図形曼荼羅好きな方 (^O^)/

ラピスラズリの蒼とトルコブルーの重なりに魅かれます。色と形は何かを現わすような気がします。

谷地山からのプレゼント

2020-08-20 12:59:48 | 日記



車で30分くらいの谷地山牧場


盆地の回りの外光が少なく6月より天の川撮影出来る日を待っていました。


6月末以来星の撮影に向かない雲が多く、久しぶりの天の川撮影


昨日、ブログをアップして空を見ると久ぶりに南の空の星が輝いるので


雨で荒れた林道を慎重に走り、撮影してきました。


薄曇りの影響はありますが、久しぶりに晴れ渡る空


人の評価とは別に自然が応えてくれたような気持ちになります(単なる偶然?)


精霊の気を湧きあげる天の川 そんな視点もありそうな




次は旧暦お盆 9月2日にいにしへに結ばれるイメージを想定しています









コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いにしへのからの

2020-08-19 19:38:43 | 日記


遠く長野県霧ヶ峰の透明な黒曜石の石鏃




厚い曇り空が続き撮影できないので、函館博物館での縄文展を見学


道南の縄文遺跡から発掘されたものが主に展示されていました。


千代の富士の出身地である福島町から発掘された石鏃に何か魅かれました






200キロ以上ある土地より手にした透明な石鏃


貴重なものとして何に使われたのだろう?


礼砲が鳴らされるように


最新の道具として祭儀に用いられたのか





道南の縄文遺跡から発掘される糸魚川産のヒスイ








勾玉の信仰は縄文より






新潟や秋田で精製されたアスファルトが道南の色々な縄文遺跡で石器の接着剤として使用


様々の交易があったことが示されています。




編布(あんぎん)とは、からむし・あかそ・大麻などからとった植物繊維を素材とする日本最古の布で、各地の縄文遺跡からも出土しています。


縄文人が毛皮ではなく布の服を着ていたらしいことを明らかにした尾関清子さん


講師時代に素朴で単純だと思っていた縄文時代の布を見て、
さまざまな方法で編まれていることに気がつきます。
縄文布に魅了されて30年以上も編布(あんぎん)の研究を続け
50代後半から80代までの間、尾関清子さんは北海道から九州まで22道県の
遺跡165ヶ所から出土された縄文土器などの網目模様を分析
網目模様から糸のよりかたを調べ、判らなければ自分で編んで徹底的に検証
尾関清子さんは縄文時代の布文化について掘り下げ、著書も出版
2017年9月には「縄文の布ー日本列島布文化の起源と特質」の博士論文を提出して評価を受けた。
縄文布についての博士号の授与は国内では初めてだそうです。
また88歳での博士号取得も国内で最高齢です。



インドでは古くから綿が栽培され、モヘンジョ・ダロの遺跡からは紀元前2500年-同1500年の綿布が発見されている



紀元前10,000年にエジプトでは既に麻が栽培され、麻布が造られていました。 紀元前2,000年にはエジプト王の墓に、麻栽培についての壁画もあり、
またエジプトのミイラが麻布で包まれていることも確認されています。



いにしへとは現代の人の考えより


色々な点で豊かではないか?




縄文時代の祭儀道具として石刀、石棒

ピンがあまくなりましたが








その基部に刻まれた幾何学的線刻




祭儀により産まれるイメージを土器の文様としたのでは







有史に残された釈迦や孔子の言葉は


いにしへは、眼に見えぬものを求めていたことを伝えていないか



苦行では悟りは開けぬという言葉は


いにしへには眼に見えぬものを求め行が行われていた


祖霊を祀ることにより北極星をまわるごとく政り事ができる


いにしへには眼に見えぬ祖霊が八佾の舞で祀られていた




いにしへの遺物から失われたイメージを思い巡らすこともよきことでは







コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

悠久をたずねる

2020-08-04 17:58:14 | 日記



日本で一番古いお墓と環状列石が発掘された丘















その対称方向に灯明岳が二つあり



その一つ 灯明岳の夕陽


丘の方角からは逆光なのでフィルターなしで撮影すると暗くなりました


旧暦お盆の日に、日の入りの方角が灯明岳と重なりそうです


なにげなく反対側の灯明岳を見ると満月







12月の新月前後がちょうど月の昇る方向と思っていたのですが



7月の満月が昇る方角のようです



今年は過ぎてしまったので来年まで待つしかないようです



色々と想定して遺跡を訪ねると意外な画像が撮影されることがあります。




都を作るには東西南北の風水をみて作るのがあたりまえだった時代



その感性は、有史以前より続く感性があるように想えてなりません
















コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする