社会断想

諸々の社会現象にもの申す
中高年者・定年退職者向け

定年男性は家にいると嫌われるよ!

2007年06月28日 10時00分12秒 | 大定年時代
定年男性は家にいてばかりだと嫌われるよ!
最近の某日、「OB人材活躍の場フォーラム2007」なるフォーラムが都心で行われたので出かけてみた。
作家・評論家の江坂彰氏の「段階世代OBのパワーに期待する」、続いて企業等OB人材マッチング東京協議会事務局の社会保険労務士の坂上秀夫氏の事業説明があり、最後に東京家政大学名誉教授の樋口恵子氏の「定年男性が家に居ると何故嫌われるのか」と題しての講演があった。
この表題を見てドキッとする定年OBも沢山いそうなので同氏の話を要約してお伝えしましょう(もっとも非才の身、樋口先生の意図を十分且つ正確に把握したかどうか自信はない。乖離したものがあればひとえに私の責任である)
同氏は云う、「今や人生をスポーツゲームに例えれば野球的直線ゲームから 前半戦と後半戦に別れているサッカーゲームのようになっている。即ち定年時をもって人生ゲームの大半終了ではなく、長寿国日本の寿命の伸びから定年後の時間がウンと長くなっている。統計的に見ても65才以上の人のいる世帯で約3割が夫婦のみである。そしてこの傾向は長寿社会の進展によってますます強まる」
さらに同氏は自称「定年後男性ウオッチャー」としてこの39年を振り返ると
1980年頃は定年男性で家でゴロゴロしている人は「粗大ゴミ」とあだ名されていた。
中にはもっとキビシク「産業廃棄物」と名付けた某女性評論家もいたそうである。この年代の男性は大正中期生まれである。
時代は10年下って1990年前後には「ぬれ落ち葉、わしも族」と揶揄された大正末~昭和ひと桁生まれがいた。
2000年前後になると昭和2桁族が定年を迎える。都内のとある団地の藤棚の下に職場から解放された彼等が三三五五と集まりそれぞれ勝手に何かをしている。例えば読書、囲碁はたまた体操等。そこに、これから出勤する現役が通りかかると皆一斉に何かしていることを中断しその現役者が通り過ぎるまでジッと見守る。いつしか彼等に付いたあだ名が「藤棚族」である。見守られる現役にとっては「針のむしろ」を踏み亘る気持ちであるとの事で、この場所は「藤棚の関所」と呼ばれるようになる。
確かに表題のように家庭を奥方に任せて来た男が定年になった途端、何することもなく家の中に居座っていられると、それはそれまでに築きあげてきた奥方の家庭リズムに対する重大な侵害であろうと云われてみればそうかなと男性たる小生も理解できる。
要は定年男性は何らかの有用性をもって外に出、奥方のリズムを尊重し且つ或る程度の収入を得なさいと樋口先生をはじめ本日の各講師は云っているのだろう。
長寿化とともに定年後の生存期間も長くなる、年金も怪しくなるでは、或る程度外に出て若い人の職場を奪わない形で働くのが家庭円満と国家財政に対するささやかな貢献=社会貢献の初歩だろう。

社会保険庁バッシングで昔の記憶が・・・

2007年06月11日 13時22分52秒 | 社会断層
社会保険庁バッシングで遠い記憶が・・・・
今、年金管理のズサンさを指摘され社会保険庁バッシングが盛んである。
諸報道を見たり、聞いたりすると成る程その杜撰さ加減は大変なものである。
そんなことを考えているうちに、ふと昔の事を思い出した。
約10年前?の事である。年金について社員から質問をされたことがある。この手の質問には会社で契約している社会保険労務士の先生から応えて貰うのだが、生憎と直ぐに連絡が取れなかった。特に緊急の事でもなかったが、一つ勉強のためにと、直接社会保険事務所に問い合わせてみた。
もともとこの方面については専門的な知識が無い、即ち専門用語で的確な質問が出来ず電話口でモタモタした小生に非があるのだが、電話の向こうの女性(声の調子から見て年配を感じさせた)の応対の冷たさにたじろいた。
曰わく「仰る事が判りません、今忙しいので」ガチャンと電話を切られた。
私も仕事柄他の官庁事務所の窓口に出かけたり、電話をすることもままあるが、このような応対を受けたことはなかった。特にここ30年ぐらいは役所の窓口の応対は著しく良くなっていただけに、この応対には唖然としたものである。いま思うにこの態度はその女性だけのものではなく、この役所のもつ公僕意識の無さの表れだろう。
全国に散らばるリゾート箱物の大赤字の末の廃止や投げ売りから現時点の年金管理の問題までに共通する、某評論家の「社会保険庁は諸官庁の中での最低の役所」との言葉に肯かざるを得ない。