社会断想

諸々の社会現象にもの申す
中高年者・定年退職者向け

50才才台の起業者と人脈

2005年12月30日 10時05分55秒 | 大定年時代
50才台の開業と人脈との関係
国民生活金融公庫総合研究所の2005年度「新規開業実態調査アンケート」(2005年8月)によれば、50才台の新規開業者のうち38%がリストラによるものであるという。しかし人脈や取引先とのネットワークに自信を持つ開業者は概ね良好な業績を上げているそうである。
起業者にとって人脈は必須のものであると小生は思うのだが、一部の人にはとんでもない誤解や思いこみをしている人がいる。それは前職において取引先の担当者との関係で優位な立場をそのまま人脈やネットワークと考えていることである。
前職の企業と取引先の企業に対する優位関係が起業後の個人対取引先企業の担当者との関係で維持されるという錯覚である。是非この錯覚には陥らないようにしたいものである。

クリスマスと一日クリスチャンの日本人

2005年12月26日 10時08分05秒 | 社会断層
クリスマスと一日クリスチャンの日本人
クリスマス・シーズン となるとあちこちにイルミネーションが飾られ、その光の場に息を飲む。東京駅から丸の内界隈の東京ミネラリオは夙に有名だ。
クリスマス・イブには約40万人の人が光のページェントに酔ったと新聞は伝えている。
小生の近所の多摩センター駅の一角でも35万個の電球が400メートルの通路をクリスマス・ツリーや動物等を形どって夜空に映える。此処も家族連れで夕刻より大変な賑わいである。
楽しく平和な風景にイチャモンをつける気はないが、大半は仏教徒である日本人が何故にキリスト教の祝日であるクリスマスを我がことのように祝うのだろうとひにくれ者の小生は思うのである。たぶんコマーシャリズムに躍らされ、キリスト教を意識することなくツリーを用意し、プレゼントを買いととのえ、ケーキやチキン(本当は七面鳥だろうが)を食卓に乗せるということがMustになっているのだろう。
クリスマスはもはや宗教を超えたフェスティバルになっているのだ。
冠婚葬祭、正月、お盆や土地・土地のお祭りと仏寺、神社には何かとお世話になるのだがイベントが過ぎれば只それだけのことでことさら信仰心が厚い訳でもなかろう。
仏教、神道やキリスト教の祭事が何ら抵抗感なく混在出来る日本は平和なのだ。
もって瞑すべし。

NTTグループEXPOを覗く

2005年12月23日 10時01分23秒 | Weblog
NTTグループEXPOを覗く
NTTが民営化20周年を記念してEXPOを開催しているというので覗いてみた。
過去未来にわたっての技術進歩の道筋をたどる展示が数多くされていたが、素人には展示の意味が掴めない物もあった。
むしろ感無量の気になったのは最初に展示してあった電話機の展示である。
グリグリとダイヤルを回す電話機を見て懐かしさに思わず受話器を手に取った。
そしてそのずしりとくる重さにビックリした。感無量の瞬間であった。
かってはこの重さの送受話器を耳に当てて話をしてたのである。 重さを意識することなくである。

鎌倉天園ハイキングコースは辛かった

2005年12月21日 15時55分10秒 | Weblog
天園ハイキングコースはきつかった
師走の20日我が大学のOBにして小田急沿線居住者のグループ、略してOERグループの有志10人は鎌倉建長寺を基点とし、瑞泉寺を終点とするハイキングコースに挑んだ。
同行の他は知らず小生にとってそれはまさに「挑んだ 」という表現が相応しい難コースである。エベレストやアルプスに挑戦したわけではない、「挑んだ 」とは大袈裟な、たかがハイキングコースではないかと云うなかれ。少なくとも小生には今まで参加したハイキングの中で一番苛酷なものであった。
300段近くあるという石段の登り、天園茶屋からの足を踏み外せば谷底に落ちそうな難路の下りをようやく瑞泉寺迄辿り着いた時にはホットとした。
途中でギブアップしようにも前途をパスする道はなく?我ながらよく頑張ったと思う。
さすが瑞泉寺では 登り石段をたどってのお参りをする気になれず一人ぽつんと皆の帰りを待つことにした。あとで話を聞くと吉田松陰先生の訪寺滞在の記念碑があった由。
そういえば確か松蔭先生の叔父さんが鎌倉のさるお寺の住職をしており、松蔭先生は旅の途次数回立ち寄ったということを読んだことがある。そのお寺がこの瑞泉寺と結びつかず横着をした報いを受けたわけである。我が郷党の大先覚者の足跡に触れる機会を失っての後悔先に立たずである。つい先日世田谷の松陰神社にお参りしたばかりだったのに。

ぶらりと松陰神社

2005年12月19日 16時56分44秒 | Weblog
ぶらりと松陰神社
このところ明治維新前後に関する本を読むことが多い。
そこで必ず登場するのが吉田松陰先生と高杉晋作を始め錚々たる弟子達である。
松蔭は我が郷里萩の生んだ大先覚者であり、我が母校明倫小学校では松蔭教室と名付けられた教室があり、その教室で担任の先生から週一回の講話を聞かされたものである。
今はもうその教室は無くなっていると思いこんでいたが、一坂太郎氏の著書によると現在もその教室で松蔭講話がされているとの記述をを読んでビックリした。
何でも郷土の特色を生かした教育が奨励されているとか。結構なことと思う。
そんなわけで天気の良い一日世田谷の松陰神社を訪ねてみることにした。
考えてみると松陰神社が世田谷線という路上電車線の沿線にあり、松陰神社なる駅もあると云うことも知っていながら大学入学後50有余年の東京暮らしの間一度もお参りしたことがなかった。特に交通不便なところにあるわけではないのだが。
長い間漠然とした忸怩たる思いがあったのだが、ともあれお参りしたことにより郷党の大先覚者に対する最低限の敬意は払ったと思うことにした。
時節はずれなのか参拝者の姿はほとんど無く静寂そのものであった。
奥まったところに松蔭先生やお弟子さんの何人かのお墓があり清楚なただずまいであった。
社域を出てふと見ると桂太郎の墓という標識があった。桂太郎も萩の出身で確か総理大臣も2、3度なった人だと記憶している。墓の説明札によれば何でも松蔭先生を崇敬すること厚くその墓の隣接地に自身の墓を持ってきた由である。(生前の指示か遺言か?)
これは私にとっては新しい発見であった。
注)一坂太郎氏:幕末歴史散歩東京編、同京阪神編、長州奇兵隊等の著作がある。
維新前後の埋もれていた歴史を掘り起こして、今まで知らなかったことを教えてくれる労作である。

新聞とネットの共生 中馬清福氏講演から

2005年12月17日 10時04分20秒 | 社会断層
新聞の未来とネットとの共生 中馬清福氏(信濃毎日主筆)の講演から
12月15日首都大学東京(都立大学)で中馬氏の「変わるメディア環境と新聞の未来」と題する講演を聞いた。
私のかねてよりの関心事の一つにインターネット、放送及び新聞が今後どのように競合或いは共生するのかということがあり、氏の講演の題目に惹かれて聞いてみることにした訳である。
以下その要点(小生の受け止め方で誤解があれば全く小生の責任です)
現在新聞は斜陽化の道をたどっている。これには若い人が新聞を購読しなくなった、他メディアとの競合が激しくなった等種々原因が考えられる。
しかし新聞は決して無くならない。そのための再生の道は
1)ネットとの共生
2)high quality & a few copies (小生注:記事の信頼性・品質が高い、しかし発行部数は少なくともやむを得ないという意味?)
3)高齢化に対応した紙面 記事内容もさることながら紙面の大きさが高齢者には負担が重い。(紙面の大きさの件は高齢者の一人として全く同感である。早くタブロイド版にならないかと思っている。輪転機が高いから当分無理かな)
4)信頼の復権 ネットやTVに無い強みがある。それは記事の信頼性である。
5)信頼性と付加価値が新聞の財産
6)情報収集力は他のメディアより強い
以上のような方策をとり、且つ長所を生かして情報総合集約センターとして信頼できる情報をあらゆるメディアへの発信者となることが新聞の未来である。

ブログとNSNの将来予測 総務省レポートより

2005年12月15日 14時25分30秒 | 社会断層
ブログとSNSの将来予測 総務省レポートから
表記の題でのレポートが総務省から出されている。偶然見つけて通読すると、どうやら
SNSはいままでのメール、ホームページやブログを包含し、且つ発信者のIDを明確にした、つまり責任を発信者に持たせた表現手段になると思った。
そこでこのレポートを要約してみる。(このレポートは平成17年5月に発表されている) 要点はブログとSNSの利用者数の伸びの比較である。
1.ブログ
2005年3月末現在 純ブログ利用者数(複数のサービスを掛け持ちで利用しない数)165万人である。このうち月一回はブログを更新するアクティブ利用者は95万人である。
2007年の予測はアクティブ利用者が296万人になると予測している。
95万人対296万人で伸び率は310%となる。
2.SNS
2005年3月末 純参加者105万人 このうちアクティブ参加者は約80万人であるとしている。
2007年3月末でのアクティブ参加者は751万人でその伸び率940%と驚異的な数字を予測している。2007年にはブログ対NSNは完全に逆転するとの予測である。
以上の数字の算出には相当に綿密な作業をしたとレポートの後書きにある。
ともあれ書きっぱなしのブログからそろそろ卒業かなと思いったりするし、少なくともある目的を持ったコミュニティーの意志伝達には優れものかなと感じる。
このレポートは 下記にある。
http://www.soumu.go.jp/s-news/2005/050517_3.html

ブログ対SNS

2005年12月14日 14時43分36秒 | 社会断層
ブログとSNS
ブログが今年の流行語大賞のベストテンに入ったという報道がつい最近あった。
「生協の白石さん」とか「鬼嫁日記」など良く読まれているブログが 牽引車になってブログの存在を周知させたようだ。ブログを書いている私としてはご同慶の至りであるが、もう次の対抗馬?が現れてきそうである。
それはSNS(ソーシアル・ネットワーキング・サービス又はソーシアル・ネットワーキング・サイトSocial Networking Site)と称されるものである。
さてSNSとはいかなる代物かというといままでのメイリングリスト、ブログや掲示板等の機能に匿名性を排除したもので、メンバーとして参加するには既メンバーの友人、知人の紹介が必要であるという原則がある。即ち匿名性によってのいい加減な発言や書き込み、誹謗中傷を無くしたクローズ なネットワークであるとのことである。
では具体的にどんなことが出来るのか?
サービスプロバイザー数社のホームページによれば
1)日記機能:ブログでの日記とほぼ同じ
2)コミュニティ機能-自分の興味のあることを主題にして、コミュニティーを作成する3)メッセージ機能-WEBメール感覚で、ユーザー同士でメールをやりとりすることができる。ネットワーク内ユーザー同士だけのメールのやり取りで、メールアドレスは公開されないし、スパムメールはない。
4)プロフィール機能-ユーザー同士のコミュニケーションをはかるために、自分のプロフィールを写真つきで作ることができる。
5)友人紹介機能や例えば趣味を同じくする人の検索機能等である。

東京都千代田区や新潟県長岡市等の地方自治体ではこのSNSを地域SNSとして立ち上げ住民の自治参画や街の活性化に結びつける実験を始めたようだ。
ブログとSNSは共存するのか、どちらかが一方を喰う(吸収)するのか今後の展開が見物である。
折から総務省では「ブログ・SNSの現状分析及び将来予測」と題する興味あるレポートを発表している。(平成17年5月)次回に簡単に紹介する。






ジェイコム株誤発注問題で感じたこと

2005年12月13日 09時47分07秒 | 社会断層
ジェイコム株誤発注問題で感じたこと
私は株売買には全くの素人である。しかし今回のみずほ証券のジェイコム株の誤発注問題には驚いた。同時に一連の報道を読みながらとても厭な感じを持った。
それは一部外資系証券会社と一部日本の大手証券会社がジェイコム株を大量に取得していることである。同株の上場前からの取得株もあるかも知れないし、げすの勘ぐりかも知れないがこの誤発注を幸いにと大量に取得したのではなかろうか?
商取引上何ら問題は無いし、その機敏な行動は社内的には「良くやった」とほめられるかも知れない。一般投資家が儲けたのなら幸運を喜んであげてもよい。
しかし証券会社の売買担当者は誤発注の株数や単価を見て直ぐにこれは誤発注だと分かるはずである。そしてこれによって、同業のみずほ証券は 大損をすることも分かっているいるはずである。そこに同業に対する武士の情けはないものかと株素人の昔人間は思うのである。
仕手合戦の勝つか負けるかの話ではないのだから。

子供の安全を守るための一提案

2005年12月07日 11時23分44秒 | 社会断層
子供の安全についての一提案: 高齢者ボランティア活動を長続きさせるために
いま日本社会に衝撃を与えているのは子供に対する誘拐・殺害事件である。
昨年の奈良県、ごく最近の廣島県と栃木県と相次いで起こった一連の事件は同じ年頃の孫を持つ身として胸が潰れるばかりである。TVや新聞紙上でこの子達の可愛い頑是ない顔写真を見るにつけ犯人に対して持って行きようのない怒りを感じる。
このような事件の発生を未然に防ぐために「通学路の安全を守るボランティア活動が各地で活発化している。只、こうした地域の盛り上がりを維持するためには課題が多い」
奈良県の例では「当初ボランティアの担い手の中心は高齢者だった。だが今年春から参加者が減り始め全体の1~3割程度になり、いまでは保護者が活動の中心になっている」
(「」内は2月7日読売新聞朝刊より)
そこで次の提案をしたい。
ボランティアとして参加し易いのは、なんと言っても時間に自由度を持つ高齢者だろう。
対象になる児童達の両親はその年令から考えて共働き等で時間の自由度が少ないと思われるので。
「当初ボランティアの担い手の中心は高齢者だった」が事実を物語っている。問題は長続きしない事である。
長続きさせるためには、このボランティア活動に付加価値をつけることである。
金銭的報酬のことではない。
具体的にはボランティア同士の交流会(例えば週一回のお茶会、月1回の飲み会)、児童とのふれあい会や保護者との交流会等でボランティア活動に「変化と楽しみ」を見いだす事が長続きの秘訣だと思う。この交流、ふれあいが高齢者ボランティアにとっての付加価値である。これにかかる費用は自治体やPTAが負担する。わずかなものだと思う。
「楽しみ 」など目的からみて不謹慎と思われる向きもあるかもしれないが、要は長続きすることであり、常に「防犯ボランティア」が 存在するという実態である。この実態はこのような犯罪への抑止力として充分に働くと思う。