社会断想

諸々の社会現象にもの申す
中高年者・定年退職者向け

日本人聡クリスチャンになる?

2006年11月27日 11時32分38秒 | Weblog
日本人聡クリスチャンのシーズン始まる
街の夜空にクリスマス・イルミネーションが輝くシーズンがやって来た。
12月に入るとこれに鳴り響くジングルベルが加わ一気に雰囲気が盛り上がる(実は盛り上げられている?)。
クリスマス・イルミネーションは街の通り以外に最近は住宅にも飾られるようになった。日本人はこの時期こぞってクリスチャンになる。否この時期に限らずハローイン、聖バレンタイン・デイなどキリスト教に因んだ日にはそれぞれの行いがなされる。
聖バレンタインのチョコレート贈りなどは、どうやらお菓子屋さんの商魂がもたらしたもののようである。知人の外国人(キリスト教徒)にこの話をするとビックリするやら可笑しがる。
ともあれ、もともとあまり信心深くない日本人は仏教、神道やキリスト教の祭事を抵抗なく受け入れている。そして商魂たくましくコマーシャリズムがそれを利用している。
中東諸国では宗教、宗派の違いでのいがみ合い、テロが絶えない。(原因は宗教以外の経済的利害の側面や人種的相克があるにしても)
しかし日本ではこの200年間宗教上の対立で大きなもめ事はない。案外信心深くないのが平和をもたらしているのかも知れないと思ったりしている。不信心万歳。
ついでにいうと、日本人の一日XXXはいろいろあるが、小生がいつもニヤリとするのは卒業式シーズンで見られる女子学生のマドンナ姿である。昨日まではジーパンをはいて闊歩していたお嬢さんが本日はマドンナとなって歩きにくそうな姿を見ると、ついニヤリとせざるを得ない。まあ、人に迷惑をかけるではなし、平和の象徴のようなものである。
めでたし、めでたし。

南大沢駅周辺に新モール

2006年11月25日 11時42分26秒 | Weblog
南大沢駅周辺に新モール
11月23日から南大沢駅周辺の人の流れにもう一つの流れが加わった。
南大沢駅前の広場(正確には回廊と呼ぶべきか )の人の流れは改札口を出て右に首都大学東京方面に、これはすぐに左右の商業ビル、その先のアウトレットモールの左右に枝分かれする。
改札口から左を見れば右にスーパーマーケットを含んだ商業ビル、左にコンビニとバス停、タクシー乗り場 がある。直進すれば左に交番があり、ここで回廊はつきる。
信号のある広い道路がある。今まではこの信号を突ききって右に図書館、文化会館等の公共施設群があり、直進すれば公園を越えてマンション住宅群に入る。
これが今までの人の流れであったが、これに信号を渡りきったところで左に大きく流れが加わった。
11月23日勤労感謝の日にオープンした商業モールを目指す流れである。
入居しているテナントもバラエティー豊かで楽しい。
私は大型の書店とレンタルビデオ店 がないのをかねがね不満に思っていたのだが、新規入居した書店・レンタルビデオ店(同一経営)の規模は 私を満足させてくれた。
散歩の向き先が増えたことは大変結構と思っている。本屋で面白そうな本を見つけ図書館で借りるというケチオヤジの私は本を滅多に買わないけれど。

秋の大山詣で

2006年11月22日 11時19分27秒 | Weblog
秋の大山寺に参詣
恒例のOER(小田急沿線に住む大学同窓の会)散歩会の11月 分を行った。参加人員10名、いつもよりは少し多めか。
小田急伊勢原駅集合、バスで大山駅を目指す。途中バスから「道灌の墓」云云の文字が見えた。何でこんな所に「道灌」が思った。帰宅して調べたら太田道灌はこの地伊勢原粕屋でだまし討ちにあい一命を落としたとのこと。わが不明を一人恥じた。
バスは大山駅に到着、バス停横すぐに林道が始まる。緩やかな登りが続く。
この林道は舗装された立派なものだが主な用途は大山寺への物資運搬とのことである。そういえばハイカーは我々一行のみで(一人写真三脚を持った人に出会ったが)、たまに自動車が行き交のみ。
延々と続く上り坂を一行後塵を拝しながら6キロぐらい歩いてようやく辿り着いたところに大山寺があった。
辿り着いた寺には沢山の人が参集していた。ケーブルカーを利用してきた人達である。
見渡したところ善男善女・老若男女の若抜きといってよく年配者が圧倒的である。
この場所は紅葉が有名だとのことであるが寺前の階段脇にはよく紅葉していたが全山燃えるがごとくとはいかなかった。今年は全体に紅葉が遅れているようだ。
大山寺から下りる道の女坂を辿る。名前は優しさを象徴する?女坂であるが、とんでもない急坂である。ようやく下りきって商店街に入る。幹事が予約していた豆腐料理屋Oに入る。
この店は大山回りの評判記でベスト5に入っているとの幹事の説明であった。
出された料理はさすが評判のことはあると思わせた。
ともあれ無事に一日の行楽は終わった。

老同窓生箱根で遊ぶ

2006年11月16日 14時05分06秒 | 我が想い出シリーズ
晩秋の箱根に遊ぶ
よく晴れた晩秋の一日、高校時代の同窓会を箱根で行った。
いつもは在京者を中心とした会なので都内のレストランでの一夕を楽しむのだが、今回はメンバーの一人I君の世話で某証券会社の保養所が安く利用できることになり郷里のH市や関西、中京方面からも参加者を集めて開こうということで箱根での一泊となった。
幸い好天に恵まれ行楽日和となった。
平日にもかかわらず箱根は大変な人出で老若男女の若抜きで各交通手段、ケーブルカー、ロープウエイや海賊船はごったがえしていた。
ともあれ懐かしい顔ぶれが総員16名と集まり、弾む話は60年前から現在まで半世紀以上を行ったり来たりしたが、やはりみんなの人生が重なった前大戦の終戦直後の旧制中学校から高校卒業までの数年間が話題の中心であった。戦後の苛酷な食糧事情と急激な教育制度の変革等、それ等抜きには考えられないトピックの数々が次から次に披露されたのである。
これらの話題はある大変な時代を象徴するもので忘却の彼方に霧散させるべきではないとの思いを強く持った。諸君の記憶を留め書きし、少しまとまったところで 文集に纏めて提供したらいいかなー と思ったりしている。

みやこ祭り 首都大学東京学園祭風景

2006年11月06日 11時05分38秒 | Weblog
首都大学東京(都立大学)祭 みやこ祭
首都大学東京の学園祭が11月3日~5日と行われた。
住まいの近くなので覗いてみた。キャンパス校地の西半分の至る所に露店が出ており、ライブ演奏、ストリート演技も行われていた。賑やかというよりここを先途の騒々しさである。列をなす露店は相変わらずの食い物ばかりである。
何処の大学祭も似たり寄ったりでここも例外ではない。もう少し大学の特色をだしたらどうかねとオジサンは思うのである。
キャンパスの中に国際会館なる留学生用の立派な宿舎があるところを見ると世界からの留学生も沢山いるようだ。各国の留学生がお国振りのお店を出せば楽しいと思うのだが。
ともあれこの3日間は天気もよく老若男女がひしめくように押しかけてきていた。
集客という面ではまずは大成功であろう。
お祭りの最後の夜はキャンパス内のグラウンドで花火が打ち上げられた。キャンパスが市街地にある大学ではちょっと考えられないが広いキャンパスを持つこの大学ならではのことである。

産業界のニーズに応える大学 産学連携の実際

2006年11月02日 15時40分08秒 | Weblog
「産業界のニーズに応える大学とは」
「産業界のニーズに応える大学とは・・新たな産学連携のための産・学それぞれの役割と具体的な取り組み」というテーマのワークショップがあるというので門外漢ながら出席してみた。(経産省主催、文科省 、三菱総研他後援、10月31日 経団連会館にて)
大学側と産業界側から スピーカーおよびパネリストがそれぞれの立場から考えを述べ、デスカッションが行われた。
聴衆はどうやら大学の先生方が大半のようで若干の小生のような場違いが少しいたかな?
各講師(スピーカー、パネラー)の発言はそれぞれに面白かったが特に産業界側の東芝理事のY氏の大学の先生方の反発を覚悟してという前置きの発言内容が小生には気に入った。 以下同氏の発言(但し小生の受け取り方に間違いがあるかも知れない):
●産業界と大学の研究者の産学連携に対する意識は==== 煩わしい産学連携はやりたくないというのが大半である。
●大学の産学推進担当部門と現場の研究者・教官の意識は乖離している。
同様に企業の産学連携推進担当部門と企業内研究者・開発者の意識も乖離している。
●大学の研究者・教官と企業の研究者・開発者の間では何らかの個人的関係、例えば師弟関係や同窓関係があると細いながらも連携関係が成り立つことがある。
●複数の研究領域が絡むプロジェクトの産学連携は難しい。学内の水平連携即ち学学連携が必要ではないか。
●産業界から見ると研究に比べて教育への注力が低い。産業界としては基礎的な学力をしっかり付けた学生を望んでいる。
●インターンシップ 制度においては教官もインターンシップで企業での経験をして貰いたい。(この項はY氏以外の発言かも知れない?)

世界史問題を解決する迷案?

2006年11月02日 13時36分09秒 | 社会断層
世界史問題を解決する大迷案
必修科目の世界史を履修させる、今更させなくともよい ・・・と世間をあげて大騒ぎである。しかし必修科目と決めた以上キチンとルールを守るべきである。ルールを教える学校がルール破りをすることは、つまりルール破りの見本を生徒に教えることにつながらないかと心配するわけである。
大学の受験科目に無いので 世界史の授業時間を他の科目に振り替えたのが主な原因だという。これには学校間の競争意識とそれを後押しする父兄の存在があるとのことである。へそ曲がりの小生にはさらなる勘ぐりがある。
それは世界史をキチンと教えられる先生が少ない、或いは先生自体が苦手にしているという表には出ないワケがあるのではないか?
そこで受験にかこつけて先生自体も世界史のオミットに暗黙の内に荷担したのではないかとゲスは勘ぐるのである。
とこのような勘ぐりを巡らせるうちに小生自体の小学校時代の国史(当時は日本史を国史といった)の授業風景と先生を思い出した。
この先生,かりにK先生は師範学校出の面白い先生であった。教師として有能であったかどうかはわからないが、少なくとも小学生の小生にとっては良い先生であった。
しかしK先生は歴史の授業は苦手であったと思う。何故そう考えたかというと、K先生は教科書を使わずに国史の読み物本を節をつけて読み下したのである。
今思えばその本は時代を反映してがちがちの皇国史観本であったが、読み物であっただけに歴史上の大きいトピックが面白く書かれていたし、何よりも歴史のつながりがよく分かったと思う、つまりトピックがバラバラでなく。授業としては面白く聞いた。
そこで思ったのは、今更限られた補習時間でオーソドックスな授業で生徒忍耐を強いるよりも、何か面白い読み物式の通史世界史を読ませたら如何と思う。
いずれにしても世界史が必修に決められたのは国際化というキーワードからきたそれなりの理由がある。例えば、何故イスラエルとアラブの一地域のパレスチナがいがみ合ってるのか、は 近現代の世界史の知識はなければ理解できないと思うし、生徒が社会に出ての何らかの機会に、この常識を持っていないが故の恥をかくことがあるのではなかろうか? 極端な事を云えば「まんが世界史」のような本でもよいと思う。ウソが書いてなければ。