社会断想

諸々の社会現象にもの申す
中高年者・定年退職者向け

WPC EXPOとGoogle フォーラム

2005年10月29日 13時02分43秒 | Weblog
WPC EXPOに行く
東京ビッグサイトで行われているWPC EXPO ディジタル・パソコン関係の展示会に行ってきた。相変わらずの人出である。
ざっと駆け足の見学と毎年キチンと見ているわけではないので、何が新しいのか、新しくないのか判断がつかない。がともかく目をむくようなものはないように思った。
むしろ私の関心を引いたのはTBSとNTVの両民放TV局がVODを小さな展示ブースでアナウンスしていたことである。
NTVは昨日から、TBSは11月1日から始めるそうだ。ひっそりとした展示ブースの感じでは両局の「サー、始めるぞ」という意気込みは感じられず、何か戸惑っているようにも見受けられた。
見て歩きの途中、見学を中断して予約していたGoogleのフォーラムに出席した。
広い会場、何人収容出来るか分からないが、ともかく満席で立ち見がでていた。
いま検索エンジンでNO.1を誇るGoogleだけに関心を蒐めたのだろう。
ほんの数年前にスタンフォード大学の一角で誕生したGoogle社は今や世界中にネットワークを広げ各国対応の言語でサービスを展開している。マイクロソフト社と高級社員の引き抜き問題でも業界の話題となっている。
フォーラムでの講演者は日系の女性で、Google シリーズの説明がなされたが、その中で一番印象に残ったのは最新のGoogle Earthである。
これは先行のGoogle Mapsを三次元に発展させたものだそうで衛生写真を使った拡大・伸縮つまり遠近視が自在に表現出来るものである。
フリーでダウンロード出来るとのことなので沢山の人が楽しんでいることだろう。
もっともインドや数カ国から国防上問題ありとクレームが付いているそうである。
つまりそれだけ旨くできているということか?

テクノ・ジジーのためのフォーラム2回目

2005年10月26日 15時07分36秒 | 大定年時代
「テクノ・ジジーとババーのためのフォーラム」第2回
「テクノ・ジジーとババーのためのフォーラム」は小生が勝手につけたネーミングである。
正しくはフォーラム「団塊の世代 新たな挑戦」でその第2部パネルディスカッションでの概要と感想を述べる。

パネリスト は漫画家 弘兼憲史、NPOシニアSOHO普及サロン・三鷹 顧問の堀池喜一郎、NPO建築技術支援協会 事務局長 米田雅子の各氏とコーディネータは清家篤 慶應義塾大学商学部教授である。
以上各氏のそれぞれの発言の内、記憶に残ったものを列記する。
清家氏:若い婦人記者がさる著名人にインタビューに云った。
著名人が彼女に質問「貴女の父君はいかなる人か?」
彼女応えて曰く「花王会社で洗剤アタックを開発しています」
著名人は感歎しきりであったという。普通このような問いかけには「某々社で○○部長をしています」の類の答えが返って来るであろう。某々社が有名大企業なら尚更であろう。この話には後日談があり、清家氏が今度は花王のトップのさる人に、この話をしたところトップ氏曰く「花王にはこのような答えをする人が200人ぐらいいますよ」
会社を誇るよりも自分のしてきた仕事を誇れる人であって欲しい、特に定年者、これから定年を迎える人はかくあって欲しい。
堀池氏:会社を去って地域に帰って「只のオジサンにならないで欲しい、自分の得意技を生かして地域に貢献する只ならぬオジサン、オバサンでありたい」
米田氏:定年後は好きなこと、得意技を生かして社会に貢献して欲しい。しかし自分の好きなこと、得意技が分からない人が多いのが現実である。
50才ぐらいからこのことを意識し準備をして欲しい。
弘兼氏:私はまさに団塊の人である。団塊の人はその人数の多さによってトレンドを作ってきた。定年後も大消費者であることによって社会に充分貢献できる。
2007年問題の後2030年問題がある。この時期は現在の団塊人が死んでゆく。
死に場所は病院等でなく、自宅で死ねる宅死が出来るような社会にしたい。
以上各氏からはもっと沢山の示唆に富んだディスカッションがあったが小生の非才のため断片的に記すのみとなった。


テクノ・ジジー(ババー)のためのフォーラム

2005年10月25日 12時49分37秒 | 大定年時代
「テクノ・ジジーとババーのためのフォーラム」第1回
これは小生の勝手に名付けたネーミングである。正しくは「団塊世代  新たな挑戦ー生涯現役をめざして」フォーラムである。
10月24日東京日比谷のイイノホールで表題のフォーラムがあり、我がNPOテクノリンクの活動趣旨に沿う話なので出席してきた。
1000人は収容できるかと思われる会場はほぼ満席で、如何に団塊世代問題、定年後の生き甲斐問題についての関心の深さをうかがわせるものがあった。

第一部基調演説として 慶應義塾大学教授 清家篤氏の「年齢に関わりなく働ける社会に向けて」と題する講演があり、第2部として パネル・ディスカッション
「豊に生き生き 新たな選択肢」のテーマで「課長島耕作」で知られる漫画家 広兼憲史、NPO法人 シニアSOHO普及サロン・三鷹顧問 堀池喜一郎、NPO法人 建築技術支援協会 事務局長 米田雅子各氏、コーディネーター 前述の清家清氏によって行われた。このブログでは基調講演とパネルディスカッションで受けた私なりの受け止めと感想を2回に亘って述べたいと思う。

清家篤教授の話を中心に:
テクノロジーをもじってテクノ・ジジー(爺)と云う言葉があるそうである。
60才以上といえども若々しく、得意技(テクノロジー)をもって社会に貢献できる人達は沢山いるということか。
現在60才以上の人口は総人口の20%、2500万人である。これが 10年後には25%、3300万人になる。世界一の高齢者社会に突入する。
その高齢者社会はより若い層に依存し支えられるのではなくて、高齢者自身が支えなければならない時代がきている。
これについては幸いに日本は恵まれた条件を持っている。
一つは概して健康で平均寿命が長いことである。
次に高齢者の労働意欲が高いことである。これは先進諸外国に比べて歴然たる差を示すデータがある。
さてこの条件を生かすためには社会の仕組み、制度を変えなければならない。
現在の年功序列制の賃金制度、即ち加齢に伴って地位が上昇し賃金が上昇するシステムを変えないと企業の、特に大企業の定年延長や定年制度廃止の動き出てこない。それだけ年功序列制の賃金制度は企業に重荷になっている。
中小企業の現場では年功制のくびきはより少なく、リーゾナブルな賃金制度となっている例が多く、それ故に高齢者雇用の窓口は広いと思われる。
また被雇用者としてではなく、その得意技を生かして自立、自営を考えるのも大きな選択肢であろう。これには定年はない。決めるのは自分自身である。

以下小生の一言:テクノ・ジジーに関して第二部のパネラーの一人、堀池喜一郎の話では同氏の関係するNPO所属のテクノ・ジジー達が地域の子供に竹トンボの作り方を 教えている そうで、ジジーと地域の子供とのこのような組み合わせは外にない、或いは最初であるとのことであった。
チョット待って下さい。我が母校の電通大同窓のまさしくテクノ・ジジー連は地域の子供達に「オモチャ病院」の開業と「電子工作教室」を開催している。
ムキになって先陣争いをしているわけではないが、我がテクノ・ジジー OBのために一言。

NPOテクノリンク:
http://www.h7.dion.ne.jp/~tecno1
http://blog.goo.ne.jp/tecnolinc_001

世界物理年とアインシュタイン

2005年10月24日 09時46分51秒 | Weblog

世界物理年とアインシュタインの話
我が母校の電気通信大学OBで小田急沿線に住んでいる人達の会がある。
メンバーは定年退職者が大半で年齢層もおのずとしれよう。
ねんに数回の飲み会と分科会として散歩会と写真撮影会があり、両者は連動している。
外にも計画されている分科会が予定されているが未だ動き出してはいない。
10月22日に秋期の総会つまり飲み会が行われたが、毎回飲み会のみではあまりにも芸がないということで世話役U氏の発案・肝いりで、元電通大学長有山正孝先生に講話をして貰うことになった。私としてもほとんど初めて聞く話だったので、ここにその一部を紹介したい。注)事実に誤認や聞き間違いが有れば全くもって小生の責である。
今年2005年はアインシュタインが3大理論を発表した1905年の百年目に当たる。それに因んで国際純粋応用物理学連合や国連が決議し「世界物理年」とし、それに連動して物理学会を核として関連学会による日本委員会も設立された。
有山先生はその世話役をされている。
多彩な記念事業が行われた由であるが、そのなかで小生にとって印象深かったのは小中学生を相手にした一流科学者との対話会「科学者と話そう」と「全国高校生物理コンテスト」の2行事が成功裏になされたということである。
近時小中高校生の数学、物理離れや学力低下が問題になって、ゆとり教育への反省が叫ばれているが、上記の2行事に夏休みの暑いさなか参加した小中学生、高校生 の熱意を聞くとまだまだ日本も捨てたものではないといささか救いを感じた。
ちょっと変わったトピックスでは、相対性原理に関連したイベントに必ず現れる「相間」さんという人種がいるという。「相対性原理は間違いだ」と主張する人々である。
主張は各人の自由だが、彼等は延々と主張をぶちまくるので迷惑この上ないとのことである。
有山先生の軽妙洒脱なお話で2時間はあっという間に過ぎた。
世界物理年のWEBは http://www.wyp2005.jp
に有るので関心のある人はどうぞ。

唐津一氏の話 或るシンポジュームにて

2005年10月19日 05時51分48秒 | 大定年時代
目からウロコの唐津一氏の話 或るシンポジュームにて
先日OB人材活用推進シンポジュウムなる会が行われたので聴講してきた。
その中で唐津一氏の話が面白く、目からウロコが落ちたような気がしたので披露したい。
以下同氏の話の要約(受け取り間違いが有れば小生の責任)
1)日本の面積はは全世界面積の わずか0.3%にすぎないが、その経済力は世界の
15%を占めている。
2)そのよって来る源泉は世界一の技術力である。
日本が技術開発に掛ける金は16兆円(民間、官公を含めて)でGNPの3.2%である、ヨーロッパ平均では2.5%を凌駕している。
3)日本は今まで(10年前までは)物を大量生産し、それを大量に輸出してもうけてきた。しかし現在では内需の方が遙かに大きくなっている。
依然として大量生産→大量輸出で日本経済が成り立っていると考えている人が多いが間違いである。私も間違っていた。目からウロコである。
4)日本は変化する国である。その変化を促進しているのは新技術の開発である。

余談だが私は大学時代に非常勤講師として来られた同氏の講義、確か「公共企業体論」?を聴講したことがある。先生も若かった。

Kid英語は必要か?

2005年10月15日 16時12分08秒 | 社会断層
Kid英語は必要か?
小学校で英語が正規科目になるようである。
英語教育の低学年化については前々から議論されており、賛否両論ががあることは特に目新しいことではない。
賛成論者の主張の主なものは「ますます進展する英語の国際標準化に対して日本人の英語力は弱い、世界的に見てTEOICの成績順位は下から数えた方が早い。従って子供の時から英語に親しませるべきだ」対して反対論者は「幼年期から英語を教えるよりもまず母国語である日本語をキチンと教え、日本語による論理思考、表現力を確立させるべきである、その能力は12才ぐらいまでに一応確立する。従って現在の中学校から始めることは合理的である」というものである。
小生も英語の達者な日本人のしゃべりを聞いたり、外国育ちの日本人の(或いは日本育ちの外国人)バイリンガル振り、自由闊達な外国語と日本語の往復を見聞するにつけ、羨望の念を禁じ得ないのである。
さて幼年期からの英語教育について貴公の意見はと問われるとウーンと考え込まざるを得ない。がしかしである。小生は身近にヒントになるような存在がいる。
それは今メキシコ(スペイン語圏)に住んでいる孫娘である。彼女は生後8ヶ月は小生達(我が夫婦と長女と彼女)と共に生活し、一足先にメキシコに帰り、その地の大学に教職に就いた父親(メキシコ人)を追ってメキシコに移り住んだ。
その時我が夫婦の心配は孫娘の言語発達を心配したものである。大きくなって日本語が話せなくなり、可愛い孫とコミュニケーションが取れなくなるのではなかろうか?
もしそういうことになれば悲しいなーというのが偽らざる気持ちであった。
だが杞憂であった。家庭内では母親は意識して日本語で話し、父親はスペイン語で話しかけるという環境を作ったのである。幼稚園、小学校および中学校と日本メキシコ合弁の学校で学んでいるが、日本語の話す、聞くには不自由していない様子である。
その間、我が夫婦のもとで数回一ヶ月程度暮らしてきた。
その間はもっぱら祖母(我が家内)とおしゃべりをすることが多く、案外これが日本語の話す、聞く能力にも大きく役立っているのではなかろうか。
このような環境は万人向けの話ではないが、ヒントはある。
つまり、小学生低学年の英語教育は「ネイティブの発音を聞かせ、耳を英語リズムに慣らさせる。簡単な基本単語を発音させ顔の筋肉を英語の発音に対応できる柔軟さを持たせる」以上が小生のヒントであるが、果たして最重要と小生が考えるネイティブ環境が全国津々浦々の小学校で用意出来るのだろうか?
ネイティブの発音にほど遠い発音しかできない先生に教わるのなら、むしろ百害あって一利なしの結果になりかねないと心配するのである。

ハルとナツと私

2005年10月08日 08時42分38秒 | 我が想い出シリーズ
ハルとナツと私
NHKの放送80周年記念の五夜連続テレビ番組「ハルとナツ」を見た。
一家挙げてのブラジル移民の筈が、ナツのトラホームのためにナツだけ残されることになる。ブリッジでハルにしがみつくナツが 強引に引き剥がされるシーンには涙がこぼれた。ブラジルに渡るハル一家と残されるナツのこれからの過酷な運命を暗示するシーンであり、事実物語はそのように展開する。
見ていてふと気がついた事がある。それは私自身も似たようなといったら烏滸がましいが
同時代背景でチョット似たような経験をさせられたのだ。
物語の時代は70年前の昭和9年から始まるのだが、この時代は日本は大変な不景気でブラジル移民も食えない農民の救済策の建前であったが、事実は棄民策でもあったのだ。
当時4才であった私にとっても実は人ごとではなかったのだ。勿論4才の幼児が経済情勢も家計の事も知ることではなかった。
私は何時の間にやら今の韓国の麗水?(うろ覚え)の伯母の家にいた。
伯母と私の両親との間にどんな遣り取りがあったのかわからないが、多分こんな事ではなかったろうかと思う、今にして思えば。
父は駅前に店を新築した。店といっても田舎の駅前によくある土産物屋と軽食堂を兼ねたものであるが、少し違うのは遠洋漁業の小さな漁港を控えていたので、二階を船頭さん達を相手の料亭にしていた。
折からの不景気で父母はやりくりが大変であっただろう。
伯母に子供がなく、末っ子で4才の私を養子にくれれば資金援助するという話になったのだろう。伯母夫婦は麗水?駅前で運送店を営んでいた。今思うとちやほやと可愛がられ、随分贅沢をさせてくれたところをみると金回りもよかったのだろう。
私自身も伯母夫婦になつき、生家に帰りたいとダダはこねなかったとおもう。
何事もなければ敗戦まで現地にいたことだろうが、運悪くか、運良くというべきか 大病を患ったのだ。病名は覚えていないが一時危篤状態だったらしい。所謂水が合わなかったのだろう。
危篤電報で、母がすっ飛んできた、と後で親戚から聞いた。
一刻も早く生家に連れ帰るという母に預かった子を病気にさせたと負い目を感じている伯母も抗弁すすべもなく、その日の夜行で釜山に出、当時の関釜連絡船で帰った。この間所々に記憶があり、逆に記憶が埋没しているが、気がついたら実家にいた。どうやら回復したようだ。早速幼友達が遊びに来た。その時母が作ってくれた芋ようかんのような菓子が素晴らしく旨かった。何せそれまで重湯かお粥ばかりだったからだ。
今でも我が生涯の最高の美味は聞かれたら、これを挙げることに迷いはない。
その母も私の看病疲れもあってか、一年足らずでこの世を去った。
母の分まで生きようと思う。
ハルとナツの境遇とはうんと違い表題は烏滸がましいが、この番組が埋もれた記憶を呼び覚まし、この拙文を記す切っ掛けになった。

時代錯誤の窓口規制

2005年10月07日 06時55分42秒 | Weblog
驚くべき時代錯誤の規制
厚労省の窓口に職業紹介所開設に関する説明会に出かけた。
驚いた。何に?
職業紹介事業許可申請書類一覧を見る。
1)の職業紹介事業許可申請書から始まって12)の職業紹介取り扱い職種等届出書までなんと12種類の書類が必要とのこと。しかも申請者法人の役員(監査役を含む)全員の履歴書とか事業所のレイアウト図等の付帯書類が必要であると。
全部そろえるとゆうに40枚ぐらいになりそうである。何とも大袈裟な事と感じ入る。
今世の中の大きな流れに、規制緩和、創業起業の奨励(新会社法等で)等がある。
しかしこれだけの書類を用意せよと云う役所の意図は何処にあるのか?
勝手な想像だが、職業紹介事業を悪用する手合いの参入を警戒しているのか、又そんなケースが現実にあるのか?
さらに想像を逞しくすると役人にとって規制緩和はイコール彼等の権益侵害と受け止める役人のDNAだろう。やたらと物事をややこしくして庶民が戸惑うのを見て、それに救いの手を伸ばすことにミッションを感じているのか?
(決して冷淡に突き放すわけではないのだが)
とにかくこれだけの書類をキチンと整備し、その内容を遵守すると云うことは小さな企業では大変な負担である。ましてや職業紹介業をもって起業しようと考えるベンチャーには絶望的な障壁であろう。
折から2007年問題が叫ばれ、大量の定年退職者がこれから出てくる。
退職者の内特定のグループ(例えば技術者)と企業群とのマッチングに企画と自信があり、彼等に就業の機会を提供する事業即ち職業紹介事業を考えているベンチャーもいる。
所管窓口を創業,起業に理解のあると思われる経済産業省またはその系統機構に移管して貰いたいものである。

大学生は漢字が苦手?

2005年10月05日 14時55分38秒 | 社会断層
大学生は漢字が苦手
10月4日の朝日新聞夕刊紙に「大学一年生は漢字が苦手」と大きく報じられた。
うーん、かくいう私も漢字の書き取りは苦手である。どんどん忘れる一方である。
第一手書きで漢字を含めて書く機会が少なくなった。特に私自身は字が下手で、自分の字が後で読めないほどである。従って文章書きは極力ワープロに頼っている。
こんな事も忘れを加速する原因だろう。
ところが私信となるとワープロ書きは相手に失礼であるという風潮があり、又事実そうであるとも思う。いきおい、返書をしたためることを怠って失礼することが多いが、最近の救いは私信もメールでの遣り取りがが多くなってきたので、礼を欠く事も少なくなってくるような気もする。
さて、忘れによって書ける漢字が少なくなった私はどうすればよいか?
漢字は書き方を忘れても読むことは出来る。ワープロの変換によって選ばれる候補漢字群から的確な漢字を選択できるならば、取り敢えずは用は足せると強がっているのだが。
この夕刊紙に4字熟語の書き取り問題例が出ていたが、これなどは漢字の書き取り能力よりも4字熟語=「言葉そのもの知識」のテストでは無かろうか?
大学一年生の正答率15%弱とのことであるが、もしワープロを使わせてこれらの4字熟語を完成させるテストをすると結果はどうなるだろうか?
もし同じように悪い正答率ならば由々しき問題であろう。論文もレポートも思いやられる事になる。
ワープロ(パソコン)時代での私なりの解決法は
1)高校までに漢字書き取りを充分行う。これによってパターン認識的に漢字識別能力を養っておく。書き方を忘れても識別能力は生き残るだろう?
2)日頃から本、文章(新聞等)をよく読む、又自分でも文章を書く訓練をする。
これによってワープロの漢字変換機能によって提示される漢字群から的確な漢字が選べるし、4字熟語のような格好良い言葉を駆使出来るようになる?
国語教育の専門家ではないので上記1)、2)に?をつけました。

路上演技者花盛り 南大沢

2005年10月03日 17時48分03秒 | Weblog
路上演技者花盛り 南大沢
京王相模線の南大沢駅前広場は休日の午後は大変な賑わいである。
この賑わいは同時に子供天国でもある。親に連れられてどっと子供が繰り出して来る。
最近目立った事は路上演技者が増えたことである。
以前よりジャグラー演技者のパフォーマンスは定番でこれを目当てに親子連れが周りを取り囲んでいる。
これ以外に目についたのは 一人チンドン屋と銀粉を頭、顔に塗りつけたパントマイムである。
ともかく危険のない賑やかさは大歓迎である。