社会断想

諸々の社会現象にもの申す
中高年者・定年退職者向け

学長室でのたった一人の卒業証書授与

2015年03月27日 11時36分13秒 | 我が想い出シリーズ

春爛漫の今、卒業式の真っ最中である。

そんな風景を見るたびに私には60年前の忘れ得ない思い出がある。

普通、卒業証書授与式は大規模校なら卒業生代表に、小規模校なら一人一人に学長、校長から手交される。私が60年前に卒業した大学は小規模校で卒業生総数150人に満たなかった。

ひとり一人名前を呼ばれ学長から「おめでとう」と云われながら卒業証書を渡されるのである。

私の番がやって来た。学長の前に進んでゆくとすぐ後ろから事務方が追っかけて来て「XX君待ちなさい、君は授業料未納だから卒業証書は授業料を払うまで卒業証書はお預けだ」という。

仕方なく回れ右をしてすごすごと席に戻ったのである。

親がこの席にいたならどんなに恥ずかしい思いをしたかと親不孝者の自分を省みた。

実は納めるべき授業料は前日までに用意していたのであるが、友人某から「明日朝一番に返すから今晩のコンパ代を貸してくれ」と云われ用立てたので、当日の朝まで授業料未納となったのである。

卒業式終了直後、その友人が「悪い、悪い」と頭をかきながら金を返してくれた。

早速事務室に授業料を納めに行くと、私にストップを掛けた当の事務方が「すぐに学長室に行ってください」と云うので学長室に恐る恐る顔を出すと「XX君か、入り給え、さっきは悪かったね、あんな場所であのようなストップを掛けるなんて事務方も配慮が足りない。しかし兎も角おめでとう。社会に出たら頑張ってください」と「謝り」と「おめでとう」の言葉を同時に、しかも学長室での差しでの卒業証書授与となったのである。

僻地の分校ならしらず、このような有り様は珍しいことではなかろうか?

懐かしさと誇らしさと恥ずかしさがない交ぜになった昔々の思い出である。


 

 


1,000円札でものが買えない?

2015年03月22日 11時05分04秒 | Weblog

 

駅前書店で700円ぐらいの単行本を買うため、1,000札を出したら、若い女子店員さんが「この1,000札以外の1、000札にされたらどうですか?」という。

おかしなことを云う子だなと思い「何故?」ときくと「このお札はやや古く珍しいお札です」という。

よく見るとお札の肖像が今普通に流通している「野口英世博士」ではなく「夏目漱石先生」である。

なるほどと思い代わりに野口札を受け取ってもらった。どうやら彼女は古銭にいささか造詣があるらしく、夏目札に骨董的価値をみとめ、大事に取っておくように薦めてくれたようだ。

書店のレジの本来の守備範囲からは外れるかも知れないが、その親切心は素直に受け取り大事に取っておくことにした。

帰宅後ネットで調べてみると、この夏目札は昭和59年(1984)から昭和平成19年(2007)まで発行、平成16年発行開始の野口札に順次移行したとのこと。

女子店員との些細で和やかなやりとりのお陰でいままで無関心であったお札そのものについて随分?勉強させられ得をした気持ちである。

折から春爛漫、花見の季節がもうすぐ。花見と云えば名所の一つにお札印刷の故地である大阪造幣局跡の「桜の通り抜け」がある。

これは明治16年(1883)当時の印刷局長の遠藤謹助の発案に始まったという。

遠藤謹助はあの「長州ファイブ」の一人で、私と同じ山口県長州出身である。

店頭での小さな会話がここまでの連想をもたらした。季節はまさに春である。

 


一日だけのマドンナ季節

2015年03月16日 13時01分24秒 | 社会断層

春めいた今日この頃、大学キャンパスのある街には「一日マドンナ」が溢れる。

着物に袴を、ややヒールの高い靴の若い女性である。

無事学業を終え卒業式も終了、これから社会人と巣立っていく。まずはおめでとうと云いたい。

私はこの姿を見るとなぜか夏目漱石の小説「坊ちゃん」を思い出す。

小説の主人公「坊ちゃん」の友人が恋をした女学生をその友人は「マドンナ」と呼んだ。

明治時代の女学生のファッションが21世紀の現在のある特別の一日に見事に甦るのだ。

 


遊び心に溢れたエピック・ コード , QR Codeとはひと味ちがう?

2015年03月10日 13時06分08秒 | 社会断層

毎年の年賀状の中で今年は一枚の風変わりな年賀状を見つけた。

永年の知人の一人からである。

どうやら羊年に因んで羊を赤、青、緑および黄色の星印が囲んでいる模様のような、絵画のような、はたまた図案のようなものが挨拶文の中に紛れている。

と思いながら挨拶文を読んでみると、「iPhoneはApple Storeから、AndroidはGoogle Playからepic codeで検索し、読み取りソフト epic codeをダウンロードして羊の画像を読んでください。新年挨拶の動画が再生されるはずです」(注:3月時点では消去されている。)

早速、指示通りダウンロードし、(筆者の場合、iPad,iPad Miniにダウンロードした)

なるほど、お孫さんと一緒の本人の挨拶音声入りの動画がでた。

結果はQRコードを読み込んだことと同じであるが、大きな違いは入り口のコードそのもののが模様的、絵画的で自由なデザイン性を持つことである。

「目は口ほどにものを云い」の伝でいくと「絵(或いはデザイン)は数百語の文章よりも多くを語る」と云えるかも知れない。

直感や視覚にアトラクティブに訴えることのできる、このコードはソーシャル・メディアの或る対象分野とその購読者にとっては面白いのではなかろうか。

ご参考までに筆者のBlogにアクセスしてみてください。

(アプリepic code リーダをあなたのスマホにダウンロードしてください。epicとcodeのあいだ一字空ける。 本文参照、または

http://www.adeu.jp/

からもDLできます)


NHK大河ドラマ「花燃ゆ」に思う

2015年03月10日 10時53分04秒 | 社会断層

NHK大河ドラマ「花燃ゆ」が始まって2ヶ月が経過した。主な舞台となる萩市は私の故郷であり、劇中に出てくる藩校「明倫館」に由来する校名をもった「明倫小学校」70有余年前の卒業生として、この大河ドラマの成り行きには人ごとでない関心を持っている。

筋書き、登場人物と配役の俳優、使われる萩・長州弁、風景等等まさに人ごとではないのである。

概して上記のいずれもまずまずの合格点を差し上げたい。

この3月以降はかの「松下村塾」と先生吉田松陰とそのお弟子さん達錚錚の顔ぶれが出揃い、面白くなる予感がある。

今までのところ、視聴率がいまいちだとのことでNHKもやきもきしている由。

これから盛り返すことを願っている。

その「松下村塾」、一見みすぼらしい、やや大きい物置小屋である。

小学生・高校生時代から郷里を離れてたまさかの帰郷時に訪れる「松下村塾」、その建物から受けた印象はまさにそれであった。

が、しかし、その私の印象は大きく変えられた。きっかけは図書館で最近借りたビデオである。

「ハーバード大学白熱教室」マイケル・サンデル教授である。

「ハーバード大学白熱教室」マイケル・サンデル教授の著作をビデオにしたもので原本は数年前に日本でもベストセラーになり書店で平積みになっていたと記憶している。

ビデオで見る限り、この白熱教室は教師から学生に対する一方通行的な授業ではなく教師であるサンデル教授が提示するある問題に関して学生同士の討論、教授と学生との議論、又学生間討論に帰り教授の一応の締めくくりの巡回の場であるとの印象を受けた。

松下村塾での風景は規模は小さいがまさにこれではないかと思うのである。

150年前の僻村の私塾と大学世界ランキング一位のハーバード大学を並べるのは沙汰の限りだが、云いたいことは「教育は建物ではない」との一言に尽きる。