
たとえば、満開の桜がきれい!と思ってシャッターボタンを押す。けれども、撮影された写真を見てちょっとがっかり。自分自身の目で目の当たりにした桜の方が断然よかった、という経験。よくあるのではないでしょうか。それとは全く逆、突き抜けた対極感が、大原さんの絵の前に立つとこみ上げてきました。
もし、絵の元となった花器に生けられた花々たちと見比べてみることができるのなら、きっと現物の花の方に物足りなさを覚えてしまうのではないでしょうか。生(なま)の花はそれはそれは美しいもの。けれども、大原さんの絵は、その美しさの向こう側にある、花自身の生き物としての生々しさまでをも描ききっているように思えるのです。花自身が携えている、逞しさや、喜びや、切なさや。そういった、目には見えないものを受け止めて、捉えて、キャンバス上で伝えている。まるでイタコのような役割をも、表現者として担っているような気配を感じずにはいられません。
四角い空間の中に描かれることによって、花たちは自分たちの「生(せい)」をいちだんと発揮し、四角い空間の住民となってなお、「生(せい)」の喜びを享受し、時を重ねていくようなうごめきがある。ギャラリーの中に、こそばゆいようなわさわさした空気が漂っていたのも、そのせいだと思うのです。
個展のタイトル通り、花の作品ばかりでした。が、一点だけ出目金の絵がありました。丸い金魚鉢に黒いピチピチした出目金が二匹。日を置いてから、もう一度この絵を観に来た時には、赤ちゃん出目金が顔を覗かせていたり、「広い世界へ旅立つのだ」と二匹は飛び出して出目金のいない金魚鉢だけの絵だけになっているかも。そんな想像を見る側に促してくれるぐらいに、「生(せい)」が絵に満ち満ちています。(山本理絵)
(※gallery一枚の繪 東京都中央区銀座6-6-1凮月堂ビル3階)