図形曼荼羅好きな方 (^O^)/

ラピスラズリの蒼とトルコブルーの重なりに魅かれます。色と形は何かを現わすような気がします。

伝統を今にいかす

2016-10-31 10:45:31 | 日記















三笠宮崇仁親王の御逝去

フィリピンドゥテルテ大統領の会見中止

陛下のメッセージ「大統領の日本での滞在が実り多いものであったことを希望します」

ドゥテルテ大統領「神に誓ってののしる言葉は使わない」


偶然とは必然


陛下の誠実な言葉と


ドゥテルテ大統領の誠実な言葉


神を感じたのは、ドゥテルテ大統領の感性


そこに目に見えぬ誠の因果がある





三笠宮崇仁親王は、幾つもの大学でオリエント史の教壇に立たれ、日本オリエント学会の会長を務めるほど歴史学に興味をお持ちでした。


ヘブライ語も非常に興味を持っておられました。


みずから総裁を務めていた「中近東文化センター」の研究拠点として、1998年に古代遺跡が点在するトルコ中部に「アナトリア考古学研究所」を設立されました。


戦後、紀元節の復活が具体的になってくると、神武天皇の即位は神話であり史実ではないとして強く批判し、積極的に復活反対の論陣を張った。


史実として解明し、文化遺産をいかに次世代へひきついでいくべきかを実践したところが


アナトリア


ヘブライ語を研究している方から聞いたことですが


シュメールからオリエントに菊の紋章が王の紋章として有ること


ヘブライ語と日本語に多くの同じ音の言葉が有ること


三笠宮様が御存じであると。


 アナトリアの史実から、その文化を育てるお心をお持ちだったのでしょう。


誠実に今なにができるか求めた姿



陛下が外国の方と会見した姿が外国では評判になっています。






海外の反応「これが日本との差だ!」 皇居で行われたご会見の光景にアラブ社会が衝撃







シンプルなデザインとシンプルな誠意



大きな感動を産む








みたまを不断に磨いて一筋の誠を通して呉れよ。

いま一苦労あるが、この苦労は身魂をみがいて居らぬと越せぬ、




日月神示











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象徴としてのお務め

2016-10-16 14:46:31 | 日記





そのおことばをすなおになぞると




伝統の継承者として,これを守り続ける責任に深く思いを致し,更に日々新たになる日本と世界の中にあって,
日本の皇室が,いかに伝統を現代に生かし,いきいきとして社会に内在し,人々の期待に応えていくかを考えつつ,今日に至っています。


天皇が象徴であると共に,国民統合の象徴としての役割を果たすためには,天皇が国民に,天皇という象徴の立場への理解を求めると共に,天皇もまた,自らのありように深く心し,国民に対する理解を深め,常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました。こうした意味において,日本の各地,とりわけ遠隔の地や島々への旅も,私は天皇の象徴的行為として,大切なものと感じて来ました。皇太子の時代も含め,これまで私が皇后と共に行って来たほぼ全国に及ぶ旅は,国内のどこにおいても,その地域を愛し,その共同体を地道に支える市井の人々のあることを私に認識させ,私がこの認識をもって,天皇として大切な,国民を思い,国民のために祈るという務めを,人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは,幸せなことでした。




その想いは、いかに伝統を現代に生かすか




天皇の終焉に当たっては,重い殯(もがり)の行事が連日ほぼ2ヶ月にわたって続き,その後葬儀に関連する行事が,1年間続きます。
その様々な行事と,新時代に関わる諸行事が同時に進行することから,行事に関わる人々,とりわけ残される家族は,非常に厳しい状況下に置かれざるを得ません。


(もがり)とは、日本の古代に行われていた葬儀儀礼で、死者を本葬するまでのかなり長い期間、棺に遺体を仮安置し、別れを惜しみ、死者の霊魂を畏れ、かつ慰め、死者の復活を願いつつも遺体の腐敗・白骨化などの物理的変化を確認することにより、死者の最終的な「死」を確認すること。
その棺を安置する場所をも指すことがある。殯の期間に遺体を安置した建物を「殯宮」(「もがりのみや」、『万葉集』では「あらきのみや」)という。





巷では、生前退位が取り上げられていますが





皇室の伝統として死者を大切に弔うお心の現れと思えます。





2012年(平成24年)4月26日、宮内庁は、天皇や皇后が崩御した際の埋葬方法を、今上天皇(明仁)および皇后(美智子)の意向により、旧来の土葬から火葬に変える方針で検討すると発表。翌2013年(平成25年)11月14日、宮内庁は今上天皇及び皇后美智子の埋葬法を正式に火葬にて行うと発表。合わせて二人の陵を一体的に整備する事で従来の陵より小さく作る事も発表した。(当初は天皇と皇后を一緒に埋葬する合葬も視野にいれ検討されたが、正式決定時には二人の陵を寄り添う形で作ると定められた)これにより、江戸時代初期から350年以上続いてきた天皇・皇后の葬儀と埋葬方法は今上天皇の代では大きく変わることとなった





現代にいかに伝統を現わすか考えてのことなのでしょう。





重い殯が二カ月、葬儀の行事が一年の伝統





それは、魂の中心に死者の魂を結ぶ儀式





神里に作られた敬霊塔










重き魂の連なりの中心に楔を打つように連なる魂





神里を作られた出居清太郎氏



祈りの言葉





ひかりあまねきうつしよにかみのことしてうませたまう


このことはりをいまここにこころのそこよりさとりつつ


おおみこころにもとづきてけふいちにちをはらひたまえきよめたまひ






皇心に基づきて今日一日を祓いたまえ清めたまえ





天皇がスメラミコト(統べる帝)となる伝統を現わしているように思えます。





























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造形のちから

2016-10-04 12:15:09 | 日記



語る抽象画展では色々な形の抽象画が展示されていました。


Narative Abstract Art 3

抽象画の物語  第3回























展示には、各々のNarative History 物語の歴史が有るのだろう


各々の違いはどういう点にあるのだろう


そんなことを想っていたところ






インドネシアの神秘の武器という展示が上野博物館であり


クリスは神秘的霊力を持ち主の男性の守護するものであり、象徴である

という一文に魅かれました。
















形に現われるものは、霊性であり


白紙の曼荼羅に各々の色を塗り込むこと


各々のHistoryが色や形を産むのかなと思いました。









西伊豆の達磨山まで足を延ばし捧誠会御霊所












この建築を設計した内井 昭蔵氏


内井 昭蔵は、東京都出身の日本の建築家。博士。

第二次世界大戦後の日本建築史を代表する建築家の一人である 。 ウィキペディア

設計: 世田谷美術館、 サンリツ服部美術館、 浦添市美術館、 皇居・吹上御苑


神里建築後の雑誌に載せた文に


心の建築    
                   
内井 昭蔵

宗教的な建築はこれまでも比較的多く設計する機会に恵まれてきたが、今回の場合ほど、建築空間が直接人びとの心や魂に触れ、精神を高める力があるといった実感をもったことはなかった、正確にいえば、建築空間をつくる過程や、空間に付随している環境、すなわち風景や樹林、音楽、人間の姿立ち振る舞いなど空間を取り巻く諸要素が、ひとつの焦点を中心に高めることができるという手応えを得ることができた。

広場の東側の隅には、稲田石の11mの敬霊塔が建てられている、制作は彫刻家関根伸夫氏に依頼した。モチーフは曼荼羅である。
火・風・水などを象徴する幾何学的図形をレリーフ状にして、塔の頂には日輪を置いた。














この神里の建築を管理されている小林さんと親しく交流させていただき


「この神里でイベントをしたいです」という言葉を戴いてきました。




一週間東京にいて、色々な土地、色々な方と交流することができました。



ACTの記帖にアドレスを書かれた方には、取り込んだメールがくる予定になっていますのでお礼の連絡をしたいと思っています。


















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