社会断想

諸々の社会現象にもの申す
中高年者・定年退職者向け

下町の七福神巡り

2008年01月29日 11時29分18秒 | Weblog
下町の七福神巡り
学友と月一回の歩く会を持っている。出欠自由で気楽な会である。故にその時の体調や予定コースの難易度(というほどの大袈裟なものではないが登り・下りのキツサ)で参加したりしなっかったりである。
一月も終わろうというある日、東京谷中七福神巡りのコースが設定された。街中だから登り・下りもないだろうということで参加した。
東京都の郊外に住んでいる身として下町は久しぶりである。
天気晴朗なれども風強しの中を山手線の西日暮里駅から出発して東覚寺から忍ばず池弁天堂に至る七福神を巡り足を伸ばして湯島天神を訪ねる。
この一帯は神社・お寺だらけでよくもこれだけ集まったものだとおもう。経営は大丈夫かね?と人ごとながら心配する。
途中の谷中銀座は歩いて数分の短い一角だが下町の商店街の雰囲気は保っている。
ここでカリン糖を土産代わりに買う。
谷中墓地を通り抜ける。墓地の規模の大きさに驚く。○○家代々の墓に混じって◇◇氏の墓とあるのは多分に先祖が幕府御家人家の墓だろうか?
最後の湯島天神では折からの受験シーズンなのか合格祈願の絵馬がびっしりとぶら下がっていた。仲間の一人が母校の名前を祈願した絵馬が見あたらないとぼやいていた。
夕刻になり空気はますます冷え冷え、風は相変わらずで居酒屋を恋い求める。
居酒屋モドキを見つけ一同なだれ込む。一人お銚子一本と若干のつまみで勘定一人当たり¥700。安い。もう少し飲めば良かった。

リスニングテストにもの申す

2008年01月28日 11時26分44秒 | 社会断層
英語リスニングテストよりも国語リスニング

大学入試のセンター試験が終わったばかりであるが英語リスニングであちらこちらでトラブルがあったと報道されている。
そして今度は高校入試に国語リスニングテストを課す公立校が増えていると報じられている。国語リスニングテストを取り入れる理由は小中学校の国語授業では「話す」「聞く」も重視されているのに対話する能力がなかなか身につかないことに現場の先生が悩んでおり、解決のきっかけとしてリスニングテストを課するということのようである。
国語の先生の指摘として「人の話を聞かない、聞けない」「長い話の要点が掴めない」生徒が多くなったという。
大学入試におけるセンター試験で英語のリスニングテストの必要性に関しては、いささかの疑問を持っている小生であるが高校入試の国語のリスニングテストについては大賛成である。人の話を良く聞き要点を理解する能力またはその訓練、習慣は社会生活のためのコミニケーションの基礎であり、このテストはその重要性を生徒本人、保護者に認識させるきっかけになると思う。
大学入試センターにおけるリスニングテストは果たして受験者の語学力の物差しの一つになるのだろうか?
「読む」「書く」「話す」「聴く」はコミュニケーションの基本であるとの認識に異論はないが「話す」「聴く」は受験者のそれまでの被教育環境、或いは機会に大きく依存するのではないかと危惧するものである。つまり不公平ではないか?
「話す」「聴く」は入学後の本人の必要意識や好みに任せれば良いと思うし、受け入れ大学もコース、場を用意すべきであると思う。

いつの世も読み書きが一番大事

2008年01月24日 12時30分59秒 | 社会断層
1月24日朝日新聞朝刊に次のような記事が出ていた。
「全国学力調査で成績の良い学校は読み書き授業に力を入れていた」
小学校6年生と中学校3年生を対象に昨年4月に行われた全国学力調査で、国語と算数・数学の平均正答率がいずれも高かった学校は国語の授業で「書く習慣」や「様々な文章を読む習慣」を身につけさせる授業をよく行っていたことが文部科学省の調査分析で分かった。同省は「書く力や読解力は国語だけでなく、他の教科の学力でも重要であることの表れ」とみている。
この記事を読んで真っ先に思い浮かんだのは数学者藤原正彦氏の著作のどれかに書かれていた「一に国語、二に国語、三、四がなくて五に算数」という趣意の文章である。
ご本人が数学者であるだけに、説得力があると感心したものである。
文科省の調査結果は図らずも同氏の発言を裏付けるものとなった。
いま小学校から英語教育を取り入れる事になったようであるが、くれぐれも「国語の読み書き」が基本であることを心したい。

遠くて近い国トルコ

2008年01月16日 12時43分07秒 | Weblog
遠くて近い国トルコ

最近の朝日新聞朝刊地域多摩版で次のような記事が目にとまった。
「118年前和歌山県串本沖で遭難・沈没し、600人近い犠牲者を出したトルコの軍艦の遭難事故があった。そのなかで地元民によって救出された生存者69名を母国トルコに送り届けた功績に対して当時のオスマン・トルコ皇帝から海軍士官に贈られた勲章やメダルがその士官の親戚宅に保管されていることがわかった。この遭難事故に対する当時の地元民や日本国政府の対応が日本とトルコとの友好親善の原点になっている・・・・・」
この記事を読んで数年前の友人達との旅行で遭難現場近くに建てられている記念碑と記念館の側を通った事を思い出した。
記念碑は一回りし眺めたが記念館には入らなかった。その先の灯台見物に気がせいたのだろう。今この記事を読んで記念館見物をパスしたことが悔やまれるのだが、この記事は同時にこの遭難事故を通じて日本とトルコの友好の歴史を辿る「エルツールル号回顧展」(エルツールル号とは遭難事故のトルコ軍艦)が三鷹市の中近東文化センターで開催されているという事を知らせてくれた。。
そこで早速出かけてみた。
展示品、展示解説文を丹念に読んでいくと「トルコ国民は日本に対して友好感情をもっている」という小生の漠然たる概念が間違いではなかったとわかった。
この遭難事故に対する日本側の対応以外にトルコ国民の親日感情の醸成に大きく影響したのは日露戦争で日本が勝利した事である。当時トルコはロシアに圧迫され苦しめられていたという。極東の一小国日本が大国ロシアに勝利しトルコ国民は溜飲を下げたとのこと。トルコには勝利を決定づけた日本海海戦の東郷元帥の名前を付けた「トーゴー通り」という街路もあるという。
こんな親日感情が何十年の時を隔てて遺憾なく発揮されたエピソードがある。
1980年代イランとイラクで勃発した戦争通称イラン・イラク戦争(イライラ戦争)当時イラン在住の外国人(日本人も含まれる)は急遽イランから脱出を迫られたが、当時日本から直接乗り入れる航空機便はなく外国航空機便を使わざるを得なかったのだが、どの国も自国民か隣接国民の搭乗を優先したため、在留邦人は脱出出来ず途方に暮れたのである。その時トルコ航空がテヘランに飛来し多くの邦人を救出したという事実があった。
まさに エルツールル号遭難事件の旧恩に酬いてくれたのである。
ともあれ距離的には遠い感じのトルコだが歴史のなかのエピソードを知るにつけその距離が小生の中では一気に縮まった。