「日本人のスピリット」
東北大震災直後にアメリカの記者が現場に潜入。
子どもを抱きながら食べ物配給の列にルールを守って並ぶ姿や、
自分たちの食べ物も限られている中、他の人におせんべいを差し出したりと、
人に対する助け合いの気持ちにふれながら取材を行った。
その様子に、大方の面々は大災害に瀕した際に力を発揮した日本人の強さに驚嘆。
ディズニーランドでは、ショップのお菓子なども配給された。
ちょっと派手目な女子高生たちが必要以上にたくさんもらってて
「何だ?」って一瞬思ったけど、その後その子たちが、
避難所の子供たちにお菓子を配っていたところ見て感動。
ディズニーシー、マーメイドラグーンシアター内にて、
ショー上演中に地震発生。観客がパニックに陥る中、
ワイヤーで吊り下げられ最も危険な状態であるはずのアリエルが
笑顔で懸命に手を振り続けていました。揺れが収まり、
アリエルが退場すると、客席からは大きな拍手が起こりました。
終夜運転のメトロの駅員に、大変ですねって声かけたら、笑顔で、
こんな時ですから!
駅員さんに「昨日一生懸命電車を走らせてくれてありがとう」って
言ってる小さい子達を見た。駅員さん泣いてた。俺は号泣してた。
ぜんぜん眠っていないであろう旦那に、
「大丈夫?無理しないで。」
とメールしたら、
「自衛隊なめんなよ。今無理しないでいつ無理するんだ?
信号で止まったときに幼稚園バスから手を振られた
「頑張ってー!」と声援ももらった。
泣きそうになった。隣に座ってる班長は泣いてた。
バイト中に地震があってほぼ満席の状態からお客さんに
外に避難してもらいました。食い逃げ半端ないだろうな、
と思っていたがほとんどのお客さんが戻ってきて会計してくれました。
ほんの少しの戻られなかったお客さんは今日わざわざ店に
足を運んでくださいました。日本ていい国。
福島原発作業員の友人からメールが来た
『俺たちが死んでも、メルトダウンは絶対に起こさせない』
みんな頑張っています。
一回の青信号で1台しか前に進めないなんてザラだったけど、
誰もが譲り合い穏やかに運転している姿に感動した。
10時間の間お礼以外のクラクションの音を耳にしなかった。
恐怖と同時に心温まる時間で、日本がますます好きになった。
歩いて帰ろうって決めて甲州街道を西へ向かっていて
夜の21時くらいなのに、ビルの前で会社をトイレと休憩所として
解放してる所があった。社員さんが大声でその旨を歩く人に伝えていた。
感動して泣きそうになった。いや、昨日は緊張してて泣けなかったけど、
今思い出してないてる。
日本のスピリットと呼ばせる心
その心の動きは何から産まれてくるのだろう?
幕末前後の日本の姿「逝きし世の面影」
日本を訪れ、世界に類を見ない日本の精神文明を体験した欧米人の手記や書簡を掲載している渡辺京二氏の著作
幸福そうな日本人
『この人たちは実に日本の大きな魅力である。......幸福で礼儀正しく穏やかであり、温和しい声で何時もニコニコしながらお喋りをし、ちょっとしたことからも健やかな喜びを吸収する恵まれた素質を持ち、何時間となく続けてトボトボ歩いてあちらこちら見物しても、決してへばらない羨ましい身体と脚を持っているなどの点で、日本の楽しい群衆にひけをとらないものがあると公言できる国など何処にもあるまい』『日本の庶民はなんと楽天的で心優しいのだろうか。なんと満足気に、身ぎれいにこの人たちは見えることだろう(パーマー)』
『これ以上幸せそうな人びとはどこを探しても見つからない。喋り笑いながら彼らは行く。人夫は担いだ荷のバランスをとりながら、鼻歌をうたいつつ進む。遠くでも近くでも、『おはよう』『おはようございます』とか、『さよなら、さよなら』というきれいな挨拶が空気をみたす。夜なら『おやすみなさい』という挨拶が。この小さい人びとが街頭でおたがいに交わす深いお辞儀は、優雅さと明白な善意を示していて魅力的だ。一介の人力車夫でさえ、知り合いと出会ったり、客と取りきめをしたりする時は、一流の行儀作法の先生みたいな様子で身をかがめる(アーノルド,1889)』
親切で礼儀正しい日本人
『住民が鍵もかけず、なんらの防犯策も講じずに、一日中家を空けて心配しないのは、彼らの正直さを如実に物語っている(クロウ)』
『もう暗くなっていたのに、その男はそれを探しに一里も引き返し、私が何銭か与えようとしたのを、目的地まですべての物をきちんと届けるのが自分の責任だと言って拒んだ(バート,1878)』
当時の日本人の暮らしぶり
『この土地は貧困で、住民はいずれも豊かでなく、ただ生活するだけで精一杯で、装飾的なものに目をむける余裕がないからだ(中略)それでも人々は楽しく暮らしており、食べたいだけは食べ、着物にも困っていない。それに家屋は清潔で、日当たりもよくて気持ちがよい。世界のいかなる地方においても、労働者の社会で下田におけるよりもよい生活を送っているところはあるまい(ハリス,1856)』
『彼らは皆よく肥え、身なりもよく、幸福そうである。一見したところ、富者も貧者もない。ーこれが恐らく人民の本当の幸福の姿というものだろう。私は時として、日本を開国して外国の影響を受けさせることが、果たしてこの人々の普遍的な幸福を増進する所以であるかどうか、疑わしくなる。私は質素と正直の黄金時代を、いずれの他の国におけるよりも多く日本において見出す。生命と財産の安全、全般の人々の質素と満足とは、現在の日本の顕著な姿であるように思われる
(ハリス,1857)』
日本人の美意識
『日本の職人は本能的に美意識を強く持っているので、金銭的に儲かろうが関係なく、彼らの手から作り出されるものはみな美しいのです。......庶民が使う安物の陶器を扱っているお店に行くと、色、形、装飾には美の輝きがあります』『ここ日本では、貧しい人の食卓でさえも最高級の優美さと繊細さがある(ベーコン)』
『ヨーロッパ人にとっては、芸術は金に余裕のある裕福な人々の特権にすぎない。ところが日本では、芸術は万人の所有物なのだ(ヒューブナー)』
日本の封建社会について
『日本人は完全な専制主義の下に生活しており、したがって何の幸福も満足も享受していないと普通想像される。ところが私は彼ら日本人と交際してみて、まったく反対の現象を経験した。専制主義はこの国では、ただ名目だけであって実際には存在しない』『自分たちの義務を遂行する日本人たちは、完全に自由であり独立的である。奴隷制度という言葉はまだ知られておらず、封建的奉仕という関係さえも報酬なしには行われない。勤勉な職人は高い尊敬を受けており、下層階級のものもほぼ満足している』『日本には、食べ物にこと欠くほどの貧乏人は存在しない。また上級者と下級者との間の関係は丁寧で温和であり、それを見れば、一般に満足と信頼が行きわたっていることを知ることができよう(フィッセル,1833)』
『日本の上層階級は下層の人々を大変大事に扱う』『主人と召使の間には通常、友好的で親密な関係が成り立っており、これは西洋自由諸国にあってまず未知の関係といってよい(スエンソン)』
質素と正直の黄金の感性はどこから産まれて来たのだろう?
『万葉集』(まんようしゅう、萬葉集)
7世紀後半から8世紀後半にかけて編まれた日本に現存する最古の和歌集。
天皇、貴族から下級官人、防人などさまざまな身分の人間が詠んだ歌を4500首以上も集めたもの
万葉集巻十四には、東歌として、東国各地の歌が集められている。
信濃なる須賀の荒野にほととぎす鳴く声きけば時過ぎにけり
信濃路は今の墾(はり)道刈株に足踏ましむなくつ履け我が夫
この二首は信濃の歌である。一首目は、荒野にホトトギスの声がするのを聞いて、もう夏になったのだと実感する詠嘆の歌である。茂吉はこの詠嘆のうちに、恋の思いを読み取っている。筆者にはそこまでは思い浮かばなかったが、季節の移り変わりの中に、人の生活や感情の移ろいを重ねあわすことは、不自然ではない。
多摩川に曝す手作りさらさらに何そこの子のここだ愛(かな)しき
武藏野の小岫が雉(きぎし)立ち別れ去にし宵より夫ろに逢はなふよ
入間道の大家が原のいはゐづら引かばぬるぬる我(わ)にな絶えそね
埼玉の津に居る船の風をいたみ綱は絶ゆとも言な絶えそね
この四首は武蔵の歌である。「多摩川に」の歌は、川の水に手作りの布をさらす乙女の働きぶりに重ねて、恋の感情を詠んでいる。「さらさらに」は水の流れをいうとともに、男の感情が「更に更に」高まるさまをかけている。「ここだ」は「こんなにも」という意味で、男の感情の抑えきれない様子が表されている。多摩川の水の流れのように清々しい歌である。
二首目の意は、雉の立ち別れのように夫と別れて以来、今まで会うことができずにいるよと、別離を悲しむところにある。三首目は、蔓を引くとぬるぬるとまとわり付くように、いつまでも私に寄り添っておくれとの意、四首目も、いつまでもいつまでも、私に言い寄っておくれという意で、両者とも女心をうたったものであろう。
防人らの歌は愛する人との別れを歌って、愛惜の情に満ちたものが多い。愛する人には妻や恋人、父母がある。防人自身の歌のほかに、妻や父が歌ったものも収められている。総じて飾り気がなく、素直な歌ばかりである。
我が妻も絵に描き取らむ暇もか旅ゆく吾は見つつ偲はむ
―右の一首は、長下郡、物部古麿
妻の姿を絵に描く時間が欲しいものだ、そうすれば旅の途中にその絵を見て、妻の姿を思い描くことができるだろうに。この男は、絵を描く暇もないほどあわただしく、旅へ駆り出されたらしい。その思いが痛々しい。
大王の命かしこみ磯に触り海原(うのはら)渡る父母を置きて
―右の一首は、某郡助丁、丈部造人麿
この男は妻のことよりも父母のことが気にかかったのであろう。あるいは妻はいなかったのかもしれない。天皇の命により、船を磯に触れつつ危ない思いをして、海原を渡っていかなければならない、その旅立ちの覚悟のような気持を歌った中に、父母への気遣いが現れたのである。
水鳥の立ちの急ぎに父母に物言(は)ず来(け)にて今ぞ悔しき
―右の一首は、上丁、有度部牛麿
水鳥が飛び立つときのあわただしさのように、私もいとまなく旅立ってきたので、父母に別れの言葉を言うこともできなかった、それが今となって悔やまれる、という意。当時の防人たちのあわただしさが、この歌から偲ばれる。
人麻呂の儀礼歌は、朗々たる言葉の流れの中に、皇室の尊厳やこの国の神聖さを歌い、荘厳な響きと神話的なイメージに満ちている。
天武、持統両天皇の時代は、古代史の中でもまれな、平和で安定した時代だった。壬申の内乱を経て王権を掌握した天武とその妻持統にとっては、自らの手によって開いた太平であった。人麻呂は、この太平を朗々とした響きを以て謳歌した。
吉野の宮に幸せる時、柿本朝臣人麿がよめる歌
やすみしし 我が大王(おほきみ)の きこしをす 天の下に
国はしも 多(さは)にあれども 山川の 清き河内(かふち)と
御心を 吉野の国の 花散らふ 秋津の野辺に
宮柱 太敷き座(ま)せば ももしきの 大宮人は
船並(な)めて 朝川渡り 舟競(ふなきほ)ひ 夕川渡る
この川の 絶ゆることなく この山の いや高からし
落ち激(たぎ)つ 滝の宮処(みやこ)は 見れど飽かぬかも
反歌
見れど飽かぬ吉野の川の常滑(とこなめ)の絶ゆることなくまた還り見む
詞書によれば、持統天皇は即位の年からその翌々年にかけて六回も、吉野宮に行幸している。その一つに従駕して作ったのがこの歌である。淀みなく流れる言葉の響きが、大らかで高い格調をもたらしている。
吉野は、大海人が天智天皇の死後、都を逃れて身を寄せたところであり、壬申の乱に向けて挙兵の準備をしたところである。持統天皇は、この思い出の地に離宮を建てた。そこには、象徴的な意味合いがあっただろう。
人麻呂は、その持統天皇の立場に立って、離宮の造営を歌う。大宮人が舟を並べて落ち激つ滝の宮処に向かうさまは、新しい天皇のもとに国民がこぞって国作りに励むというイメージが付与されている。
山部赤人には、富士の高嶺を詠んだ歌がある。特に短歌のほうは、赤人の代表作の一つとして、今でも口ずさまれている。
山部宿禰赤人が不盡山を望てよめる歌一首、また短歌
天地(あめつち)の 分かれし時ゆ 神さびて 高く貴き
駿河なる 富士の高嶺を 天の原 振り放(さ)け見れば
渡る日の 影も隠(かく)ろひ 照る月の 光も見えず
白雲も い行きはばかり 時じくそ 雪は降りける
語り継ぎ 言ひ継ぎゆかむ 不盡の高嶺は
反歌
田子の浦ゆ打ち出て見れば真白にぞ不盡の高嶺に雪は降りける
「渡る日の 影も隠ろひ 照る月の 光も見えず」とあるのは、山頂から噴出する煙が、日や月の光をも隠してしまうほどすさまじかった様子を詠ったものだ。「白雲も い行きはばかり 時じくそ 雪は降りける」とあるからして、恐らく晩秋か初冬の一日だったのであろう。そんな富士の頂に雪が降っている。そのさまが、富士の威容をいよいよ神さびたものにしている。
赤人は感動のあまり、「語り継ぎ 言ひ継ぎゆかむ」と絶叫する。最小限の言葉の装飾を以て、眼前の威容を最大限に表現しえているのではないだろうか。
平安時代、すでに自然と調和した感性
あめつちに結ばれた感性の口伝
古事記
あめつちのはじめの時
タカマカハラに成りませるアメヌミナカヌシノカミ
次に タ カミムスビノカミ
次にカミムスビノカミ
この三柱の神は独神になり坐して
身を隠したまいき
次に海に浮かぶ油のごときクラゲのような時に、5柱が現れた
地と雲の2柱の神が現れ
次に対となる5組の夫婦神が現れた
摩訶不思議な命を産出す0に成りませり中主
タのムスビ、ムスビの3素粒子のはたらき
ものでははなく、働きであるのため見えません。
そこで「身を隠したまいき」
その次に5柱のはたらきにより元素が産まれ
凝固と昇華のはたらきにより5対からなる命が産まれていく
あめつちの命の源から産まれてくる素粒子論
素粒子(ウィッキペディア)
それが従う統計によって二種類に分類され、フェルミ統計に従う粒子をフェルミ粒子、ボース統計に従う粒子をボース粒子と呼ぶ。現時点で存在が知られているフェルミ粒子はクォークとレプトンとに分類される。一方、現時点で知られているボース素粒子には、素粒子間の相互作用を伝達するゲージ粒子と、素粒子に質量を与えるヒッグス機構に関連して現れるヒッグス粒子とがある。ゲージ粒子のうち、重力を媒介するとされる重力子は未発見である。
素粒子の大きさは分かっておらず、大きさが無い(点粒子)とする理論と、非常に小さいがある大きさを持つとする理論がある。
素粒子の分類
ボソン(ボース統計に従う粒子)
ゲージ粒子
素粒子間の相互作用(力)を伝え運ぶ粒子。
フェルミオン(フェルミ統計に従う粒子)[編集]
フェルミオン
物質を構成する粒子。クォークとレプトンに大きく分けられる。更にそれぞれが二系列に分けられ、三世代ずつの計6種類が発見されている。傾向として、世代数が大きいほど質量が大きいとされている。
クォーク - 強い相互作用をする。ハドロンの構成要素とされる。
上系列クォーク - 電荷+2/3を持ち、それぞれに反粒子が存在する。
下系列クォーク - 電荷−1/3を持ち、それぞれに反粒子が存在する。
レプトン - 強い相互作用をしない。
ニュートリノ - 電荷をもたない。標準模型の範囲では反粒子の存在が必然ではない。
荷電レプトン - 電荷−1を持ち、それぞれに反粒子が存在する。
ボソンと2系列に分けられるフェミルオン
中主とタ カミムスビ、カミムスビ
5種類のゲージ粒子
5柱の独神
6種類のフェミルオン 反粒子が存在するものと存在が必然でないもの
5組の夫婦神
あめつちのはじめの時を伝える古事記
インドのヴェーダが伝えるように古への元素論の存在
あめつちに同じ命を観る日本の神話
イザナミが黄泉の平坂を追った時、菊理姫の囁きにより
イザナギの一方的な世界が産まれた
対なる相手を一方的に顧みない時
あめつちがククリ(菊理)直しする時なのかもしれない
3月6日より黒点0の続くお天道様
何を示してるのだろう