図形曼荼羅好きな方 (^O^)/

ラピスラズリの蒼とトルコブルーの重なりに魅かれます。色と形は何かを現わすような気がします。

大森勝山環状列石と赤倉山霊場

2020-06-26 18:14:45 | 日記


岩木山周遊道路を山のすそ野の方へ曲がると大森勝山環状列石があり

岩木山の方へ曲がると赤倉山登山道があります


津軽平野の中央にそびえる岩木山。別名、津軽富士とも言われるこの山は岩木山・鳥海山・厳鬼山(岩鬼山)の3つの峰からなり、厳鬼山は別名赤倉山とも言われます。


赤倉信仰は、岩木山三峰のなかの一峰・岩鬼山を赤倉山と異称する信仰である。岩鬼山=赤倉山の神を、特に「赤倉大神」と呼んでいる。
なぜ「赤倉」かというと、岩鬼山の北東斜面に「太陽に照り映える赤肌の断崖」があるゆえだ。
小館衷三『岩木山信仰史』。


大石神社を入り口とする赤倉山霊場



下る赤龍と昇る黒龍






赤倉霊場は28ものお堂がある津軽の巫者の聖地











イタコは恐山と思ってたのですが


津軽の巫者にはイタコとカミサマの2つあることを初めて知りました


東北地方では、地域によってイタコとカミサマの呼び名が異なっているようです。



青森県:イタコ カミサマ(ゴミソやオガミヤと呼ばれる事もあるらしい)
岩手県:イタコ カミサン
山形県最上・村山地方:オナカマ カミサマ(ハヤリガミサマ)
福島県会津地方:ワカ カミサマ
宮城県:オガミサマ(オカミン) カミサマ(ハヤリガミサマ)



厳鬼山(岩鬼山)が赤倉山と呼ばれ中世以前から修験場であることは


伏せられた何かが





先に大森勝山環状列石を訪ねたのですが

遺跡保存のための工事中でした





遺跡の回りには今でも大小のクリの木があり

北海道、東北の縄文遺跡の回りには多くのクリの木が残っているような気がします


環状列石を訪ねる時は何となくグルグル回りたくなります


何回か回っていると輝石安山岩とされる環状列石の所々に赤い石が有ります









岩鬼山が赤倉山


環状列石と赤倉山を結ぶ途中にある赤倉山霊場







工事中でも環状列石が、祈りを今も何かを伝えているような






蝦夷(えみし)を鬼と呼んだ中央権力者


蝦夷を開拓するために征夷大将軍となった坂上田村麻呂





征夷大将軍の勝利を祈願した空海



右はじが坂上田村麻呂像  左の黒衣が空海像



蝦夷の地に蝦夷と戦った人が祀られている不思議を感じます


坂上田村麻呂は蝦夷の長 アテルイを蝦夷に戻し朝廷の配下となることを進言するが


公卿の反対で斬られた


自らが建てた清水寺に「北天の雄 阿弖流為母禮之碑」を建てる




そんな大森勝山環状列石は、いにしへからの「カミサマ」とはと想いをめぐらしたくなるところでした。












夏至の朝日、夕陽、天の川を岩木山で撮影してみようと思ったのですが


雲に隠れて、岩木山のことをもっと知りなさいと言われたような


ただ一筋の光はあったような









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空に描かれる

2020-06-19 09:54:54 | 日記
サンタロナカセ海岸の天の川




遺跡のある方角から、朝日、夕陽、天の川を撮影していて


環状列石で検索していると


岩木山の麓にある大森勝山環状列石遺跡で冬至に岩木山に夕陽が沈むとあります


岩木山には周遊道路があるので夏至の日も何かが有りそう


明日から青森へ行ってみようと思ってます。



東北北海道の縄文遺跡を世界遺産に推進する運動があり


一つの文化が有ったとされるのですが


祈りの形を探してみようかと





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空に描かれた

2020-06-13 14:42:56 | 日記




久しぶりに刻々と変わる雲の撮影ができました



初めは空を半分に分け流れるような形







流れる雲がはじける意思をもつような












水の中を泳ぐ双頭の龍のような











夕陽に羽ばたく鳳凰のように














昨日は、午前から天の川の撮影に良い外光のない盆地へ行く林道を探していたのですが


車高の低い車なので川に阻まれ一度諦めて別の場所へ


気を取り直し、南から東へ延びる天の川想定し


南東の岬の行き止まりで良さそうな所を見つけました


夕方、家に戻り時間が有るので林道の検索をしてみると


行き止まりと戻った道の入り口がちょっと手前にあるのがわかり


再度挑戦


午前中の道よりずっと走りやすく目的の場所へ


順調に辿りついたら


ゲートが閉められてる


日中は開いているか確認するしかなさそうです


その帰り道 いつも空港縄文遺跡から撮影するあたりで日暮れに良さそうな雲がでています


雲が大きくなりそうなので、奥のポイントから撮影



一日の努力を祝ってくれるような雲の撮影ができました。



そういえば林道ではあちこちでカラスアゲハやキベリタテハが舞っていて


南東の岬では珍しい渡る蝶アサギマダラが4匹も舞っていました。


日中なのに鹿に3回、キツネには10回以上遭遇




今日は下弦の月


占星術では、下弦から新月に向かって月がどんどんと細くなっていく期間は、自分の内面と深く向き合うべき時期とされています。
地に足がついた行動を心がけて、自分の内面を磨くのがよいでしょう。
また、被害を拡大したくない問題を処理するならこの時期がいいとされているそうです。





結果にとらわれず、次の準備をしましようと言われたような気がします





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ミネアポリス  水の豊かな都市

2020-06-05 10:35:58 | 日記



ウィキペディアによると

ミネアポリスの市名はダコタ族の言葉で「水」を意味するmniとギリシア語で「都市」を意味するpolisとを組み合わせてつけられた。
その名が示す通り市には水が豊富で、市域内に20の湖を持ち、ミシシッピ川や多数の小川が流れ、滝が形成されている。

この地にはネイティブ・アメリカンのスー族の一派、ダコタ族のみが住み着いていた。

ミネアポリスはミシシッピ川唯一の滝であるセント・アンソニー滝の周囲に発展した。もともと水力は紀元前1世紀から粉挽きに使われていたが、とりわけ1880年から1930年にかけてのミネアポリスは、市がthe greatest direct-drive waterpower center the world has ever seen.(世界史上最大の直接水力の中心地)と呼ばれ得るほどの特筆すべきものであった。また初期においては、ミネソタ州北部の森林地帯から材木を得て、滝の水力を利用した製材所で加工したことにより、製材業が発展した。1871年頃、ミシシッピ川の西岸には製粉、綿織物、毛織物、製鉄、鉄道機械、製紙、肩帯、木材加工といったさまざまな産業が興った



ポリスの武力で水の力が湧き出る地に暴動が湧き出る



水は恵みをもたらすが災害ももたらす



ミネアポリスの暴動は権力を傘に着る武力と感情にまかせた武力



香港のポリスと民衆でも構図は同じ



結果は異なりますが武力を行使する権力と個の争い



異なる結果の状況ですが



武力による制圧のプロセスに世界に一つの意思が産まれそうです





武帝(ぶてい)は、中国の皇帝の諡号の一つ。


武力を以って国土を広げた皇帝や戦乱を平定した皇帝


その中で一番の前漢の武帝

武帝の治世の前期は漢の最盛期であり、中国史上において栄光の時代の一つでもあった。しかし、文景の治による蓄積によっての繁栄であるという見方もある。
外交や遠征などの派手な事業については特筆すべき事柄が多いが、内政に関しては、地道な政治を後手に回していたきらいがあり、治世末には農民反乱が頻発した。このため、後世は秦の始皇帝と並び「大事業で民衆を疲弊させた君主」の代表例として、しばしば引き合いに出されることとなる。


次に西晋の武帝

魏から禅譲を受けて晋を建て、さらに呉を滅ぼして、分裂状態が続いていた中国をおよそ100年ぶりに統一した。
しかし統一後は政治への興味を失い、後の八王の乱の遠因を作った
統一以前の泰始9年(273年)7月には、詔勅をもって女子の婚姻を暫時禁止し、自分の後宮に入れるための女子を5千人選んだ。さらに呉を滅亡させた後の太康2年(281年)3月には、呉の皇帝であった孫皓の後宮の5千人を自らの後宮に入れた。合計1万人もの宮女を収容した広大な後宮を、司馬炎は毎夜、羊に引かせた車に乗って回った。
太康5年(284年)以降は天災が相次ぎ、日食もしばしば起きて人心は荒廃した。


三国時代の魏の武帝

三国時代の魏の基礎を作った。
『三国志演義』では敵役・悪役として設定される。
権力者の都合により評価が逆転する皇帝


梁の武帝

侯景乱により幽閉された武帝は、食事も満足に与えられなかった。
憂憤のうちに病気になり、蜜を求めたが与えられず、失意のうちに死んだ。




武力を行使することの危うさは歴史が示していますが


国の権力者の都合で力を使う


そんな世相に流れないよう祈りたいですね




儒教が国教となった前漢以来、儒教のモラルに疲れた時



老荘思想を思い出していたようです



陰陽のバランスを失うときは



無為自然



ムイの島にかかる天の川










星の数ほど命があると思えます






5月に金星、木星、土星、冥王星の逆行が始まっているようです


地球から見ると惑星が逆に進んでいるように見える


6月と9月に6惑星が逆行する時期があるようです





3.11の原発事故


新型コロナウィルス パンデミック


ミネアポリスの暴動





災害は人と自然が起こす




それは地上からすると逆行しているようの見えても



自然の運行をしているのかもしれない



それはタオでもあり古神道の道なのかもしれない



命の源を求めるさまざまな道




武漢もミネアポリスも地名が夢のように何かを象徴しているように思われてなりません












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