社会断想

諸々の社会現象にもの申す
中高年者・定年退職者向け

電話トラウマがSkypeで癒やされる?

2007年08月31日 13時41分21秒 | 社会断層
電話トラウマがSkypeで癒やされる?

私は電話が苦手である。発信も受信も苦手であるが、どちらかといえば 発信することに抵抗感がある。ビジネスの世界で電話が苦手では困るわけであるが、そこは何とか 過ごしてきた。永年苦しんできた(ちと大袈裟か?)この感覚はどこから来たか?
私には解っている。
今を去ること未だ幼児であった70年前、当時は電話も特に田舎ではそれほど普及はしていなかったと思う。そして電話代は当時の物価の中でも高かった筈である。
そんな時代、隣り近所でも電話があったのは商店を営んでいる我が家だけであった。
隣近所の人が時どき電話を借りに来て、通話が終わったら電話交換手にもう一度電話をかけその時の電話代を確かめ、その金額を払っていった。反対に外からの呼び出し電話を近所の家に知らせに走らされた事もチョイチョイある。
そんな状況の中で親から電話代は高いものだと刷り込まれて育った私である。かくして電話トラウマが私の中に定着したのだ。そんなわけで、とりわけ長電話や国際電話は苦手で電話代が気になってしかたがなかった。。
翻って周りを見渡すと今時、どうも電話トラウマ患者は私だけのようである。
世間一般の人にとって電話(機)はまるで例えれば飯を食べるお箸のようなものなのだろう。電車に乗れば乗客の少なくとも2割は携帯電話を弄っている。通話をしているわけではなく、なにやら親指を器用に動かしている。これを親指文化というらしいが、その様子はまるで携帯電話機はその人の体の一部の器官にも見える。
そんな電話トラウマ患者の私にも救いの手?が差しのべられてきた。
それはインターネット電話の一種であるSkype電話である。Skype電話は始まって既に2~3年ぐらい経っているようだが最近ある人に教えられて導入してみた。
私の娘家族はメキシコに在住しており、何か用件があれば国際電話をしていたわけであるが電話トラウマ患者の私は手短に用件のみを話すのみだが、これが家内と娘の間になると簡単手短と言うわけにはいかない。両者がお互いの話の内容確認を繰り返すので長々とお喋りが続く。そして請求書を見て私も家内も眼を剥く次第である。
ところがSkype電話の存在を知りメキシコ側にも導入を命じてSkype電話での遣り取りとなったのだがSkypeの謳い文句のごとく一文もかからない。これは請求・引落領収書を見るまでは半信半疑であったが確かに請求もされなければ引き落とされてもいない。どうしてそうなるのか技術的なことは私にはよく解らない。なにはともあれ、今まで5千円~一万円かかっていたものがロハとは有り難い。これで私のトラウマも少しは癒やされるかな。
この駄文はSkypeの宣伝のつもりではなく、正直驚きの気持を表明したものである。

「薩摩ステューデント西へ」を読んで

2007年08月27日 15時30分45秒 | 社会断層

「 薩摩ステューデント 西へ」を読んで

最近「 薩摩ステューデント 西へ」(著者 林望氏)を読んだ。薩摩藩の選抜された英国への密航留学生の物語である。(1865年慶応元年鹿児島県」羽島の浦から出帆)
もともと幕末維新の時代には大変興味があり、この手のテーマの本にはつい手が伸びるのである。小生の生まれが明治維新の起爆地の一つ、長州萩の故かもしれない。
著者林望氏(通称リンボウ先生と呼ぶらしい)は英国学者ぐらいにしか認識がなかったのだが、なかなかの力作だと思った。
しかし小生が一番感銘又は衝撃(大袈裟に言えば)を受けたのは巻頭に掲げられていた留学生達の二葉の内1枚の写真である。それは凝視するまでもなく二人のとりわけ若い少年のあどけない顔立ちが目に飛び込んできた。いったい誰でいくつぐらいかなと本文を読み進めていくと一人は町田清蔵一五才、もう一人は礒永彦輔(長沢鼎・後のカルフォニア ワイン醸造業の創始者)一三才とわかる。
この年頃は今の中学一年と三年生相当である。ケータイとゲームに夢中の年頃である。
激動の時代の、しかも例外的な存在かも知れないが本人も家族も相当な覚悟をもって 
この企てに参加したものであろう事は疑う余地もない。
ウーンと呻っている内に、もう一つの似たようなケースを思い出した。
それは維新が出来たばかりの明治四年(一八七一年)の岩倉使節団に同行した五人の女子留学生のことである。これまた五人のうち三人、即ち津田梅子(津田塾大学創始者)八才、永井繁子九才及び山川捨松(後の大山厳元帥夫人)11才である。
実際写真を見ると薩摩少年よりももっと、痛々しいほどのあどけなさである。普通ならお手玉をして遊んでいたり、母親にしがみついている女の子である。
薩摩にしろ岩倉にしろ、世界に目を向け世界に伍して行かねばならぬという時代の覚悟が生み出したケースではあろうが、何とも「エライ!」と 子や孫に甘いばかりのジジイの、この本の主題からは外れた感慨である。

迷惑メールにはウンザリだが・・・

2007年08月25日 13時16分08秒 | 社会断層
迷惑メールにウンザリだが・・・
この一・二年 の迷惑メールの急増には全くウンザリである。
迷惑メールにはいろいろあるが特にひどいのが、なにやら妖しげな薬品の宣伝・販売勧誘である。大半は英文なので、どうやら外国発と思われる。
それにしても小生のアドレスをどうして手に入れたのだろうかと思う。
このあたりの事情に詳しい知人に聞いてみると、いろんな手段でメールアドレスを蒐集しそれを販売する専門業者が存在するそうである。個人的にホームページやブログを立ち上げている人は狙い目だとのことだそうだ。
友人にはこの迷惑メール(スパムメール)に根を上げてアドレスを代えたのがいる。アドレスを変える事は契約しているプロバイダーを変更する事だし、いわば実生活上の住所変更に近い。小生もアドレス変更を考えたことがあるが変更後の手続きや今までのメール相手への告知の手間と相手にも少々の手間を強いることを考えると踏み切れないでいる。
そんな折、総務省が迷惑メールの規制強化に乗り出すべく、研究会を開いたという記事がでていた。大いにやって下さいと諸手を挙げて賛成するわけであるが、迷惑メールの大方が海外発の実情から外国の当局との協調、協同が是非必要で、これなくしては効果が得られないと思う。総務省さん、宜しく。

非常勤語学講師の薄給を憂う

2007年08月21日 09時31分58秒 | 社会断層
非常勤語学教師の薄給を憂う
先日の日刊紙に「大学非常勤講師、年収300万円未満、厳しい実態」なる小記事があった。それによると、平均年齢45才強、年収300万円未満、半数が突然クビになった経験あり。これは首都圏大学非常勤組合のアンケートで明らかになったとのこと。
アンケートに答えた非常勤講師1000人強の内約60% は専業である。平均年齢45才強、勤務歴平均11年である。担当教科は語学が7割強である。
こに記事を読んで小生はウーンと呻った。
それは、この実態は事の是非は別として「分かるなーと納得する部分」と、こんな事で大学の語学教育はどうなるんだと人ごとながらも怒りのようなものを感じるのである。
「分かるなーと納得する部分」は50年以上前の小生の経験から来るもので現実の実態とは関係ないであろうと願うのだが。
小生又は小生達の経験とは大学の教養科目の担当には非常勤講師が2~3割いたと思う。概して彼等の授業態度はおざなりで且つ欠講も多かった。学生側から見ると、大して興味のある科目でもなし単位を稼ぐための出席なので(出欠を取らないことが多かったと思う)おざなりも欠講も差し支えなかったのだが、今で言う「給料ドロボー」の思いはぬぐえなかった。再度述べるが、この過去の実態が現在の実態と関係ないと願うのである。
問題は非常勤講師の7割が語学担当である事だ。大学の語学担当教師の可成りの部分が非常勤講師で且つ問題の年収レベルで且つ不安定雇用の実態である。
このような条件で果たして熱意のある授業が出来るだろうか?熱意のない教師の授業を受ける学生もまたその授業には情熱を失うであろう。
小学校から英語授業を始めるという趨勢のなかで 、このような実態は矛盾も甚だしいと言わざるを得ない。文科省さん、何とかしてください。

豪快に飛ぶペットボトルロケット

2007年08月01日 11時59分23秒 | Weblog
爺世代と孫世代のロケット実験 豪快に飛ぶペットボトルロケットIII型
夏休みの或る一日の昼下がり、おじいちゃん世代と孫世代のロケット発射実験が行われた。
おじいちゃん世代は電通大OBで70代半ばの人達で調布市内や近隣の子供向けの科学教室を毎月開催している。理科、科学に興味のある子供達に人気があり、近隣の小学校からお座敷がかかるそうである。子供達の参加者を募集すると直ぐに定員をオーバーし抽選となる由。
今回の実験のロケットはペットボトルを加工し水圧により噴射するもので、数十メートル上空に豪快に飛翔させるものである。
飛んだ瞬間一斉に歓声が沸く。