一なるものの法則に奉仕する
ラーは伝えています。
太陽信仰が一なるものの法則への道
古代エジプトの象徴 ホルス眼
太陽と月は、ハヤブサの姿あるいは頭部を持つ天空神ホルスの両目(「ホルスの目」)だと考えられてきた。
やがて二つの目は区別され、左目(「ウアジェト(ウジャト)の目」)は月の象徴、右目(「ラーの目」)は太陽の象徴とされた。
ラーの波動では
対立は調和し
複雑なことがらは単純化される
古代に伝承された一なるものの法則についた
ゆがみと権力を取り除くことが必要
今回の周期でうまくゆかなければ、その次の周期に
ラーは時間に属していないため、つねに共にいられる。
「いちなるもの」に自分をさしだすことが最大の奉仕であり、本源にさかのぼることになる。
「一なるもの」を求める存在は無限の知性とともにある。
「一なるもの」に日月神示の「まことの神」のイメージが重なります。
ひふみ神示 地震の巻 第1帖
われわれの一切は生れつつある。神も、宇宙も、森羅万象の悉くが、常に生れつつある。
生前、生後、死後は一連の存在であって、そこには存在以外の何ものもないのである。
存在は生命であり、生れつつあるもの、そのものである。
必ず、その前なるものによって呼吸し、脈うち、生命し、存在し、弥栄する。
また、総てのものの本体は、無なるが故に永遠に存在する。
その総ては神の中での存在であるから、それ自体のものはない。
それは、その内にある情動によって定まるが故である。
また、その理によって一定せる方位もない。また時間もなく只情動の変化があるのみである。
宇宙は、神の中に生み出され、神と共に生長し、更に常に神と共に永遠に生れつつある。
只大歓喜のみが脈うち、呼吸し、生長し、存在に存在しつつ弥栄するのである。
存在は千変万化する形に於て、絶えず弥栄する。
それはまことの神 であり、 渦なるが故である。
まことの神 は大歓喜の本体であり、 渦はその用である。
第五帖 (三八二)
全大宇宙は、神の外にあるのではなく、神の中に、神に抱かれて育てられているのである。
故に、宇宙そのものが、神と同じ性をもち、同じ質をもち、神そのものの現われの一部である。
過去も、現在も、未来も一切が呼吸する現在の中に存在し、生前も死後の世界もまた神の中にあり、呼吸し、生長している。
故に、その全体は常に雑多なるものの集合によって成っている。
部分部分が雑多なるが故に、全体は存在し、力し、弥栄し、変化する。故に、歓喜が生ずる。
冒頭の画像は地震の巻第1帖と5帖が次元階層のように結ばれたイメージで作ったものです。
「一なるものの法則」 ラー MATERIALに書かれる
全ての人に太陽神を祀るために築かれたピラミッド
しかし王家の権力を示すために変更されてしまう。
3700年前にオリオンの自己に奉仕する思考が潜入した。
それは現代と遜色ない都市国家文化を築いたシュメールの時代
シュメールとはアッカド人が用いた名称であり、ウンサンギガと自称していた。
「一なるものの法則」は古代の聖典に一部残っている。
聖書にはポジティブとネガティブがまざって伝えられている。
過去の歴史になんとなく違和感のあったことが埋めて行かれるように感じます。
ラーのグループが下りた南米の遺跡に魅力を感じます。