定年男性は家にいてばかりだと嫌われるよ!
最近の某日、「OB人材活躍の場フォーラム2007」なるフォーラムが都心で行われたので出かけてみた。
作家・評論家の江坂彰氏の「段階世代OBのパワーに期待する」、続いて企業等OB人材マッチング東京協議会事務局の社会保険労務士の坂上秀夫氏の事業説明があり、最後に東京家政大学名誉教授の樋口恵子氏の「定年男性が家に居ると何故嫌われるのか」と題しての講演があった。
この表題を見てドキッとする定年OBも沢山いそうなので同氏の話を要約してお伝えしましょう(もっとも非才の身、樋口先生の意図を十分且つ正確に把握したかどうか自信はない。乖離したものがあればひとえに私の責任である)
同氏は云う、「今や人生をスポーツゲームに例えれば野球的直線ゲームから 前半戦と後半戦に別れているサッカーゲームのようになっている。即ち定年時をもって人生ゲームの大半終了ではなく、長寿国日本の寿命の伸びから定年後の時間がウンと長くなっている。統計的に見ても65才以上の人のいる世帯で約3割が夫婦のみである。そしてこの傾向は長寿社会の進展によってますます強まる」
さらに同氏は自称「定年後男性ウオッチャー」としてこの39年を振り返ると
1980年頃は定年男性で家でゴロゴロしている人は「粗大ゴミ」とあだ名されていた。
中にはもっとキビシク「産業廃棄物」と名付けた某女性評論家もいたそうである。この年代の男性は大正中期生まれである。
時代は10年下って1990年前後には「ぬれ落ち葉、わしも族」と揶揄された大正末~昭和ひと桁生まれがいた。
2000年前後になると昭和2桁族が定年を迎える。都内のとある団地の藤棚の下に職場から解放された彼等が三三五五と集まりそれぞれ勝手に何かをしている。例えば読書、囲碁はたまた体操等。そこに、これから出勤する現役が通りかかると皆一斉に何かしていることを中断しその現役者が通り過ぎるまでジッと見守る。いつしか彼等に付いたあだ名が「藤棚族」である。見守られる現役にとっては「針のむしろ」を踏み亘る気持ちであるとの事で、この場所は「藤棚の関所」と呼ばれるようになる。
確かに表題のように家庭を奥方に任せて来た男が定年になった途端、何することもなく家の中に居座っていられると、それはそれまでに築きあげてきた奥方の家庭リズムに対する重大な侵害であろうと云われてみればそうかなと男性たる小生も理解できる。
要は定年男性は何らかの有用性をもって外に出、奥方のリズムを尊重し且つ或る程度の収入を得なさいと樋口先生をはじめ本日の各講師は云っているのだろう。
長寿化とともに定年後の生存期間も長くなる、年金も怪しくなるでは、或る程度外に出て若い人の職場を奪わない形で働くのが家庭円満と国家財政に対するささやかな貢献=社会貢献の初歩だろう。
最近の某日、「OB人材活躍の場フォーラム2007」なるフォーラムが都心で行われたので出かけてみた。
作家・評論家の江坂彰氏の「段階世代OBのパワーに期待する」、続いて企業等OB人材マッチング東京協議会事務局の社会保険労務士の坂上秀夫氏の事業説明があり、最後に東京家政大学名誉教授の樋口恵子氏の「定年男性が家に居ると何故嫌われるのか」と題しての講演があった。
この表題を見てドキッとする定年OBも沢山いそうなので同氏の話を要約してお伝えしましょう(もっとも非才の身、樋口先生の意図を十分且つ正確に把握したかどうか自信はない。乖離したものがあればひとえに私の責任である)
同氏は云う、「今や人生をスポーツゲームに例えれば野球的直線ゲームから 前半戦と後半戦に別れているサッカーゲームのようになっている。即ち定年時をもって人生ゲームの大半終了ではなく、長寿国日本の寿命の伸びから定年後の時間がウンと長くなっている。統計的に見ても65才以上の人のいる世帯で約3割が夫婦のみである。そしてこの傾向は長寿社会の進展によってますます強まる」
さらに同氏は自称「定年後男性ウオッチャー」としてこの39年を振り返ると
1980年頃は定年男性で家でゴロゴロしている人は「粗大ゴミ」とあだ名されていた。
中にはもっとキビシク「産業廃棄物」と名付けた某女性評論家もいたそうである。この年代の男性は大正中期生まれである。
時代は10年下って1990年前後には「ぬれ落ち葉、わしも族」と揶揄された大正末~昭和ひと桁生まれがいた。
2000年前後になると昭和2桁族が定年を迎える。都内のとある団地の藤棚の下に職場から解放された彼等が三三五五と集まりそれぞれ勝手に何かをしている。例えば読書、囲碁はたまた体操等。そこに、これから出勤する現役が通りかかると皆一斉に何かしていることを中断しその現役者が通り過ぎるまでジッと見守る。いつしか彼等に付いたあだ名が「藤棚族」である。見守られる現役にとっては「針のむしろ」を踏み亘る気持ちであるとの事で、この場所は「藤棚の関所」と呼ばれるようになる。
確かに表題のように家庭を奥方に任せて来た男が定年になった途端、何することもなく家の中に居座っていられると、それはそれまでに築きあげてきた奥方の家庭リズムに対する重大な侵害であろうと云われてみればそうかなと男性たる小生も理解できる。
要は定年男性は何らかの有用性をもって外に出、奥方のリズムを尊重し且つ或る程度の収入を得なさいと樋口先生をはじめ本日の各講師は云っているのだろう。
長寿化とともに定年後の生存期間も長くなる、年金も怪しくなるでは、或る程度外に出て若い人の職場を奪わない形で働くのが家庭円満と国家財政に対するささやかな貢献=社会貢献の初歩だろう。