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映画の王様

映画のことなら何でも書く

『浪花千栄子 昭和日本を笑顔にしたナニワのおかあちゃん大女優』(青山誠)

2020-11-21 07:15:08 | ブックレビュー

 次回の連続テレビ小説「おちょやん」は、杉咲花が浪花千栄子をモデルにした女性を演じるという。で、早速こんな本が出ていた。これを読むと、彼女はすさまじい前半生を送ったことが分かる。

 それにしても浪花千栄子とは懐かしい。リアルタイムでは、「オロナイン軟膏」のテレビCMとホーロー看板のおばあちゃん(何と彼女の本名は南口キクノ(なんこう・きくの)なのだ)と、ドラマ「細うで繁盛記」のヒロイン加代(新珠三千代)の祖母役のイメージが強い。そして浪花という名字からして、大阪の代表みたいな感じがした。

 その後、昔の映画を後追いで見るようになると、例えば、溝口健二の『祇園囃子』(53)『山椒大夫(54)『近松物語』(54)、小津安二郎の『彼岸花』(58)『小早川家の秋』(61)、木下惠介の『女の園』(54)『二十四の瞳』(54)、豊田四郎の『夫婦善哉』(55)『猫と庄造と二人のをんな』(56)など、名匠たちの映画でさまざまな演技を披露していることを知った。

 そのほか、黒澤明『蜘蛛巣城』(57)の物の怪の老婆、本多猪四郎『鉄腕投手 稲尾物語』(59)の稲尾の母親、内田吐夢『宮本武蔵』シリーズのお杉婆、田中徳三『悪名』(61)の女親分、三隅研次『女系家族』(63)の三姉妹の叔母なども忘れ難い。

 また、大河ドラマ「太閤記」(65)での大政所はぜひ見てみたかった。秀吉役の緒形拳との丁々発止のやり取りが目に浮かぶようだ。

 けれども、自分にとって最も印象的な浪花千栄子は、73年の3月に、甲子園で巨人相手に行われたミスター・タイガース村山実の引退試合での姿なのだ。

 この時、彼女は村山に花束を手渡しながら、「村山はん、あんたほんまに長いことようおきばりやしたなあ。おおきに、おおきに」と涙ながらにねぎらいの言葉を贈ったのだが、当時、中学生になったばかりの生意気盛りの自分は「悲壮感のある村山と浪花を組み合わせるとはすごい。さすが大阪や。ばあちゃん、本当にいい芝居するなあ、いいセリフだなあ、泣かせるなあ」などと思ったのだった。

 浪花は、この頃はあまり公には姿を見せなくなっており、しかも同年の12月に死去しているから、彼女にとっても、これが最後の晴れ姿だったと言えるのかもしれない。おばあさんのイメージが強かったが、亡くなった時はまだ66歳だったのだ。

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『黒澤明語る』

2020-11-18 13:01:26 | ブックレビュー

 『八月の狂詩曲』(91)の撮影後に行われた、かつてジャーナリストでもあった原田眞人監督の、黒澤明監督へのロングインタビューをまとめたもの。結構ざっくばらんな話も飛び出してなかなか面白かった。(1991.8.)

 原田監督には『関ヶ原』(17)『検察側の罪人』(18)の際に、インタビューをする機会を得たが、前者では『七人の侍』(54)の、後者では『悪い奴ほどよく眠る』(60)『天国と地獄』(63)の影響についてを語ってくれた。

 今回、この本を読み直してみて、恐らく、この時のインタビューが、その後の原田監督の映画作りに大きな影響を与えたのではないかと感じた。

【インタビュー】『関ヶ原』原田眞人監督
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/5fa6ad3450d7047f5187df905d858b83

【インタビュー】『検察側の罪人』原田眞人監督
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/2f70a36c8c1ff0c251a5ba7989ca8cc2

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『オリンピックの身代金』(奥田英朗)

2020-11-13 09:00:23 | ブックレビュー

 昭和39年の夏、東大生の島崎国男は、兄が出稼ぎ先の東京で死んだことを契機に、過酷な労働現場の実態を知る。オリンピックが出稼ぎ労働者の犠牲の上で行われようとしていることに怒りを覚えた彼は、連続爆破事件を引き起こし、警察側の必死の捜査を尻目に、開会式当日の国立競技場に現れる。

 この小説の最大のテーマは地方と東京との格差だが、島崎の視点と並行して、彼とは東大の同期生で警察幹部の息子でもあるテレビ局員の須賀忠、落合昌夫を中心とした警察側の視点が描かれ、最後はそれらを一つに交わらせ、それぞれの立場から見た東京やオリンピックを浮き彫りにするという構成がユニークだ。

 作者の奥田英朗は、自分とほぼ同年代だから、東京オリンピックについてはおぼろげな記憶しかないはず。だから、この小説を書くに当たっては、相当なリサーチをしたことは想像に難くない。また、犯人と捜査陣の攻防は、文中にも登場する黒澤明監督の『天国と地獄』(63)をほうふつとさせる。

 新型コロナの影響で、二度目の東京オリンピックの開催が危ぶまれる中で、この本を読んだことについては感慨深いものがあった。

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井上ひさしの芝居4「黙阿弥オペラ」「連鎖街の人々」「天保十二年のシェイクスピア」

2020-10-18 16:01:54 | ブックレビュー

「黙阿弥オペラ」(95)

 河竹新七(辻萬長)、五郎蔵(角野卓造)、おみつ(島田歌穂)、とら(梅沢昌代)、及川考之進(松熊信義)

 時は幕末、傷心の河竹新七と偶然出会い、意気投合した4人の男たちが、捨て子のおせんを育てるために株仲間を始める。やがて明治となり、株仲間は国立銀行に、おせん改めおみつはオペラ歌手に、新七は新作狂言で一世を風靡するが…。

 時代に翻弄される歌舞伎狂言作者・河竹新七(後の黙阿彌)と仲間たちを描きながら、見事な人間賛歌を構築している。ビゼーのオペラ「カルメン」と歌舞伎の「三人吉三」の掛け合わせの場面が抜群に面白い。


「連鎖街の人々」(00)

 辻萬長、木場勝己、中村繁之、藤木孝、松熊信義、石田圭祐、朴勝哲、順みつき

 終戦直後、大連の繁華街「連鎖街」のホテルに閉じ込められた劇作家たちを描く。


「天保十二年のシェイクスピア」(2005.12.28.)

 演出・蜷川幸雄、音楽・宇崎竜童 佐渡の三世次(唐沢寿明)、きじるしの王次(藤原竜也)、お光/おさち(篠原涼子)お里(夏木マリ)、お文(高橋惠子)、尾瀬の幕兵衛(勝村政信)、隊長(木場勝己)、鰤の十兵衛・飯岡の助五郎(吉田鋼太郎)、西岡徳馬
 
 いかにも、井上ひさし作らしく、パロディ(シェークスピアの芝居と「天保水滸伝」などの講談の掛け合わせ)や、語呂合わせ、そしてミュージカルっぽい仕掛けが随所になされているのだが、果たして演出・蜷川幸雄、音楽・宇崎竜童がそれをちゃんと生かせたのかどうかは疑問がのこる。音楽は井上芝居の常連、宇野誠一郎にやってほしかった。

 もっとも当方、シェークスピアの作の芝居を全て知っているわけではないので、あまり偉そうなことは言えないのだが…。語り部役の木場勝己がうまい!


 

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井上ひさしの芝居3「表裏源内蛙合戦」「化粧」「紙屋町さくらホテル」

2020-10-18 11:13:07 | ブックレビュー

「表裏源内蛙合戦」(92)(1997.11.19.)

 演出・熊倉一雄、音楽・服部公一 安原義人、熊倉一雄、納谷悟朗、矢代駿

 江戸の一大奇人・平賀源内の夢と挫折の生涯を、色と欲が渦巻く風俗の中に浮かび上がらせる。

 今回のテアトル・エコーは、声優として有名な人たちが所属する劇団。普段はあまり顔を見ることはないが、この芝居で、彼らの俳優としての本来の姿が見られた。

 加えて、すでにこの初期のものから、井上芝居の特徴である、ミュージカル的な要素や、タイトル通りに文化人たちの裏表を描くことで、よりその人物を際立たせるという手法が確立されていたことをうかがい知ることができた。


「化粧」(82)(1997.11.20.)

 演出・木村光一 

 渡辺美佐子による一人芝居。旅一座の座長をバリバリの新劇の女優が演じる面白さがある。一種の母ものとしての芝居そのものと、劇中劇が二重構造となることによって生じる切なさが見どころ。


「紙屋町さくらホテル」(97)(1997.12.30.)

 演出・渡辺浩子、音楽・宇野誠一郎 神宮淳子(森光子)、長谷川清(大滝秀治)、園井恵子(三田和代)、大島輝彦(井川比佐志)、針生武夫(小野武彦)、熊田正子(梅沢昌代)、丸山定夫(辻萬長)

 新国立劇場のこけら落とし公演。広島の原爆で散った、さくら隊という実在の即席一座に、軍人を紛れ込ませるという、井上芝居お得意の、相反する価値観を持つ者たちのちぐはぐなやり取りが展開する。それを半ばコミカルに見せながら、やがて事の核心へと迫っていく、という手法が、この芝居でも効果的に使われていた。

 そして、そこから戦争の罪、死んでいった者たちの無念、生きのこった者の苦悩、あるいは芝居の素晴らしさ、といったテーマが浮き彫りになる。今回もお見事な作品でありました。


 

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井上ひさしの芝居2「たいこどんどん」「父と暮せば」「きらめく星座 昭和オデオン堂物語」

2020-10-17 08:46:14 | ブックレビュー

「たいこどんどん」(95)(1996.10.13.)

 演出・木村光一、音楽・宇野誠一郎 幇間・桃八(佐藤B作)、若旦那・清之助(岡野進一郎)、女郎・袖ヶ浦(順みつき)、沖恂一郎

 井上ひさしお得意の、自らの故郷・東北と東京とを巧みに交差させた幕末もので、心情とは裏腹に、どんどん江戸から遠ざからざるを得なくなる太鼓持ちと若旦那コンビの旅が、時にはおかしく、またある時には悲しく綴られる。

 かなりシビアな場面もあり、いささか長過ぎる気もしたが、同じ役者が一人で何役もこなすことによって生じる妙なおかしさや、ラストの「江戸が東京に変わったって人間は何も変わりゃしねえ」という、太鼓持ちの啖呵に救われる。沖恂一郎という中年のいい役者を発見した。


「父と暮せば」(95)(1997.5.3.)

 演出・鵜山仁、音楽・宇野誠一郎 福吉美津江(梅沢昌代)、福吉竹造(すまけい)

 自分がこれまで見てきた井上ひさしの芝居は、そのほとんどが半分ミュージカルコメディのようなものだった。ところが、この芝居では、心に傷を持った娘と、幽霊となった父親との会話の中から、原爆や被爆者に関する問題を明らかにしていく、という特異な手法が取られている。

 これまた秀逸な手法なのだが、今回は正直なところ、見ていてつらくなった。あまりにも扱っている問題がシビアで、時折吐かれる井上お得意の言葉遊びも、心底からは楽しめなかった。

 もちろん、井上が、黒澤明との対談で、「お客が見終わった後に生きる勇気が湧いてくるような芝居作りを心掛けている」と語ったように、この芝居も、ラストはきっちりと救いがあるのだが、そこまでの展開があまりにも厳し過ぎるのだ。

 と、まあ、ストーリー的には苦さが残るものの、すまけいと梅沢昌代の二人芝居は見事だった。


「きらめく星座 昭和オデオン堂物語」(85)(1997.11.18.)

 作・演出・井上ひさし、音楽・宇野誠一郎 小笠原信吉(犬塚弘)、小笠原ふじ(夏木マリ)、小笠原正一(橋本功)、小笠原みさを(斉藤とも子)、源次郎(名古屋章)、権藤三郎(藤木孝)、竹田慶介(すまけい)

 今回は、戦争前夜のレコード店を舞台に、脱走兵の長男がいるリベラルな一家のもとに、憲兵や傷痍軍人が現れて…という設定で、相反する価値観を持つ人物を、ユーモアを交えて対照的に描きながら、やがて戦前の日本が抱えていた矛盾をあぶり出していく。

 また、井上芝居はミュージカル仕立てのものが多いのだが、今回も、当時の流行歌を巧みに盛り込むことで、音楽が持つ力や切なさも描き込んでいる。役者たちも、犬塚弘、橋本功、名古屋章、藤木孝、すまけいら、一癖ある豪華な顔ぶれがそろっていた。

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井上ひさしの芝居1「イーハトーボの劇列車」「シャンハイムーン」「頭痛肩こり樋口一葉」

2020-10-16 12:57:24 | ブックレビュー

 『東京人』11月号は、没後10年 「井上ひさしの創造世界(ユートピア)」。そう言えば、彼が書いた芝居を幾つか見ていたことを思い出した。

 

「イーハトーボの劇列車」(1993.11.)

 演出・木村光一、音楽・宇野誠一郎 宮沢賢治(矢崎滋)、宮沢政次郎(佐藤慶)、宮沢とし子(白都真理)、稲垣未亡人(中村たつ)

 井上が敬愛する宮沢賢治の生涯を描いた伝記劇。とかく聖人化されがちな賢治像に対するアンチテーゼ劇でありながら、逆に、そこから賢治の別の魅力が浮かび上がってきて、不思議な切なさを感じさせられる。何とも見事な「宮沢賢治論」である。この世への「思い残し切符」という小道具が絶妙だった。


「シャンハイムーン」(92)(1995.4.16.)

 演出・木村光一、音楽・宇野誠一郎 魯迅(高橋長英)、許広平(安奈淳)、内山完造(小野武彦)、内山みき(弓恵子)、須藤五百三(辻萬長)、奥田愛三(藤木孝)

 今回は魯迅を主人公にして、彼の心の屈折やコンプレックス、罪の意識などを浮き彫りにしながら、その魅力を明らかにしていく。これは「イーハトーボの劇列車」の宮沢賢治と同じ手法だ。

 しかも、そこに、アジア諸国では何かと評判が悪い、日本人の善行を描き込むあたりが憎いほどうまい。だからこそ、最後に魯迅の臨終に立ち会った(世話を焼いた)人々の名を挙げながら、「これはとてもふしぎですが、皆さん、日本の方でした」と語るセリフがとても心に響くのだ。

 ほぼ6人しか出てこない芝居(その6人が皆素晴らしい)の中でも、普段はエキセントリックな役が多い藤木孝の変身ぶりがお見事。宇野誠一郎作曲の中国風の哀愁があるテーマ曲も心に残った。


「頭痛肩こり樋口一葉」(84)(1996.11.9.)

 演出・木村光一、音楽・宇野誠一郎 樋口夏子(香野百合子)、樋口邦子(白都真理)、樋口多喜(渡辺美佐子)、花蛍(新橋耐子)、中野八重(風間舞子)、稲葉鉱(上月晃)

 「イーハトーボの劇列車」の宮沢賢治、「シャンハイムーン」の魯迅同様、井上ひさしが芝居仕立てで語る作家論。今回は樋口一葉である。

 そのどれもが、ただの作家礼賛ではなく、彼らが抱える矛盾や嫌らしさも示しながら、最後には愛すべきキャラクターとして浮かび上がらせる、という手法も共通する。しかも、決して堅苦しくはなく、平易なストーリー展開の中に、適度なユーモアとペーソスが相まって語られるから、見ている方はたまらない。

 特に、この芝居は、盆という日本独特の風習を巧みに利用して、生者と死者との関わりを、楽しく切なく見せながら、一葉に代表される、明治時代の女性知識人の無力さやあがき、悲哀なども、見事に描き込んでいた。

 これまで見てきた井上芝居は、半分ミュージカルでもあったから、宇野誠一郎の音楽に酔わされながら、安奈淳、順みつき、そして今回の上月晃といった、宝塚出身の女優たちの魅力も再発見させられた。


 

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『さらばヤンキース』『巨人の星』

2020-10-11 00:10:55 | ブックレビュー

 元ニューヨーク・ヤンキースの往年の名投手ホワイティ・フォードが亡くなった。残念ながら、その現役時代は、知る由もなく、アーカイブ映像や本でしか見聞きていない。そのフォードも登場する『さらばヤンキース』というノンフィクションの傑作を25年ほど前に読んだことを思い出した。

『さらばヤンキース』(1995.3.)

 1964年の“保守”ニューヨーク・ヤンキース対“リベラル”セントルス・カージナルスとの間で行われたワールドシリーズを柱に、両チームの選手やフロントの動静を、当人たちへのインタビューを交えながら克明に再現し、メジャーリーグ(否、アメリカそのものと言うべきか)の転換期を見事に浮き彫りにしていくノンフィクション。

 筆者のデビッド・ハルバースタムが、スポーツライターではなく、社会派のジャーナリストであるため、カージナルスのボブ・ギブソンやルー・ブロック、カート・フラッドといった黒人選手たちの自己主張の姿と、公民権運動に代表されるアメリカ社会の変化が鮮やかにオーバーラップする。ベースボールが、アメリカ社会の鏡となることを改めて知らされた思いがした。

 また、この時期のヤンキースを9連覇後半の巨人に、晩年のミッキー・マントルを長嶋茂雄に、カージナルスを、巨人凋落後の広島や西武に置き換えてみても、さほど違和感を抱かせないことも興味深かった。

【今の一言】今年は奇しくも、フォードの他に、『さらばヤンキース』にも登場した、盗塁王ルー・ブロック、オマハ超特急と呼ばれた大投手ボブ・ギブソンも亡くなっている。

 ところで、カージナルスと言えば、68年の日米野球を思い出す。もちろんブロックも、ギブソンもその時のメンバーだったが、『巨人の星』で主人公・星飛雄馬のライバルとなる“野球ロボット”ことアームストロング・オズマが所属していたことでも印象深いのだ。

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『追憶映画館 テアトル茜橋の奇跡(伴一彦)

2020-09-25 11:09:08 | ブックレビュー

 名作映画をモチーフに、焼失した映画館と、映画で結ばれた人々を描いた連作短篇集。登場する映画は 『ニュー・シネマ・パラダイス』(88)『レオン』(94)『ハチ公物語』(87)『マディソン郡の橋』(92)『小さな恋のメロディ』(71)『愛と喝采の日々』(77)『ローマの休日』(53)『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(85)
 
 金城一紀の『映画篇』や、原田マハの『キネマの神様』と同様の、「映画と映画館が起こす奇跡」という題材を、手練れの脚本家が書くとこうなるのか、という感じがした。題材となった映画の選択は、自身の思い入れの強さからではなく、話にしやすいものを選んだような印象を受けたからだ。

 だから、確かに、一気に読ませるうまさはあるのだが、作者自身が“映画は人生を変える”と信じながら書いたと思われる前者2編に比べると、映画への愛よりも、作為や便宜的なものを強く感じてしまうところがあった。

『キネマの神様』(原田マハ)
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/8028269b0cf5e5baa9d099d34fda3589

若い人が書いた映画館を舞台にしたライトノベルもある。

『古書街キネマの案内人 おもいで映画の謎、解き明かします』(大泉貴)
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/6d97b5672a79cf2dd48c688097bd7e6e

『名画座パラディーゾ 朝霧千映のロジック』(桑野和昭)
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/beb69a8ba3e1c71f008eb5955dd5a974

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『ぼくの映画人生』(大林宣彦)

2020-09-20 13:18:41 | ブックレビュー

 先頃亡くなった大林宣彦監督が、70歳を機にその半生と映画論を縦横に語った「自伝のような一冊」で、装丁と絵を、同じく今年亡くなった和田誠さんが担当している。

 この本は、著者の語りを、編集者やライターが文章としてまとめる、いわゆる聞き書き本の一種。自分も淀川長治先生との間で聞き書きをしたが、これがなかなか難しい。もともと語りと文章は別のものだから、担当者が聞いた話を、文章として適当に変えなければならないのだが、あまり変え過ぎると語り手の味を消してしまうことになるからだ。

 その点、この本は大林監督の語りを見事に再現しているばかりでなく、とても読みやすい。赤川次郎氏が、解説「『ふたり』の思い出」の中で、「あの声で、かんでふくめるように語られると、誰でも「ああ、その通りだな」と納得してしまう。映像の人でありながら、あれほどの語りの達人だったのは不思議なくらいだ」と書いているように、大林監督は淀川先生に勝るとも劣らない語りの名手であった。

 生前、ロングインタビューをした時、「大林映画は苦手」だと言っていた同行者が、取材後「話を聞いている時に感動して泣きそうになった」と告白したのを覚えている。ある意味、究極の人たらし。あの語り口に一体どれだけの人が魅了されたのだろうか。そんなことを思わせる一冊だった。

 

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