ひふみ神示 第17巻 地震の巻 / (二曰んの キ) 全十九帖
第十六帖 (三九三)
考えること、意志すること、行為することの根本は、肉体からではない。霊的な内奥の自分からである。この内奥の自分は、神につながっている。故に、自分自身が考え、意志し、行為するのではなく、自分と云うものを通じ、肉体を使って、現実界への営みを神がなし給うているのである。其処に、人が地上に於ける司宰者たる、また、たり得る本質がある。
何を考え、何を思い、何を行為するのか が自然の理法を産む
ひふみ神示 第05巻 地つ巻 / (九二つまき) 全卅六帖には、
第八帖 (一四五)
祓ひせよと申してあることは何もかも借銭なしにする事ぞ。借銭なしとはめぐりなくすることぞ、昔からの借銭は誰にもあるのざぞ、それはらってしまふまでは誰によらず苦しむのぞ、人ばかりでないぞ、家ばかりでないぞ、国には国の借銭あるぞ。世界中借銭なし、何しても大望(たいもう)であるぞ。今度の世界中の戦は世界の借銭なしぞ、世界の大祓ひぞ、神主お祓ひの祝詞(のりと)あげても何にもならんぞ、お祓ひ祝詞は宣(の)るのぞ、今の神主 宣(の)ってないぞ、口先ばかりぞ、祝詞も抜けてゐるぞ。あなはち、しきまきや、くにつ罪、みな抜けて読んでゐるではないか、臣民の心にはきたなく映るであろうが、それは心の鏡くもってゐるからぞ。悪や学にだまされて肝心の祝詞まで骨抜きにしてゐるでないか、これでは世界はきよまらんぞ。祝詞はよむものではないぞ、神前で読めばそれでよいと思うてゐるが、それ丈では何にもならんぞ。宣るのざぞ、いのるのざぞ、なりきるのざぞ、とけきるのざぞ、神主ばかりでないぞ、皆心得ておけよ、神のことは神主に、仏は坊主にと申してゐること根本の大間違ひぞ。九月十九日、ひつ九の 。
人には各々のカルマがあり
そのカルマに向き合って
宣るのざぞ、いのるのざぞ、なりきるのざぞ、とけきるのざぞ、
アクウェリアスの時代はとけきる時代
ひふみ神示 第02巻 下つ巻(四百つまき)
第四帖 (四六)
早く皆のものに知らして呉れよ、神急けるぞ。お山の宮も五十九の岩で作らせておいたのに、まだ気が附かんか、それを見ても神が使ってさして居ること、よく分かるであろうが、それで素直に神の申すこと聞いて呉れて我(が)を出すなと申してゐるのぞ、何事も神にまかせて取越し苦労するなよ、我が無くてもならず、我があってもならず、
岡本天明氏と同じく誠の神を求めた出居清太郎氏は
欲があってもならず、なくてもならず、うすくするのが大切と話しています。
現代の思考は西欧の自己主張することを基盤としています
その欲望の中で欲をうす~くして徳をつむことが
心の洗濯
魂を磨くこと
心理学のフロイドはリビドー(性的エネルギー)を昇華することが
心のバランスを保つ秘訣だとしています。
ユングは生きるエネルギーは魂の欲を受け取ることと、説いています。
シュールレアリズムが全ての事象にリビドーを通じて解釈したように
アクウェリアスの時代とは、魂の欲求を通じて解釈する時代のように感じます。
神々のカルマと向き合う魂を生き生きと描いたギリシア神話
太陽と向き合うことで魂と向き合う太陽信仰
歴史は今と向き合うツールを残していて
全ては一二三の理法から産み出だされている
明治天皇の詩に
みがかずば玉の光は出でざらむ 人の心もかくこそあるらむ
生きることは魂を磨くことであると
お釈迦様が初めて説いた初転法輪に
苦は「知り尽くすべきもの」(遍知)
苦の原因は「滅するべきもの」(滅除)
苦の滅は「実現すべきもの」(成就)
苦の滅を実現する道は「実践すべきもの」(修習)
と苦しみから説いたのは
この世は、苦労することにより魂が磨かれる
自我の主張する、うれしいこと楽しいことは
人生のほんの一部
心の底の魂は磨かれること
ヤスリである苦を臨んでいるからなのでしょう。
出居清太郎氏は敬霊氣の中で
午前十時の陽あたりが午後三時までは続かない。いずれは日陰になる。午後三時には、それまで陽かげであった処が陽あたりの場となる。これが自然のいつわりなき不断の廻転である。人はこの悠久不変の法則の下にあり、その変化の中に活かされているのだ。
あがった相場は必ず下がるし、下がった相場もいつかまた上がる。あがりっ放し、下がりっ放しということはない。
これは人生にもあてはまる。幸、不幸、運、不運というが、頂点と谷底との間隔が人の一生より長いということはない。せいぜい十年前後である。上がっても下がっても、じっと真捧する。それが変化に処する道である。人はこの僅かの間の真捧をしかねる。この真捧のできる人とできない人、ここに人のねうちが生ずる。
天地自然の一二三の法則は真捧が魂の心棒になる。
心の洗濯を重ね重ね示している日月神示の第1帖には
己の心を見よ、戦が済んでいないであろ、それで戦が済むと思うてゐるとは、あきれたものぞ、早く掃除せぬと間に合わん、何より掃除が第一。さびしさは人のみかは、神は幾万倍ぞ、さびしさ越へて時を待つ。
それは命の親からの視点のなのでしょう
物を得ることを成功と考える社会の中で
各々が何を掃除できるでしょうか
利害とは別に他を生かす、言葉と心と行いがあるでしょうか
明日は陽の満ちる夏至
魂に陽をあてて
陰への切り替え準備をいたしますか