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社会断想

諸々の社会現象にもの申す
中高年者・定年退職者向け

日本贔屓の世界大学ランキング

2014年08月28日 12時27分31秒 | Weblog

世の中にはいろんな番付表(Ranking List)がある。そんなRanking Listのうち、小生の興味をそそるのは世界の大学をある基準で評価した世界大学ランキングである。このランキングもいろんな調査機関から出ている。

The Higher Education(THE),QSおよび上海交通大学等の発表するものがよく知られている。各機関毎の独自評価基準を用いているので上海交通大学以外は英語圏内の大学に評価が偏っているとは小生の管見であるかもしれない。

日本の大学の評価が東大をはじめちょっと低いのではないかとは小生のヒガミか?

そのランキングに新顔が最近登場した。

Center of World University Rankings(http://www.cwur.org)

Saudi Arabiaである。

世界の大学数は全部で18,000大学(キャンパス)以上あるそうである。

そのうち1,000大学をランキング付けしている。評価の諸基準のうち教育環境に重点を置いていると同機関は表明している。

ご多分にもれず、ベストテンにはHarvardをはじめ米国勢がそろい踏みし、英国勢がケンブリッジ、オクスフォードが2校入っている。この辺りまでは他の機関発表と変わらないが、他の機関発表で毎年の様にじりじりと順位を落としている我らが東大、京都大学が13位、15位と顔を出しているのは嬉しい。

もっと嬉しいのは上記1,000大学中日本の大学数が74校ランク入りしていることと地方の国公立大学の可なりがリストアップされていることである。ただ首を傾げたくなるのは当然リストに出てくるべきであろう某、某某大学の名前が見当たらないのはこの機関の調査漏れとしか思えない。

たかが番付、されどRanking、世界の100大学のうち、日本から10大学以上をランク入りさせたいとの政府の希望であるそうだ。各機関発表のランキングを真摯に受け止め参考にしたいものである。

 

 


孫娘の中学入試について思う

2013年02月06日 15時06分26秒 | Weblog

一月下旬から2月上旬にかけて私立入試が盛んに行われている。

我が家でもつい最近まで幼子と思っていた孫娘が中学入試にのぞむという。

普通2~3校受験するようである。最初は北海道にある学校の首都圏入試を力試しと度胸付けに受けたという。次が本命で緊張して臨んだようである。

終了後教室から出て来た様子がしょんぼりしていたのを見た付添いの母親は「 こりゃ駄目だ」と思ったそうである。

試験終了後に学校より渡された試験問題を見て絶望感はますます深まったという。

娘本人が特に希望しなかったの塾にもいかせてなかったのが、この結果だと早とちりをした母親は娘に申し訳ないと謝ったそうである。

しかし結果は午後8時ごろインターネットで発表され、合格が分かった。

本人よりも直前まで落ち込んでいた母親の方が狂喜していたのは傍からみておかしかった。

私も試験問題(算数、社会、国語)を見て、その難しさに脱帽した。

これが小学校6年生相手の問題とはとても信じられなかった。

ともあれ今後の孫娘の伸び伸びさを伴った精進を願うのである。

 

 


日系2世部隊について思う

2013年01月22日 11時24分01秒 | Weblog

私は日系人(主として米国籍)に関心がある。

それは私がかって50年以上前に米国シカゴに半年足らず滞在した時の下宿の主人家族が日系1世、主人夫妻が帰米2世そして子供達が3世という家庭に下宿し1世から3世までの精神構造(ちと大袈裟か?)

をかいま見たことに由来すのかもしれない。

(この家族については後日またふれたい。)

そんな中で特に深く関心を抱いていたのは日系2世からなり第二次大戦中にGo for Broke ヤマトダマシイを合言葉としてヨーロッパ戦線で多大な犠牲を払いながら大活躍をした100大隊を含む442部隊戦闘団である。

そんなわけで関心の赴くまま日系人に関するニュースや刊行物、書籍にはなるべく目を通してきたのだが最近442部隊の英雄中の英雄であるダニエル井上氏の訃報が伝えられた。(氏についてはWikipedia等を参照されたい)

そこで過去に読んだことのある442部隊戦闘団にかんする本を再読して見た。

(渡辺正清 ゴーフォーブローク)

442部隊の活躍ぶりには感銘を新たにしたのは勿論だが新たな発見があった。

それは文中に挿入されている写真での姿かたちをよくよく見ると、その顔つきがあどけなさを持った若さである。からだ全体からみても不釣り合いな鉄兜の下に見える顎の線にそれはハッキリと読みとれるのである。閲兵の時の白人部隊長と日系兵の身長差はまさに大人と子供である。大男のバスケット選手に競馬騎手が並んでいる様である。

ともあれ20歳前後の青年たちが自分たちがアメリカ人であることを証明し、そのことが家族のためであると信じて戦ったのである。

粛然とした気持ちでページを閉じた。

 

 

 

 


『大菩薩峠』

2013年01月18日 12時55分46秒 | Weblog


大菩薩峠に登る決心をした訳ではない。
中里介山の全40巻余の大河小説を読み通してみようという気紛れを起こした話である。
先だってからiPadで青空文庫の短編、中編ものを試し読みして見た結果思った以上に読み易く読みがどんどんと捗ることが分かった。文字の大きさを読み易い大きさに柔軟に出来るのが良い。更に文字の濃淡、コンストラストもある程度好みに合わせられるのも老生には助かる。
ストーリーの時代背景は幕末、維新前後で実在、架空人物が入り乱れ、荒唐無稽な処も多々あるが、講談調のテンポのよい展開はそれなりに面白い。文学的価値去去はここでは問うまい。
紙の書物が無くなることは無いが電子書籍と電子書籍リーダーは読書人に歓迎されるであろう。また少部数しか見込めない読者対象(例えば研究者とその論文等)刊行物は電子化すれば初期コストも安くあがるのではなかろうか?

友あり 遠方より来たる また楽しからずや

2013年01月15日 10時29分59秒 | Weblog
M君が突然やって来た。
実に30有余年ぶりである。年賀状のやり取りで、
定年退職したことは承知していた。
今まで勤めていた会社の近況や子供達の成人ぶりなどの話以外は取り立てての話題はなかった。
久し振りの再会なのにごくごく短時間で帰って行った。予告なくやって来たという引け目か、そのことをさかんに謝っていた。
他に言いたいこと、頼みたいことがあったのだろうか?
この次は予め電話をしてお邪魔しますと繰り返しながら去っていった。
次回のじっくりとした話し合いに期待しよう。

ディジタル仏壇はいかが?

2008年10月21日 19時48分56秒 | Weblog
ディジタル仏壇はいかが?
最近の読売新聞一面コラムに面白い記事があった。
フランスの歴史家アリエスは「人間は死者を葬送する唯一の動物である」と定義しているというものである。そういえば人間に最も近い知能を持つといわれている「お猿さん」が葬式を出したという話はついぞ聞いたことがない。
このコラムは、墓も仏壇も持たず、自宅に遺骨を安置する「手元供養」、磁気カードを読み取り機に挿入すると、故人の映像などが映し出される「パソコン墓石」の話に触れている。つまり数万年前から続いてきた「葬送栄墓」の風習が我が国では揺らぎ始めているという(同コラム)。
劇映画などでは旧家の大広間の大きい仏壇の前で本家、分家の一同がうち揃っての年忌の集まりから、アパートの一室で一人の老女が故人になった連れ合いの写真に向かってブツブツとなにやら呟いている情景がよく出てくる。
しかし小生のように希にしか郷里の墓参りにいかないという無精で宗教心の薄い?人間にとって自分の死後に立派な墓を建てろ、お彼岸には墓参りに来い、仏壇に線香を絶やすなと残された者に求める気にはなれない。求めたところでどうにもなるまい。
ところが前記の「パソコン墓石」である考えが閃いた(大げさな)
それは小さな仏壇(狭いマンション・アパートの一室でもじゃまにならない程度の)にフォト・フレーム(写真立てのディジタル判で静止画、動画や音声も出る、最近10社ぐらいが発売している)を組み合わせると「ディジタル仏壇」が できる。
故人の写真も音声付き静止画や動画 と変化に富む。一族、縁者が集まった時には故人が生前好きだったカラオケの18番も流せば 楽しい供養になるのではなかろうか?
このやり方は宗教・宗派に関係なく適応できると思うのだが?
これなら小生もあらかじめ写真素材を用意しておき頼んでおきたい気もする。

南大沢駅前興亡記

2008年09月08日 12時15分55秒 | Weblog
南大沢駅前商店街興亡記

京王電鉄相模原線の南大沢駅前の商店街の新規出店・撤退の動きが激しい。
この2年あまりでフォーレスト・モールの新設、アウトレットモールの大幅拡充や駐車場、カレー屋、イタリアレストランと地下パチンコ店が同居する風変わりな一見航空母艦を思わせるビル等がぐるりと南大沢駅を囲み、その駅舎自体も書店や喫茶店等が入居する小型ショッピング街になった。周辺の住民や乗降客にとってますます便利で楽しい駅になった。
その反面、激しい競争に敗れたか?あるいは地の利を得ずに撤退閉鎖する店もある。
書店、電器量販店、100円ショップや中華料理店等である。
新規進出組の業態は撤退組をほぼ補完とプラスアルファーしているので小生としてはあまり痛痒を感じることはないのだが電器店の撤退は残念ではある。日頃は消耗品ぐらいしか買わないくせに店内ぐるりを散歩コースに組み込んでいただけに寂しい思いである。
その内、どこかの量販店がもっと規模を大きくして進出しないかなーと無責任な願望を持っているのだが。

近頃手放せないもの 電子辞書

2008年03月18日 12時47分54秒 | Weblog
近頃手放せないもの 電子辞書
歴史小説好きな小生にとって近頃手放せないものがある。
それは手帳大のまさに電子辞書である。小生の良く読む歴史小説は主として幕末、維新ものである。
登場する人物、出来事や地名は実在する、したものが殆どである。
いままでは、そんな固有名詞は或る程度の淡い知識で読み流していたが、最近はそれらについて少しく拘りが出てきたのか、例えば、ある人物に対して、もう少し詳しく事績を知りたいと思うようになった。
昔なら分厚い辞典をひっくり返すところだが、この電子辞書のお陰で簡単に調べられるようになった。人物にしろ出来事にしろ期待以上に出てくるのにビックリする。
たかだか15x10x1センチ程度の箱の中によくぞこれだけの情報が詰め込まれているのだと感心するばかりである。如何に電子技術が発達し、メモリ素子の集積度が高くなったというもののである。
そもそも小生が電子辞書を購ったのはある必要に迫られて高等学校名を調べていたときである。その中で、どうしても読めない漢字に、校名の頭字に出あったのである。ワープロの故で漢字は読めるが書けないという悲哀を感じていた(ワープロの所為にしてはいけない!)ものの逆に読む方には自信があったのだが。これではならじと電子辞書を買って 件の字を調べ、その読み方と意味が分かった。名付け親の創立者の思いも伝わってきた訳であるが、なんとその字は第一水準であったのには我が読む能力の自信がぐらついたのである。そんなこんなで電子辞書をいじっている中に歴史小説中に出てくる人物や出来事などを検索してみると、これが結構出てくるのである。
いまは歴史小説を読みながら、人物名などをその都度検索している。お陰で読書のスピードはガクンと落ち、スピードかディテールかの相克に悩んでいる今日この頃である。

クジラが喰いたい

2008年02月23日 11時11分29秒 | Weblog
クジラを安く喰いたい

最近のA紙に次のような記事が出ていた。見出しを追うと次のようである。
「鯨肉さばけぬ悩み」「供給増えたが流通広がらず」「国策販売会社、赤字続き」「在庫6000トンまで増加」とある。
小生のように少年期に近くに近海捕鯨基地があり、県内に南氷洋捕鯨基地を持つ地域に育ったものとしては鯨肉は馴染みの味であった。今も無性にクジラが食べたくなることがある。スーパーのチラシでクジラベーコン等の宣伝を見かけると出かけてみるが、その値段の高さに思わずひるんで仕舞う。そして無性に腹が立つ。
調査捕鯨の名目で細々と捕っているので値段の高さも仕方がないかと思っていたが、この記事を見るとそうでもなさそうである。
鯨肉が学校給食用を含めて、一般消費者に渡るルートを示す図が同記事に載っていたが、それによると販売の大本がお役所系である。そして大本の卸値を決める考え方が「調査捕鯨の費用を賄うためにはこの価格で売らねばならない」という「初めに値段ありき」のようでもある。
そこには「市場原理」(小生は市場原理を全面的に支持しているわけではない)の考え方はないようである。
反捕鯨キャンペーンのブーイングの中で調査捕鯨などとの姑息なネーミング、旗印を降ろし、堂々と商業捕鯨を打ち出したらよい。但し資源保護の立場から収穫量を打ち出し全世界に公表する。世界中の海からのマグロの捕獲量に比べれば微々たるものではないかと素人は考えるのだが。
捕鯨の現場から販売まで市場主義で貫けば末端価格を安くなり諸費者も戻ってくるのではないだろうか?その戻ってくる消費者の先頭に立つのはクジラの味を忘れかねている、懐かしがっている層ではないか?そしてこれらの層にクジラの味を諦めさせたら味の世代継承は途切れ、もはやクジラは永遠に食卓に帰ってこないだろうと憂えるのである。
ともあれ神さんに晩酌のおかずにクジラを買ってくれと気軽に云えるようにして下さい。

探鯨水上機「バタバタ号」

2008年02月21日 16時53分49秒 | Weblog
水上飛行機バタバタ号の想い出
最近の新聞紙上やTVで捕鯨関連のニュースがよく出る。
この類の記事や画面を見ると遠い昔子供時代のある光景を思い出す。
郷里の隣町に近海捕鯨の基地があり、そこは捕鯨銃を使う近代捕鯨の発祥地ともいわれている。もっともこの事はずっと後年になって知ったことで子供の小生には知る由もない。その捕鯨基地に付属していた探鯨用の水上飛行機が表題のバタバタ号である。
尤もこのネーミングはそのエンジン音から子供たちが勝手に付けた名前である。
その時代(昭和12年~16年ぐらい)にしてもいかにも古い飛行機である。
中古のお下がり、そのま又お下がりを重ねての最後のご奉公なのであろう。
そのバタバタ号が何らかの理由で近くの川に着水することがある。
そのバタバタという息絶え絶えのエンジン音で子供たちは一斉に河岸に向かって走り出す。川の中程に着水した飛行機は一休みすると間もなく又バタバタと喘息を抑えて飛び立つ。多分一休みすると気を取直してよいこらショット飛び立つのである。
そんな想い出に浸りながら新聞・TVを見ていると捕鯨に対する日本の当局者の対応は 何とも中途半端である。このあたりのことについては別の機会に意見を書きたい。