社会断想

諸々の社会現象にもの申す
中高年者・定年退職者向け

同窓会とは?人生の一断面

2005年08月29日 13時59分10秒 | 社会断層
同窓会とはなんぞや? 人生の一断面
春先と秋口になると同窓会開催のお知らせと幹事引き受けの依頼が来る。
同窓会といってもいろいろある。私の場合、いったいどうなっているのか、この際整理してみることにする。
まず大学関係で7つの会に関係している。高校関係では3つの会である。
会の趣旨には大別して2つある。一つは親睦を目的にしたもの。
もう一つはビジネス上の情報交換を主とし、親睦は2の次となるもの。
若いときから時々に幹事を仰せつかり、名簿作成や参加呼びかけを行ってきたが、その参加呼びかけに対する反応の加齢による変化が面白い。
卒業から現役バリバリの年令(大体55才~)までは概して反応はよくない。
特にビジネスに関係しない親睦、懐旧を目的とする会に対しての共通した反応は「何のメリットがある?」というものである。これには返す言葉もない。「そうだよねー 」と相づちを打たされる始末である。
ところがである。おおよそ55才ぐらいからは返事が変わってくる。「久しぶりだから、せっかくのお誘いだから出てみるか」となる。そして事実出席者が多くなる。
30年ぶりの新顔を多く見る事になる。
これが60の声を聞きそろそろリタイア組が増えるともっと積極的に応じてくる。
そして会の終わりには次回の日取り、幹事役を決めて締めくくる。
可笑しいのは今までトンと音沙汰のない、出欠の返事すら寄越さないのが、皆勤組に変わるのだ。
70を過ぎるとどうなるか?出欠の葉書の返事に家人からの「主人は○年○月○日にみまかりました、生前のご厚誼に・・・・」が混じるようになり、幹事としては慌てて名簿の書き直しをすることになる。会の当日は何人かの死別者に対して黙祷を捧げて始めることになる。
次回は又何人かの名簿訂正を行うのかなー?

中小企業白書斜め読み

2005年08月26日 15時06分45秒 | 大定年時代
中小企業白書 斜め読み 特に中小企業と高齢者就業の関係
このほど発行された2005年版中小企業白書を斜め読みした。
一番関心のある所は60才以上の年齢層の就職、就業と中小企業の関係である。白書はいう。
1)中小企業は、60才以上と女性に雇用の機会の門戸を比較的広く開放している。つまり女性及び高齢者が就職しやすい。又は継続就業が比較的容易に行われている。
この傾向は企業規模が小さいほどよく現れている。
2)最近は雇用者のリスク回避志向が高まり、自営業開業が減少するばかりであるが、そのなかで高齢自営業者は逆に増加している 。また女性の開業意欲は高まっている傾向が見られる。
ここで高齢者は大体60才以上と白書はしているが、私はこの高齢者の規定には賛成できない。私の周りにいる60才は若々しく高齢者お言葉はそぐわない。
ともあれ、2007年からの団塊世代の大量定年退職問題の一つの回答は再就職先として中小企業を優先選択肢とすることであろう。
また腕に覚えのある人は独立・自営の道を考えてよいと思う。
創業のための法的、制度的整備はスタートアップを容易にしている時代である。

卒業出来たら嫁にやろうか?

2005年08月25日 16時09分09秒 | 社会断層

卒業できたらお嫁にやろか?
 これからの大学についての大暴論

 かって 「学士様ならお嫁にやろうか」といわれた時代があった。平成の今日 人ごみの中で石を投げれば二人に一人は学士様に当たる時代である。それだけ学士様のかっての稀少価値は無くなったわけである。大学全入時代といわれる今日であるが、依然として難関校といわれる大学があり、一方で受験もしないのに入学許可書が送られてきた?と冗談半分に揶揄される大学もある。いずれにしても入学すれば「ご入学おめでとう」と祝福される。特に有名難関大学に合格すれば祝福の言葉も真意がこもるだろう。
 だが待てよと私は考える。折角難関を突破したものの、自分の勉強したい学科や大学を自分で選んだのだろうか?
 そうでない学生も結構いるはずである。曰く「就職がよい」「家から通える」「ここなら入れそうだ」「親に勧められて」云々。

 一概に悪いとも云えないだろう。今も昔も18歳の少年少女で自分のやりたいこと、進みたいことをはっきりと掴んでいない子も多いと思う。
 偏差値や親の意思、家庭の事情や教師の薦めが進路決定の大きい要因であろう。
 問題は入学後ある期間たった後、普通一年後ぐらいと想像するのだが、自分のやりたいこと、進みたいことと大学・学科の選択のミス・マッチングに悩む学生が出てくることである。
 当然悩み勉学の意欲は無くなる。このようなミス・マッチングを少しでも減らすにはどうすればよいか?
 また起きてしまったミス・マッチの学生をいかに救い上げるか?

 暴論を承知で私の考えを述べたい。

●入学試験のあり方:「何故この大学・学科を選んだか?」の設問(小論文や面接で)で志願者の選択のマッチング度をはかり、これに合否のウエートを大きくかける。当然教官の負担は大きくなるだろう。
●ミス・マッチの学生の救済:進路をもう一度考えさせ、他大学に転入させる。或は今ある他大学との単位互換制をを大幅に拡大し、選んだ学科の総単位数で卒業できるようにする。卒論の教官は他大学の教官でも良いではないか?
 理工系大学卒業で法学士がいても良いと思う。
「すきこそ物の上手なれ」で、何が好きか、何がやりたいかを早く発見することが大切ではないか。
 いやいや無気力に学生生活をおくり、中途退学するか、辛うじて卒業しても大学の専攻と関係ない分野に就職するとすれば大学での何年かは何だったのだろう。

● インターンシップをもっと活用:インターンシップをもっと活用し、この体験でマッチングに問題ない学生はますます自分の進路や好きな仕事の方向を見出す機会にして欲しいし、進路や好きな仕事の方向と受講している学科目との関連が見出されれば大変結構である。
 それには現行のインターシップ期間は短すぎるように思える。せめて2ヶ月かけていろんな職場を経験すべきだと思う。受け入れ側の企業も負担が増えるが。

 これから益々暴論であるが、こんな風に考える。国立大学が法人化され、経営体として自立が求められてきた今日、次のような手だてはいかが?
 この大学、学科が好きで将来この道に進みたい方向がはっきりしている受験生は少々入試の点数が悪くても入学させる。そこで入学金・授業料の収入増を図る。
 ただし入学後は高いハードルを設け、どんどん留年させる。なにも4年で卒業させなくて良い。留年学生が多ければそれだけ授業料の収入増が図れる。
 学生は社会から高く評価される学力と人格をもった学生だけ卒業させる。
 「良くあの大学を卒業できたね。本当におめでとう」
 「卒業できたらお嫁にやろか?」と言われることが、これからの大学のステータスではなかろうか?



カーブアウトは三振?

2005年08月22日 16時34分28秒 | 大定年時代
カーブアウト
「カーブアウト」そそっかしい 人は野球でカーブ球に引っかかり三振したことと間違えるのではないか?
つい先日A日刊紙の一面にこの「カーブアウト」なる言葉が大きく躍っていた。
何事ならんとこの言葉の意味を解説している囲み記事を読んでみる。
カーブアウトcarve out は或る固まりからその一部を切り出すという意味である。
企業が戦略的に技術や開発者を別組織に出す、即ち切り出すわけである。
切り出す事業や技術は親企業本体では規模が小さく事業化しにくいものが想定される。
従来技術者が社外に出て独立する形はスピンオフ又はスピンアウトと呼ばれているが、元企業の支配力が強く、元企業えの依存性が高いか、その逆に完全に離脱するかである。
カーブアウトは第三の道として、親企業の支援はあるもののその出資比率は少なく、むしろファンド等の第三者に多く出資して貰い、なまじ親企業の制約を無くし自由に経営して貰う、成功したら親企業がその事業を買い戻す事もある。
カーブアウトに対するファンドも次々に設立されているようである。又カーブアウトを実際に運営する組織として、会社法による会社以外に、最近発効したLLP(Limited Liable partnership)も有力であるとしている。
いずれにしろ今は創業・独立には制度的に、立法的に追い風ではあるが、うまく利用するのはあくまでも創業者・独立者である。

あるオモチャ病院

2005年08月22日 11時35分57秒 | Weblog
オモチャ病院
70才過ぎの数人のオジサンがそれぞれがオモチャを弄っている。オモチャで遊んでいるわけではない。オモチャを修理しているところである。
周りに心配そうな顔の子供と母親が自分たちのオモチャに取り組んでいるオジサンを囲んでいる。
やがて修理完了、見事に蘇生し動き出したオモチャを見てぱっと顔を輝かせる親子。ホットした顔のオジサン。
修理に手間取り、悪戦苦闘、最後になったオジサンもついに成功。時間がかかり心配も一入の親子も、それだけに喜びも一入。何度も何度もお礼を言いながら帰路につく。
これは調布市にある電気通信大学内の同窓会館での、或る土曜日の午後の一コマである。
元をただせば、このオジサンたちはこの大学のOBで電子関係の元技術者である。
仲間でオモチャ病院を開設、地域の子供たちのために、壊れたオモチャの修理を引き受けている。勿論ボランティアである。
子供たちのはじけるような笑顔が報酬である。 最近のオモチャは電子玩具が多い。それもますます複雑化しているようである。
故障したら普通のお父さん、つまり電子や、メカに弱い、では修理できなのではなかろうか?
そこでこのオジサンたちが昔取った杵柄を発揮するわけである。
動かなくなったらポイ捨てするのでなく、修理再生の道もあることを子供たちが学べば、これはこれで、素晴らしいことである。

2007年技能継承問題の或る調査について

2005年08月19日 09時42分29秒 | 大定年時代
よく分からん・・・2007年技能継承問題
2007年に団塊の世代(昭和22年~26年生まれ)の定年退職が始まる。
そこで産業界の各分野、特に製造業、建設業等でスムースな技能継承が行われるかどうか、換言すれば技能の断絶が起こるのではないかと危惧されている。
ところが大阪市信用金庫が今年7月時点でのアンケート調査の結果、どうにも理解しがたい結果がでている。
大阪市信用金庫が「中小企業における2007年問題の影響等」と称する、同金庫取引先(大阪府一円)1200社余の中小企業から得たアンケート7月実施の結果である。
その中で
A1)基幹的な技術・技能が団塊の世代に偏在している との回答が80%程度あった。
A2)基幹的技術・技能の伝承は順調に進んでいるかとの問いには70%が順調に進んでいないという回答であった。
A3)且つその理由の内40%が継承する相手の若手がいないとの答えである。
これに対して同金庫は基幹的技能確保のために
B1)高齢者を積極的に採用するか?
B2)定年者の雇用を延長するか?
B3)若手の採用についての積極性は
との設問に対して
B1)の高齢者積極的採用は全体の2%程度の答えであり、高齢者採用には否定的
B2)の定年者の雇用の延長は40%である。
B3)若手の採用には積極的であり60%があくまでも若手を確保したいとの答えである。
以上の設問とその答えから 「技能・技術伝承に困っているのか?」と素朴な疑問が起こる。40%の定年延長者を以て賄えると考えているのか?
この調査結果の統計数値からは一見矛盾した結果が出ているようであるのは私の浅読みか?誰か教えて下さい。
定年技術者の再就職・就業のお手伝いをしているNPOとして大変気になる話です。

浴衣姿が花盛り

2005年08月16日 09時48分50秒 | Weblog
浴衣が大はやり
今年の夏は浴衣が若い女性に大はやりのようである。
襟元スッキリ、帯がキリリと締まり、下駄足も軽やかな歩き姿は夕暮れの絵になる。
ところが、着付けが悪く全体に締まりがない人のほうが多い。
日頃着物を着る習慣がないのでやむを得ないか?
着物といえば若い女性が着物を着るチャンスは年に4回ある。
お正月の晴れ着、振り袖姿はプロの着付師の手がかかっているのか、大体にまとまっており、眺める方として楽しい。成人の日の着物姿も同様である。
がっかりするのは女子学生の卒業式での高袴すがたである。日頃のジーパンをそのまま高袴に着替えて、編み上げ靴で闊歩するのは見てて、どうにも違和感を感じざるを得ない。四国道後温泉のホテルの女子従業員が、この高袴姿で出迎えてくれたことを思い出すのだが、さすが客商売でスッキリとした着こなしであった。
夏目漱石の「坊ちゃん」に出てくる「マドンナ」に因んだ麗姿を辱めないのはさすがである。現在の女子学生の皆様、どうかスッキリと着こなして春先の陽気を盛り上げて下さい。

中小企業が宇宙に挑戦

2005年08月15日 13時23分45秒 | 大定年時代
宇宙に挑む中小企業の技術
日本人飛行士・野口総一さんの宇宙船外の活躍が報じられたのは真新しい。
このスペースシャトルと国際宇宙ステーションに首都圏の中小企業の製造した部品が使われると朝日新聞8月13日夕刊が報じている。
首都圏の宇宙関連受注を目ざす組織は加盟社71社の中小企業である。
これより先に発足しているのが大阪府東大阪市の中小企業の集まりで民間人工衛星「まいど1号」プロジェクトである。京浜地区では水上飛行機の開発を目だす中小企業グループがあるという。
2007年からの団塊世代の定年退職が始まるにつれ、技術、技能の継承が問題になっている。そしてそのことを報じる論調には往々にして大企業の定年技術者、技能者を中小企業における技術・技能継承問題解決に役立たせようという論調がある。
大企業、中小企業を問わず技術現場を知らない人の先入観であろう。
大企業技術・技能者=優秀技術・技能者そして中小企業技術・技能者=大企業に劣る技術・技能者の思い込みである。甚だしい思い違いである。優秀な、先端技術を保有する中小企業は数多く存在する。前述のような記事がそれを裏付けている。例えば指先で表面をなぞっただけで数ミクロンの凹凸が判定できるという、所謂技能者という範疇では大企業と町工場の技能者に差はないと思うのである。

それぞれの終戦日

2005年08月11日 12時48分07秒 | Weblog
終戦の想い出
まもなく8月15日が来る。このところ原爆、終戦と靖国問題にまつわる記事が 花ざかりである。特に今年は戦後60年の節目でもあるのか、例年よりも新聞雑誌の取り扱いも多い気がする。
私が終戦を迎えたのは、旧制中学2年に時である。西日本の日本海に面した城下町で空襲警報は頻繁に発せられたが、ついに爆弾1ヶも落ちては来なかった。それほど軍事的には何もなかったところだったのかも知れない。
8月15日、この日は朝から空襲警報もなかった。天皇陛下より重大なお話があるというので、ラジオの前にかしこまっていた。やがて流れた天皇陛下のお話は、何故か雑音がひどく、また言葉も難しく、半分も理解できなかったのだが、あらかじめ、大人の話から予感があったので、戦争に負けたということと、ともかく平和が来るのだということは理解できた。
当時1年上の上級生は瀬戸内海側の軍需工場に動員されており、我々同級生もまもなく動員される情勢であった。それよりも、遠からずして戦争に行き「死ぬんだ 」と観念的に覚悟をしていた。
その日は暑い日であった。玉音放送で「戦争に負けた、平和になる」は解った。何故か「戦争に負け」たという悲しさよりも「平和になり、これで死なずに済みそうだ」という喜びが正直強かった。それが態度に表れたのであろう。砂場(消火用の砂集積場)の砂を同級の幼友達とばらまいて遊んでいると消防服のおじさんが現れ、「戦争に負けたのだ。よくお前たちはそんなに、はしゃげるな」と怒鳴られた。一瞬シュンとなったが腹の中では、「いまさら怒ってもしょうがないだろう」と毒づいた。
その日の敗戦には、それぞれの敗戦があったのだ。

同窓会は花盛り

2005年08月11日 12時45分56秒 | 大定年時代
 ふる里に向かうは六部の気の弱り 同窓会は花盛り
或るラジオ局の調査によれば、いま同窓会が花盛りという。
その同窓会の主役は団塊の世代だそうである。団塊の世代(厳密に定議すれば昭和22年から24年生まれ、現在57才~55才)は中学卒は金の卵として就職、大学卒は大阪万博開催年に就職と、いずれにしろ景気高揚期に人生の第一歩を踏み出し、以後景気の波はあったにしろ、高度成長期にその人生の前半を過ごしてきた。(ここで人生の後半、ないしセカンド期は60才~と私的に定義する)
ということで、この世代の頭の中は仕事、会社と家族の扶養、教育に占められ、同窓会は吸引力が弱かったのではなかろうか?
最近この世代の数年後の後輩の集まりにたまたま陪席したことがあるのだが、昨年行った同窓会が卒業以来30年で初めてだという話であった。
それがここに来て同窓会が盛んになり、その主役が団塊の世代という。
団塊の世代は後数年で定年退職の60才になる。実際には定年延長とか子会社出向とかで数年は過ごす人が多いだろう。しかしいずれにしても第二の人生を如何に過ごすかを考え、情報収集したくなる時期であろう。
この団塊の世代の10年も先輩としての私の記憶によれば、同窓会の通知が多くなり、従って出席も多くなったのは、やはり60才を境にしている。そして今まで音信不通レベル(通知を出しても返事も寄越さなかった)の人が急に現れ、以後は欠かさずという現象があるのも可笑しい。個人としてのアイデンティティの一つ、同窓または同郷というアイデンティティを確認したくなるのだろう。
ふる里に向かうは六部の気の弱り
その同窓会も、指折り数えると、大学関係では全体同窓会、同期会、専攻ゼミのバーティカルな会、中小企業経営者の会、管理職者の会、或る私鉄沿線に住む人の会、仲良しグループの会その他で平均して2ヶ月に一回の集まりがある。
それに同郷高校の在京者の会、高校同期の在京者の会がそれぞれ年1回と仲良しグループの随時会。
ともあれなるべく出席するようにするつもりである。