社会断想

諸々の社会現象にもの申す
中高年者・定年退職者向け

ウイキペディアを鵜呑みするなかれ

2007年02月24日 09時29分12秒 | Weblog
「ウイキペディア」を鵜呑みするなかれ
「ウイキペディア」はよくできたプロジェクトであると思う。手軽に即知りたいことが引き出せるので私もしばしば利用させてもらう。時たま項目が未記述の事もあるが。
市販の百科事典とはひと味違った趣があり、沢山の人達ボランティアの書き込みによって成り立っているので、文体も記述量の配分も型にはまっていないかもしれないが、私は特に違和感を感じたことはない。
本日2月23日朝日新聞朝刊に私にとって2重の意味で興味ある記事が出ていた。
ニューヨーク江木記者発。要約すると
米バーモント州の名門ミドルベリー大学の歴史学部でウイキペディアをテストやレポートに引用することを認めない措置を取った。そのわけは日本史の担当教授のテストで共通の間違いをしている学生が複数おり、その間違いというのはウイキペディア(英語版 )の「島原の乱」の項目において「イエズス会が反乱勢力を支援した」という記述にあると云うことが分かった。「当時イエスズ会が九州地方でおおっぴらに活動出来る状態ではなかった」のが史実であるので、学生がウイキペディアの記述をそのまま信じて答案を書いたものらしい。同教授は「調べごとの導入に使うことには異存はないが、学生は自らの提供する情報の正確さには責任を持つべきで、情報源の誤りの言い逃れは出来ない」として、同歴史学部は引用禁止を通知したという。ちなみに「島原の乱」をめぐるウイキペディア英語版の記述は直ぐに修正されたそうである。
私がこの記事に2重の意味で関心を持ったのは、一つは、つい先日のブログ記事で、卒論やレポートにWEB上からの盗用がが多く、大学の先生もこれに悩んでいると云う話を書いたばかりであったからである。似たような話だなと感じた次第である。
も一つは、3年前、同学の仲間と天草に遊び、天草キリシタンの遺跡、足跡をたどり、それ以後、キリシタンの事績に興味を抱いていた。そんなわけで、天草・島原キリシタンに関する本は小説仕立てや研究書を読んで来たが、たまたま同研究の労作「天草キリシタン史」(北野典夫著)を読んでいる最中に同朝日新聞記事に出くわしたわけである。
早速、同書上で「島原の乱」と「イエズス会」の関わりを 探したが「イエズス会」が「支援した」という記述は見いだせなかった。何となくホットとした次第である。
私もウイキペディアを引用する時も鵜呑みはやめよう。

我が悪夢の3パターン

2007年02月19日 11時29分57秒 | Weblog
我がナイトメアー(悪夢)の3パターン
夏目漱石の短編に「夢十夜」がある。漱石自身の見た夢?を 10夜に分けての話である。対して小生の夢は文学的香気のかけらもない情けないものである。
夢は3つのパターンで不定期に繰り返される。他の人にも似たような事があるのだろうか?かねて疑問には思っているのだが他人に聞き合わせたことはない。
如何なる夢か?
第一には期末試験で さっぱり解答が書けず立ち往生している夢である。どうやら大学時代の事のようで科目も数学とか電磁気学である。これらの科目はもともと苦手であったので夢ながらも納得である。
ハットと目が覚めて「あー、よかった、もはや学生ではない」と安心する。もっとも、この夢は最近は出てこないものの卒業後30年ぐらいは悩まされたと思う。
2番目には会社で一向に営業成績が上がらなく、同僚の手前恥ずかしい思いをしている夢である。目が覚めて「あー、俺はとっくにサラリーマンを卒業しているのだ」と思って胸をなで下ろすのである。この夢は若いときは頻繁に現れたが、段々に少なくなったものの今でも出てくる。
3番目の夢は、かなり現実感がある。
それはビジネス出張にしろ行楽にしろ旅先でお金がなくなり、帰るに帰れなく、これまた立ち往生している夢である。見た夢によってディテールは異なるが、お金が無くなったのは、飲み食いのし過ぎや滞在日数をだらだらと延ばし宿泊代が足りなくなったという、お決まりのパターンである。目が覚めて「あー、俺はいま家にいるんだ」とフーとため息をつく。
自身のだらしなさが夢に出てくるわけである。何とも忸怩たるものである。

カンニングもWEB2.0時代に

2007年02月14日 12時42分45秒 | 社会断層
カンニングもWEB2.0時代に
2月13日朝日新聞夕刊で明治学院大学の稲葉先生のコラムを読んでWEB時代はここまで来たかと、いささか時代遅れかもしれない感慨を抱いた。以下稲葉先生のコラムの一部を引用する。
「パソコンとネットの普及に伴う、リポート、卒論における盗作の安易化は、大学教師の頭痛の種だ。もちろんこの手の盗作・代作は今に始まった事ではないし、ごく少数ながらプロも存在していたが、いまや堂々とネット上で店開きをしている。
ところがインターネットの普及下、Googleに代表される高度な検索技術が出現して以降の、いわゆるWEB2.0状況においては、問題は新たな局面を迎えた。
(中略)かっては盗作においても書き写す手間だけは省けなかったが、いまや瞬時にデータをコピーすることが可能になり、盗作者の労力は劇的に削減された。そしてWEB2.0
である。盗作のネタ探しの労力も劇的に減った。他人の文章・データをコピー・ペースト、略してコピペのレポートがかくして量産される。
もう一つ重要なファクターがある。かって学生による盗作の元ネタは、圧倒的にプロの出版された著作であり、まる写しは、プロである大学教師にあっさり見破られた。教師はプロの論文とおぼしきレポートと出会うが、そうゆうものはたとえ元の論文を読んでいなくとも、かなりの確率で見破れる。悲しいことに学生の論文が「出来すぎている」と思った時、我々は元ネタをGoogleで検索する習性を身につけつつある。
ところがいまやプロならぬ学生や普通の人人が自分の論文やエッセイをホームページに載せる時代である。そして今やプロらしからぬ稚拙なレポート・論文を集め利用しやすくサイトまで出てきた。(中略)そして興味深いのは質の低い論文・レポートにも相応の需要が存在することである」
このコラムを読んで外国の大学で教師をしている娘がしてくれたある話を思い出した。
ある試験の出来事である。そっくり同じの答案が出てきた。教師である娘から見ると明らかにカンニングした学生(あまり授業に出ていない)とカンニングさせた学生(良く出来る)は一目瞭然である。当然カンニングした方の学生には零点を与えた。話はこれからである。カンニング学生が抗議してきた。曰わく「彼(カンニングさせた学生)とそっくり同じ答案なのに彼は合格点で何故僕は零点ですか?」娘は返事のしようがなかったそうである。一瞬の間をおいてハットと気づいたカンニング学生は「済みません」と云ってすごすごと引き上げたそうである。この話からすると昨今のWEB時代のカンニングはする方=利用者と、させる方=供給者のお互いが見知らぬ同士で金銭の遣り取りのみがあり、なにかそこに空漠たるものを感じるのである。友人同士のカンニングは人間味があってまだしも救いがあると思うのは、ウン十年前のできの悪い学生だった私だけだろうか?

団塊世代 もう一踏ん張り

2007年02月05日 10時18分20秒 | 大定年時代
団塊世代よ もう一踏ん張り
2月1日、八王子市で「多摩発 共に団塊の世代をかんがえる」というシンポジュームが行われた。
読売新聞特別編集委員 橋本五郎氏の基調演説を皮切りに、コーディネーター 中村克洋氏(元NHKアナウンサー、現廣島経済大学教授)、パネリスト 八王子市長 黒須隆一、亜細亜大学教授 栗田充治、語り部・カタリスト・キャスター 平野啓子、全国生涯学習ネットワーク会長 高原北雄の 各氏によるパネルディスカッションが行われた。
挨拶、基調演説およびパネルディスカッションを通じての各氏の発言で小生の記憶に残ったものを紹介しよう。(もし発言者諸氏の意から外れているものがあったら、それはひとえに小生の浅はかな誤解で発言者に お詫びします)
黒須市長:市制90年を迎え、八王子市は現人口約54万、毎年少しずつ人口が増えている。大学・短大・高専の数は23校(或いはキャンパス)、学生数11万人でこの集積はまさに学園都市といって誇って良い。
先端技術企業 も中小企業総数の1割に達する技術集積都市でもある。
団塊世代の3万人がこれから地域に帰る。この八王子市の土壌特性を生かして地域に貢献されることを期待している。

小生の余談:数年前外国人のお客を家庭に迎えに八王子駅 にいった。賑やかな駅風景を見て驚いたその外国人から「人口はどのくらい?」と聞かれたが小生の不勉強の故に返事が出来なかった事がある。後で調べて約50万人と知った。八王子在住25年の市民の一人として慚愧。

橋本五郎氏:定年を迎え大事なことが2つある。これからの長い人生を健康であること。
X線検査で見つからなかった胃ガンが内視鏡検査で発見され胃の摘出手術の結果今日健康でいる。検査は内視鏡検査を絶対お薦めする。
もう一つは預金通帳の残高をしっかり把握しておくこと。奥さんが離婚準備に預金を下ろしているかもしれない。
これは自分の病歴からの教訓、次は最近離婚した友人のケースからの教訓である。


小生の所感:さすがベテラン新聞記者でTVのコメンテーターとしても令名高いのも宜なるかなと感じた。