ、神なき所 愈々ざぞ。ひどい事あるぞ、神がするのでないぞ、臣民 自分でするのざぞ。一日一日のばして改心さすやうに致したなれど、一日延ばせば千日練り直さなならんから、神は愈々鬼となって規則通りにビシビシと埒(らち)あけるぞ、もう待たれんぞ、何処から何が出て来るか知れんぞと申してあろがな。花火に火つけよ、日本の国の乱れて来たのは来られんものを来らしたからぞ。三千年の昔に返すぞ、三万年の昔に返すぞ、三十万年の昔に返さなならんかも知れんぞ。家内和合出来ん様では、この道の取次とは申されんぞ、和が元ざと申してあろが、和合出来ぬのはトラとシシぞ、どちらにもメグリあるからざぞ、昼も夜もないのざぞ、坊主 坊主くさくてはならんぞ。三月十三日、一二 。



三万年前は訪ねることは難しいですが

三千年前のすべて神の賜りものに訪ねることはできそうです



今日は太陽太陰暦ではお正月



天地に感謝
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フィロソフィア 智慧を愛する

2014-01-15 16:32:42 | 日記




ヘラクレイトスやヘロドトスによって、形容詞や動詞の形でいくらか使われていたが、名称として確立したのは
ソクラテスやプラトンが用いるようになってから


ソクラテスの弁明より
 ソクラテスの説く知とは単なる知識ではなく善や美と表現されていることからも、真実(善や美をも含む真理)を
理解する能力(智慧)を表す。
ここでソクラテスは、多くの人に智慧のある人と思われている政界の人を訪ねてみた時の事を話しています。
ソクラテスにしてみると、その政界の人は他の人に思われているほど智慧がないと思えたと述べています。
そしてその事(彼はそれほど智慧ない事)を説明しようと努めたとあります。
その結果ソクラテスはその政界の人からもまたその場にいた多くの人々からも憎まれる事になったと述べています。
政界の人や他の多くの人々が考える智慧と、ソクラテスが何より大切なものと考える智慧とは、
その意味合いが大きく異なっていたのです。
政界の人は政界の事についての知識には優れている、
さらに彼と他の多くの人々は政界以外の智慧にも優れていると思い込んでいる。
そこをソクラテスは指摘したのです。
さらには、詩人(文学者)にも同じ結果をうけます。
また手工者(技芸家)も同じでした。
それぞれが専門とする業(技芸)に優れている人は、他の重大な事柄(智慧)についても優れていると思い込んでいた、
とソクラテスは述べています。
ソクラテスは、名声のある人々より、尊敬されることの少ない人々のほうがむしろ思慮(智慧)に優れていると思えた
と述べています。
それは、知らないのに知っていると思っている人より、
知らないので知らないと思っている人(無知の知)のほうが優れているというソクラテスの言葉にもよく表れています。


現在の政治、官僚、経営、国家などの組織のトップに

ソクラテスが質問したら同じ答えとなるのでしょう。

現代へも通底する考察をもつソクラテスの求めたものは


真理を示すために毒盃をうけいれること


魂がハデスへもって還れる


智慧を愛すること




現代の市場経済は、自国の合理性を追求しますが

初期ギリシャ哲学のピタゴラスは

合理的な面と非合理な面とが、渾然となって一体化していた

三角形に関する定理で知られるように、数学とくに幾何学の分野において顕著な功績を残した。他方では、オルフェウス教団と関係があると見られる、特異な宗教的運動をも率いており、参加する者たちは「ピタゴラスの徒」と呼ばれ、原始共産制を思わせる共同生活を行っていた。


ピタゴラスの教義の中心をなすものは


「霊魂は不滅である」


ピタゴラスは若い頃にエジプトに滞在し、またバビロニアの神官たちやペルシャの僧たちのもとにも滞在したことがあった。その折の勉学を基にして、幾何学を学ぶとともに、オリエント風の神秘も身に付けた。


デルポイはギリシア最古の神託所である。デルポイの神託はすでにギリシア神話の中にも登場し、人々の運命を左右する役割を演じる。神殿入口には、神託を聞きに来た者に対する3つの格言が刻まれていたとされる。

「汝自身を知れ」
「過剰の中の無」(過ぎたるは及ばざるがごとし、多くを求めるな)
「誓約と破滅は紙一重」(無理な誓いはするな)

神がかりになったデルポイの巫女(シビュッラ)によって詩の形で告げられるその託宣は、神意として古代ギリシアの人々に尊重され、ポリスの政策決定にも影響を与えた。


日本における巫女というと卑弥呼

卑弥呼は鬼道を祭祀して人心を惑わしと魏志倭人伝にありますが

原儒では先祖は鬼となり先祖の祭儀に現れるという考えですから

卑弥呼は先祖を祭祀して政を行ったということになります



古代ギリシャの神託の言葉より哲学が生まれた2500年前頃

中国では孔子が先祖崇拝の古代から続く原儒を体系化し儒教を成立させています

宗教的な人々は哲学的な議論をしてその宗教性を磨いている伝統があるインドでは、

釈迦が四諦八正道を実践的に説いた

これが初転法輪

修行によって得られた智慧を伝えた

2500年前の有史時代に残された形は

古代より伝わる魂をはぐくむ智慧

それは3000年前の形



岩戸開きを3000年前に還すと示されている日月神示では

ひふみ神示 第14巻 風の巻 / (カ千の キ)
 第八帖 (三五九)
 世界中自在に別け取りしてゐた神々様、早う改心第一ぞ。一(ひとつ)の王で治めるぞ。てん詞様とは天千様のことぞと申してあろがな、この方シチニの神と現はれるぞ、天二(てんぷ)様のことざぞ。行なしではまことのことわからんぞ、出来はせんぞ、神の道 無理ないなれど、行は誰によらずせなならんぞ。この方さへ三千年の行したぞ、人民にはひと日も、ようせん行の三千年、相当のものざぞ。海にはどんな宝でも竜宮の音秘(オトヒメ)殿持ちなされてゐるのざぞ、神の道 無理ないと申して楽な道でないぞ、もうこれでよいと云ふことない道ざぞ。日本の人民もわたりて来た人民も、世持ちあらした神々様も人民も、世界の人民皆思ひ違ふぞ、九分九分九厘と一厘とで、物事成就するのざぞよ。世をもたれん天地の大泥棒をこの世の大将と思ってゐて、それでまだ眼覚めんのか、よく曇りなされたなあ、建替は今日の日の間にも出来るなれど、あとの建直しの世直し、中々ざから、人民に少しは用意出来んと、おそくなるばかりぢゃ、それでカタ出せ出せと申してゐるのぢゃぞ。あれこれとあまり穢れてゐる腸(はらわた)ばかりぢゃから、一度に引出して、日に干してからでないと、洗濯出来ん様になりて 御座るぞ。ひぼしこばれん人民あるから、今のうちから気付けてゐるのぢゃぞ。元の根元の世より、も一つキの世にせなならんのざから、神々様にも見当取れんのぢゃ。二月十六日、ひつ九の 。



三千年のこの方の苦行とは何か



釈迦が苦行から悟ったことは



すべてにおいて中道をすすむ



すべての中で今一番欠乏しているものは



魂をはぐくむ智慧



それは、因果をはぐくむ魂の神秘



自らの環境の中に魂を磨く智慧が潜んでいる







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