goo blog サービス終了のお知らせ 

TAOコンサル『市民派アートコレクターズクラブ』

「注目の現代作家と画廊散歩」
「我がルオー・サロン」
「心に響いた名画・名品」
「アート市民たち(コレクター他)」

大原裕行展-HANA-@gallery一枚の繪

2013年04月04日 | 気になる展覧会探訪

 たとえば、満開の桜がきれい!と思ってシャッターボタンを押す。けれども、撮影された写真を見てちょっとがっかり。自分自身の目で目の当たりにした桜の方が断然よかった、という経験。よくあるのではないでしょうか。それとは全く逆、突き抜けた対極感が、大原さんの絵の前に立つとこみ上げてきました。
 もし、絵の元となった花器に生けられた花々たちと見比べてみることができるのなら、きっと現物の花の方に物足りなさを覚えてしまうのではないでしょうか。生(なま)の花はそれはそれは美しいもの。けれども、大原さんの絵は、その美しさの向こう側にある、花自身の生き物としての生々しさまでをも描ききっているように思えるのです。花自身が携えている、逞しさや、喜びや、切なさや。そういった、目には見えないものを受け止めて、捉えて、キャンバス上で伝えている。まるでイタコのような役割をも、表現者として担っているような気配を感じずにはいられません。
 四角い空間の中に描かれることによって、花たちは自分たちの「生(せい)」をいちだんと発揮し、四角い空間の住民となってなお、「生(せい)」の喜びを享受し、時を重ねていくようなうごめきがある。ギャラリーの中に、こそばゆいようなわさわさした空気が漂っていたのも、そのせいだと思うのです。
 個展のタイトル通り、花の作品ばかりでした。が、一点だけ出目金の絵がありました。丸い金魚鉢に黒いピチピチした出目金が二匹。日を置いてから、もう一度この絵を観に来た時には、赤ちゃん出目金が顔を覗かせていたり、「広い世界へ旅立つのだ」と二匹は飛び出して出目金のいない金魚鉢だけの絵だけになっているかも。そんな想像を見る側に促してくれるぐらいに、「生(せい)」が絵に満ち満ちています。(山本理絵)

(※gallery一枚の繪 東京都中央区銀座6-6-1凮月堂ビル3階)

藤岡れい子展@ぎゃらりぃサムホール

2012年11月02日 | 気になる展覧会探訪


 藤岡さんは「水」をテーマにずっと作品を描かれている。そんなお話を以前聞いた時、なぜ「水」を選んだのか、いつか伺ってみたいなと思っていました。
 チャンス到来。個展を初めて観に行ったのですが、会場にご本人の姿があったのです。他の方とお話をしてらっしゃったので、まずはとにかく鑑賞。どのキャンバスにも、描かれていたのは「水」。といっても、いわゆる透明の水ではない水の姿でした。光の反射、水紋、ゆらぎ、きらめき、水面に映り込む景色など。「水」そのものではあるのですが、風や光や色や季節や肌触りや匂いなど、別の何かを受け止め、受け入れた「水」の姿がそこにはありました。水といえば、蛇口をひねれば棒状に流れ出るものだったり、プールの中に四角く詰め込まれたものだったり、放物線を描きながらしぶきをあげる噴水を想像しがち。けれども思い浮かべてみると、羊水、海水、泥水、清水、雨水……水の佇まいは色々。それは漢字を眺めても分かります。水の流れを表している「三水偏」の文字は1700以上もあるとか。雨を部首に持つものも300以上。あらためて「水」の姿形の限りなさや包容力といったものに思いを馳せずにはいられません。
 映画「SAYURI」の冒頭には、こんなモノローグがあります。……私は水の性分だと言われる。水はとめどなく流れ続け、岩に当たっても方向を変えて流れ続けていく……。どんな環境も受け入れて順応していき、さまざまに形を変えながらも確かに存在している、という主人公の運命や生き方を水にたとえています。水の描写も随所に行き届いていた映画だったような気がします。
 作品をひと通り見終えた時、藤岡さんは他の方とはもうお話をしていませんでした。でも、なぜ「水」がテーマなのでしょうかなどとご本人に尋ねるのは野暮というものだなー、と感じたのでした。ところで、藤岡さんのお名前「れい」の漢字も、偏は「ニ水」でなくて「三水」。水がたおやかに流れています。(山本理絵)

(ぎゃらりぃサムホール 東京都中央区銀座7-10-11 日本アニメーションビル2階)

関根淳伸展@新井画廊

2012年11月02日 | 気になる展覧会探訪
 土佐育也氏に誘われ、ご友人関根淳伸氏の個展に出かけた。土佐氏と私は同じ損保業界出身のシステムコーディネーター、時々ランチをしたり美術館を訪ねる等の交流が続いている。この日はこのコーナーにアート記事を書いている山本理絵さんを誘って出かけた。(山)

(左から2番目が関根淳伸氏) 

関根さんは元SE。定年を待ちきれずに退職して、翌日にはアルプスの山に向かって筆を握っていたとか。以来20年、韮崎で山々を描き続けています。誰にも教わらず、ただただ山に入って、山と向き合っての独学。最初はずっと山に圧倒されっぱなしだったそうです。そんな山たちが包み込んでくるプレッシャーから開放されるまで、要した歳月は10年。開放されてからというもの、「絵が変わった。柔らかくなった」と、関根さんの絵を長年見てきたおヒゲの演劇人は頷きながら教えてくれました。筆の使い方や色の塗り方といった技の研磨も影響しているのかもしれません。けれども、きっとそれは瑣末なこと。そんなことよりも、山と対峙した時の関根さんの心の状態が、10年の間にゆっくりとおおらかに変わってきたからこそ、絵が柔らかく変わってきたに違いありません。ふと、「スモーク」という映画のシーンを思い出します。10年以上も毎日、同じ時間に同じ場所で同じ街角の風景写真を主人公は撮り続けます。けれども行き交う人が違うから、同じ場所でも違って見えるーー。アルプスの山々は何にも変わっていないのに、それに向き合う人間の心の状態が変わったから、山も違って見えるし、絵への表現も変わってきたといえるのではないでしょうか。
 後日、関根さんから、お礼状が届きました。そこにはこんな一節が。「~ある日、小学3年生の男の子に『おじさんの絵は前よりよくなった』と云ってもらいました~中略~次回は『ダメダメ』と云われないように努力する所存です~」。芸術に詳しそうな演劇人の審美眼と純粋な少年の目が期せずして一致しているところも興味深いのですが、小学3年生の意見を葉書に書き留めて伝えるという関根さんの喜び方がいいなと思ったのでした。(山本理絵)

※新井画廊(中央区銀座7-10-8)

篠沢潤子展@Oギャラリー

2012年10月22日 | 気になる展覧会探訪

                                    篠沢潤子さん

 篠沢潤子さんは、いつもニコニコしていてキュート。作品を前に「これはね、」と笑顔で語ってくれます。長年ずうっと書道を続けてこられてきて、今は油彩へ。作品のところどころに、平仮名やアラビア文字のようなさらさらっなめらかに流れる筆運びが感じられるのはそのためでしょうか。心のリズムもそこにのっかっている気配。実際、書道の筆を使って描いてある部分があるとのこと。普通の筆とはかすれ具合も違うのだそうです。かすれの競演、見てみたい! それにしても、和紙の上ではなくて、キャンバスの上までをも書道の筆が走ることがあるだなんて。書道の筆の活動範囲を限定させていた思い込みを戒めておかなくては。
 もうひとつ、色は塗るもの、重ねていくものだというシロウトの思い込みからも、篠沢さんは解き放ってくれました。塗って、硬めて、それから削る、そうして導かれる色の引き算もあるんですね。しかも篠沢さんの引き算は、引いて、引いて、引いて……。ついにキャンバスまでほんのり削ってしまうというマイナスの世界に突入する引き算。「ここなの」と、マイナス世界を教えていただきました。わわわわわ!と感激。次に引き算をすることは決まっているのに、敢えてわざわざプラスの足し算を重ねる経緯を経てからの引き算というのは、単純な引き算とは大違い。「数字」の足し算引き算と「色」の足し算引き算では、結果も、目的も、込められた意味も全く別のものなのです。
 今回、黄の背景色を持つ作品が特に印象に残りました。朗らかで温かみのある黄色です。篠沢さんは、眼を患われて手術も経験されたそうで、黄色い絵の具がグレーに見えたこともあったとお話くださいました。黄色をもういちど見つめずにはいられません。

※Oギャラリー(東京都中央区銀座1-4-9代一タムラビル3階)

池本洋二郎展@ギャラリーf分の1

2012年10月17日 | 気になる展覧会探訪
 濃い色調を背景に、伸びやかな線が遊んでいる。その遊びの軌跡は伸びやかだけれども、わきまえを知っている。ーー池本洋二郎展の会場には、謹みを感じる絵たちが佇んでいるように思いました。濃い背景の色の原料は、なんと土なのだそう。ニカワを混ぜて塗ったとのことです。池本さんが作品を指差しながら明かしてくださいました。「これはロシアの土」「この色はボヘミアの土」「ここはイタリアの土」……!? 黒や茶色だけではなく、ターコイズグリーンのような色を放つ土があるだなんて! 作品を眺めていると新種の海外旅行ができるわけなのです。
 土の色を発色させる紙は、和紙。福井県で漉かれたとーっても厚い和紙に描いた作品もあるそうで、指先でちょいと触って鑑賞したくなってしまいます。土の発色を引き立てている和紙に対する池本さんのこだわりも、とてもとても尽きなさそうです。
 初日はジャズのミニライブがありました。ヴォーカルは池本さんの愛娘。1曲目は「イッツ・オンリー・ア・ペーパームーン」。「紙でできたお月様だけれども、愛があればただの紙じゃなくなる……」という意味の歌詞だと理解していますが、池本さんの作品もそう。池本さんの思いがあるから、だたの紙でも、ただの土でも、なくなっている。なーんて当たり前のコトですね、すみません。けれども、娘さんがこの歌を口にすると、当たり前のコトかもしれないけど本当は当たり前では片付かないコトなんだ、とあらためて作品を見つめさせてくれる。そんな息吹を歌詞、歌声に感じたひとときでした。(山本理絵)
Say, its only a paper moon
Sailing over a cardboard sea
But it wouldn’t be make-believe
If you believed in me
(“It’s Only A Paper Moon”の歌詞より)




※ギャラリーf分の1(東京都千代田区神田駿河台1ー5-6 コトー駿河台 休廊=月曜)

北崎洋子展@ポルトリブレ

2012年10月05日 | 気になる展覧会探訪
 新宿の大通りを少し入った小さなビル。そこの細長い階段をトントントンと登ったところにあるポルトリブレ。まるで隠れ家。初日に訪れたところ、隠れ家は満員。北崎さんの作品も壁に満員状態。壁に収まりきらない作品のファイルを、北崎さんは見せてくださいました。貴重なナマ画集を見ちゃいました! このファイルもあふれんばかりの満員。きっと、北崎さんの創作ゴコロそのものが表れているのではないでしょうか。
 ポルトリブレのちょっと暗めに抑えた暖色の照明の光に、抽象画たちは気持ち良さそうに馴染んでいるように見えました。優しい曲線をたずさえた深みのあるたくさんの赤や黒が、印象的に浮かび上がってきます。作品のサイズは縦横の比率はもちろん、形はさまざま。何ものにも囚われない自由なココロが表れている気がしました。和紙や段ボール素材に描かれているのですが、紙と色の出会いの妙を感じずにはいられません。これらの組み合わせが、目に映る色や肌ざわりのようなものとして、それぞれに個性を産み出しているかのよう。
 思わず聞き入ってしまったのが、その紙のこと。和紙は、韓国やタイなどから、直接ご自分の足と目と手を使って日本に連れて来たのだとか。日本のものではないない「和」紙というものがあるとは知りませんでした。創作のために紙を求めて彷徨う旅って、いいですね。(山本理絵)



向かっていちばん左が北崎さん



左からオープニングでキーボードを演奏した山口夏実さん

※ポルトリブレ(東京都新宿区新宿2-12-9広洋舎ビル3階 休廊=水曜)

フジタミズホ展@アスクエア神田ギャラリー

2012年10月05日 | 気になる展覧会探訪
 この展覧会を案内するリーフレットが素敵なんです。小さな二つ折りには7枚の絵の写真。それぞれの作品には、二度と出会えないような微妙なニュアンスを持った複数の色たちが、何気なく上品に隣り合っているんです。私が勝手に思うに、この色たちとその組み合わせって、世の中の女性たち、特にニッポンの女子たちが目を輝かせるものであるに違いありません。絵の下に添えられた作品名は、さらにその輝きを高めてくれるはず。「マロン色のとき」「うすぐもりの朝」「初冬のころ」「夏のむこうに」「秋のよる」……。この平仮名の使い方、なんて女性好み、かつ、女性的なのでしょう。作品に向き合ったとき、見る側の想像力をそおっと後押ししてくれる言葉だと思います。



 この色合いにこの言葉づかい。フジタミズホさんが女性であることは言うまでもない。と、私は少しも男性である可能性すら抱きませんでした。ところが、ところが。なんの、なんの。アスクエア神田ギャラリーでびっくり。フジタミズホさんは男性、しかもカッコいいおじさまではありませんか。人は見かけによりませんと言いますが、絵も見かけによりません!……というより私はシロウトですから見方が平坦なだけ。余談ながら、イタリア旅行に一緒に出かけても、奥様がイタリア人男性に少しも目をくれなかった、という裏話にも大きく納得したのでした。
 フジタミズホさんの作品は、「本の街」という神田界隈の文化情報誌で毎月身近に手にすることができます。表紙を飾る作品をファイルし続けているファンもいるとのこと。絵だけじゃないんです。ご本人の文章も毎号掲載されています。いい味わい。今回のリーフレットにもそこから一部抜粋されています。全文掲載はムリですから、最後の2文だけご紹介。(山本理絵)

「孤独はけっしてつらいことでもなく、悲しいことでもない。心を休ませ、遊ばせるところなのだ。」



真ん中が藤田さん


※アスクエア神田ギャラリー(東京都千代田区神田錦町1-8伊藤ビルB1 休廊=月曜)

森本秀樹展@ギャラリーゴトウ

2012年10月01日 | 気になる展覧会探訪
 「森本秀樹展」の初日におじゃま。短い時間でしたが、ご本人と平塚市美術館副館長の土方明司さんの簡単なトークイベントがありました。こんなお二人の会話を間近に聴くことができるなんて、オープニングならではの特権バンザイ。土方さんの文章は案内状にも掲載されています。そこにはこんな一節が。「森本さんの作品もまた『記憶の絵画』といって良いだろう。子どものころ目にした宇和島の情景が、記憶のフィルターを通して浮かび上がる」。おっしゃっていること、私にも少しは分かるような気がします。
 海辺に山々に川べりにお祭りなど。森本さんの作品からは、ノスタルジックでやさしく包み込みかけてくるような表情を感じました。同時にタイムスリップした少年・森本さんの姿も浮かんできます。故郷・宇和島の風景の中ににすうっと溶け込んで、純粋で素直な眼差しで描いている、そんな姿。
 ギャラリーゴトウは、忙しいサラリーマンやOLが行き交う場所にありますが、そんな人たちにこそ立ち寄っていただきたい個展だと思いました。なぜなら、森本さんの絵には、オトナのココロをじんわりほぐしてくれる力を感じるから。原画を会社に飾ることは適わないでしょうが、カレンダーなら問題ありません。会社のデスクに森本さんの絵のカレンダーを置くというのは、とってもよさそう。(山本理絵)


機関車や気動車が収められていた倉庫の絵。黒っぽい色彩なのに温かい。


左が作家の森本さん、右が平塚市美術館副館長の土方さん

※ギャラリーゴトウ(東京都中央区銀座1-7-5 銀座中央通ビル7階)

3人の画家の方たち

2012年09月08日 | 気になる展覧会探訪
 市民派アートコレクター・山下さんと銀座でばったり遭遇。その流れで、3人の画家のみなさまと集う場に、いきなりご一緒させていただくこととなりました。3人とは初対面。私はシロウトですから、失礼ながらお名前も作品も存じ上げません。画家・3人のお名前は、奥田良悦さん、矢野素直さん、三浦康栄さん。
 奥田さんは、表情までをも大きく蟻を描く作家さん。矢野さんは、中川一政の孫弟子。三浦さんは、休日画家を長年貫いてきた方。3人の口からは、絵や美術に対する思いが次から次へと展開していきます。古今東西・画家の話、ギャラリーの話、コレクションの話、などなど、それぞれの強烈な個性が、会話からも表情からも、ぐいぐいと伝わってくることもあって、シロウトの私もその世界に楽しく惹き込まれていったのでした。芸術家の方には、眉間にシワ寄せて喧々諤々緊迫ムード、というイメージがな~んとなく持たれがちですが、そんなイメージは一瞬にして彼方へ。みなさん、ご近所の愉快で気さくな人たちという雰囲気。ドシロウト向きに噛み砕いた解説までつけてくださって、ありがとうございました。
 このようにこの日、私は、3人の画家たちの作品を全く知らずして、先に画家ご本人を知ってしまうという珍しく貴重な体験を得たことになります。そのため、会話の節々から「この方はどんな絵を描くのだろう」などと想像を巡らせることができたのは、個人的な僥倖。目の前にたくさんの画家さんの作品をぶわーっと並べて、「はい、奥田さん、矢野さん、三浦さんの作品がこの中に一点ずつあります。さあて、どれだ?」なんていうクイズがあったなら、どうでしょう。けっこうな確率で私は正解を選び出せるような気がしています、エッヘン、オッホン。…まだまだ甘いね、浅いね、なんて一笑されそう。
 答え合わせをするためにも(正解はないのかもしれませんが)、3人の方たちの個展に行く機会を楽しみにしていたいと思います。(山本理絵)



※向かって左から、奥田さん、矢野さん、三浦さん。
(奥田さんと矢野さんは春陽会に所属しています。)

「平田達哉展」@ギャラリー・しらみず美術

2012年09月07日 | 気になる展覧会探訪


 どの絵も、背景は白。白といってもピュアな白ではありません。シロウトの私には分からない、少しだけ、他の魔法の不純物が加わっているような、真っ白ではない色。なにか有機的で深みを感じる色。その背景がどの作品もとても印象的です。もしや、と思ってご本人に尋ねてみたら、正解でした。平田達哉さんの故郷は北海道道北にある遠軽町なのだそうです。極寒の地ならではの体験談をいくつか楽しげに語ってくださいました。冬はマイナス20度、雪が上からも下からも舞って降るという景色の中で育ってきたからこそ、この背景の色が生まれたにちがいありません。
 背景の上に描かれているのは、山や木々や太陽や生き物や家。緩やかな線や形として佇んでいます。背景は雪なのだとシロウト目に解釈するわけですが、寒々しさや自然の厳しさはみじんも感じられません。むしろ逆。物干竿から取り込む直前のシーツのようなほんわかとしてぬくもりのある雪景色ばかりなのです。
 木の根元だけ背景の色が濃く描かれた作品があります。平田さんが、木の周囲は温度が高いため早く雪が解けることを教えてくれました。ある作品には、そんな木々の間を点々点々点々と、黒い点が並んでいます。よく見ると点々は一種類ではありません。すると「これはキツネの足跡、これはウサギの足跡、これは……」と点々の正体を明かしてくれました。道北の道産子の眼差しというものにも感じ入ってしまうのでした。(山本理絵)


真ん中が作家・平田達哉さん

※ギャラリー・しらみず美術(中央区銀座5丁目3-12 休廊=日)

高原直也展@色彩美術館

2012年09月04日 | 気になる展覧会探訪
 原宿、表参道のメインストリートからほど近い「色彩美術館」。決して一見さんの立ち寄ることのできない秘密めいた立地です。そこで開催されていた「高原直也展」に伺いました。
 世界各地の湖や河や魚や動物や飛行機や船たちがキャンバスに配置されているという作品の数々。湖や動物などは、赤や黒や青に彩色された紙を小さく切り抜いたものです。四角い紙は切り抜かれることで紙から作品へと変身しますが、紙の温かさは携えられたたまんま。不思議な距離感と方向性をもった小世界でありながらも、どこか懐かしさが感じられるのは、そのせいでしょうか。
 作家の高原直也さんは愛媛県川之江市(現・四国中央市)出身。製紙で有名な町です。そんな土地の空気が紙に対する強い思い入れの背景にあるのでは、と奥様はおっしゃいます。今はご夫婦でローマに住んでいらっしゃいますが、古くて分厚い百科辞典を求めて古本屋やノミ市を回ることもあるのだとか。きっと、古くて分厚いだけでは不十分。高原さんの求める紙質のものであることが絶対条件なのでしょうから。そうして発掘された百科事典の横、ページの厚みの部分を細かに削ってつくりあげた作品もあるそうです。
 そんな作品を制作している姿を、奥様でさえ普段は決して見てはいけないことになっています。まるで鶴の恩返し。奥様が決して覗き見をしないから、こうして素晴らしい作品が生み出されているともいえるのでしょうね。(山本理絵)



※色彩美術館(東京都渋谷区神宮前6-25-8 神宮前コーポラス810 休館=日月)