田中雄二の「映画の王様」

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『めぐり逢えたら』

2020-11-02 07:00:20 | ブラウン管の映画館
『めぐり逢えたら』(93)(1994.2.23.渋東シネタワー)
 
  
  
 
 妻を亡くし、幼い息子と共にシアトルに越してきた建築家のサム(トム・ハンクス)。落ち込む父親には新しい妻が必要だと考えた息子が、ラジオの相談番組に電話をし、サムは“シアトルの眠れぬ男”(原題)として亡き妻の思い出話をラジオで語ることになる。それを聴いた新聞記者のアニー(メグ・ライアン)は心を動かされて…。
 
 これまた、最近流行の“変形リメーク物”の一種。ただし、オリジナルの『めぐり逢い』(57)が多少現実離れをしたゴージャスな大人のラブロマンスだったのに対して、こちらは子供が重要な役割を担っていたり、ラジオの人生相談が発端になるなど、甚だ現実的であり、先の『逃亡者』(93)同様、ただ単にリメークするのではなく、“今の映画”として仕上げたところに好感が持てた。また、皆うわべはクールで人間不信であるように装いながら、実はこうした心温まる、奇跡のような出会いを求めているからこそ、こうした映画が生まれてくるのだろうとも思った。
 
 その点、この映画は「実際はこんなことは起こらない」と思いながらも、「起こったらいいな」と思わせるような、気持ちのいい嘘のつき方をしてくれる。しかも俳優の魅力だけに頼っただけの映画ではない。脚本や演出がうまいのだ。それは、同じくハンクスとライアンの共演で作られたファンタジー『ジョー満月の島へ行く』(90)の出来と比べれば一目瞭然だ。
 
 この愛すべき映画を撮ったのはノーラ・エフロンという女性監督。女性の視点が生かされた展開がユニークであり、特に“泣ける映画”として、女はオリジナルの『めぐり逢い』を挙げ、男はロバート・アルドリッチの『特攻大作戦』(67)を挙げるという、男女の感受性の違いを表すシーンが面白かった。ただ、こういう映画を見せられると、今までの映画がいかに男中心の勝手な視点で作られてきたのかが分かって、複雑な思いもするのである。
 
【今の一言】エフロンとハンクスとライアンは、エルンスト・ルビッチの『桃色の店』(40)をリメークした『ユー・ガット・メール』(98)でもトリオを組んだ。2人の仲を取り持つものが、手紙から電子メールへと変化していた。
 
 

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