社会断想

諸々の社会現象にもの申す
中高年者・定年退職者向け

NHK「花燃ゆ」はこれから燃える!

2015年04月26日 12時21分06秒 | Weblog

NHK大河ドラマ「花燃ゆ」は本当に燃えるか?

4月25日のNHKで「花燃ゆ」大特集として松下村塾「塾生」祭りという トーク番組を行っていた。塾生を演じる若手イケメン男優5人が 出演して、それぞれ自分の役割に対する考え等を述べていた。

「花燃ゆ」の視聴率低迷が云われており、底上げを狙っての急遽決まったプログラムと私には思えた。

ともあれ「花燃ゆ」の前半の主な舞台となる山口県萩市は 私の郷里であり藩校明倫館に因んだ明倫小学校の特別教室「松陰教室」の板敷きに座り、「松陰士規七則」を暗唱した(させられた?)思い出を持つ私にとって、この視聴率は気になるのである。

そこでこの番組の視聴率低迷の原因をド素人なりに分析してみた。
1)女性を主ターゲットにした番組らしく、全体に「優しさ」が先行、登場人物も善人ばかりで「憎たらしい悪人?がいない」
2)幕末、明治維新物に期待?するチャンチャンバラ活劇がない。
3)主人公「文」と準主人公の一人とも云うべき「小田村伊之助」に知名度がない。
私自身ぼんやりと存在を知っていた程度で吉田松陰、高杉晋作、久坂玄瑞および伊藤弘文らの大知名にくらぶればやむを得ないか?
4)筋書きをより楽しむ前提となる時代背景知識をどれだけ視聴者に期待出来るか?
この時代背景を概観出来る別番組が必要?

と独断・妄言を記したが、冒頭のトーク番組に登場した弟子達はこれから波瀾万丈の局面を見せてくれるだろうし、予告に登場した松陰先生仇敵の「井伊直弼」役の高橋英樹氏がうんと憎たらしく演じてくれることを期待している。

最後に一言:劇中の長州弁も概してよく勉強しているなーと思うが、時々標準語がまざってくる。今一番の精進を。


就活せんせんと外国人留学生

2015年04月22日 12時17分30秒 | 社会断層

就活戦線と外国人留学生

最近の日本経斉新聞電子版に「就活戦線、異常あり・ライバルは留学生」の見出しで新卒の就職戦線に外国人留学生が参戦してきている、企業側も留学生のグローバル性を評価し積極的に採用に踏み切ってきていると云うものである。
私に云わせれば「遅い」。

採用する側、すなわち企業側は留学生の語学能力バイリンガル性にウエートを置いているようであるが、私のささやかな経験から云わせて貰えるならウエートは彼等、彼女等の高い目的意識とド根性を評価すべきではないだろうか?

だいぶ昔の話になるのだが、かってマレーシャとメキシコからの留学生をホームステイ、或いは準ホームステイさせたことがある。
二人とも女子留学生である。一人は4年の課程、一人は一年間の短期留学制度によるものであったが、きちんと卒業、課程を修了していった。

身近で見ていて言葉、宗教、風俗習慣の違いのなかで、まあ、よくやるよと感心したものである。
これらは高い目的意識と根性のたまものであろう。企業側もこの評価軸を持つべきであろう。


あるバス停の親切風景

2015年04月19日 15時29分52秒 | Weblog

あるバス停の小さな親切

京王線のある駅前バス停で見かけるちょっとした親切風景である。
夕刻、駅前スーパーでの買い物を済ませた人たちが路線バス停留所で待ちをしている。

そんなバス停留所の一つに腰の曲がったおばーさんが乳母車ライクな荷車を押してやってくる。バスがやって来て止まる。乗車扉が開かれ、乗客にさー、どうぞと乗車を促す。

ところがバス停車の仕方によっては路肩とバスの間隔が 広くて、壮健者にとっても足幅を目一杯広げて乗り込まなければならない。ましてや乳母車を押してくるおばーさんにとっては大変な作業となる。

ところがよくしたもので必ず乳母車を引っぱたりするなど手助けをする人が出てくる。
周りの人にもホットした空気が流れる。概して手助けをする人は中年以上の女性が多い。同じような情景はもう一人の乳母車を押してくる男性老人にも見られる。

これらはちょっとした親切情景ではあるが、願わくはバス運転手さんにもう少し路肩幅寄せを頑張って貰えたらと思う。夕刻、一日の運転疲れもピークだとは察するのだが。


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2015年04月19日 15時23分34秒 | Weblog

あるバス停の小さな親切

京王線のある駅前バス停で見かけるちょっとした親切風景である。
夕刻、駅前スーパーでの買い物を済ませた人たちが路線バス停留所で待ちをしている。
そんなバス停留所の一つに腰の曲がったおばーさんが乳母車ライクな荷車を押してやってくる。

バスがやって来て止まる。乗車扉が開かれ、乗客にさー、どうぞと乗車を促す。
ところがバス停車の仕方によっては路肩とバスの間隔が 広くて、健常者にとっても足幅を目一杯広げて乗り込まなければならない。ましてや乳母車を押してくるおばーさんにとっては大変な作業となる。

ところがよくしたもので必ず乳母車を引っぱたりするなど手助けをする人が出てくる。
周りの人にもホットした空気が流れる。概して手助けをする人は中年以上の女性が多い。同じような情景はもう一人の乳母車を押してくる男性老人にも見られる。

これらはちょっとした親切情景ではあるが、願わくはバス運転手さんにもう少し路肩幅寄せを頑張って貰えたらと思う。夕刻、一日の運転疲れもピークだとは察するのだが。


先生が選んだ「君に贈る本」ベスト30と私の読書

2015年04月15日 15時22分12秒 | Weblog

先生が選んだ「君に贈る本」ベスト30と私の読書

読売中高生新聞欄に「先生が選んだ君に贈る本ベスト30」という記事が出ていた。
まあ人並みの読書好きの私にとっては興味のある記事であった。
というのも孫息子がこの春さる私立の中学に入学が決まった時、入学日までにこれこれの本を読み、読後感を書いて提出するようにと早速宿題が出された。
確か10冊ぐらいあったと思う。先生方が協議の結果の表題選びであろうが、表題のリストを見ると何か学校の教育方針が覗えるようでうれしい気がした。
さて「君に贈る本ベスト30」のリストを見て、私の読んだ本はどのくらいあるかなとチェックすると、
順位 2 永遠の0  百田尚樹
3 龍馬が行く 司馬遼太郎
12天地明察 沖方丁
13星の王子様 サン・テクジュベリ
14海賊と呼ばれた男 百田尚樹
18舟を編む  三浦しおん
   21三国志   吉川英治
27坊ちゃん  夏目漱石
以上 8冊である。このうち中学、高校時代では
13 星の王子さま
21 三国志
27 ぼっちゃん
の3冊を読んだ記憶がある。私はまあ、この程度の本読みだったのだ。
最近のある調査によると大学生の3~4割は一年間に一冊も本を読まないという私には信じがたいデータがある。
これは国の将来にわたって由々しき問題であろう。どうか教育関係者、学徒、学生および父兄も読書習慣を涵養すべく努力したいものだ


教養=今日用がある、教育=今日行く所がある

2015年04月12日 11時41分59秒 | 社会断層

若い友人からこんな言葉を教えてもらった。

可笑しみがあり、かつ言い得て妙だと感心したのでここに紹介しよう。

「人は年を取ると大事なことはキョウヨウと キョウイクである。

キョウヨウ=今日用があるということであり、キョウイク=今日行く所があることである。

なるほど毎日、些細なことでもなすべき用がある、また行くべき場所があることは生活に張りがあり、ひいては老化に対する抵抗力になるだろうということは容易に分かる話である。

私もせいぜい心がけてみよう。

ちなみにこの言葉は友人がさる先輩に教わったとのことである。


躾け格差・教育格差から経済格差 どこから始まる?

2015年04月08日 17時25分52秒 | 社会断層


しつけ格差・教育格差から経済格差まで

最近、友人のFacebookを読むと以下のようなことが記されていた。
「スタバで丸テーブルの二人席に一人で座っていたら、いきなり若い学生風の男が目の前に座った。あまりに突然なので、何ですかという顔で見たら目を伏せた。
こんな場合、席あいていますか?とか座ってもいいですか?などと、とにかく一言かけるのが礼儀だと思う。その男、コーヒーを飲み終えるとまたもや無言、会釈もなく去っていった。・・・大丈夫だろーか?」
その友人に賛意を示す次のような厳しく皮肉なコメントがついていた。
「最低限の常識を持っていないようだから彼の社会人人生は厳しいものになるだろうね」「社会人になってからの教育ではなく、これまでの躾けなので治りませんね」

私はこれらを読みながら「躾け格差」という言葉を思いついた。
「格差」と言えば フランスの経済学者ピケティ教授の経済格差理論が世間で囂しいが、この理論を云々するのがこの文の目的ではない。
経済格差が生じた、或いは将来生じるであろう要因の一つ、それも大きい要因と考えられているのが教育格差だと世間は認識している。
何が何でも東大、一流大学と世間の親たちが狂奔するのもこの認識からくるものである。 その東大だが入学者の世帯の8割の年収は 約1千万円だという調査がある。
粗っぽく云えば、親の稼ぎが1千万円以上なければ子供を塾にもやれない、受験戦争に勝ち抜く費用が出せないということである。
極端な話、貧乏人の子弟はいくら頭が良かろうと、努力家であろうと東大には行けないと云うことになる。もちろん東大が全てではないが、学力以前に家庭経済格差故に断念せざるを得ないと云うことは社会にとって、国家にとって大問題である。
何かうまい解決策はないか?
従来からの奨学金制度はその解決策の一つであろうが、どうやら十分とはいえないようだ。返済を要する貸与型奨学金の場合、返済の滞りもかなりのものらしい。最近の例では返済に困って破産申請がされたとのニュースもあった。
要は金である。就学率100%の日本が教育に投じる国家予算はなんとDGPで見ると先進国では最下位に近いそうだ。
折から金持ちからもっと税金を取ろうという、つまり富裕税が取りだたされている。
金持ちが金持ちになった由来のなかに合法的には節税、脱法的には脱税と上手に税金を少なくしてきた知恵と努力があるだろう。そんな金持ち連中から「税金を取ろう、取ろうとする」から、富裕者の「取られまい、取られまい」とする 抵抗があるのだ。
逆に与えてはどうだ。何を?名誉を。
各地に「教育財団」を設立、富裕者から基金を出資してもらう。出資者には理事とか何らかの名誉肩書きを与える。同じ金を出すのなら、「取られる」より「名誉位をもらう」方が出しやすいのではなかろうかと貧乏人の私は妄想するのだが。
明治時代には多額納税者が貴族院議員になったと云う例もあることだし。
金の使い方:
全国各地に財団を設立(地域富裕者から基金を集める)
地域教育格差をなくする施策・・・地方に少ない塾等を運営
若い人材が地域に定着する産業を振興する

  大学を6年制に、特に理工系は
  若い大学教員を海外留学させる、帰国後一定期間以上地方大学に勤務させる
  海外留学生・外国留学生数を増やす
  給付型奨学金を拡充
外国人教師を増やす
非常勤講師の待遇改善

冒頭の躾け格差も結局教育格差に由来すのではなかろうか?


絶対 クジラ

2015年04月01日 05時05分52秒 | Weblog

Y紙朝刊をめくっていると「最後の晩餐 絶対クジラ」というやや穏やかならざる見出しが踊っていた。

「時代の証言者」という続きもののコラムで筆者は小泉武夫先生である。発酵学者で食い物についての絶妙な随筆で食い意地の張った私は愛読者の一人である。

最後の晩餐 絶対クジラ」の見出し一句で私はすべてを理解した。
そう、小泉先生はクジラが大好きなのである。そして、かく言う私も大好きである。
近代捕鯨の発祥の地と云われていた山口県長門市仙崎は私の生まれ故郷萩市のお隣である。幼いときからクジラ肉は他の魚介類とともにごく日常のおかずであった。
それがいつの間にか、捕鯨禁止の世界世論に負けて捕獲量制限の調査捕鯨になり、商業捕鯨は一時停止になったのだ。国際捕鯨委員会(IWC)の採択の鯨資源保護の名分によるのだが私は云いたい。
かって150年前まで太平洋、インド洋および太西洋にかけてクジラを捕りまくり、油を搾り取り、肉部分は惜しげもなく海に投げ捨てクジラ資源を激減させた奴はどこのどいつだと言いたいのだ。
油を取るだけで食糧を得るわけではなかった彼等にはクジラに対する畏敬の念はなかったようだ。わずかに、ハーマン・メルビルの小説「白鯨」に描かれている巨鯨「モービー・ディック」に対して補鯨船のエイファブ船長が極限の憎悪を抱きながらもある種の畏敬の念を抱いていたことが読み取れるのだが、これは別の話。
それに対して日本の捕鯨基地のある集落では必ずクジラへの感謝を現す、たとえば碑、祠 或いはお寺等を建て供養している。
そんなクジラ大好き人間の私だが、最近は滅多に口に入らない。が、時に猛烈にクジラが食べたくなる。特に皮下の白身を茹でた「おばいけ」と子供の頃呼んでいた、それを酢味噌で食べたことを思い出すと身もだえするようだ。
私も小泉先生に習って「最後の晩餐」にはクジラと極上の日本酒としよう。
先生のようにほかに2品も3品もとは欲張らない。
最後に、この記事(先生のエッセイ)のなかに「クジラ食文化を守る会」副会長 林家木久翁(落語家)の写真が出ている。テレビではお馬鹿さんぶりを発揮しているが、こんな活動もしている師匠に対して座布団10枚差し上げたい。