昔、
いわゆる詩として書かれた「歌詩」に
曲を付ける流行歌がもっとあっても良いのに、
と思っていたんですが、
やっぱり、
パッと聴いて分かりにくかったり、
単純に詩の形式が流行歌の形式に乗らなかったり、
いろいろ問題がありますよね。
でも、例え曲先でも、
やはり歌詞には、曲に乗せて歌うならではの
優れた歌詞があると思うんですよね。
やはり書いてあるそのまんまの内容の歌詞は
ちょっと引いてしまう。
そういう意味では、
この時代は職業作詞家受難という気がしますが、
もう少し活用されても良いのかなと。
ヴォーカリストという人が、
もう少し見直されても良いと思うんですよね。
決して、ただ歌うだけではないと思います。
詞を書く人、曲を作る人、歌を歌う人、
良質な作品と歌声の結びつきというか、
そういう組合せでの音楽が聴きたいと思ったり。
現状批判ではなく、
単純に自分が元々ひねくれていて、
真っ直ぐすぎる歌詞が届かないのと、
年齢を重ねて、僕のように独身だと、
それなりにエンターテイメントに接する機会が
まだ多いんですよね。
懐メロとかではなく、今の30~40代とか、
そういう世代に寄り添った内容の曲を聴きたい、
という心境。
結局、この世代は家族持ったり仕事忙しくて、
エンターテイメントに接する時間が減るので、
市場というか、ターゲットにはならないんですが。
そうすると結局、
昔を懐かしんで買う昔の曲、という買い方とかになる。
例えば、
復帰した後の尾崎豊の曲から好きになった人間にとって、
尾崎が家族と寄り添って、
これからどういう曲を書いていくか、
という興味を持っていたのですね。
でもパブリックが求める尾崎はそこじゃなく、
そこでの苦しみというのはかなりあったのじゃないかと
思うんですね。
結局、亡くなることでそれは無くなり、
伝説となってしまったんですが、
シンガーソングライターにとっては、
今歌いたいものと過去の作品との兼ね合いというのは
かなり強く存在するんじゃないかと思います。
話逸れましたが、
要は、年齢に合った、その年齢なりの作品が、
どうして支持されないのかなということですね。
年を重ねることで、経験を重ねることで、
思い悩む若い頃に必要だった
(歌という)そういう支えがある程度必要なくなり、
気分転換とかでの過去好きだった曲を聴く、
というアプローチになってしまうのかなとも
思ったりします。
長くなりましたが、
僕はクラシックよりポピュラー音楽にうるさい、
ということです(笑)。
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