『西部の男』(40)(1993.9.6.)
流れ者のコール(ゲーリー・クーパー)は、悪徳判事と呼ばれるロイ・ビーン(ウォルター・ブレナン)と知り合う。開拓時代のテキサスを舞台に男たちの愛憎と裏切りを描いた西部劇。監督はウィリアム・ワイラー。
前に見たのはおよそ20年前。ワイラー作品なのにほとんど印象に残っておらず、同じくクーパー主演の『西部の人』(58)の存在もあるので、一体どちらを見たのかも定かではなくなって、とても気に掛かっていた。
ところが、先頃読んだ『夢想の研究』(瀬戸川猛資)で、この映画についての一文を目にして安心した。そういえばラストは劇場での対決だったことを思い出したのである。そして、この映画がなぜ当時中学生だった自分の印象に残らなかったのかという疑問についての答えもあった。
以下、引用
「~西部劇として邪道なのである。ロイ・ビーンと流れ者の友情と対決、という骨組みはオーソドックスなのだが、ビーン判事をイギリスの舞台女優リリー・ラングトリーに恋い焦がれる老人に仕立てて、異様なるロマンティシズムを盛り込んでいるのだ。狂的なファン心理やフェティシズムまで描かれているのだから、どう見ても西部劇として好ましくない」
「が、ワイラー監督はそれを“男の純情”として昇華、不思議なおもしろさを生み出している。劇場の幕が上がり、舞台上のクーパーと客席のブレナンが決闘、という有名なクライマックスもよかった。そのあとで、本当にリリーが姿を現すくだりは、さらによかった。これを観れば、ジョン・ヒューストンがポール・ニューマン主演で作った『ロイ・ビーン』など、ただの二番煎じでしかないことがわかる」
そうか、あまりにも西部劇的ではなかったために中学生の心には残らなかったのだ。これで多少は胸のつかえがおりた。ただ『ロイ・ビーン』(72)は好きな映画だけに、二番煎じ説にはまいった。思えば昔の映画は深い。
ゲーリー・クーパーのプロフィールは↓
ウォルター・ブレナンのプロフィールは↓
パンフレット(51・国際出版社)の主な内容
解説/物語/ウィリアム・ワイラーを評傳式に(淀川長治)/ゲイリー・クーパー(双葉十三郎)/鑑賞講座「西部の男」(田村幸彦)
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