図形曼荼羅好きな方 (^O^)/

ラピスラズリの蒼とトルコブルーの重なりに魅かれます。色と形は何かを現わすような気がします。

火水(かみ)カルデラ

2016-11-28 21:12:39 | 日記



西日本、特に九州の先史時代から縄文初期の文明も、この噴火で絶滅したと考えられている「鬼界(きかい)カルデラ」

神戸新聞 NEXT 2016/11/18

神戸大学海洋底探査センターは18日、九州南方の海底に広がるくぼみ「鬼界(きかい)カルデラ」を調べた結果、
熱くて濁った水が海底から湧き出る「熱水プルーム」を5カ所で確認した、と発表した。
海底からの高さは最大約100メートルに上る。
現時点では噴火予測はできないが、カルデラ直下のマグマが活動的であることを示しているという。






昭和新山に全てをかけて記録した三松正夫氏は、九州を訪ねて先祖の記録を残し

その中に

かつての我々の祖先は、火を噴く山々を神の住まう山として崇めた。

噴火を御神火とした。そこから火の国と名付け、肥の国とうつり、肥前肥後とした。

そこには火の山の上に住む日本人の生活と恐れ戦く歴史があったことを知る。


火と噴煙を吐く山は生きているのだ。







古への火山と信仰が気になり

世界一大きなカルデラ湖をしらべると





インドネシアのスマトラ島北部にある世界最大のカルデラ湖 トバ湖(インドネシア語: Danau Toba)
長さ100km、幅は約30km、最大水深530mで、面積は1,000km2に及ぶ。湖中にあるサモシール島は湖面からの比高が450mある火山性のドーム(再生ドーム)である








3度のトバカルデラの噴火
トバカルデラは、過去非常に長い間の休止期間をはさんで3回の超巨大噴火(破局噴火)によって形成されたと考えられている。まず84万年前にカルデラ南東部から噴火が起きた。これは日本最大だった阿蘇山の9万年前の噴火を超えるマグマ噴出量が500km3に達する噴火だった。次に50万年前にカルデラ北西部で噴火、マグマ噴出量は60km3であった。最新の噴火が74,000年前に起き、マグマ噴出量2,800 DRE km3に達する超巨大噴火となった。
74,000年前に起きた最新の超巨大噴火は、200万年前に起こったイエローストーンのハックルベリーリッジ・タフを噴出した超巨大噴火と並び世界最大級の噴火であった。この噴火で火山灰はインドやパキスタンでは5-7センチ降り積もり、中国南部では数センチの厚さで堆積し、東インド洋やベンガル湾の海底からやグリーンランドの氷床コアからも検出されており、地球の各地に降り積もったことが確認されている。
この噴火の後、トバカルデラでは歴史に残るような大きな噴火はないが、何度か大きな地震が起こっている。1987年には南岸で地震が起こっている。また、スマトラ西沖に断層があり、何度か大きな地震を引き起こしている。その中には2004年のスマトラ島沖地震や2005年のスマトラ島西沖地震も含まれている。特に後者は震源地がトバ湖から320kmと近い位置で起きていた。

 


トバ湖の周りにはバタック人(Batak)が生活している。

バタック人の社会は、Margaとして知られる一族に組織されている家父長社会である。トバ・バタック人は、1人の祖先「Si Raja Bata」を起源とし、すべてのMargaは彼の子孫であると伝統的に信じられている。バタック人の父と息子の関係を定義している血統図は、taromboと呼ばれている。現代のインドネシアにおいて、バタック人は教育熱心で、特に教師、技師、医師、法律家などの専門的な職業を多く得ている。トバ・バタック人は、その織物、木彫り、装飾した墓石が伝統的に有名である。彼らの埋葬と結婚の伝統は、大変意味深く、複雑である。埋葬の伝統で、先祖の遺骨を死の数年後に再び埋葬する儀式がある。この2回目の埋葬は、トバ人の間では「mangongkal holl」として知られている。



世界で一番大きなカルデラ湖を故郷とする、一人の祖先を起源とした伝統を守るバダック族



スラウェシ島のトラジャ族の舟形の張り出した屋根を持つ高床式の住居トンコナンと同じように、パダック族も両端が舟形のようなカーブを持った屋根と、色とりどりの装飾した高床式の住居に住む。












高床式建築
日本では縄文時代の遺構から出土例がみられ、三内丸山遺跡(青森県)で縄文時代中期(紀元前3000年 - 2000年)の祭殿に用いられたと見られている高床建築の遺構が出土し、また桜町遺跡で縄文時代中期末(紀元前2000年)の高床式建物の建築部材が出土している。弥生時代には、穀物を蓄える倉庫として一般に普及したと考えられており、代表的な遺構としては弥生時代の登呂遺跡(静岡県)や弥生後期の吉野ヶ里遺跡(佐賀県)がある。銅鐸(香川県で出土と伝わる)や銅鏡(佐味田宝塚古墳〈奈良県〉)・土器(唐古遺跡〈奈良県〉)に高床建築が描かれているが、倉庫としての建築であるかは不明である。


神社建築様式の1つである神明造は、高床式建築を発展したとされます。

現在でも、アフリカ中央・南アジア・東南アジアに高床式建築が見られる。




パタック族トラジャ族の死後再び埋葬を行う伝統は、今時の感性からすると違和感を持ちますが


皇室のしきたりとして,天皇の終焉に当たっては,重い殯(もがり)の行事が連日ほぼ2ヶ月にわたって続き,その後葬儀に関連する行事が,1年間続きます。




万世1系や日本と共通の神話をもつインドネシアから

命を尊ぶ伝統が古へには普遍的にあったかもと思い

なにげなくインドネシア パダン遺跡を検索すると


玄武岩のステップピラミッドであり、鉄分・シリカ・炭素からなる接着剤が検出され、さらに発掘が進められているようです。












また3万年~4万年前の洞窟壁画では

欧州、アフリカ、ジャワにかけての洞窟壁画から共通の幾何学や動物の壁画があることが研究されているようです。









1万年前のギョベクリテペをはじめ、歴史の常識はすでに変わりつつあるようですね。





古への天地を崇める感性で、自然の囁き


東京に50年ぶりの早い積雪


鬼界カルデラの活動期



は、どう感ずるのだろう。




昭和新山の記録に全てをかけた三松正夫氏の書かれた本に


昭和63年、噴火した鳥海山のニュースで「思いがけぬ153年ぶりの噴火」と流された言葉に、つくづく考えさせられたと書いています。
〝思いがけず〞という発想は、人間の寿命をものさしにして自然の寿命を考えるからことから生ずる錯覚なのでしょう。人間の一年は火山の千年に当たります。
〝朝起きて歯を磨くまでにくしゃみしないからといって、もう風邪がなおったのだと〞ときめこんだほうが悪いのでしょう。
朝食の時にくしゃみしたからといって、それは〝思いがけず〞ではなく〝やっぱり〞なのです。
人間は勝手に火山を死火山、休火山、活火山などと分類して平気な顔でそのふところにはいりこみ、それでいてその久しぶりの活動におどろきあわてたりするのです。
自然の力をあなどってはならない。




50年100年ぶりの豪雨、洪水、暑さ、寒さ、地震、津波、噴火



かつての日本の祖先のように



天地(あめつち)は火水(かみ)を崇めよと囁いているように思えます。










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出雲大社神在祭 縁結大祭

2016-11-13 18:19:26 | 日記




目に見える成果の求め方の変化が


アメリカの大統領選

イギリスのユーロ離脱に現れているようです




目に見える成果は


目に見えぬ努力から産まれるもの




目に見えぬ縁を結ぶ伝統


出雲大社神在祭 縁結大祭


神代の昔この日本の国土を開拓され国づくりに励まれ


農業、漁業、医療の神


招福開運、商売繁盛、災難除け


さらには「魂」をつかさどり御守護、お導き下さる幽冥主宰の大神


その御神徳に感謝し、集う八百万の神の伝統


神代の昔よりつづく伝統


出雲大社と伊勢神宮は、両者独自の格式をもち、伝統を伝える



出雲大社のサイトに


結大祭のご案内





出雲大社にお鎮まりになります大国主大神様は、私たちの〝しあわせの縁〟をむすんでくださる神様です。





盃に神の心をくみそえて
                 うながけります事な忘れそ 

遙かな昔、大国主大神様は国づくり・人づくりをなされ、数限りない私たちの祖先に、より良い暮らしをとのさまざまな業(わざ)をお教えになりました。
そして、この国は天照大御神様のご子孫が治められるようにと、国譲り(奉還)なさいました。
この時に、私たちの住んでいる目に見える顕事(あらわにごと)の世界は天照大御神様が、 私たちが授かり生かされるイノチ・タマシイのことなど人智の及ばない目に見えない神事(かみごと)の世界は大国主大神様が分担して治められることになりました。
以来、目に見えない神事(かみごと)の世界を主宰(しゅさい)される大国主大神様は生きとし生けるものの幸栄(さきはえ)のために「むすび」の御霊力をお授けになっております。

その〝おはたらき〟により大国主大神様がお鎮まりになられる出雲大社には、一年に一度全国の神々がお集いになり、さまざまな「縁結」のお話し合いをなされます。




「大国主大神。。。須勢毘賣命。。。大御酒杯取らして。。。即ち、宇伎由比してうながけりて今に至るまで鎮まります」

古事記の一節に登場する一文は、その太古、大国主神と正妻のスセリヒメは酒盃を交わして心が変わらぬことを誓い合ったとされ、三三九度の盃のルーツとも言われています。








2016年の神在祭は、68年ぶりの大きな満月



盃に神の心をくみそえて
                     結ばれていることを忘れないでください 




そう囁いているように思えます








「 伝統を今にいかす 」という言葉に共鳴する人が増えたとき






競争から古への共生への回帰が始まる


















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