田中雄二の「映画の王様」

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「BSシネマ」『敦煌』

2024-07-18 07:00:47 | ブラウン管の映画館

『敦煌』(88)(1988.8.20.日比谷スカラ座)

 11世紀、中国・宋の時代。科挙の試験に落ちた趙行徳(佐藤浩市)は、新たな希望を求めて新興国・西夏へと向かう。道中、西夏軍漢人部隊を率いる朱王礼(西田敏行)に徴用され同行することになった行徳は、人々との出会いや戦いを経て、敦煌の文化遺産を守るため奔走することになる。

 舞台は中国、シルクロード、砂漠と聞いて、『アラビアのロレンス』(61)のことを思い出し、果たして「ロレンス」のように自然の景観に負けない映画に仕上がっているのかという危惧が浮かんだ。

 加えて、この映画と同じく井上靖の原作を映画化した『天平の甍』(80)を見た際に感じた、中国人に扮した日本の役者が、日本語でセリフを語ることに対する違和感を覚えずに済むかということ。この2点が見る前に引っ掛かっていた。

 そして、見終わった今、そうした危惧が全て解消されてはいなかったが、この壮大なストーリーを、“大作職人監督”佐藤純彌がそつなくまとめていたし、日本映画も金さえ懸ければそれなりのスペクタクルシーンが撮れることも証明された。

 さらに、『アラビアのロレンス』のモーリス・ジャールを思わせるような、佐藤勝のスペクタクル音楽の良さも併せると、多少の不満は残るものの、スタッフ、キャストの健闘をたたえたくなった。

 何より、この映画は、戦乱と文化、無常観とロマンという、相反しながらも共存する歴史の持つ二面性を、原作の味を損なうことなく描いたところが見事だった。

 戦うことに命を懸けて散っていった朱王礼をはじめとする名もなき男たちと、敦煌の文化を必死に守り抜こうとした趙行徳ら無名の男たちを主役にし、実際に歴史に名を残した李元昊(渡瀬恒彦)や曹延恵(田村高廣)を脇役として描いているから、歴史の持つ皮肉や二面性を強く印象付けることができたのだと思う。そして、その背景には中国の壮大な国土や自然、長い歴史があり、それらが無言の内にこの映画を支えたのだ。

 ベルトルッチの『ラストエンペラー』(87)、スピルバーグの『太陽の帝国』(87)、そしてこの映画と、今や中国は映画の舞台として格好の場所になりつつつある。

【今の一言】30数年前は中国に対して、可能性を感じて、いいイメージを抱いていたのだ。


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