図形曼荼羅好きな方 (^O^)/

ラピスラズリの蒼とトルコブルーの重なりに魅かれます。色と形は何かを現わすような気がします。

ベヨネース列岩海底火山 西ノ島海底火山 

2017-05-10 19:55:33 | 日記



ベヨネース列岩は、3 個の烏帽子形の岩礁と数個の小岩礁からなり、海面下約1500m に基底をもつ海底火山のカルデラ(直径8km)の西縁で、玄武岩からなる。1952~1953 年に活動した明神礁(主にデイサイト)はベヨネース列岩の東約10km にあり、比高約300m の円錐状をなし、山頂に直径約600m の火口をもつ後カルデラ火口丘。
玄武岩~デイサイトのSiO2 量は47.6~68.8 wt.% である。
 明神礁とベヨネース列岩の間に直径約8km のカルデラが存在し、その中央に最浅水深372mの中央火口丘がある。
カルデラ底は環状に分布し、水深は1000m を越える。


海上保安庁3月24日〜25日にかけて伊豆諸島から小笠原諸島の周辺海域を上空から観測。その結果、東京から400キロほど離れた明神礁周辺で薄黄緑色に変色した海水域を確認。24日は直径30メートルほどだったが、翌日の観測では変色水域は300メートルほどに広がっていた。

 海保からの報告を受けた気象庁は、小規模な海底噴火が起こる可能性があるとして、噴火警報を発表するとともに、付近を航行する船舶に海上警報を発令した。

 一方、明神礁よりさらに南に位置する、東京から1200キロ以上離れた硫黄島沖の「福徳岡ノ場(ふくとくおかのば)」でも、24日の観測で変色水域が広がっていた。

 福徳岡ノ場は、水深200メートルに山頂が沈む海底火山で、1904年以降、3回噴火して新島を形成したが、そのたびに水没している。最近では2005年7月に起こった海底噴火で、100メートル以上の水柱が噴出、夜間には海中に火花らしいものも観測されたが、この時は島の形成は無かった。



西ノ島火山情報
 2016年8月17日
11月下旬以降は、噴石等を放出する噴火や溶岩の流出は確認されていません。2016年5月頃から地殻変動観測で火口周辺の沈降と考えられる変動がみられており、6月には火山ガスの放出量の低下も確認されています。これらのことから、島内の広い範囲で警戒が必要な噴火が発生する可能性は低下したと考えられます。

2017年4月
1年5カ月ぶりに噴火した小笠原諸島の西之島(東京都小笠原村)では21日、高さ約1000メートルにまで灰色の噴煙が上がり、溶岩流が確認された。海上保安庁によると、海の近くまで流れた溶岩を確認、数十秒間隔で非爆発的な噴火が起きている。また、山の北側に新たな噴火口が開いているという。





大いなる海

大いなる魂

海底火山の噴火

魂の底からの噴出

2016年10大ニュース

1位 トランプ大統領

2位 イギリス国民投票「 EU 」離脱




グローバリゼイションの名の元に一方的価値観に反対する心の底の声


トランプ大統領、EU離脱で解決できるのだろうか


逆の流れを汲むルペン、文氏で解決できるのだろうか



大いなる海は心の底を開拓しろと囁いていないだろうか



海神ポセイドーン、大綿津見神をウィッキで検索すると


海神ポセイドーン

三叉の矛(トリアイナ)を最大の武器とし、これによって大海と大陸を自在に支配する。
これを使えば容易く嵐や津波を引き起こし、大陸をも沈ませることができる上に、万物を木端微塵に砕くことができる。
世界そのものを揺さぶる強大な地震を引き起こすことも可能で、そのあまりの凄まじさに、地球が裂けて冥界が露わになってしまうのではないかと冥王ハーデースが危惧したほどである。
古くはペラスゴイ人に崇拝された大地の神(特に地震を司る)であったと考えられ、異名の1つに「大地を揺らす神」

アトランティス
プラトーンは対話編『クリティアス』の中で、ポセイドーンは伝説の大陸アトランティスを自らの割り当ての地として引き受け、その中心に人間の女たちに生ませた子を住まわせたとしている。アトランティス大陸はリビアとアジアを合わせたよりも巨大であり、幻の金属オリハルコンが産出されるなど地下資源に富んでいた。アトランティスの人々はポセイドーンを崇拝し、ポセイドーン神殿や戦車に跨がるポセイドーン像を金や銀、オリハルコンで建造してはポセイドーンに捧げていた。
しかし、アトランティス原住民と交わり続けたことでアトランティス市民の神性が薄まっていき、堕落の果てには神々を敬わなくなってしまった。これに憤慨したゼウスはオリュンポス山に神々を召集すると、アトランティス大陸を沈めることを知らせた。ゼウスは大雨を降らせてアトランティス大陸を海中に沈ませた。また、ポセイドーンが三叉の矛で大陸を海に引きずり込んだとする説もある。


パイレーツオブカリビアンにポセイドーンの矛がちょうど登場するみたいです



海神ポセイドーンの象徴する意味は


失われたアトランティスの智慧と力





ワタツミ・ワダツミ(海神・綿津見)とは日本神話の海の神のこと、転じて海・海原
豊玉姫命(トヨタマヒメ)、神・大綿津見神(おおわたつみのかみ)の娘。天孫・邇々芸命(ににぎのみこと)が大山津見神の娘木花佐久夜毘売との間にもうけた火遠理命(=山幸彦)と結婚し、鵜茅不合葺命(うがやふきあえず)を生む。

火照命の服従
海神が魚たちを集め、釣針を持っている者はいないかと問うと、赤鯛の喉に引っかかっているとわかった。海神は釣針と鹽盈珠(しおみちのたま)・鹽乾珠(しおひのたま)を火遠理命に差し出し、「この釣針を兄に返す時、『この針は、おぼ針、すす針、貧針、うる針(憂鬱になる針、心が落ち着かなくなる針、貧しくなる針、愚かになる針)』と言いながら、手を後に回して渡しなさい。兄が高い土地に田を作ったらあなたは低い土地に、兄が低い土地に田を作ったらあなたは高い土地に田を作りなさい。兄が攻めて来たら鹽盈珠で溺れさせ、苦しんで許しを請うてきたら鹽乾珠で命を助けなさい」と言った。そして和邇に乗せて送って差し上げた。その和邇は今は佐比持神(さいもちのかみ)という。
火遠理命は海神に言われた通りに釣針を返し、言われた通りに田を作った。海神が水を掌っているので、火照命の田には水が行き渡らず、火照命は貧しくなっていった。さらに火照命が荒々しい心を起こして攻めて来た。すると火遠理命は塩盈珠を出して溺れさせ、火照命が苦しんで許うと、塩乾珠を出して救った。これを繰り返して悩み苦しませると火照命は頭を下げて、火遠理命を昼夜お守りすると言った。


豊玉毘売命は海宮で懐妊したが、天神の子を海の中で産むわけにはいかないとして、陸に上がってきた。浜辺に産屋を作ろうとしたが、茅草がわりの鵜の羽を葺き終えないうちに産気づいたため、産屋に入った。
豊玉毘売命は、「他国の者は子を産む時には本来の姿になる。私も本来の姿で産もうと思うので、絶対に産屋の中を見ないように」と彦火火出見尊に言う。
しかし、火遠理命はその言葉を不思議に思い産屋の中を覗いてしまう。そこに豊玉毘売命が姿を変えた八尋和邇(やひろわに)が腹をつけて蛇のごとくうねっているのを見て恐れて逃げ出した。
豊玉姫は彦火火出見尊に覗かれたことを恥じて、生まれた子を置いて海に帰ってしまう。
その生まれた御子を天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命(あまつひこひこなぎさたけうかやふきあへず)と言う。
しかしその後、火遠理命が覗いたことを恨みながらも、御子を養育するために妹の玉依毘賣を遣わし、託した歌を差し上げ、互いに歌を詠み交わした。

鵜茅不合葺命は、トヨタマヒメの妹・玉依姫神に養育され、後に玉依姫神との間に神倭伊波禮毘古命(=神武天皇)をもうける。


八尋鰐、龍が海神の力と智慧を象徴しています


海幸彦山幸彦の話は、大和と書いてやまと(山人)と読む神話


古への海神の持つ八尋鰐、龍の力と智慧を受け継ぐ神話


神武天皇はその力と智慧を受け継ぐ天皇


海神の力は欠かせぬ力





古への海神の智慧と力は何か



勾玉
日本の縄文時代の遺跡から発見されるものが最も古い。朝鮮半島へも伝播し、紀元前6世紀から3世紀初頭の無文土器時代にアマゾナイト製の勾玉が見られる。縄文時代早期末から前期初頭に滑石や蝋石のものが出現し、縄文中期にはC字形の勾玉が見られ、後期から晩期には複雑化し、材質も多様化する。縄文時代を通じて勾玉の大きさは、比較的小さかった。
弥生時代中期に入ると、前期までの獣形勾玉、緒締形勾玉から洗練された定形勾玉と呼ばれる勾玉が作られ始め、古墳時代頃から威信財とされるようになった。1993年(平成5年)に東京都板橋区四葉遺跡の弥生末期の方形周濠墓から長さ7.4センチメートルのヒスイの勾玉が出土している。
魏志倭人伝によれば、邪馬台国女王の臺與から魏への進貢品に「孔青大句珠二枚(穴が空いて曲がった青い大きな玉2個)」があり、ヒスイ製勾玉であろうと推測されている(進貢時期は248年-266年の間)。
古墳時代前期の古墳から硬玉ヒスイの勾玉が出土することが多い。大阪府和泉市和泉黄金塚古墳では、大小の勾玉が34個も見つかっている。この内にはヒスイの勾玉が26個が含まれている。古墳出土の勾玉の大きなもので3~4センチメートルであるが、1912年発掘の大阪府堺市の塚周り古墳(大山古墳の陪墳か)出土の大勾玉は、長さ約6センチメートルである。
奈良時代には寺院の芯礎に納められたり、仏像の装飾に使用されることはあったが、あくまでも古来の伝世品で、新規に製作されたものではない。
日本本土では、現在まで神社等でお守りとして販売されているが、沖縄ではノロ(祝女)の祭具として使用され、現代もその伝統が受け継がれている。古琉球時代(14世紀 - 16世紀)の遺構からは、玉製以外にも金製や陶製の勾玉が出土している。


八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)は八咫鏡・天叢雲剣と共に三種の神器


銅鏡の前に作られていた鏡岩
松が枯れることにより2000年尾道で見つかった鏡岩
昔、玉の岩の宝珠または太陽、月の光を鏡のように反射させていたと伝えられており、

鏡には神が宿るという信仰の対象であったと言われています。

山陽日日新聞2000年10月29日の記事より







縄文石器には磨製石剣

古への祭儀には祈りをこめ錬磨された石が使われています





先日、町村合併で函館になった南茅部の大船縄文遺跡に行きました

南茅部で発掘された中空土偶は国宝に指定され世界中展示され展示館も作られています。





それとは対照的に史料館の外に300枚を超す石皿が5・6段に重ねられて並べられています

よく見ると一枚一枚に錬磨がほどこされています

石皿の説明には、果実、肉をすりつぶしたと書かれてあります

中空土偶は縄文の時代に装飾された衣装を着ていたことを連想させるものですが

縄文土器に幾何学の連鎖を示す紋様を見ていると珍しく感じないのですが

一方雑然とならべられた石皿は、錬磨した意思を放っていました



南茅部には磨光という地名があり、そこの縄文遺跡にアスファルト工房が見つかっています





錬金術を白魔術とする考え

ヘルメス・トリスメギストス神話の賢者の石




縄文ではなぜ大量の石が錬磨され、スクレイパーが研がれ、土器が練られたのか

石を錬磨し、土器を練ることでみたまを錬磨する

みたまをまことをつくして海山川にささげる


石にみたまが宿り

山や川にみたまが宿る

人は神のわけみたまという感性

縄文の錬磨が、経典や教義が無くても日本の感性として生き続ける

錬磨の魂が融合して新しい形を産出す


古墳に用いられた埴輪、土偶とは違うという定義ですが

土にまことをつくしみたまを練る土器や土偶

埴輪は仁ある人のみたまを練って作られたとすれば同じ系列


仏塔を拝む仏教が春分秋分に祖霊を拝むお盆

神仏習合
日本土着の神祇信仰(神道)と仏教信仰(日本の仏教)が混淆し一つの信仰体系




融合する錬磨の魂が日本の感性


自然や文化と融合する感性



大いなる海 海底火山



大海原の底が象徴する失われた古への神性、智慧と力


その海底火山の噴火がつづく


大いなる心 心の底にある魂の変化





まことをつくす錬磨の道





和をもって貴しとなす



大和のまことの歴史を現わした感性






土、石、海、山、川にまことをつくし、今を生きると囁いているようです













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函館空港遺跡 縄文早期大規模集落

2017-04-26 15:47:36 | 日記



函館空港の滑走路の下にある中野A・B縄文遺跡


縄文早期からの北海道で一番古い700棟以上の住居跡


青森県では三内丸山縄文遺跡が再現される頃


函館では一通りの発掘調査を終えて滑走路に変わります


なんとなくさみしく思っていたのですが、最近夕暮れに訪ねるといつも


車が5・6台停まり夕日に染まる滑走路に降りてくる飛行機の写真を撮影しています。


3kmほどの滑走路のライトアップ


がかがり火のような幻想を与えます







古への神事は夜に行われていたとされています。


縄文儀式の転写とも思えます






中野A・B縄文遺跡の特徴は60万点に及ぶ尖底土器や石器






土器というと煮炊きに使うと思いますが


そのような使い方をされたのは縄文後期


縄文土器のはじまりは、煮炊きに適さない縦長の尖底


尖底土器は有史以前の大切にしていたものへ使用されたのでしょう。



石器として石鏃や不定形スクレイパー類が多くあり、磨製石剣など特異なものもみられる。

また、石冠や半円状扁平打製石器などと共に、住居跡の中からは大型の石皿類の出土が多くみられる






石器とともに暮らし、大切にしていた。



磨きあげた石器からスラウェシ島のクリスを連想します



クリスは神秘的霊力を持ち、持ち主の霊性を守る






霊性を守るために土器や石器を儀式に用いていた



磨いた磨製石器を見ていると






石に心をこめた姿が連想されます



魂をこめた石をもちいると




尾道 岩屋巨石割れ目









金山巨石 岩屋岩陰





石は応えてくれる




それは霊性をとおして宇宙、自然、人がひとつに結ばれた思考がかつて有った。



忘れられた心の底の感性の力を磨く



今ある環境は億千万劫の魂の連鎖から産まれ



そのことに思い巡らすことが縄文では普通のことだった。



過去が連続していることを身の回りに感じることが



失われた霊性を取り戻す道のように感じます。









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象徴るとして務め

2017-04-12 19:54:23 | 日記




象徴としての天皇は、ただ何もせず存在するだけでよいという一般の認識があります


でも象徴として生き抜こうとし、実行している天皇


権力に祀られる魂ではなく、無名のまま散った魂を大切に弔う心


権力ではなく、心の光で祀りごとをする姿



それは古へのスメミオヤ(天皇の祖先)の本当の姿かもしれないと思いました


象徴としての存在が人の心を動かす


スメル(統める)皇




もくもくと象徴の務めに進むお姿に心を向ける人が産まれると良いなと思います









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だました岩戸開け

2017-04-10 19:48:19 | 日記




出したものが帰ってくるのが自然の理


だました岩戸開けはだます神が現れた



言葉を変えると天照大神の大部分は岩戸の中にある

真の岩戸開きはこれから起こる





今は、一部のことを全てと想い押し進めようとする方が目立ちます


その先に見えてくる争い


変化を求めるなら


隠れている部分に想いをめぐらすこと




震災の時に起きた大きな心の変化

時間がたつと忘れてしまう

神の力だけでやれば悲惨なことになるから

気付く時間を与えられていると思うのですが





昔からいわれる、魂を磨くために生きる

輪廻やカルマを思考するのは、魂の力を感じる感性がかつてはあった

魂の感性はお金で潰されたような気がします

お金に関係ないことに目を向けることが魂にむきあう道




一方的主張する人達がいるなか何に目を向けるか




日本の神話は、対なる思考が一方的な思考に変わったことを

イザナギとイザナミの黄泉の比良坂で象徴しています

黄泉の比良坂の岩戸を開けることが対なる思考にいたる

それは死生観を変えると




スサノオを荒ぶる神としていた時代から

破壊と創造を産む現ぶる神とみる視点

震災を創造の視点から観る




国作りの日本の神話は今の時代にも息づいている





ユングは生涯最後の著書に人間と象徴を残しています

1959年ユングのインタビュー放送がはじまりでした。

心理学の専門家ではない大人の人たちが、理解し興味をもてるように本に現わそう

その丁重な要請にユングはNOと答えます。

当時はフロイドの精神分析が主流

無意識をゴミ箱ととらえるフロイドに対しユングは宝の山というほどの違い

集合無意識、神話の元型、夢の象徴、魂の象徴

それらは、未開の人間のものというのが西欧の認識

フロイドに基づくアンドレブルトンのシュールレアリズムは夢や偶然性におもきをおき

自動手記を試みています

無意識が体系的思考のもとに象徴を産出していることとは異なります

現わすことの難しさを充分承知してのNO

ところが、テレビの上映を見たあらゆる階層の人から多くの手紙が寄せられました

さらに、ユング自身が夢に示されます

公共の場に立って多くの人たちに演説をしていた

彼らは熱中して聞き、それを理解する



臨床家や哲学者のためではなく、市井の人たちのために本にする

そうしてできた   「 人間と象徴 」



近代人はその合理性や能率性を持ちながら、自分の制御を超えた“ 原型の力 ”によって抑えられているという事実に気づかずにいる



ブエプロのインディアンは、自分たちは父なる太陽の子であると信じている
その信仰が、生涯を生き通す力となり、魂を育てる



神話は意識的に作りだされたものでない象徴によって成り立っている。

それは自然に生じたものである






一方的な思考が流行する今の世だからこそ


自分の制御を超えた“ 原型の力 ”


神話の力が求められる




古への対なる思考をもつ神話の象徴に目を向ける時と囁いているようです










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自然を定点観察することで産まれる目に見えぬ感性

2017-04-02 13:03:42 | 日記





ミマツダイヤグラム (Mimatsu Diagram) は、昭和18年(1943年)12月28日の活動開始から昭和20年(1945年)9月まで600日余りの日時で、406.9mの昭和新山が誕生していく過程を記録した多数の定点観測スケッチ画をもとに隆起の全過程を、今で言うハンドトレスの手法で一枚の「新山隆起図」にまとめたものである。
北海道有珠郡壮瞥町の郵便局長三松正夫によって作成された。この新火山は1948年(昭和23年)のオスロでの世界火山会議において報告された。そのおりに提出された「新山隆起図」は世界で唯一の火山誕生の記録として評価され、ミマツダイヤグラムと命名された。三松は昭和21年(1946年)に昭和新山を購入、自然保護に当たった。
<ウィキペディア>



昭和新山を定点観測した三松正夫氏に産まれた


自然界の中にある “ なにか ” を感じ取ってください。

火山活動を自然の悪、破壊的なエネルギーと見ない。
悪と思うのはそこに入り込んでいる人間であることを知って、この莫大なエネルギーを人間みなの幸福のために善用し、活用する道を考えてほしい。




昭和45年6月7日昭和新山のみ前にに立ち

新山すなわち神山と感じた

出居清太郎氏






人のこの世の争いを心配、気苦労、見るにみかぬる思いから

新山は、母の母体から子が生まれる如く産まれた

この日、三松正夫氏、壮瞥町長の出席のもと

心の底の魂の開発誓願の祝詞を昭和新山のみ前で奏上しています






目に見える観測より、目に見えぬ神秘に至った 三松正夫氏

目にみえぬ霊感により同じ神秘に至った出居清太郎氏



ともに昭和新山を単なる物見遊山の山としてではなく、


神秘的な誕生の秘密、偉大な自然の象徴として知ってほしいと伝えています。





昭和の時代、その方向性の違いにより悠久和石建立の話の途中で取り違いを生じています。








同じ名の神が到るところに現はれて来るのざぞ、名は同じでも、はたらきは逆なのであるぞ、この二つがそろうて、三つとなるのぞ、三が道ぞ







イザナギ イザナミの黄泉の平坂よりはじまる一方的な思考


今起こっている争いはすべて一方的思考に基づいて起こっています


二つの思考を立体的に道として生きる人がうまれると


道が開ける






立春の朝日を丘の上で拝んでいますと


南の真正面に下弦の月


白く妙なる半月


目に見えぬ世界と目に見えぬ世界の象徴


そんなこと感じました。


昼に鷲の木にある環状列石を訪ねると


縄文の時代富士の姿であった駒が岳のたたえる水を拝見しました。





立春 巨石遺跡を検索すると



金山巨石遺跡に巡り会いました



なんと岩屋岩陰では太陽を定点観測していた



そこには一方的になる前の感性があるように思います。






岩戸閉めの前の姿



黄泉の平坂で菊理姫が囁いた言葉は何か?





カミと神、アカとあか、ヒトと人、ニクと肉、タマと魂のいくさ




己の心を見よ 戦が済んでいるであろうか





我を消し切れているだろうか






神話とともにあったことを古代の遺跡はさし示していないだろうか










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