この間、Nコン新潟県大会を聴いて来たんですが、
いろいろ書いて
結果的に楽しくない話になるとなんなので、
先に自分の過去の話題を少し書いてみたいと思います。
出身中学は、合唱部は特設で
7月中旬に召集がかかり、
Nコン県大会までの1ヶ月で終了でした。
当時、関東ブロックは録音での参加でしたし、
そこまで行けるほどの実力ではなかったですね。
私は吹奏楽部だったのですが、
お声がかかり、
中2と中3の時に特設合唱部に参加しました。
課題曲ですが、
中2の時は「海の不思議」(詞:川崎洋 曲:平吉 毅州)で、
中3の時は「朝のバス」(詞:俵万智 曲:飯沼信義)でした。
中学生だったので知りませんでしたが、
中2の時は2曲から選択出来たようで、
もう1曲は林光の「ことばの歌」という曲だったようです。
「海の不思議」に関しては、
非常に印象深く、好きだったことを覚えています。
実は先日のJCDA合唱の祭典でのNコン課題曲演奏会で、
この曲が取り上げられていてとても嬉しかったんですね。
「朝のバス」はそれなりに覚えてはいますが、
印象が薄いですね。。。
自由曲については、
中2の時が「名づけられた葉」(加賀清孝の方)、
中3の時が「ここが美しいそれは......」(多田武彦)、
でした。
どちらも結構印象深いですね。
多田武彦の方は当時勿論知りませんでしたが、
混声合唱組曲「京都」よりということで、
オリジナルの混声合唱組曲だったんですね。
完全に顧問の先生の好みだと思います(笑)。
僕は当時テノールでして、
特に中3の時は名ばかり部長だったので、
中3の時の印象が強いですね。
確か当時、文集にも書いたんですが、
1年生が結構多いメンバー構成になって、
どんなものなんだろうかと当初思っていて、
でも結果的にはそれで良い音色になり
この年は銅賞を頂くことができました。
僕の記憶だと、新潟市音楽文化会館で開催された
と記憶しています。
後で大学生になって音文に行ってみて、
当時の映像が思い起こされたので、
多分音文で行われたと思います。
名ばかり部長で、表彰式でステージに上り、
そこから部員が下手寄り中央辺りで喜んでいる姿を
見たことは今でも覚えています。
あと、今や毎年りゅーとぴあですが、
この前年は長岡だったらしく、持ち回りで
開催していた時期でした。
僕が本格的に合唱を始めたのは、
大学に入ってからで、
小学生の時は合唱部ありましたが体育部所属、
中学は前述のように吹奏楽部所属、
高校はバドミントン部を半年で辞め、
合唱部はお手伝いで本番1ヶ月前から参加、
でもコンクールに出るような部ではなく、
NHKコンクールの思い出というのは
これくらいしかありません。
この時期のことはいろいろ覚えていて、
間違いなく青春の1ページですが(笑)、
ただ特設だったので、合唱部に対する思いや
感じ方は、ずっと合唱部の方とは
かなり違うと、部活をがっつりやってた人と話すと
それは感じます。
でも自分にとってはそれが良かったと思います。
いわゆる部活動として合唱に関わっていたら、
今のような自分の考え方は作られなかったと思うので、
そういう意味では、あまり強い影響を受けすぎず
良かったのかなと思っています。
なので私にとってのコンクールは、
その後大学時代に所属したユートライや、
大学4年時から始まった大学Aの部への新大室内合唱団、
での参加という全日本合唱コンクールの方が
馴染みが強いですね。
現在まで、中高の教員になってないことも、
Nコンとの距離の一つかと思います。
ただ、昨年、母校の高校が初めてNコンに参加しました。
今年聴けるかなと思ったら出てなくて、
その代わり全日本合唱コンクールに
エントリーしています(授業の関係らしい)。
私の中高コンクールへの共感力が低いのは、
こういう育った環境と私の特異な考え方が合わさって
醸成されたものなのですね。
だから、今回生で初めて県大会を聴いて、
良いことばかりを書けないなと感じて、
でもそんな私も過去に経験しているのですよ、
ということを先に書いてみた、ということです。
今回はこれ以上複雑なことは書かないで、
思い出の一ページとして記したいと思います。