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図形曼荼羅好きな方 (^O^)/

ラピスラズリの蒼とトルコブルーの重なりに魅かれます。色と形は何かを現わすような気がします。

ゼフィルス(Zephyrus)

2012-07-29 17:44:51 | 日記

樹上性のシジミチョウの仲間を総括して Zephyrus と呼んでいたのが始まりで、
語源はギリシャ神話の西風の神ゼピュロス。
青緑の光沢を放つ姿は夕陽に浮かぶ西風の宝石のようです。
(フリー素材無料写真 森の父さん花鳥風穴さんから
ジョウザンミドリシジミ画像をお借りしています。)

夏至を過ぎて鳳凰は西の空と想っていたら
西風の神ゼフィルス(Zephyrus)をよく見かけます。
例年より早く産まれ、
普段見かけない街の中でも見かけました。
ゼフィルスのなかで緑ではないオレンジ色のアカシジミも属します。
そのアカシジミが例年より多いように感じます。
ネットでアカシジミを検索していると、
青森県の津軽地方でアカシジミの大発生
夏至を過ぎた六月末、三年連続で毎年増えているそうです。

西風の神さま、青緑色、黄橙色、
鳳凰のイメージにつながるように感じます。



ひふみ神示 五十黙示録 第02巻 碧玉の巻

第一帖

 反対の世界と合流する時、平面の上でやろうとすれば濁るばかりぢゃ、
合流するには、立体でやらねばならん、立体となれば反対が反対でなくなるぞ、
立体から複立体に、複々立体に、立立体にと申してあろう、
漸次(ぜんじ)輪を大きく、広く、深く進めて行かねばならんぞ、
それが岩戸ひらきぢゃ、
低い世界は戒律なくてはならんぞ、
人民の頭で、戒律と秩序、法則をゴッチャにして御座るぞ、
平面と立体とをゴッチャにするのと同じ迷ひの道であるぞ、
気つけ下されよ。
神からの巻物おろそかにするでないぞ。



第三帖

 生命の樹、生命の水を間違へて下さるなよ。
樹とはキであるぞ、水とは道であるぞ、
樹と水にたとへてあるぞ、
そのままにとるから、囚われた迷信となるのぢゃ。

鳳凰の画像イメージを熟成中です。
自然の囁きを受け取りたいですね。
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 鳳 凰

2012-07-19 12:48:23 | 日記

ひふみ神示 
五十黙示録  第02巻 碧玉の巻
第十帖
 岩戸しめの始めはナギ(伊邪那岐命)ナミ(伊邪那美命)の命の時であるぞ、
十の卵を八つ生んで二つ残して行かれたのであるぞ、
夫神、妻神、別れ別れになったから、一方的となったから、岩戸がしめられたのである。
その後、独り神となられた夫神が三神をはじめ、色々なものをお生みになったのであるが、
それが一方的であることは申す迄もないことであろう、
妻神も同様、黄泉大神となられて、黄泉国の総てを生み育て給ふたのであるぞ、
この夫婦神が、時めぐり来て、千引の岩戸をひらかれて相抱き給う時節来たのであるぞ、
うれしうれしの時代となって来たのであるぞ。
同じ名の神が到るところに現はれて来るのざぞ、
名は同じでも、はたらきは逆なのであるぞ、
この二つがそろうて、三つとなるのぞ、
三が道ぞと知らせてあろうがな。
時来たりなば この千引の岩戸を倶にひらかんと申してあろうがな。


なんとなく近ごろ、鳳凰のような雲に魅かれます。
空いっぱいに広がる妙なる鳳凰の羽や尾のような雲。
凰はメス、鳳はオスを指し、『本草綱目』によれば、羽ある生物の王であるとされる。
「聖天子の出現を待ってこの世に現れる」といわれる瑞獣(瑞鳥)のひとつで、
『礼記』では麒麟・霊亀・竜とともに「四霊」と総称されている。
ナギとナミの命岩戸をひらかれて相抱き給う時節というイメージから鳳凰が連想されます。

それは、ひふみ神示 第01巻  上つ巻   第一帖(一)に
世界中の洗濯ざから、いらぬものが無くなるまでは、終らぬ。カミと神、アカとあか、ヒトと人、ニクと肉、タマと魂のいくさぞ。己の心を見よ、戦が済んでいないんでいないであろ、それで戦が済むと思うてゐるとは、あきれたものぞ、早く掃除せぬと間に合わん、何より掃除が第一。さびしさは人のみかは、神は幾万倍ぞ、さびしさ越へて時を待つ。加実が世界の王になる、

戦い済んだ時を鳳凰が伝えているように感じています。

九州に大雨が降る前に西の空で鳳凰のような雲が広がり、東の空には龍神様が南に飛び立った二本の雲がありました。
昨年の紀伊半島の大雨で山崩れを起こす前、同じような南に二本竜神様が飛び立った雲が東の空にありました。

誠を捧げる会を作られた出居清太郎氏は
「どこもかしこも大掃除か。
皆、危ない道をあゆんでいるぞ。
川に沿わないで水に添っていけ。
川に沿うから川におちるんだ。
自然の水の流れに添っていけ。」
川とは目に見える物の価値観、
水のように天地自然の法則に添うことの大切さを伝えています。
洪水を起こす水は天地自然の流れに添っていないことを伝えているのかもしれません。

知人にひふみ神示 地震の巻の魅力を熱心に話していましたら、
スマトラ沖の地震やチリ沖地震が起こりました。
大地のはぐくむ想いで、
いろはからひふみに変わるとあらごとがおきるとブログを作成したら、
3.11の震災が起こりました。
単なる偶然なのかもしれません。

七月の新月が近づくにつれてなぜか、鳳凰が気にかかります。

しばらくは鳳凰から産まれる何かを楽しみたいと想ってます。





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すべてはうまれつつある

2012-07-04 07:49:34 | 日記

ひふみ神示 地震の巻 (二曰んの キ) 第一帖では
われわれの一切は生れつつある。神も、宇宙も、森羅万象の悉くが、常に生れつつある。
印象深い言葉ではじまります。




日からうまれるもの
月からうまれるもの
日と月を結ぶもの
この三つのうまれる階層があり
その奥には
日をうみだす太陽
月をとうしてうみだす太陰
太陽と太陰を結ぶもの
その三つの生まれる階層がある

二曰んの巻きはそう語りかけているように感じます。
ひふみ神示の中で目に見える世界と目に見えぬ世界は
この世的な発想ではわかりにくい立立体の繋がりで結ばれている。

他の帖は数字とかなで書かれていますが、
この帖は律動する線で書かれています。
それは固定された解釈ではなく色々な解釈をうみだすため

日月神示には太陽と太陰をうみだす階層の奥には
○の中に・の入った○九十(誠)の神の弥栄の想いがある。
それは、ものに基づく現代の価値からするととっくに忘れ去られたもの。
神の弥栄を心の真ん中にもつ
森羅万象は神の弥栄のあらわれ
古への時代に尊ばれていたこと
現代では価値の無いことのように考える
現代人には魅力を感じぬことに神の弥栄の想いがあるのかもしれない
人を育てること
人に尽くすこと
徳を積むこと
現代社会では評価されにくいことですね。
でもかむながらの道にはもとめられること。
日常の出来事にはすべての神の弥栄の結びが隠されている。

古事記のしめす世界は、
天地初発の時天之御中主神がいらっしゃって、その心で全てがスタートした。
それから、たかみむすびの神、かみむすびの神が生まれてこられた。
これは、素粒子が生まれ、陽子、中性子が生まれ物質が生まれてきた。
創造されたものではなく、想いで結ばれた存在。
そういう発想を古への日本人が持っていた
春日大社の宮司をつとめた葉室頼昭氏が書かれています。

ちょうど神の粒子といわれるヒックス粒子の手掛りがつかめたようです。

何気ない日常のなかにかむながらの道をきづけるといいですね。

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