図形曼荼羅好きな方 (^O^)/

ラピスラズリの蒼とトルコブルーの重なりに魅かれます。色と形は何かを現わすような気がします。

アラビア書道

2016-07-19 20:58:16 | 日記



本田孝一氏Web作品展 より

http://mphot.exblog.jp/tags/%E6%9C%AC%E7%94%B0%E5%AD%9D%E4%B8%80%E6%B0%8FWeb%E4%BD%9C%E5%93%81%E5%B1%95/



砂丘の風紋・・・同じものはない。全部ちがう。
ある時、風紋が文字に見えたときがあった。宇宙からのメッセージを砂の上に残したように感じたことがあった。




地図作成という仕事のために果てしなき砂漠でずっといるわけなのだが、その中でサウジアラビア人の地図に書き込まれる文字が気になった。
そこに書き込まれた文字はワジ(枯れ川)に沿ってカーブを描いたり、広い地域を呼名するには思いっきり直線的に文字の一部を伸ばしたりしていた。この文字に本田氏は惹かれた。

 本田氏は、そういう手書きで目の前で地図に書き込まれていく文字を見て美しいと思ったのだ。




1988年、思いがけずイラクの国際フェスティバルに書家たちが集まるのに招待された。初めての一流の書家たちとの交流となる。


 意気揚々と持参した本田氏の作品を前に各国の書家は厳しい助言をした。ルールに見合っていないなど指摘された。その技法や筆のつくり方や墨についてなど質問をする。
 その中で書家のアッバースさんは自分の作り方を教えてくれて参考になった。


                                  
 また、書家たちはきちんとした文字を書くことができるように伝統的な書を学べるようトルコのハッサン・チェレビー氏を紹介してくれた。
ここから添削を通じた師弟関係ができるのであった。
 手本が一枚渡され、その通りに書けばいいのだろうと送付するとすべての文字が直されてしまった。

わかったのはアラビア書道はすごく厳格だということだった。

ではなぜ、厳格なのか?
そういうことをしないと厳格な形が伝わらない。1000年以上書けて洗練されえた伝統であり、一人の書家が書を書くのはたかだか50年ほど。そんな書家たちが好きなように変形していったら、洗練された文字が伝えられなくなってしまう。だから100%同じに書けなければいけない。それを知ったうえで見るとこれまでの作品が火が出るほど恥ずかしいと思うようになる。これまでは漠然と見ていただけだったとわかった。

4.独自の作風へ
 アラビア書道には伝統的装飾があり、テズヒーブと言われる装飾は一般的に装飾家が書き、書家は書だけを書く。
器用な本田氏は、テズヒーブもやっていたが、一つの作品の装飾をするのに2か月もかかる。
 確かに伝統的な装飾はきれいだが同じことをやって意味があるのかという疑問が出てきた。そうするともうかけない。
そこで思いきり装飾を取り外したら字だけが前面に出てきた。
書く言葉の意味を自分で咀嚼してそのイメージの形を装飾のかわりに書こうとした。

 こうして、氏の作品は独特の作風に変化していった。
1991年 銀座で初のアラビア書道の個展を開く。

これを機にアラブ諸国から招待状が次々と届いた。






コーランの言葉を自分なりに咀嚼したときに、ことばが押し寄せてくる。

それをとらえるのが宗教であり。芸術である。





自然の理の中に、言葉と書体で現わす




日本には言霊があり、和歌、短歌、俳句



自然の理から産まれて行く心の詩



武道   剣道、柔道、弓道、空手道、合気道



芸道   書道、茶道、華道、



神道




古代日本における学科の名称。

大学寮では明経道・算道・音道・書道・紀伝道・明法道が、陰陽寮では陰陽道・暦道・天文道が、典薬寮では医道が存在した。

武芸 (日本) - 日本における価値観。哲学とも言われ、一つの物事を通じて生き様や真理の追究を体現することや自己の精神の修練を行う事。
「残心」に代表される日本独特の所作や価値観を内包する。



アラビア書道に通底するものを感じます。



それは



今、求められる心の価値観






以前、お世話になった書道家 富原 唐蘊氏




抽象化の道を感じました。





タイトル  「 風 」


風のイメージを抽象化した作品




「 草 」を抽象化した作品






スペイン国際芸術賞を受賞されています。





函館に戻り、絵画を書くことに全く無縁だったのですが



色々な方のご縁で曼荼羅を描くようになり



構図の取り方や、作品の向き合い方、展示の仕方、表現の仕方、函館に生きた人の歴史



色々な手ほどきを 富原 唐蘊氏にして戴きました。



そんなご縁から、画号に青蘊の字を戴いております。



その余興に書に色をつけることをしていました。





日月神示  ニ日んの○キ(ジシンノマキ) 第17帖








火 (黄) 女性より産みいだされ 日と月に育まれる


水 (青) 魂の縦の糸と横の糸を織りなし 死に助けられる




自然の理



天地(あめつち)の理



それは、命の源への永い永い回帰









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11日間続く太陽黒点0 国民投票からヘイトクライム増加

2016-07-04 19:42:48 | 日記




巨大なフレア息吹く太陽  2012年7月12日








黒点0の太陽    2017年7月3日





黒点0の日の始まりに行われたユーロ離脱国民投票


その後に続く黒点0と後悔の嵐



ロシア・トゥディの記事に

イギリスの EU 離脱の国民投票そのものが、「ちょっとしたパンドラの箱」だった可能性


何がパンドラの箱だったのか?


グローバルゼーションで世界が統一されると平和が訪れる





グローバルゼーションの名の元に行われたこと


中東の立場から見ると

イラクに存在しない

大量破壊兵器の疑いをかけ空爆

地上戦を嫌う西欧は、武器を反イラク勢力に提供

それによりISが産まれ

シリア紛争では、反政府軍にトルコ、サウジ、カタールが武器・資金を援助

アサド政権を援護するロシアが空爆

ISを空爆する西欧

元をたどれば、オスマントルコの終焉で

西欧が石油の利権を守るために

民族を無視した国境の作製、政治干渉

住む土地を奪われたパレスチナ、イラク、シリア難民

さらに、市場経済の夢を持つ東欧から西欧へ流れる人々







代替案のための弁証法的空間

http://blog.goo.ne.jp/reforestation

グローバル化の終焉になるほどと思いました。


第三次グローバル化の終焉とその後の社会構想

2014年09月21日 | 政治経済(国際)

 日本政府は「グローバル人材の育成」を掲げ、「グローバル資本主義システム」を支える歯車となる人材の育成を教育現場に押し付けようとしている。
これは時代錯誤も甚だしい。

 現在進行中のグローバル資本主義は必ず終わる。
過去においてもグローバル化の波はあったが、行き詰まり、最後は戦争や恐慌によって終焉を迎えている。
いまのグローバル化もそうなるだろう。過渡期に戦争が起こる可能性はある。
覚悟が必要な時代になっている。

 行き過ぎたグローバル化を終焉させ、各国は経済主権を回復し、安定した国民経済を取り戻さなければならない。
これこそ戦争を回避し、国際平和を可能にする途であり、国際協調で取り組むべきグローバルな課題である。

 現在のグローバル化が必ず終焉するというその根拠は過去の歴史を見ればわかる。
16世紀と19世紀の二度のグローバル化の波と、それが行き詰って終焉した様子を確認する。 
 

(1)第一次グローバル化 (16世紀から17世紀初頭の大航海時代)

 ポルトガル、スペインの覇権。中南米、アジアの一部が植民地化される。
→ スペインの衰退によって終焉。

【その後】
 世界は内向きの時代へ移行(その背景に気候変動の影響も指摘されている)。
 ヨーロッパでは30年戦争など凄惨な宗教戦争を経験し、その末に、国民国家を形成していく。
 

 日本の場合、ポルトガルやスペインの拡張主義をまねて、豊臣秀吉が対朝鮮・中国侵略戦争に乗り出したが敗北した。
これが豊臣政権の命取りになった。大坂の陣と島原の乱を経験した後、日本も内向きになり、平和と安定を実現した。

  日本は綿織物・絹織物等輸入品を国産化し、内需主導の自給的経済へ移行。貿易を長崎の出島に限定(薩長などの密貿易はあったが)。
その後、250年間の平和と安定の時代を迎えた。

 グローバル資本主義が行き詰りを迎えているいま、大坂の陣の元和偃武から400周年を迎えるのには、象徴的な意味があるだろう。
大阪の陣の戦乱を教訓に平和国家に移行していった当時の日本のあり方から、いまこそ学ぶべき点は多い。


(2)第二次グローバル化 (19世紀から20世紀初頭の帝国主義時代)

 イギリスの産業革命。
 デイビッド・リカードが比較生産費説を提唱。
 イギリスは不平等条約を押し付け、アジア諸国から関税自主権を奪う。
 アジア、アフリカ諸国は植民地化される。(自由貿易帝国主義)
 著しく貧富の格差が拡大。

→ 第一次世界大戦と世界恐慌によって終焉。

 日本も格差の拡大にともない、戦争を歓迎するムードが蔓延。国民は満州事変・満蒙開拓など拡張主義と対外戦争を熱狂的に支持した。
 敗戦によって海外領土を喪失し、対外拡張主義は終焉した。

 
【その後】
 旧植民地は独立。関税自主権・国家主権を回復。
 西側諸国は、GATT体制という、各国の関税自主権を認めた穏当でゆるやかな貿易システムの下で発展。
 西側諸国では国民国家単位での国民経済の下、ケインズ的再分配が機能。
 日本では、傾斜生産方式といった計画経済の手法と、保護関税、公共事業を通したケインズ的再分配がよく機能し、一億総中流となでいわれた貧富の格差が少なく、安定した社会を実現。 

 
 以上のように過去2回のグローバル化とその後の時代を見ると、少なくとも日本においては、ポストグローバル化時代には内需主導の持続可能で安定した経済構造と、長期にわたる平和を享受していることが分かる。この教訓は今に生きる。


(3)第三次グローバル化 (1990年代~現在、新自由主義時代)

 冷戦終結。覇権国アメリカによる市場原理主義政策の押し付け。
 国民経済の多様な政策決定権が奪わる。画一的グローバルスタンダートの押し付け。
 途上国や東欧・ソ連にはIMF・世銀の構造調整、日本に対しては年次改革要望書などの手法を駆使して米国は利己的スタンダードを押し付けていった。

・国営企業の民営化
・金融・資本自由化
・貿易自由化
・規制緩和(環境や労働者を保護する諸規制まで緩和)
・自国産業保護政策の廃止 (補助金削減、関税撤廃等・・・)

→ 国家主権の空洞化 
→ 国民国家解体へ?  

*第三次グローバル化が生み出した諸問題

 貧富の格差の拡大
 賃金下落
 政府税収の減少 → 財政危機
 農産物価格の高騰 → 飢餓・戦争の原因
 失業者の増大
 産業移転による地域経済の空洞化 
 民族排外主義勢力の台頭と紛争の激化
 地球環境破壊
      熱帯林破壊、砂漠化、生物多様性の喪失・・・・

(4)結論

 第三次グローバル化は持続不可能であり、その終焉は近い。
 今後、国民主権と安定した国内経済を取り戻すために、国際的に遵守すべき諸原則は以下のような点である。

*21世紀で優先すべき価値観は効率性よりも持続可能性。

*労働基準、最低賃金、法人税率、環境基準等を高い水準で国際的に適正化する必要あり。
タックスヘイブンは国際的に禁止。それを破る国には経済制裁を加えるくらいの取り決めが必要。
 日本のように労働者を平気で過労死、うつ病、自殺に追い込むような劣悪な労働環境の国も規制対象。

*穀物は各国の食料主権を尊重し、国内農業を保護する権利を各国に付与する。

*生活必需性が高い「医療、教育、社会インフラ、水道、農地、自然環境など」は自由化・民営化・規制緩和の対象としてはならない。
社会的共通資本として社会各層の協力によって管理していかねばならない。









交易の永い歴史を持つシルクロード

交易された物は

シルク、高度な技術で装飾されたペルシアの宝物、香辛料



紀元前15世紀~紀元前8世紀まで地中海交易の主役古代フェニキア

交易していたのは、紫色の貝の染料、レバノン杉




少数の国の利益のために、なぜ全ての物を貿易しなければないのか?


少数の利益のために多数が不利益を産むシステムをなぜ望むのか?


利益を得ると思っている人にとっては


パンドラの箱なのかも




でもイギリスの国民投票の日から太陽黒点の0の日が続いています。




スペイン・ポルトガルの第一次グローバル化終焉の後に訪れた


マウンダー極小期(Maunder Minimum)


1645年から1715年の太陽黒点数が著しく減少した期間







この時期のヨーロッパ、北米大陸、その他の温帯地域において冬は著しい酷寒に震え、暦の上では夏至であっても夏らしさが訪れない年が続いた。北半球平均気温は極小期の前後と比べて0.1 - 0.2度低下したのではないかとされている。
この時期の日本(江戸時代初期)は周期的に雨が多い湿潤な気候であったと奈良県内の老木の年輪より分析されています。



その後の太陽黒点の低下した時代に起ったこと


1800年初頭はナポレオンがロシア遠征


1900年初頭第二次グローバル化の終焉した第一次世界大戦、世界恐慌



イギリスの国民投票から始まった太陽黒点0



これからどうなるのでしょう。





お天道様が見ている(日本語表現辞典)

人間の悪事に対して、ほかの人間が誰も見ていなくても太陽はきちんと見ているのだから、どんな時でも悪事ははたらかぬべきだと説く語。お天道様がそのまま太陽を意味することもあれば、神や仏といったものの象徴として扱われることもある。



お天道様  (ウィキペディア)

日本では、一般的にお天道様(おてんとさま)とも言うように、太陽神としても知られる。太陽は神として祀られたのである。

信仰心が伴わなくても太陽を「お日様」と呼び、お月様、お星様と同様に自然崇拝の対象であった。



その根底にあるもの



人も、お日様も、お月様も、お星様も命の底で結ばれている




日月神示

地震の巻 第17帖  原典







右上の細い曲線の始まりに魂の産まれ落ちる躍動を感じます

それは、女性の産道を産まれ落ちる道


縦の線と横の線を結んで生き


死後、生きたカルマを顧みる

どれだけ助けることができたか


< 右半分 >


< 左半分 >

命の織りなす横と縦の線が日と月に現れる



生きるための苦しみは、生前にも、生後にも、また死後にもあり得る。それは、ある視点からみた場合で、別な視点からは、歓喜でもある。
大極に進む視点からみると、あの時の苦労があったから咲く花があると感じる。万霊万物の大極へむけた螺旋の道を進みゆく。

生前の魂が、女性の産道をすすみゆき、人と人の重なりの中で天借の解消の螺旋をすすみ、死後、生きている間に身に付けた全てを脱ぎ死後の世界を進む。

日も月も円錐の頂点である大極へすすみゆく。透明な螺旋の響きをすすみゆく。




日月神示には、日本の古来にあった、日、月、山、川、海、生きる物、万霊万物に命の結びが現わされていると思うのは


私一人だろうか


古来の神道には、教義も経典も残されてはいない


それが神の道なのかもしれない





神の道 人がつくるでないほどに 神がつくりて通す道なり



眼に見えぬ神の心にかようふこそ 人の心のまことなりけり









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