図形曼荼羅好きな方 (^O^)/

ラピスラズリの蒼とトルコブルーの重なりに魅かれます。色と形は何かを現わすような気がします。

日の周り月の周り

2010-10-24 16:48:30 | 日記

満月や新月、春分夏至秋分の周期でブログをアップしようと考えていました。
でも、継続するのは大変なことだと感じつつあります。
アップするまでに画像と向き合うこも必要かな。
今回は、日のひびき 月のひびきでアップした画像になにか不足を感じていたところを修正しました。
同じ画像で物足りなさを感じる方には、申し訳ありません。

日と月の周期を想い運び行くことで虹色の何かが生まれるといいな。
そんな感じを加えたいのです。

五十黙示録 第一巻 扶桑之巻 第十帖(抜粋)
何事が起って来ても先づ喜んで迎へねばならんぞ、近づいてくるのは呼びよせたからぢや、
それは皆己の心のうつしでないか。
内に無いものが外から近よる道理ないのぢや、
何事も一段づゝ、一歩づつぢや、一足飛びは大怪我のもと

このごろは、一二三神示のこの言葉の意味を暮らしの中でもブログでも非常に感じております。

何事も時間に追われてするのではなく、歩みは遅くとも大切に行っていきたいです。
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カゴメ歌

2010-10-10 15:58:47 | 日記
カゴメ歌

かごめかごめ 籠の中の鳥は いついつ出やる 夜明けの晩に 鶴と亀が滑った後
ろの正面だあれ?

江戸以前から歌詞が少しづつ変わって来ていますが、歌の意味がわからなくて
も、誰でもが覚えています。
今の子供は知らないのかな?

夜明けの晩を夜明け前、後ろの正面を真後ろとなんとなく思ったりします。
でも、夜明けは太陽がの昇る時、晩は太陽が沈んでいる逆の時です。
後ろと正面は反対の意味です。
籠の目は六芒星の積み重なった構造をしています。
また六芒星は、三角形が二面で構成されています。
二面性は様々な存在の象徴。
籠の鳥の周りを回るということは、、六芒星が回転した。
正反対に六芒星が回転した。

六芒星は眼に見える世界と眼に見えぬ世界を結びます。
後ろの正面とは、眼に見えぬ世界の正面を暗示させます。
眼に見えぬ世界の正面が変わった。

今まで、六芒星をよく使うのは、魔方陣の儀式です。
今の時代スピリチャルの世界でもよく使われていますね。
ただ、我良しの想いですと魔につながります。
666は悪魔の数字というのが、これまでの一般的な認識とされています。

鶴は千年、亀は万年。千年ごとに東洋と西洋の眼に見える文化の反転があり、
一万年ごとに眼に見えぬ世界の入り口が天界から魔界に変ったとしたら?

現在は、宗教が日常の価値観から乖離し、天に神を求めるキリスト教とイス
ラム教や自国の利益を求める国が、政治を動かしています。
どちらも自分の外の世界に自らの利益を求めて衝突しています。
それは、眼に見えぬ世界の入り口が魔界であれば、形ある物や外の世界の天
に神や利益を求める必要がありました。
では、眼に見えぬ世界の入り口が天界であれば、自らの内に神を求め宝を得
ることができます。

もし、自の内に神を求められるなら他者を支配しようとするでしょうか。


一二三神示富士(二二)の巻では、
第九帖 (八九)
 神界は七つに分かれてゐるぞ、天つ国三つ、地(つち)の国三つ、その間
に一つ、天国が上中下の三段、地国も上中下の三段、中界(ちうかい)の七
つぞ、その一つ一つがまた七つに分かれてゐるのぞ、その一つがまた七つず
つに分れてゐるぞ。
今の世は地獄の二段目ぞ、まだ一段下あるぞ、一度はそこまで下がるのぞ、
地獄の三段目に入ることの表(おもて)は一番の天国に通ずることぞ、神の
まことの姿と悪の見られんさまと、ハッキリ出て来るのぞ、神と獣と分ける
と申してあるのはこのことぞ。何事も洗濯第一。八月の十八日、 の一二 。

一二三神示では、外ではなく自らの心の洗濯が別れ道と、重ね重ね書かれています。

眼にみえぬ世界の結びが地獄から天国に変わるとしたら、カゴメ歌は現代版の神話だと思いませんか。


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