社会断想

諸々の社会現象にもの申す
中高年者・定年退職者向け

無銭飲食のシアトル

2005年04月29日 09時11分06秒 | 我が想い出シリーズ
シアトル 無銭飲食の想い出
米国のメジャリーグが始まって一ヶ月になろうとしている。
イチローは昨年後半からの好調を維持、気の早いファンは打率4割の期待をかけている。 そこでここ数年のごとく新聞やテレビでイチロー・ニュースを目にし、耳にしない日は無い。私にとってシアトルは格別の想い出のある街である。
40数年まえ、出張先のシカゴから帰国の途中、飛行機が遅れに遅れ、シアトルに一泊せざるを得ない羽目になった。
エア・ラインが用意してくれたホテルに落ち着いたものの、翌日の出発までには随分と時間がある。街の様子でも見物するかと通りにさまよい出た。確か通りの名前はユニオン街?といって近くに港があったと記憶している。
シアトル・マリナーズの本拠地セーフコ球場でのゲームのTV中継を見ていると、長い貨物列車が通り過ぎるのを時々映し出している。
どうやらユニオン街はこの球場に近いのかなと勝手に想像しているのだが。
通りにさまよい出た私は、ふと買い物を思いついたので、目についた雑貨屋に飛び込んだ。買い物を済ませ、店の白人のおばさんにあることを聞いてみたのだ。それは西海岸には移民での日系人が多いと聞いていたので、単なる世間話のつもりで、この近所に日系人Japanese American)がいるかと聞いてみた。
親切で気さくそうな おばさん曰く、「いるいる、案内してあげる、ついてきなさい」と私を引っ張ってつい2~3軒先の[なんとか Tavern 」なる店に連れて行ってくれた。この店は日本で言えば一膳飯屋兼居酒屋とでも云うのだろうか。このTavernの英単語を知ったのはこのときが初めてである。
店には主人とおぼしき日系人のオジサンとその娘さんとおぼしき女性がおり、雑貨屋のおばさんは「このヤング日本人の学生は留学が終わって、これから日本に帰るところで、日本人を恋しがっている、それで連れてきた、云云」と私を勝手に学生にし、私の気持ちまで代弁?してくれたのだ。日本人は一般に若く見られる事から来る好意ある誤解である。
店のメニュウを見ると日本食メニュウが並んでおり、その内の2~3を注文した。
シカゴから日本に帰るところ など、世間話をし、いざ数ドルの勘定を払おうとすると、受け取ってくれない。曰く「ドルは大事じゃけん、日本にもって帰えりんさい」と私にとって懐かしい訛りの返事である。多分中国地方からの移民であろうと思った。(当時1ドルは360円でドルは日本にとって大変貴重な資源であった)
どうやら雑貨店マダムの好意ある誤解の紹介を真に受けたらしい。
学生ではない、サラリーマンの米国出張の帰りだと説明するのだが、「いいから、いいから」というのみである。
ついに勘定を払い損なった私ははからずも無銭飲食をしたことになった。
それ以後シアトルには立ち寄る機会がなく今日に至っている。当時の場所、店はもはや無いだろうが、もう一度シアトルを訪ねてみたい。イチローでも見に行くかなあ~。

わが生涯の美味 母の想い出

2005年04月28日 11時49分41秒 | 我が想い出シリーズ
我が生涯の美味 母の想い出
今から70年前、私が4歳の時、生死の間をさまよう大病をした。
ずっと意識不明の日々だったらしい。しかし母をはじめ家族の懸命の看病のお陰でどうやら一命をを取り留めたらしく、ようやく病も峠を過ぎ、一日一日と快方に向かった。
その頃になると意識もかなりはっきりとしてきた。同時に猛烈に食欲が出てきた。
母に食べ物をせがむのだが、母は用心深く、暫くはお粥が続いた。
そんなある日、多分夏の日だったと思う。風通しの良い部屋に寝ていた私の所に仲良しのムッチャンが見舞いに来てくれた。
仲良しのムッチャンとは、私が病気になる前まではいつも組んずほぐれつして遊んでいた。その故で、どちらかの体に出来たでき物を移しあい、一人が直ったと思うと一人に移り、際限がなく、親たちを嘆かせたものである。実際その当時は幼児と出物、腫れ物はつきものであったのだ。
仲良しムッチャンが見舞いに来たというので、母はジャガイモ(多分)をすり潰し、砂糖をたっぷり入れた団子を作ってくれた。
その団子の旨かった事といったら!この世の中にこんな旨い物があったとは!
当時4才の子供にはそれをうまく表現するボキャブラリはなっかたが、まさに「我が生涯の美味」であった。母は翌年亡くなった。
「我が生涯の美味」は母の思い出につながる。幼友達のムッチャンもすでに亡い。若くして亡くなった母の寿命の分まで長生きしたいと思うのである。 

定年OBの就職・就業

2005年04月25日 14時34分21秒 | 大定年時代
定年OB 続きその3
前回は定年 OBが再び就職乃至就業を考えるとき、対象企業を中小企業にすべきだと述べた。その理由は中途採用の求人先は中小企業の規模50人以下が圧倒的に多く、且つ充足率が低いというデーターがあるからである。(経産省調査資料による)
さらに雇用形態が多様化しているとその資料統計は示している。
正社員としての雇用比率が1割も減り、「業務委託」の形態が増加しているという。
「業務委託」ならば委託された業務を責任を持って遂行すれば良いわけで在宅勤務や出勤時間の自由度も得られやすいと考えられる。但し委託された業務を遂行出来る技術・技能・経験が問われるわけである。まさに業務年齢を重ねた定年OBにこそ相応しい雇用形態ではなかろうか。
前職における企業規模や地位に拘らず、これからは自分が培った技術・技能や業務経験に拘り新天地として中小企業を対象に考えるべきと思う。
そのためには、もう一度自己の得意技能・経験等を分析、整理しておき、明確に表現できることが必要であろう。
わがNPOで定年OBの相談を受けるとき、自分の得意分野・やりたいことなどを明確に表現できない人がままある。前職が大企業でその会社内の地位もかなりの所まで上った人にこの傾向があるようだ。経産省資料NPO

定年OBの2つのタイプ 続き2

2005年04月23日 15時34分00秒 | 社会断層

定年OBには大まかに言って2つのタイプが有ると述べた。
OBが再就職なり、就業の機会を求める際に起こる悲劇?はミスマッチの問題である。
就職や就業を希望する人が何処にポイントをおいてそのチャンスを探すかというと、自分の前職や肩書にこだわり、それを受け入れてくれそうな規模の企業=なるべく大きい企業を念頭に置くようである。この規模の会社だと自分の前職の肩書きを受け入れてくれそうだとの思いこみは、その人の全くの錯覚である。
そこそこの規模の企業(従業員100人以上の企業)では本当に欲しい人は三顧の礼を以て既に迎い入れている。
今技術系にしろ管理系にしろ人材ニーズの9割がたは中小企業(従業員数人から50人程度の)にあることが経産省の最近の調査で分かっている。
http://www.cin.or.jp/needs2004/
しかし求職者、求業者特に大企業OBには前述規模の中小企業は念頭にないとすれば中途採用をもくろむ求人側の中小企業での人材充足率が50%程度 にしかならないミスマッチが起こるわけである。
求職・求業を考えている定年OBはもっと中小企業に眼を向けるべきである。そして受け入れ側の中小企業はどういう人材にどう働いて貰うか、その希望の一般論を次回に述べたい。
わがNPOは「定年OBは中小企業でお役立ち」をモットーにしている。わがNPO

定年OBの2つのタイプ 続き

2005年04月21日 13時26分16秒 | 社会断層
定年OBの2つのタイプ 続き
定年OBに2つのタイプがあると述べた。退職前の会社での地位(例えば部長や役員)に拘り意識から抜けない人達とそれらには拘らず自身の培った技術・技能に誇りを持ちそれを生かしたいと考えている人達である。
前者は概して大企業出身者で割と早くから管理職になり、それなりにその立場で腕をふるった人である。それだけの才能があり、チャンスにも恵まれたといえるだろう。ただ実務の細部から遠ざかって来た人、技術系でも管理者としての役割が多く、新しい技術情報に後れを取った人である。(勿論そうでない人もおり、例えば在職中に公的資格、即ち士業資格を取得、定年後の第二の人生に備えた人たちもいる )
日本の企業では或る程度偉くなれば、それに対応する肩書き(例えば課長、部長のように)をつける。本人も世間の手前、女房の手前、その肩書きを欲しがる。最近は管理職コースと専門職コースをもうけ、世間通りの良い肩書き名称を工夫している企業も増えた。
後者は中小企業出身者で一貫して現場に密着して過ごした人が多いと我々は感じている。
前者、後者と大まかに分けたが、勿論この間に多様な人物像が存在すると思う。
定年後も働きたい、自分の技術を生かして社会貢献をしたい、但しそこそこの報酬も得たい人たちに参考になる調査資料が経済産業省から発表された。
http://www.meti.go.jp/press/20050415002/20050415002.html
http://www.cin.or.jp/needs2004
この調査資料を通読すると「意識改革」次第で定年OBの働く場、生き甲斐の場が大きく拓けると感じた。
続きはの概要とそれに対する我々NPOとしての考えを述べてみたい。NPO

定年OBの2つのタイプ

2005年04月19日 05時45分13秒 | 社会断層
定年退職者の2つのタイプ

定年で企業をリタイアしたOBには大まかに分けて2つのタイプが有ることを実感する。それは私たちが運営しているNPO(特定非営利活動法人 )でOBと面接し話し合って得た感触である。
一つは前企業での地位とか肩書きを依然として引きずっている人で何かと前は自分がいかに偉かったとひけらかす(平たく言えば)人
もう一つのタイプは前歴の地位等に拘らなく、自分の技術、技能、経験を生かしたいと考えている人である。
わがNPOとしては、はっきり言って後者とは話がしやすいし、企業側に紹介しやすい。紹介後もスムースに行くようである。
以後この辺りの話を続けたいと思う。NPO(特定非営利活動法人)

凛としたキリンの銅像 南大沢周辺その6

2005年04月18日 16時39分42秒 | Weblog
ユニークな銅像 南大沢周辺その6
南大沢駅の西 2~3百メーターの所に一風変わった銅像がある。
普通銅像は人物が多いのだが、この銅像はキリンgiraffeの像である。
なぜこんな所に?答えは簡単。某動物看護短期大学の敷地にあるのだ。
この短期大学は確か一年ぐらい前に設立されたと記憶している。
近頃のペットブームにあやかってペットの看護師の需要が増えたのであろう。
何せ稟とした立ち姿はまさにキリンそのものである。

大定年時代

2005年04月16日 11時09分12秒 | 社会断層
2007年には団塊の世代が一斉に60才の定年を迎える。もちろん60才以後も引き続きその職場に留まる、又は別の職場、会社で働くことの出来る人も沢山いる。現に定年を65才まで引き延ばすように政府、関係官公庁は企業サイドに要請している。
しかし企業側の対応は概して消極的のようである。積極的に応じる乃至自主的に定年年齢を引き上げる企業もあるにはあるが。
我々は定年退職者或いはこの数年吹き荒れたリストラの嵐で定年前に退職したり、又は退職せざるを得なかった人たち、特に技術系を中心とした人たちの、それまでに培った技術、技能を中小企業で生かせないかと考え、特定非営利法人(NPO)テクノリンクを立ち上げた。
まだたいした実績はないがその活動を通じて考えたこと、例えば退職者自身の意識変革の必要性などについて少しずつ書いていきたいと思う。特定非営利活動法人テクノリンク

70才の運転免許

2005年04月13日 15時03分50秒 | 社会断層
70才の運転免許

そろそろ運転免許の更新手続きをしなければと考えていた矢先、先日警視庁運転免許本部より70才以上の人は免許証の更新に際して「高齢者講習」を受けなければ更新手続きが出来ない旨の通知がきた。
最近高齢者の自動車事故が増えていることは承知していたが、自分には関係ないと深刻には受け止めてはいなかった。しかし、いざこのような通知書を貰うと、自分では若いつもりで、高齢者講習など必要ないと思うのだが、世間一般は、或いはお役人は物理年齢で画一的に決めつけて来るのだと思った。まぁ、それもやむを得ないとして、一つだけ釈然としない事がある。
それは講習の場所が民間の自動車教習所であり、手数料を6,150円支払えとある。
警察と教習所が結託してこのような制度を創ったのだと僻みたくなる。
教習所は売り上げ増を、警察は天下り先の確保と両者の利害一致の点で。
自動車教習所といえば、小生のように50年前に教習所に通った者には苦い思い出がある。それは教習担当者が必要以上に威張りちらし、少しでもミスをすると罵詈雑言を投げつけてくる。これは当時の受講者の誰しもが経験したことである。
今はどうなっているのか分からないが、教官?の態度が気に入らなかったら、免許証はいらないからと、さっさと帰るつもりでいる。 さてどうなるか

戦車道 南大沢周辺その6

2005年04月11日 16時10分19秒 | Weblog
南大沢周辺その5 戦車道

南大沢駅からマンション群のなかの通路を西に向かって徒歩約20分で都立小山内裏公園に達する。ごく新しい公園である。ここは町田市域になる。
この公園の一角から階段を上ると、この遊歩道に出る。八王子市と町田市を区切る尾根道である。4車線ぐらいの道幅でアスハルト舗装がしてある。端の方は木材チップを敷き詰めたジョギングトラックになっている。
天気のよい日はジョギングやウォーキングを楽しむ人たちが行き交う。尾根道の遊歩道にしては随分立派である。それもその筈、この道は通称「戦車道」と呼ばれており、その名前の通り、かっては戦車の走行テストに使われていたのである。
戦車道の途上に次のような立て札がその由来を紹介している。
「町田市と八王子市のはぼ境界を走るこの尾根の道は、以前は「戦車道路」と呼ばれていました。それは、この道が第2次大戦の末期に相模原陸軍造兵廠(現在の在日米軍相模原補給廠)で製造・組み立てられた戦車の性能テストと操縦訓練用の道路として造られたからです。戦後暫くは、防衛庁が管理していたのですが、多摩ニュータウン整備のため、土砂の運搬道路として舗装され現在に至っています」

道の周辺はこのあたりに済む鳥類や小動物のサンクチアリ(保護区)になって いる。桜の季節には数キロにわたって桜並木の花見が楽しめる。
というわけで現在では人々の憩いと健康のために、その通称とは裏腹に平和な役目を果たしている。