図形曼荼羅好きな方 (^O^)/

ラピスラズリの蒼とトルコブルーの重なりに魅かれます。色と形は何かを現わすような気がします。

立春の巨石遺跡

2017-03-28 20:20:47 | 日記




立春の日、なにげなく 

立春の日 巨石遺跡を検索すると

 古代天体観測装置
 金山巨石群
http://mysteryspot.main.jp/mysteryspot/kanayama/kanayama.htm





まえがき

岐阜県下呂市金山町の岩屋ダムの近くに世界的に有名な巨石群がある。
ある意味、日本国内よりも、海外の方が、この巨石群のことをよく知っている。
それは、この巨石群が古代の天体観測装置であるが故である。
日本の考古学者をはじめとするアカデミズムは、これを認めていない。縄文時代に高度な文明があっては都合が悪いらしい。
しかし、海外の学者には、そのような偏見はなく、事実を事実として認める。
よって、世界中から研究者がこの巨石群を訪れているのに、日本人は知らないというような状況になるのである。









春分と秋分に太陽が西の山に沈む前、岩屋岩蔭の巨石隙間を光が通り抜ける。春分のアナレンマを合成。

線刻のある巨石群の岩屋の中に形成される点線状の光】Photograph 2015.5.23



金山巨石群の春夏秋冬
http://nukumorinosato.com/kankou/kanayamakyosekigun/kyosekiphoto/





















金山巨石群

http://www.hoshitabi.com/kanayama/index.html






山巨石群の岩屋岩蔭遺跡巨石群(妙見神社)

岩屋妙見神社
「妙見神社(岩屋神社)」は、 下呂市金山町祖師野にある祖師野八幡宮の飛地境内。岩屋岩蔭遺跡の洞穴に社殿が残り、 祭神は天常立神 (一説には国常立神)で、祖師野八幡宮に合祀されている。
金山巨石群では、太陽や北斗七星などの天文観測とともに、 自然崇拝として 太陽信仰と北辰信仰が行われていたことがうかがえる。

妙見神社(みょうけんじんじゃ)は各地に鎮座する神社。
祭神は、天之御中主神、北極星

調査研究と観光
金山巨石群調査資料室は、 金山巨石群周辺調査委員会(1998年設立)の調査活動を引き継ぎ、金山巨石群と太陽運行との関連を調査する民間研究室。
平成22年(2010年)に、うるう年を正確に測定していたとする研究成果を発表。
平成25年(2013年)には、多数の小石が約40年前に岩屋岩蔭遺跡から採取されていたことが明らかになり、 その中には1万2千年前の石器(有舌尖頭器)などが見つかっている。 小石は遺跡内に射し込む太陽光の形・大きさが一致し、 うるう年の判定のために使われたものと調査を続けている。


妙見神社(みょうけんじんじゃ)は各地に鎮座する神社。


祭神は、天之御中主神、北極星。



冬至の日(を挟む霜降から雨水まで)、線刻石のある巨石群・B石とB'石の隙間に射し込む夕日。







金山巨石群から見た正午のアナレンマ図。
夏至の太陽高度が78°、冬至の太陽高度が31°を示す。







金山巨石群の太陽カレンダー
毎正時のアナレンマ図に金山巨石群の
主な観測日時の太陽位置を示す。







アナレンマと二十四節気の中気
アナレンマ とは、観測点の同じ場所から同じ時刻の太陽を1年間重ね撮りをした場合の形が8の字を描くことをいう。
8の字の形に二十四節気の中気を重ねると、 太陽高度(赤緯のこと)は夏至と冬至の丁度中間に、春分と秋分が位置する。 さらに、夏至と春分・秋分の丁度中間に穀雨と処暑があり、春分・秋分と冬至の丁度中間に雨水と霜降がある。(右下の図)
この図を「ものさし」として、金山巨石群に配置された太陽観測ポイントで観測シミュレーションを行う。


閏年の観測
2013年2月に40年前に岩屋岩蔭から見つかっていたのがわかった「白い小石」は、測定石に当たるスポット光と同じ形で、 10月15日に当たる太陽光の大きさが4年に1度だけ小石より大きくなるという。
さらに4年毎の位置はすこしづつずれることがわかり、132年に1回うるう年を省けば、現在の太陽暦より高精度な修正ができる、という結論を導き出した。






マヤカレンダー
マヤの人々は天体観測に優れ、非常に精密な暦を持っていたとみられている。1つは、一周期を260日(13の係数と20の日の組み合わせ)とするツォルキンと呼ばれるカレンダーで、宗教的、儀礼的な役割を果たしていた。もう1つは、1年(1トゥン)を360日(20日の18ヶ月)とし、その年の最後に5日のワイエブ月(ウェヤブ)を追加することで365日とする、
ハアブと呼ばれる太陽暦のカレンダーである。
ワイエブ月を除いたハアブ暦(360日)とツォルキン暦(260日)の組み合わせが約13年(13トゥン)ごとに一巡する。これをベースとして4サイクルの約52年を周期とする。この他、より大きな周期のカレンダーも複数存在していた。このようなカレンダーの周期のことをカレンダー・ラウンド(rueda calendárica)という。
また、紀元前3114年に置かれた基準日からの経過日数で表された、長期暦(ロング=カウント;Long Count)と呼ばれるカレンダーも使われていた。
石碑、記念碑、王墓の壁画などに描かれていて、年代決定の良い史料となっている。この暦は次のように構成されている。




マヤカレンダーが示すものは

修正法は諸説ありますが

古へより天体を観測することでカレンダーを修正していた

13と20の周期が織りなす260の象徴を受け止め暮らしていた







金山巨石遺跡で古への人は



太陽や天体を定点で観測することで




目に見えぬ大いなる力の象徴として受け止めて暮らしていた





無限を示す8の字の妙なる運行







カルナック列石にみられるように








巨石に対して目に見えぬ何かを感じていたからこそ










作り上げた






ディズニーランドも文化






巨石も文化






幕末前後の日本の姿「逝きし世の面影」
日本を訪れ、世界に類を見ない日本の精神文明を体験した欧米人の手記や書簡を掲載している渡辺京二氏の著作


『日本の職人は本能的に美意識を強く持っているので、金銭的に儲かろうが関係なく、彼らの手から作り出されるものはみな美しいのです。......庶民が使う安物の陶器を扱っているお店に行くと、色、形、装飾には美の輝きがあります』『ここ日本では、貧しい人の食卓でさえも最高級の優美さと繊細さがある(ベーコン)』


『彼らは皆よく肥え、身なりもよく、幸福そうである。一見したところ、富者も貧者もない。ーこれが恐らく人民の本当の幸福の姿というものだろう。私は時として、日本を開国して外国の影響を受けさせることが、果たしてこの人々の普遍的な幸福を増進する所以であるかどうか、疑わしくなる。私は質素と正直の黄金時代を、いずれの他の国におけるよりも多く日本において見出す。生命と財産の安全、全般の人々の質素と満足とは、現在の日本の顕著な姿であるように思われる
(ハリス,1857)』







日本人の美意識






日本の魂






教義も経典も持たぬ神道











あめつちに結ばれた感性が









自然を定点観測することから産まれた







そんな気がします

















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目に見えないものの力

2017-03-19 18:13:19 | 日記



春日大社宮司 葉室頼昭氏 目にみえないものの力 を読んで印象に残った事


私は子供の頃から、家の伝統という目に見えない存在を感じ、いつも不思議に思っていました。 私の家は、平安時代から朝廷の神事、とくに神社と調停を取り持つ仕事を行ってきた公家の家ですが、明治になり公家の制度がなくなり、朝廷の神事とは関係なくなったのに、その不思議な伝統というものが続きました。

神職ではないのに私の曽祖父は奈良の談山神社の宮司になり、祖父は生粋の陸軍の軍人であったのにこれまた晩年には金毘羅宮の宮司になり、また父は銀行員であったのにこれまた晩年には京都の下賀茂神社の宮司になりました。

そして当時医者であった私は、まさか私が神職になるとは考えいいなかったのに、なぜか春日大社の宮司に就任することになったのです。

本人を除くこれらの人々はいずれも婿養子として、葉室家に入ってこられた方の様で、遺伝ではないのに、この家に養子に来ると、「家の伝統の力」という運命に従っていると言う。





平安時代、朝廷のとがを引き受け処刑された先祖がいるとも書かれています。




守ったものは、守られる



そんな自然の理を感じます。





震災の心で日本のスピリットから素粒子論まで結ぶ展開は


古事記には、ビッグバン以前の0の場を含む宇宙論を伝えている

葉室頼昭氏の言葉から連想したものです。

  
著書の中で

私が長年かかって、神道に見られる日本人の先祖が伝えてきた宇宙の仕組みを知り、真実の人生を伝えてきた先祖たちの素晴らしい智慧や伝統をお話しているのに、今の人はこれえを理解しただけで解釈し、なんら日常生活に反映されないということは、まことに悲しむべきことであります。

と十年以上の講話の体験から書かれています。

戦後のアメリカから入った教育において頭で理屈を解釈しようとするが、日本の剣道、柔道、茶道、華道、衣紋道などは、「いのち」の感性を毎日の生活の中で実践することだ。




その長い歴史を持つ天皇の道を生きようとする言葉が

象徴としてのお務めの言葉と感じます。


職人が務めの質にこだわるようにスメル(統める)道にこだわった言葉


目に見えぬ統める力を産むには、たゆまぬ日々の努力が求められる


職務を軽減しては、統める力が失われると考える


国作りの伝統がなぜ皇室という形で続いてきたのか?


慰霊の旅などは行っていただかなくてもいい最たるものという意見もあるようですが


他国であれ自国であれ魂を尊ぶから連綿と繋がる歴史





葉室頼昭氏 目にみえないものの力 を紹介している文化財復元センター
http://fukugen.info/wordpress/


確かに「伝統」というものも、目に見えないものですが、わたしは「文化」というものも同じだと思う。

私の心の中には、いつの間にか「文化とは人の精神的な営み」という答えがあった。

そう、「精神的」なんですよ。

そうすると「文化財」とはなにか?という話になってくるのですが・・・・

私の答えは「文化財とは、それを形にしたもの」あるいは「それを記したもの」という価値観が、いつの間にかあった。




少し横道にそれるのだが、当社で復元した「法輪寺・虚空蔵菩薩像」を、ある東文研の研究者に見ていただいた時に「この色はどこから解ったのか?」と聞かれた。

現在は「蛍光X線分析装置」を補助金で買いましたが、当時はありませんでした。
こちらが「残った色から判断した」と言いましたら、ひとこと「分析すらしていないものは復元とは言えない」と、切り捨てられたことがあった。

この手の分析機器はとても高価で、国の予算でこれらの機器を買える人にとっては「すら」なのでしょうが、我々民間の企業にとっては「なんてとても」というものなのですが、しかし、その高価な分析機器でいったい「何」が解るのか?
判るのは使われた「絵の具の成分」だけである。

彼らにとっては、そういう「物質」にしか価値を見出さないのか、あるサイトで昔、研究者が絵の具の分析をしたら「どこどこ産」のトルマリンが検出された。
そこのトルマリンを使っているということは、「当時」それが日本に入ってきていたということが確認できたと、あたかも鬼の首を取ったような話でした。

文化財の価値って、絵の具の成分ですか?
私には違うとしか思えない。

なぜそれを描いたか?「作者のおもい」こそ、「精神的」なものだと私は思う。


そのはなしと、葉室頼昭さんの言われていることは、相通じると思う。


私もこの仕事は、「可視域」では朽ち果てたり、黒ずんだりして見えなくなったものでも、「可視域外」つまり「目には見えない」赤外線や紫外線を使うと、そこに残っているものがあると言うことを使って、「制作当時の姿」を、現在に甦らせるものです。
しかし「目に見えないもの」はそういう「かたち」の在るものだけではなく、そこには「先人」つまり、それを残した人の存在があり、「何故」それを残したのか?
その「思い」こそ、残すべきものだと思います 。
そしてその「思い」は、実は「物質」にも宿っています。
そしてその先人が存在したから、現在のわれわれは「在る」のだと言うことを、私達は忘れてはならないと思いますし、そしてそれが本来その文化財の本当の価値だと「内なる存在」は教えてくれました。
先人とは、個人的に言えば、「先祖」であり、社会的に言えば「組織の創始者やその意思を受け継いできた人たち」を差します。
そして、我々がその「先人」の残したものを、次の世代に繋がない限り、また我々の残したものも、次の世代に引き継がれないということです。
      
つまりそれらは先人からの「預かり」ものなのです。
 預かった者はそれを次の世代に受け渡す「義務」があります。






明日は昼と夜のバランスの取れる春分の日







目に見えぬ伝統と目に見える今の結びが産まれると良いですね















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過去現在未来は一連の存在

2017-03-14 15:32:48 | 日記



一切は生れつつあ る。神も、宇宙も、森羅万象の悉くが、常に生れつつある。

太陽は太陽として、太陰は太陰として、絶えず生れつづけている。

一定不変の神もなければ、宇宙もない。

常に弥栄えつつ、限りなく生れに生れゆく




震災の心で掲載したウィッキペディアの神の素粒子シュミレーション画像


仮説に基づいて、LHCのCMS素粒子検出器内で起きる可能性があると計算されることを描画してみたもの。このケースでは、二つの陽子の衝突後にヒッグス粒子が出現しそれは2つの流れに、つまりハドロン(11時の方向のそれ)および2個の電子の流れ(左下のおよび5時の方向のそれ)になっている。粒子がとりうる軌跡は直線で、粒子が検出器内に残すエネルギーは水色で描画している



衝突による新たな生成


震災の心の動きから同じようなものを感じました。








誠の心、日本の心の蘇り


その感性を産出すあめつち


でも3.11を過ぎると、日常にあふれる一方的な思いによる行為


限定された科学、限定された思考、限定された常識


古への地の思考は


あめつちも過去現在未来も一連の存在


一連の対なる夫婦神の命のあらわれ




対なることを忘れた一方だけの世界には、あめつちの衝突がもたらされる




そうとらえることが古への思考





衝突を避けるために対極の存在に誠を捧げることができるか






それがおのおの分かれ道のように感じます。











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震災の心

2017-03-12 12:31:14 | 日記


「日本人のスピリット」
東北大震災直後にアメリカの記者が現場に潜入。

子どもを抱きながら食べ物配給の列にルールを守って並ぶ姿や、
自分たちの食べ物も限られている中、他の人におせんべいを差し出したりと、
人に対する助け合いの気持ちにふれながら取材を行った。

その様子に、大方の面々は大災害に瀕した際に力を発揮した日本人の強さに驚嘆。



ディズニーランドでは、ショップのお菓子なども配給された。
ちょっと派手目な女子高生たちが必要以上にたくさんもらってて
「何だ?」って一瞬思ったけど、その後その子たちが、
避難所の子供たちにお菓子を配っていたところ見て感動。


ディズニーシー、マーメイドラグーンシアター内にて、
ショー上演中に地震発生。観客がパニックに陥る中、
ワイヤーで吊り下げられ最も危険な状態であるはずのアリエルが
笑顔で懸命に手を振り続けていました。揺れが収まり、
アリエルが退場すると、客席からは大きな拍手が起こりました。


終夜運転のメトロの駅員に、大変ですねって声かけたら、笑顔で、
こんな時ですから!


駅員さんに「昨日一生懸命電車を走らせてくれてありがとう」って
言ってる小さい子達を見た。駅員さん泣いてた。俺は号泣してた。


ぜんぜん眠っていないであろう旦那に、
「大丈夫?無理しないで。」
とメールしたら、
「自衛隊なめんなよ。今無理しないでいつ無理するんだ?


信号で止まったときに幼稚園バスから手を振られた
「頑張ってー!」と声援ももらった。
泣きそうになった。隣に座ってる班長は泣いてた。


バイト中に地震があってほぼ満席の状態からお客さんに
外に避難してもらいました。食い逃げ半端ないだろうな、
と思っていたがほとんどのお客さんが戻ってきて会計してくれました。
ほんの少しの戻られなかったお客さんは今日わざわざ店に
足を運んでくださいました。日本ていい国。


福島原発作業員の友人からメールが来た
『俺たちが死んでも、メルトダウンは絶対に起こさせない』
みんな頑張っています。


一回の青信号で1台しか前に進めないなんてザラだったけど、
誰もが譲り合い穏やかに運転している姿に感動した。
10時間の間お礼以外のクラクションの音を耳にしなかった。
恐怖と同時に心温まる時間で、日本がますます好きになった。


歩いて帰ろうって決めて甲州街道を西へ向かっていて
夜の21時くらいなのに、ビルの前で会社をトイレと休憩所として
解放してる所があった。社員さんが大声でその旨を歩く人に伝えていた。
感動して泣きそうになった。いや、昨日は緊張してて泣けなかったけど、
今思い出してないてる。



日本のスピリットと呼ばせる心


その心の動きは何から産まれてくるのだろう?






幕末前後の日本の姿「逝きし世の面影」
日本を訪れ、世界に類を見ない日本の精神文明を体験した欧米人の手記や書簡を掲載している渡辺京二氏の著作


幸福そうな日本人

『この人たちは実に日本の大きな魅力である。......幸福で礼儀正しく穏やかであり、温和しい声で何時もニコニコしながらお喋りをし、ちょっとしたことからも健やかな喜びを吸収する恵まれた素質を持ち、何時間となく続けてトボトボ歩いてあちらこちら見物しても、決してへばらない羨ましい身体と脚を持っているなどの点で、日本の楽しい群衆にひけをとらないものがあると公言できる国など何処にもあるまい』『日本の庶民はなんと楽天的で心優しいのだろうか。なんと満足気に、身ぎれいにこの人たちは見えることだろう(パーマー)』


『これ以上幸せそうな人びとはどこを探しても見つからない。喋り笑いながら彼らは行く。人夫は担いだ荷のバランスをとりながら、鼻歌をうたいつつ進む。遠くでも近くでも、『おはよう』『おはようございます』とか、『さよなら、さよなら』というきれいな挨拶が空気をみたす。夜なら『おやすみなさい』という挨拶が。この小さい人びとが街頭でおたがいに交わす深いお辞儀は、優雅さと明白な善意を示していて魅力的だ。一介の人力車夫でさえ、知り合いと出会ったり、客と取りきめをしたりする時は、一流の行儀作法の先生みたいな様子で身をかがめる(アーノルド,1889)』


親切で礼儀正しい日本人

『住民が鍵もかけず、なんらの防犯策も講じずに、一日中家を空けて心配しないのは、彼らの正直さを如実に物語っている(クロウ)』



『もう暗くなっていたのに、その男はそれを探しに一里も引き返し、私が何銭か与えようとしたのを、目的地まですべての物をきちんと届けるのが自分の責任だと言って拒んだ(バート,1878)』


当時の日本人の暮らしぶり

『この土地は貧困で、住民はいずれも豊かでなく、ただ生活するだけで精一杯で、装飾的なものに目をむける余裕がないからだ(中略)それでも人々は楽しく暮らしており、食べたいだけは食べ、着物にも困っていない。それに家屋は清潔で、日当たりもよくて気持ちがよい。世界のいかなる地方においても、労働者の社会で下田におけるよりもよい生活を送っているところはあるまい(ハリス,1856)』


『彼らは皆よく肥え、身なりもよく、幸福そうである。一見したところ、富者も貧者もない。ーこれが恐らく人民の本当の幸福の姿というものだろう。私は時として、日本を開国して外国の影響を受けさせることが、果たしてこの人々の普遍的な幸福を増進する所以であるかどうか、疑わしくなる。私は質素と正直の黄金時代を、いずれの他の国におけるよりも多く日本において見出す。生命と財産の安全、全般の人々の質素と満足とは、現在の日本の顕著な姿であるように思われる
(ハリス,1857)』


日本人の美意識

『日本の職人は本能的に美意識を強く持っているので、金銭的に儲かろうが関係なく、彼らの手から作り出されるものはみな美しいのです。......庶民が使う安物の陶器を扱っているお店に行くと、色、形、装飾には美の輝きがあります』『ここ日本では、貧しい人の食卓でさえも最高級の優美さと繊細さがある(ベーコン)』

『ヨーロッパ人にとっては、芸術は金に余裕のある裕福な人々の特権にすぎない。ところが日本では、芸術は万人の所有物なのだ(ヒューブナー)』


日本の封建社会について

『日本人は完全な専制主義の下に生活しており、したがって何の幸福も満足も享受していないと普通想像される。ところが私は彼ら日本人と交際してみて、まったく反対の現象を経験した。専制主義はこの国では、ただ名目だけであって実際には存在しない』『自分たちの義務を遂行する日本人たちは、完全に自由であり独立的である。奴隷制度という言葉はまだ知られておらず、封建的奉仕という関係さえも報酬なしには行われない。勤勉な職人は高い尊敬を受けており、下層階級のものもほぼ満足している』『日本には、食べ物にこと欠くほどの貧乏人は存在しない。また上級者と下級者との間の関係は丁寧で温和であり、それを見れば、一般に満足と信頼が行きわたっていることを知ることができよう(フィッセル,1833)』


『日本の上層階級は下層の人々を大変大事に扱う』『主人と召使の間には通常、友好的で親密な関係が成り立っており、これは西洋自由諸国にあってまず未知の関係といってよい(スエンソン)』





質素と正直の黄金の感性はどこから産まれて来たのだろう?




『万葉集』(まんようしゅう、萬葉集)

7世紀後半から8世紀後半にかけて編まれた日本に現存する最古の和歌集。
天皇、貴族から下級官人、防人などさまざまな身分の人間が詠んだ歌を4500首以上も集めたもの


万葉集巻十四には、東歌として、東国各地の歌が集められている。

信濃なる須賀の荒野にほととぎす鳴く声きけば時過ぎにけり 
  信濃路は今の墾(はり)道刈株に足踏ましむなくつ履け我が夫

この二首は信濃の歌である。一首目は、荒野にホトトギスの声がするのを聞いて、もう夏になったのだと実感する詠嘆の歌である。茂吉はこの詠嘆のうちに、恋の思いを読み取っている。筆者にはそこまでは思い浮かばなかったが、季節の移り変わりの中に、人の生活や感情の移ろいを重ねあわすことは、不自然ではない。




多摩川に曝す手作りさらさらに何そこの子のここだ愛(かな)しき
   武藏野の小岫が雉(きぎし)立ち別れ去にし宵より夫ろに逢はなふよ
   入間道の大家が原のいはゐづら引かばぬるぬる我(わ)にな絶えそね
   埼玉の津に居る船の風をいたみ綱は絶ゆとも言な絶えそね

この四首は武蔵の歌である。「多摩川に」の歌は、川の水に手作りの布をさらす乙女の働きぶりに重ねて、恋の感情を詠んでいる。「さらさらに」は水の流れをいうとともに、男の感情が「更に更に」高まるさまをかけている。「ここだ」は「こんなにも」という意味で、男の感情の抑えきれない様子が表されている。多摩川の水の流れのように清々しい歌である。

二首目の意は、雉の立ち別れのように夫と別れて以来、今まで会うことができずにいるよと、別離を悲しむところにある。三首目は、蔓を引くとぬるぬるとまとわり付くように、いつまでも私に寄り添っておくれとの意、四首目も、いつまでもいつまでも、私に言い寄っておくれという意で、両者とも女心をうたったものであろう。




防人らの歌は愛する人との別れを歌って、愛惜の情に満ちたものが多い。愛する人には妻や恋人、父母がある。防人自身の歌のほかに、妻や父が歌ったものも収められている。総じて飾り気がなく、素直な歌ばかりである。


  我が妻も絵に描き取らむ暇もか旅ゆく吾は見つつ偲はむ
―右の一首は、長下郡、物部古麿

妻の姿を絵に描く時間が欲しいものだ、そうすれば旅の途中にその絵を見て、妻の姿を思い描くことができるだろうに。この男は、絵を描く暇もないほどあわただしく、旅へ駆り出されたらしい。その思いが痛々しい。

  大王の命かしこみ磯に触り海原(うのはら)渡る父母を置きて
―右の一首は、某郡助丁、丈部造人麿

この男は妻のことよりも父母のことが気にかかったのであろう。あるいは妻はいなかったのかもしれない。天皇の命により、船を磯に触れつつ危ない思いをして、海原を渡っていかなければならない、その旅立ちの覚悟のような気持を歌った中に、父母への気遣いが現れたのである。

  水鳥の立ちの急ぎに父母に物言(は)ず来(け)にて今ぞ悔しき
―右の一首は、上丁、有度部牛麿

水鳥が飛び立つときのあわただしさのように、私もいとまなく旅立ってきたので、父母に別れの言葉を言うこともできなかった、それが今となって悔やまれる、という意。当時の防人たちのあわただしさが、この歌から偲ばれる。



人麻呂の儀礼歌は、朗々たる言葉の流れの中に、皇室の尊厳やこの国の神聖さを歌い、荘厳な響きと神話的なイメージに満ちている。

天武、持統両天皇の時代は、古代史の中でもまれな、平和で安定した時代だった。壬申の内乱を経て王権を掌握した天武とその妻持統にとっては、自らの手によって開いた太平であった。人麻呂は、この太平を朗々とした響きを以て謳歌した。


吉野の宮に幸せる時、柿本朝臣人麿がよめる歌
  やすみしし 我が大王(おほきみ)の きこしをす 天の下に
  国はしも 多(さは)にあれども 山川の 清き河内(かふち)と
  御心を 吉野の国の 花散らふ 秋津の野辺に
  宮柱 太敷き座(ま)せば ももしきの 大宮人は
  船並(な)めて 朝川渡り 舟競(ふなきほ)ひ 夕川渡る
  この川の 絶ゆることなく この山の いや高からし
  落ち激(たぎ)つ 滝の宮処(みやこ)は 見れど飽かぬかも
反歌
  見れど飽かぬ吉野の川の常滑(とこなめ)の絶ゆることなくまた還り見む

詞書によれば、持統天皇は即位の年からその翌々年にかけて六回も、吉野宮に行幸している。その一つに従駕して作ったのがこの歌である。淀みなく流れる言葉の響きが、大らかで高い格調をもたらしている。

吉野は、大海人が天智天皇の死後、都を逃れて身を寄せたところであり、壬申の乱に向けて挙兵の準備をしたところである。持統天皇は、この思い出の地に離宮を建てた。そこには、象徴的な意味合いがあっただろう。

人麻呂は、その持統天皇の立場に立って、離宮の造営を歌う。大宮人が舟を並べて落ち激つ滝の宮処に向かうさまは、新しい天皇のもとに国民がこぞって国作りに励むというイメージが付与されている。


山部赤人には、富士の高嶺を詠んだ歌がある。特に短歌のほうは、赤人の代表作の一つとして、今でも口ずさまれている。


山部宿禰赤人が不盡山を望てよめる歌一首、また短歌
  天地(あめつち)の 分かれし時ゆ 神さびて 高く貴き
  駿河なる 富士の高嶺を 天の原 振り放(さ)け見れば
  渡る日の 影も隠(かく)ろひ 照る月の 光も見えず
  白雲も い行きはばかり 時じくそ 雪は降りける
  語り継ぎ 言ひ継ぎゆかむ 不盡の高嶺は
反歌
  田子の浦ゆ打ち出て見れば真白にぞ不盡の高嶺に雪は降りける


「渡る日の 影も隠ろひ 照る月の 光も見えず」とあるのは、山頂から噴出する煙が、日や月の光をも隠してしまうほどすさまじかった様子を詠ったものだ。「白雲も い行きはばかり 時じくそ 雪は降りける」とあるからして、恐らく晩秋か初冬の一日だったのであろう。そんな富士の頂に雪が降っている。そのさまが、富士の威容をいよいよ神さびたものにしている。

赤人は感動のあまり、「語り継ぎ 言ひ継ぎゆかむ」と絶叫する。最小限の言葉の装飾を以て、眼前の威容を最大限に表現しえているのではないだろうか。





平安時代、すでに自然と調和した感性





あめつちに結ばれた感性の口伝   



古事記



あめつちのはじめの時

タカマカハラに成りませるアメヌミナカヌシノカミ

次に タ カミムスビノカミ

次にカミムスビノカミ

この三柱の神は独神になり坐して


身を隠したまいき

次に海に浮かぶ油のごときクラゲのような時に、5柱が現れた

地と雲の2柱の神が現れ

次に対となる5組の夫婦神が現れた






摩訶不思議な命を産出す0に成りませり中主

タのムスビ、ムスビの3素粒子のはたらき

ものでははなく、働きであるのため見えません。

そこで「身を隠したまいき」

その次に5柱のはたらきにより元素が産まれ

凝固と昇華のはたらきにより5対からなる命が産まれていく



あめつちの命の源から産まれてくる素粒子論


素粒子(ウィッキペディア)

それが従う統計によって二種類に分類され、フェルミ統計に従う粒子をフェルミ粒子、ボース統計に従う粒子をボース粒子と呼ぶ。現時点で存在が知られているフェルミ粒子はクォークとレプトンとに分類される。一方、現時点で知られているボース素粒子には、素粒子間の相互作用を伝達するゲージ粒子と、素粒子に質量を与えるヒッグス機構に関連して現れるヒッグス粒子とがある。ゲージ粒子のうち、重力を媒介するとされる重力子は未発見である。
素粒子の大きさは分かっておらず、大きさが無い(点粒子)とする理論と、非常に小さいがある大きさを持つとする理論がある。






素粒子の分類
ボソン(ボース統計に従う粒子)
ゲージ粒子
素粒子間の相互作用(力)を伝え運ぶ粒子。
フェルミオン(フェルミ統計に従う粒子)[編集]
フェルミオン
物質を構成する粒子。クォークとレプトンに大きく分けられる。更にそれぞれが二系列に分けられ、三世代ずつの計6種類が発見されている。傾向として、世代数が大きいほど質量が大きいとされている。
クォーク - 強い相互作用をする。ハドロンの構成要素とされる。
上系列クォーク - 電荷+2/3を持ち、それぞれに反粒子が存在する。
下系列クォーク - 電荷−1/3を持ち、それぞれに反粒子が存在する。
レプトン - 強い相互作用をしない。
ニュートリノ - 電荷をもたない。標準模型の範囲では反粒子の存在が必然ではない。
荷電レプトン - 電荷−1を持ち、それぞれに反粒子が存在する。



ボソンと2系列に分けられるフェミルオン

中主とタ カミムスビ、カミムスビ

5種類のゲージ粒子

5柱の独神

6種類のフェミルオン 反粒子が存在するものと存在が必然でないもの

5組の夫婦神


あめつちのはじめの時を伝える古事記


インドのヴェーダが伝えるように古への元素論の存在


あめつちに同じ命を観る日本の神話


イザナミが黄泉の平坂を追った時、菊理姫の囁きにより


イザナギの一方的な世界が産まれた


対なる相手を一方的に顧みない時


あめつちがククリ(菊理)直しする時なのかもしれない






3月6日より黒点0の続くお天道様





何を示してるのだろう















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