硝子戸の外へ。

優しい世界になるようにと、のんびり書き綴っています。

戦争と僕。

2024-08-13 22:04:41 | 日記
もうすぐ終戦記念日。今は平和である日本ですが、80年前は戦争をしていました。
平成生まれの人や昭和60年前後生まれの人だと、もう世の中はとても豊かで、戦争という事象は「昔話」の世界観でしかないのではないかと思います。

僕の母は戦中生まれで、僕は昭和40年代に生まれました。
その頃は、まだかすかに戦後があり、人々のマインドはまだ地続きでした。
そう感じていたのは、母方の祖父は戦争で亡くしていたという理由も影響していたからかもしれません。

祖父にあたる父は、兵隊さんになる前はサラリーマンでしたが、ある日、赤紙が届き兵隊さんになり、南方へゆくことになりました。
そして、しばらくすると内地にも戦禍が伸びてきて、曾祖父や曾祖母、祖母と田舎に移り住むことになり、母はそこで終戦を迎えました。

母には姉がいて、姉はどうしても高校に進学したいと希望し、祖母は大変な苦労をしながら、姉の希望をかなえてあげましたが、その姿を見ていた母は祖母をこれ以上の苦労を掛けさせまいと、中学を卒業後、働き始め、年頃になると祖母の姉妹である農家の祖母の長男とお見合いをし、それまでしたことのない農業をしながら大家族を切り盛りしてきました。

現代社会では到底受け入れられない価値観になってしまいましたが、当時の価値観はそれが普通でした。

でも、戦争がなければ、祖父が生きていれば、母は高校を出て、高度成長期に差し掛かった街で働き、そこで出会った人と結婚して、農家の大家族の中で苦労せずに、違う幸せを得ていたのだろうと思います。

実際、母も祖父が亡くなっていなければ、農家へ嫁ぐことはなかったと言って笑っていました。

しかし、僕はその話を聞いた時から、ずっと胸中にしこりが残ってしまいました。
ネガティブな考え方をすることがいけないのだというのも頭では分かっているのですが、事あるごとに頭をよぎるのです。

「もし、戦争がなければ、僕はこの世に存在していなかった」と。

SNS上では、戦争を肯定的に考えている人を散見できるが、戦争とは、自国が敵国と定めた人の殺人を認める行為で、強制的にその逆の立場に立たされ、ありとあらゆるものが統制され、自由が奪われ、長い時間をかけて作り上げてきた、人としての倫理観や道徳心を放下することなのだと思う。

そんな世の中で、本当に幸せなのかと問いたい。

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