社会断想

諸々の社会現象にもの申す
中高年者・定年退職者向け

学士様ならお嫁にやろか・・

2007年09月12日 16時06分08秒 | 社会断層
学士様ならお嫁にやろか?
遠い昔、といっても明治・大正時代ぐらいまでだろうか「学士様ならお嫁にやろか」という言い方があったそうである。今の若者にはなんの事やらわけがわからないだろう。
その時代は大学卒つまり学士様には最愛の娘を嫁にやろうと親は考えたのだ。
そのぐらい学士には値打ちがあったのだろう。
今はどうだろうか?
1950年代から大学進学年齢者が増え続け大学も新設、学部増設と供給側も受け入れ側も歩調を合わせて増え続けてきた。
特に過去十年を見ると大学数は586校から756校に増えたが、少子化の影響で大学志願者数は逆に82万人から69万人まで減ったそうである。
つまり数字からいえば志願者はえり好みしなければ全部入学できる事になった。いきおい大学側もいろんな名目で入学を易しくせざるを得ない大学が増えたわけである。必然的に学士の下方水準は下がる一方となったのである。
というわけで、文科相の諮問機関である中央教育審議会が「各大学に責任を持って卒業者=学士の質・レベルを維持するよう求める」という記事が最近の日刊紙に出ていた。
小生に言わせれば、今更遅いよと言いたいのだが、良い方向に向かうのなら是非にも道筋をつけて貰いたいと思うのである。
新聞記事によれば審議会は具体策として学部教育で身につけるべき能力として
1)日本語と特定の外国語を使って「読み」「書き」「話す」が出来るコミュニケーションスキル
2)情報や知識を複眼的、論理的に分析、表現できる論理的思考力
3)自己の良心と社会の規範やルールに従って行動できる倫理観
を挙げている。
3)については、どうも分からんというのが小生の率直な感想である。
1)の「国語と外国語によるコミュニケーションスキル」2)の分析・論理的思考力の向上を求めるのは、裏返しに言えば、学士として、この面の教育・訓練と自己研鑽が足りないということであろう。つまり学力が足りないということだろう。
3)の倫理観は小・中・高校でとっくに身につけておくべき事で学士の学力とは 関係ないと思うのだが。
小生の解決策は単純である。「入りたい奴はいれる。学力が足りない奴はそのレベルに到達するまで何年かかっても卒業させない」というものである。
学生が勉強しないのは「何を勉強したらよいのかわからん」のが実情であろう。
これの解決策は「長期インターンシップ」である。この長期インターンシップで或る程度の数の職場を経験し何を勉強すべきか把握させる。また今の専攻学科が自分に向いていなければ転科、転大学をさっさと行う。そのために卒業が2~3年遅れてもやむを得ないし大学制度ももっと柔軟な対応すべきではないか?
この考えで一番の欠点は経済的な問題になんの答えも提示してないことはよく分かっているのだが。
易しいからと入学し、勉強もそこそこに卒業し、就職し、自分に向いていないと止める。あげくはフリーターになって技能‥技術を身につける機会を失いズルズルと失われた十年を過ごすのなら 「長期インターンシップ」のようなシステムで自分の身につけるべき知識・スキルと社会との関係を把握することが肝心で「急がば廻れ」と愚考する次第である。

漢字は書けなくとも慣用句は間違えないで・・

2007年09月11日 10時54分36秒 | 社会断層
漢字は書けなくとも慣用句は間違わないで!
文化庁が毎年行っている「国語に関する世論調査」の平成18年度分の結果発表があった。有効回答者数約2000人、全国の16歳以上の男女を対象の個別面接の結果である。
それによると各年代を通じて漢字が手書きでは書けなくなったとの嘆きがうかがえる。
小生の嘆きでもある。
その代わり、情報機器即ち携帯電話、パソコン(ワープロ)や電子辞書の漢字変換機能の助けを借りて手書き時代よりもより多く漢字を文章中に使用するようになった。
特に10代~30代の若者は携帯の漢字変換機能や内蔵の国語辞書(機種による)利用率が高いとのこと。小生もこのことは初めて知ったのだが、成るほど成るほどと感心するばかりである。小生も手持ちの携帯を調べてみたらちゃんと国語辞書は内蔵されていた。これも初めて知った。迂闊である。
ともあれ漢字が手書き出来なくなる傾向は押しとどめようがないのではなかろうか?
国語特に漢字教育のあり方に変革を迫るものであろう。さりとて、こうすればよいとの答えは小生は持ち合わせてはいないのだが。
もう一つ小生の個人的な悩みは、似たような悩みは他にも沢山の人が抱えているようでもあるが、手書き文章が何とも乱筆で 「ミミズののたくった」の表現を通り越し「生け簀の中のウナギの絡み合い」状態で 読む人に苦痛を与えているのではなかろうかと忸怩たる思いをしているのである。
通知状とか同文配布の文章等はパソコン書きで苦にならないのだが、個人的な頼み事や消息の手紙等は手書きにならざるを得ない。実に苦痛である。
英文のように文章内容の如何を問わず最後に本人自筆のサインをもって失礼にならない?という具合にならないか と願っているのである。
さて漢字の問題と小生の嘆きは別にして慣用句の誤用の実態がこの調査で分かった。
この誤用には大別して2通りあるようだ。
例えば次の慣用句で1)2)の正しい慣用はいずれもBである。ところが答えは下記の如く誤用の%が多い例がある。
1)「夢中になって見境がなくなること」を
A:熱にうなされる   48%
B:熱にうかされる   36%
2)「彼には役不足の仕事だ」を
A:本人の力量に対して役目が重すぎること   50%
B:本人の力量に対して役目が軽すぎること   40%
1)の場合は誤用があったとしても実害はなさそうであるが、2)の誤用は問題である。
例えば、組織の中でのこの誤用は「彼」にとって良否に別れた評価になり悲劇を生みかねない。
「慣用句辞書ー慣用句の正しい使い方」が携帯に必要かも知れない。

小学校同窓会名簿・・60有余年たった今

2007年09月05日 17時25分24秒 | 我が想い出シリーズ
小学校卒業名簿が来た・・・65年前のクラス名簿

郷里の小学校時代の同級生K君から突然電話を貰った。用件は小学校卒業名簿を送る、同窓会も開くので出席の可否を知らせてくれとのことであった。
K君とは旧制中学から新制高校と同級生で且つ郷里での高校のクラス会で1~2度会ったことがあるのだが、小学校の同窓会の件にはいささか戸惑ったのである。
高校時代の同窓会は郷里在住者も東京在住者もほぼ毎年行っており郷里・東京の同窓会同士の交流もあり、お互いの消息はほぼ掴めているのだが、小学校の場合は卒業以来60有余年を経て、その間一度も同窓会の話はなかったと思う。それが今回の話である。戸惑わざるを得ないわけである。
多分出席は叶わぬとK君には伝えたものの 名簿だけは是非欲しいとねだった。
数日後送られてきた名簿は小学校6年卒業時の名簿とのことである。
早速、男子4組、女子3組(それぞれ組名があり男女別々の組み分け)の名前リストを辿ってみた。
同期の児童数約360余名で当時でも県下の有数の大規模校と言われていたようだ。
余談だが、1年入学式の校長先生の訓辞の一節「この学校の生徒数は2600名、今年は紀元2600年(当時の皇国史観での年号)のお目出度い年に君たちは入学した」との話を未だに覚えているのは当時6才の頭が数字の語呂合わせに妙に納得したのだろう。
ともかくリストを辿っていくと記憶にあるのは旧制中学に進学した連中で彼等のほとんどとはその後6年を 過ごしたわけだから当たり前であろう。
問題は商業学校・高等女学校或いは小学校高等科に行った人達とは狭い町ながらあまり交流はなかったので、大半は記憶にないのである。
しかし、はっきりと懐かしく想いだす人もいて、じっと暫く名前を見つめ、あのとき、この時の記憶を辿るのである。
特に通学路が同じで行き帰りにふざけ遊びながら過ごした人達数人である。
ところが残念なことに名前は記載されているが住所等が空白つまり消息不明なのである。
彼等の内MとT君の消息は是非知りたいと思い冒頭のK君に消息追跡を図々しくもお願いしたわけである。
それにしても死亡と記載されている人達が50名ばかりいる。消息不明者の中にも既に故人となった人も相当数いると察せられる。 合掌。

お猿さんは立派なアスリートだ!!

2007年09月03日 11時49分16秒 | Weblog
お猿さんは立派なアスリートだ!!
焦熱の大阪国際陸上大会が終わった。最終日の9月2日まで日本はメダル1ヶも取れずに終わるのかと、誰しも悲観していたが、土佐礼子さんの必死の頑張りで女子マラソンの銅メダルが取れた。土佐礼子さんに天晴れを差し上げたい。
話変わって私の住まいの最寄りの京王線南大沢駅前のスクエアーに猿回しが出演している。土日祝日が主だが夏休み期間中は平日もやって来ている。
お猿さんも何匹かいて、ペアを組んだお兄さん、お姉さんと共に入れ替わり日替わりに出演している。
よく見るとお猿さん毎にパフォーマンスのテーマが違う。つまりそれぞれ得意芸があるということであろう。その芸で観衆から拍手喝采を受けるのは
1)身長の2倍以上にセット(約1.2メーター)されたバーを飛び超える。走り高跳びに対応
2)2メーターから2.5メーターぐらいの離された飛び台を飛び渡る。走り幅跳び
3)3メーターぐらいの竹馬を乗りこなす。棒高跳びに対応(この対応はチョット無理か)
等のパーフォーマンスである。
これらの芸を見ていて、あまり意味はないのだがフト折からの陸上競技と比較してみた。 資料によると走り高跳び男子の世界記録は2メートル45センチ(ハビエル・ソトマヨル、キューバ、1993)走り幅跳び8メーター95センチ(マイク・パウエル、USA,1990)棒高跳び6メーター14センチ(セルゲイ・ブブカ、ウクライナ、1994)である。
お猿さんの平均身長は54~61センチ(オス)である。選手の平均身長は手持ちデーターがないので正確ではないが、少なくとも1メータ90センチ以上ではなかろうか。
身長対パフォーマンスを比較すると
選手      お猿さん
1)2.45/1.90 =1.29 1.20/0.6=2.0 走り高跳び
2)8.95/1.90=4.7 2.50/0.6=4.2 走り幅跳び(お猿さんの助走距離は1~2メータ)
3)6.14/1.90=3.23 3.00/0.6=6.0 棒高跳び
となり、お猿さんの飛んだり跳ねたりの能力の高さを実感する次第である。
(お断り)この比較は、あくまでもお遊びである。またお猿さんのバーの高さ、跳び台の離れ距離はあくまでも筆者の目測であまり当てにはならない。ゴメン。